暮の2つの訃報
22日、朝隈善郎さんが(あさくま・よしろう=日本陸上競技連盟名誉副会長)老衰のため死去した。94歳だった。葬儀は昨日24日に行われたと新聞は報じている。朝隈さんは広島県の出身で、明治大学在学中の1934年、走り高跳びで日本人初の2メートルを記録した。36年のベルリン五輪にも出場した伝説的なアスリートだ。
一方、指導者としても優れていた。愛弟子山田宏臣との結びつきは伝説となっている。その話を、3年前に私は番組にした。2005年10月29日 総合テレビで放送した『ペルソナα ~伝えたい昭和の心~』だ。山田宏臣は順天堂大学の走り幅跳びの選手だったが、朝隈に憧れ、京都に在住する朝隈を師事した。東京から京都まで通う、遠距離トレーニングとなる。京都の知恩院での朝隈の練習法はある意味で前近代的といえるものだった。知恩院の石段を往復させるという、まるで姿三四郎のような根性論のような練習だった。周囲からはその効果を疑問視する声も起きた。山田もときには迷うこともあった。だが、朝隈の内心は分からないが、けっしてその方法を変えることなく愚直に繰り返した。
そして、1970年(昭和45年)6月7日、神奈川県小田原市の小田原城山陸上競技場で開催された実業団・学生対抗陸上大会で、山田宏臣は8メートル01を跳び、日本人で初めて8メートルジャンパーになったのだ。いつも、競技場で見守る朝隈はこの日いなかった。実は、この大会に参加するつもりで早朝家を出たのだが、わしがいれば山田はまた緊張することになるだろうと朝隈は考え、家に引き返したのだ。8メートル越えの喜びの一報は、山田本人から朝隈に入った。二人は溢れる涙を抑えきれなかった・・・。
この出来事をそのまま、短いドラマに私はした。朝隈の役は近藤正臣さんが演じてくれた。その渾身の演技は、ドラマだと分かっていても感動したことを覚えている。その後、朝隈さんは京都を離れて療養していると聞いたが、ついに亡くなったのだ。94歳天寿を全うしたと思う。
昨日、もう一つ訃報が入った。クリスマスイブの未明に先輩が昇天した。ドキュメンタリストのカタさん(68)だ。ここ数年病と闘っていると聞いていたがついに倒れたのだ。通勤の途中、ケータイに知らせが入った。教えてくれたSさんも同世代で自身病を託っている。哀しみは深い。
新聞はこう報じている。
片島 紀男氏(かたしま・のりお=「平沢貞通氏を救う会」事務局長)24日午前3時28分、食道がんのため東京都八王子市の病院で死去、68歳。東京都出身。
彼は骨太なドキュメンタリーを作り続けた。昭和史の闇のなかに分け入って、権力とも真っ向から立ち向かっていくつもの名作をものした。まだ68歳だ。こんなに早く倒れるとはおもってもいなかった。明日夜、通夜に行くつもりだ。そこで、カタさんの仕事、人生についてじっくり考えてみたい。
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