今年一番の冷え込みで
総武線に乗って幕張本郷まで行った。カメラマンのKOちゃんを見舞うためだ。3度目の入院をしていたが、やっと家に戻ることが出来るようになったと聞いたから。彼はかつて優れた映像をいくつもものした。彼の特徴は映像派だが「文武両道」だということ。ドキュメンタリーも撮るがドラマも撮れるカメラマンだった。「水の中の6月」という名作ドラマがある。ドキュメンタリーは「とんぼになりたかった少年」という名作のほかに、私といっしょにやった「世界はヒロシマを覚えているか」がある。私にとって”戦友”だ。端正な顔立ちで1メートル74センチの細身で姿のよいカメラマンだ。ただ野球選手のようにケツだけは大きかった。あの重いカメラをかついでそこらじゅうを走り回っていたから当然だろう。
年齢は私より5歳若い55歳。まだまだ仕事のできる年だ。
北総台地の北風が吹きぬける町に私は降りた。駅まで奥様が車で迎えに来ていただいて彼の家にお邪魔した。
扉を開けて、彼の姿を目にしたとき、その変わりように胸が衝かれた。往年のハンサムカメラマンの体が半分になっていた。痩せていた。
2つ病をかかえているという。肝炎と糖尿である。この二つは真逆の療養が求められる。肝炎は出来るだけ栄養価のあるものを食べなくてはならない。糖尿は高蛋白なものはひかえる。このベクトルが相反する困難の治療を続けながら、KOちゃんは闘病していた。
だが、肝炎の原因を聞くと悲しいというか腹立たしい。9歳の頃にかかったおたふく風邪の治療のときにした輸血が原因でキャリアーになったのだ。だから若い頃から深酒もできるだけ控えていたのだ。
痩せた体には寒さがこたえるようだ。暖かい室内でも首にマフラーを巻き厚い靴下をはいていた。でもセーターもマフラーもおしゃれな色使いは少しも変わらない。昔からスマートだった。
家族が健気に支えていた。奥様が献身的であるのはもちろんだが、大学生の息子さんも明るく、お父さんの病状に対しても深刻な眼差しにしていないことに、家族が一丸となって病と闘っていることがみてとれた。
私はときどき言葉を失い、くだらない冗談しか言えなかった。
陽が陰る前に別れの言葉を告げて、駅に向かった。冬の青空はかなしいほど美しく澄んでいた。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング