愛と誠
テレビをつけたら、「グータンヌーボ」という番組をやっていた。女の本音のトークだそうだ。モデル、押切もえ、歌手の大黒摩季、そしてアナウンサーの内田恭子らがカメラを意識せずに3時間を過ごすという触れ込みの番組。そんなことありえないじゃない。カメラで撮られていること前提で、本音らしくトークしているだけだろうと、つっこみをいれても野暮なことだが、その会話が耳障りだった。この3人の女性の「本音」というのは、「・・・してほしい、・・・してくれない」の連続だった。
練馬の大泉学園へ行ってきた。梶原一騎夫人篤子さんに会うためだ。2年前製作した「あしたのジョーの、あの時代」のときに取材して名刺交換はしているのだが、今年の少年週刊誌50年の記念イベントがらみで、お願いにあがったのだ。
篤子さんは、梶原と結婚して子供を3人なしたあと離婚して、さらに数年後に再び、結婚した経験をもっている。マッチョな男梶原一騎。氏から、夫人はたいへんな苦労も与えられたはずだが、死別して20数年、亡き夫のやさしさ、かなしさが甦ることが多い。篤子さんのなかでは梶原の面影はますます濃くなっている。
篤子夫人の体調がおもわしくないということで早々に辞去するつもりであったが、思い出話に熱がこもり、つい2時間ほど滞在した。すべて梶原一騎の優しさの話である。こんなエピソードがある。
18歳の頃、梶原は浅草でストリッパーと同棲していた。その女性に東宝の社員が惚れた。梶原より10歳も年長のその男は、二人が同棲していることを承知で、ある日、梶原に告白した。あの女(ひと)といっしょになりたい、結婚したいと。その話を黙って聞いた梶原は家に帰った。しがない自分は、これからどうなるかもおぼつかない。彼は大手の会社の社員だ。
夜、女が戻って来て、その日あったことのあれこれ楽しそうに話す。にこにこ笑って梶原は聞いた。そして眠りについた。明け方、梶原はそっと布団を抜けだし、身の回りの一切をつめた風呂敷包みひとつで家を出る。出る前に、その女の履いていた赤い小さなハイヒールを胸にかき抱いて、滂沱の涙を流した。
梶原の未完となった『男の星座』に、この顛末が書かれてあったから、夫人は知った。その赤いハイヒールを胸に抱いている梶原青年の胸のせつなさを思って、夫人は大きな目に涙をためる。梶原一騎が死んで20年以上になろうとしているが、夫人のなかでは生きていた。「もし、死んで閻魔さまのところへ行って、お前は生前何をしたかと聞かれたら、私はあの梶原一騎と2度も結婚したのですと、答えることかなあ。私の人生って。」
夫人の話のなかに、「してくれない」という言葉はいっさいなかった。「してあげたかった」ばかりだった。
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