暮れの取材
暮れの忙しいこの時期に、わざわざ1時間空けていただいてインタビューをさせてもらった。
新井薬師に住むK元編集長である。Kさんには2ヶ月ほど前に一度話を聞いているのだが、どうしても事実確認をとっておきたいことが残っていた。この部分を持ち越したまま年を越すわけにはいかないと、いささか焦りぎみでアポをとってもらったところ、土曜日の夕方に時間を指定された。
寒風のなか西武新宿線で新井薬師まで行き、予定時刻より20分早く現地到着して、家の前でスタンバイした。Kさんはおっかないのだ。いかにも”鬼編集長”といわんばかりの立派なカイゼルひげの御仁だ。声は大きくときには小さく、爛々とした眼差しかと思えば慈愛に満ちた笑顔に豹変する、真意がどこにあるか読みにくい。若造であれば手もなくひねられそうな手強い人だ。前回もその迫力に押されて、一番大事な部分を聞き逃してしまった。そこを聞いておかなくではいけないと分かっていたのだが、その話を切り出すと怒鳴られそうな気がして、私は避けたのだ。ジャーナリストとしてはあるまじきことだ。
だが、日を追って聞かなかったことの重大さが明らかになってきた。キッズカルチャーの黎明期の重大な案件を立証する、たいせつな事実だということが浮き彫りになった。ここを外しては物語が成立しない。そうして、意を決して再度挑戦となったのだ。
午後4時、夕方のチャイムが鳴るのを確認して、呼び鈴を押した。
冒頭、お忙しいところ再び応じていただいて感謝していますとお礼を申し上げた。Kさんはここ数日いろいろなことがあって体調がややすぐれないような口ぶりだった。あまり長居はできないと、早速、用件を私は持ち出した。
すると、Kさんもその案件についてはいささか気になっていたので、きちんと話したいと考えていたと話すではないか。さすが、雑誌創刊の名人といわれるだけあって勘が鋭い。
詳細は書かないが、一つだけ心に残る言葉があった。「ぼくは、部下を引き連れて飲み歩くようなことはしない」
この一言であることが氷解した。Kさんはすべてを語るわけでなく、ある事実の存在を暗示してくれたのだ。このとき、私はサツ回りをする事件記者の苦労が少し分かった気がした。
Kさんの時代から「オバQ」のテレビ化が始まった。そのテレビが始まったとき、ある少年から投書があって、オバQの声が違うと指摘されたことがある。Kさんはこのとき、漫画を読むとき、いかに子供たちがその世界に没入しているかを知った。
お宅滞在は約束の1時間をはるかに越えた。6時近くまで、Kさんはあれこれ教示した。こんなに長時間話していても大丈夫だろうかと気にするほど熱心に語ってくれた。その間、私は2度トイレを借りた。「あなた、一度病院で診てもらったほうがいいよ」とやさしく忠告を受けた。
帰路、いっしょに行った仲間とKさんの男気について話し合った。本所生まれの典型的な江戸っ子であるKさんは、口は悪いが心根の実に優しい御仁だということで意見は一致した。
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