出会いと人柄
ちょうど、南長崎で撮影するときだけ薄日がさした。80歳に近い丸山昭さんと水野英子さんをお連れして、トキワ荘のあった場所と近所のラーメン屋松葉で収録となった。赤塚、石森コンビに紅一点の水野さんが加わって、3人合作で作品を描いていた時期がある。このコラボレーションを仕掛けたのが、少女クラブの編集者、丸山昭さんだ。3人で使ったペンネームはドイツ人風U・マイヤー。(もちろん、うまいやをモジッテイル)
とにかく、赤塚、石森は本当に仲がよかった。女子の水野さんが参加しても、妙な感情もなく、同士のような付き合いが続いたという。

トキワ荘から3人で近くの銭湯に行くことがあった。風呂嫌いの石森を赤塚が引っ張っていく。風呂屋の前で男女に別れて、帰りを待ち合わせる。水野さんが遅れて出てきても、赤塚石森は玄関で楽しそうにしゃべっていた。いつも二人はいっしょだった。
3人で徹夜して漫画を描くこともあった。夜中の2時を過ぎた頃から、二人は(特に赤塚)は下ネタを話しはじめる。下関から出てきたばかりの18歳の少女は、内心ぎょっとしながらできるだけ平然としてみせた。でも、これで鍛えられたから、男社会の出版社でも全然平気になったわ、と楽しそうに語る。
トキワ荘というのは、誰でも入れたわけではない。「漫画少年」で入選とか佳作になったような才能がある程度そろっていた。みんな漫画が好きだったから、一日中、漫画と映画のことだけ話していても楽しかった。ここは、旧制高校の寮のような「同じ釜の飯」仲間が醸成されたと、丸山さんはみている。
さきほどのU・マイヤー3人合作の話。ストーリーとコマ割は石森が担当し、主人公の男女を水野が描き、背景や草花、レタリングと仕上げを赤塚が担当した。その当時の、赤塚のペンタッチは細く繊細で緻密だ。なかなかの画力を感じさせる。後年、オイラは絵が描けないから高井研一郎にまかせた、なんて赤塚語録が流布されたが、水野さんに言わせると、赤塚の絵はなかなかのものだったという。シャイで口数が少なかったけど、ちょっとHだったしサービス精神は人一倍旺盛だった。
「おそ松くん」で小学館漫画賞を受賞したときごろから、赤塚は自信に溢れたようになっていったと丸山さんは分析する。でも、他者が赤塚に期待することを、精一杯やりとげようとサービスに徹した。
水野さんは赤塚の誰と会っても同じ対応をとることの見事さを評価した。けっして威張らない見下さないのだ。どんな人と会っても、自分のほうが一段低いところに置いて対応する癖は終生変わらなかった。
とにかく、二人から面白い話が一杯出た。これから、編集に入っていくのだが、どうやって短縮するか、かなり大変だぞ。と、嬉しい悲鳴。

この塀の後ろにトキワ荘はあった
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