ちょっと読みかじったこと
2000年ごろから、遅ればせながらポスト構造主義に関心をもってきた。かれこれ10年になるが、少しもポスト構造主義を理解できていない。にもかかわらず、参考書のようなもの、それらしいタイトルがついた本を目にすると、すぐ手にとる悪い癖がある。ここ1年はジジェクという人物が気になって読んでいるが、これもジャック・ラカンという難物をお手本にしているので、なかなか腑に落ちない。
今から30年前には現象学というものに惹かれた。最初はこの現象学という優しそうなタイトルが気にいったのだ。フッサールという人物がその代表だが、この人の書物や解説書をよく手にした。読んだと書かないのは、一つとして最後まで通読したのはないからだ。でも、読める箇所だけ拾い読みした。その悪い癖は現在のジジェクにまでつながる。
そんな情けない話をするつもりでなかった。単にフッサールの『フッサール・コレクション』(平凡社ライブラリー)を読んだといことのマクラだっただけだ。
この本のなかで、語義の話で面白いのをみつけたのだ。
メソッドー方法という言葉は、メタ・ホドス(何何へ至る道)ということから来ているそうだ。WAY同様、道は方法と重なり合うものなのだ。
ワールド(WORLD、WELT)の語源はもう少しややこしい。WHO(WER)とOLD(ALT)の合成語だ。OLDの語源はラテン語のALTUSから来ていて、それは成長したと言う意味から来ている。その後、人の年齢や世代を表すようになり、やがて人の居住地も表すようになった。つまり世界という空間も表すようになったそうだ。
ヨーロッパの言葉はこういう古来の語義を内にかかえている、というニュアンスは、私らのような極東の者にはなかなか理解しがたい。
先に挙げたラカンなんて人は、こういう言葉の駄洒落まで含めて言葉遊びをやっているらしいから、まともに読んでもなかなか届かないということも起こるのだろう。と、負け惜しみ。すっぱい葡萄のキツネと我は化すなり。
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