音言葉
「きっこのブログ」を知って、ときどき読むようになったが、彼女の書き込む量の多さに驚く。一回につきおよそ4000から5000文字打ち込んでいるのではないだろうか。それが、ほぼ毎日。しかも5年余り続いていると聞くと、その筆力と考える力の大きさに圧倒される。これだけ、アウトプットできるということは、インプットの量も半端ではないはず。いつ、資料を読み、いつ考えているのだろう。しかも、話題が多岐にわたっている。仕事をもち、母親の看病をしている女性にできるだろうか―こういう不可解さから、きっこゴースト説が生まれてきたのだろう。彼女は実在せず、誰か男性ジャーナリストが覆面でブログを書いているのだろうという噂があることも知った。
まあ、その疑念も分からないではないが、残された過去ブログを通読してみると、彼女なりの文体が一環してあるようで、私はこの人物は実在していて、メイクアーチストでMAXが好きな30代後半の女性で、差し支えない。そう信じたほうが楽しい。
昨日は、高田馬場で評論家の市川真人さんと宇野常寛さんと会って、秋以降の企画について相談した。お二人は気鋭の文芸評論家で、最近「ユリイカ」や「群像」で名前をよく見かける。つい、10日ほど前に東工大で行われた、磯崎新をめぐるアーキテクチャーのシンポで活躍されたばかりだ。水村美苗の『日本語が亡ぶとき』が話題になっているように、日本語論、国語論が注目されている。この流れのなかで、現代の言葉表現の状況を俯瞰するような番組ができないだろうかという話し合いだった。その話し合いのなかで、最近、大江健三郎と村上春樹の名前をよく見かけますが、と私が切り出すと、二人は「結局1970年代から2000年までは、この二人の時代だった。二人の仕事しか残らなかったということになるのではないですか」と答えたのが印象的だった。
最近、テレビに出ない作家やアーチストが増えている。村上春樹などはその代表だが、山下達郎や大滝詠一、内田樹らがそうだ。でも、先週放送された「手塚と音楽」の特番で、山下達郎が声だけ出演していた。「アトムの子」という彼の曲をバックに、手塚治虫への思いを山下が語っていた。それはそれで面白くよかったが、話し言葉でなく原稿の丸読みだったのはいただけない。
だが、このやりかたは何かヒントになりそうだ。音言葉をテレビでもっと活用できないだろうか。
話は違うが、昨日は陽気がよかった。馬場からの帰り、代々木で降りて歩いて会社に戻った。およそ30分。歩いているうちに汗ばんできた。神宮の内参道に乗馬クラブがある。その森あたりはジョギングする人たちが幾人もいた。代々木公園の外周の道は思った以上に長かった。そのうちにトイレに行きたくなり早足となる。行けども行けども公衆便所はない。だんだん焦って、ついに駆け出した。公園の梅の花が満開となっていた。
夜、映画を見た。数年前のシアター作品「列車に乗った男」。ジョニー・アリディが出演していた。カウリスマキのような映画を期待したら、まったく外れてしまった。時間の無駄遣いだと後悔しきり。こんな事なら、コーンウェルの検屍官シリーズの『神の手』を読めばよかった。これは祝日に図書館で探してきたもので、気晴らしにいいとキープしてあるミステリー。
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