喪失した町で

荻窪にある杉並アニメーション・ミュージアムに行ってきた。館長の鈴木伸一さんのインタビューに立ち会うためだ。鈴木さんは1年だけトキワ荘に住んで、寺田ヒロオ、藤子不二雄の二人、石森章太郎、赤塚不二夫と新漫画党を結成した人物。最初は漫画を描いていたが、アニメーションを志望して、鎌倉にある横山隆一のおとぎプロへ行ったため、他のメンバーと少し生き方がずれている。トキワ荘を出ても、仲間との交流を絶やさずよく会っていた。アニメーターになった鈴木さんは小池という家に下宿した。当時ラーメンばかり食べていた。その姿が、藤子・F・不二雄によって捉えられ、「オバケのQ太郎」に「ラーメン大好き小池さん」というアバターが生まれる。
取材の第一の目的は、赤塚不二夫についての鈴木さんの感懐であったが、次第に、トキワ荘の兄貴寺田ヒロオのことに移っていった。
ミュージアムでは、赤塚不二夫展と石ノ森章太郎展を開催していた。杉並のやや不便な場所にあるが、会場にはかなりおおぜいの人がいた。ここで、赤塚と石ノ森のトキワ荘時代の珍しい2ショットが見ることができる。
取材を終えて、私はスタッフとは別れて、一人で四面道から日大通りへ向かった。今から30年前に私は天沼2丁目に住んでいたことがあり、久しぶりに昔のアパートを見たくなったのだ。日大通りは昔とあまり変わってはいないが、店屋のシャッターがずいぶん下りていた。昔通った3つの銭湯は健在だった。杉並第5小学校の裏にあった2階建てのアパートに私はいた。6畳一間で外風呂だった。いつも仕舞い湯に駆け込んだ。
杉並第5小学校は壊されていた。だだっ広い空き地となり、工事が行われていた。この辺りのランドスケープで、緑の森だった学校がばっさりなくなっていた。胸が苦しくなった。裏に回ってアパートの前の路地に入った。アパートもなかった。草がぼうぼうの空き地だけとなっていた。それから、天沼八幡を抜けて教会通り、荻窪駅前までどうやって歩いたか、はっきりとしない。町があまりに変わっていて、風景が目にしっかりとどまらなかった。変わり果てた姿を見たくないという思いもあった。昔よく通った古書店も3軒潰れていた。代わって、ブックオフが大きな顔でのさばっていた。
なんとなく、敦賀や金沢、長崎、広島といった場所は、過ぎ去った地と思っていたが、荻窪はまだ私の近い過去と考えていた。だが、現実の荻窪は私の荻窪ではなかった。
夕方になって、斜陽のさす駅前商店街をとぼとぼと歩くしかなかった。
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