文士の年齢
昨夜は遅くから降った雨が霙になったようだが、明け方にはあがった。大阪では明け方に雪が降ったと、大阪女子マラソンの中継アナウンサーが報じている。よく晴れたので、庭に出てみて落ち葉をはらう。落ち葉をめくると小さな霜が残っていた。
車谷長吉選の短編集『文士の意地・下』を読む。中島敦の「文字禍」が面白かった。古代アッシリアを舞台にした作品だが、「少年倶楽部」の面白読み物を読むようなわくわく感がある。
ところで、この選集は車谷の好みで作られているが、巻頭に編集付記があって、本書は作者の生年順に作品を配列したものである、とある。
大岡昇平(1909~88)、花田清輝(1909~74)中島敦(1909~42)埴谷雄高(1909~97)松本清張(1909~92)と並んでいる。5人は同年生まれで、今年生誕100年にあたる人物ばかりだ。同じ生年であれば、この順番はどういう理由からだろう。月日の早いもの順にしたのであろうか。ただ、生きながらえた年齢は、大岡79、花田65、中島33、埴谷88、松本83となる。松本清張と中島敦が同年とは思わなかった。世に出た年があまりに隔たっているから、二人は結びつかない。松本の名前が世に知られるようになるのは、中島が死んで10年も経た頃だから。
おこがましいが、私が50代の初めは作家がデビューした年齢が気になったものだ。松本清張や藤沢周平、須賀敦子らが40代から50代にかけての遅い出発だと知ると、まだ自分にもチャンスはあるかもしれないなどと、妄想することもあった。しかし、還暦を越えるとそんな夢のようなことは砕け散り、むしろ死没年齢に関心が向くようになった。
先の5人の作家で、今の私より早く亡くなったのは、中島敦のみ。次に近い作家は花田で、彼の享年まであと4つ。ただ、驚くのは、この人たちは何と早くから才能を開花させたことかということ。二人とも、卓絶した文体を早々と確立させ、明晰な理路をうちたてているのだ。空を仰いで長嘆するのみ。
この車谷の人選で、ちょっと気がついたことがある。生誕100年の五人衆は意図的だとすると、一人洩れているのがいる。太宰治だ。彼も1909年生まれ、本年が100周年になるのだが、なぜ車谷は選外にしたのか。単に、彼の好みの問題だけなのだろうか。文士の意地を表すような作品は、太宰にはいくつもあるのに。
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