ポール・オースター『幻影の書』
ポール・オースターの名作といわれる『幻影の書』を読み始めたら止まらない。ポール・オースター――稀代のストーリーテラーと呼び声が高い、現代アメリカの文学を代表する作家の一人だ。村上春樹や柴田元幸が以前から素晴らしい作家だと評価していて、その名前は知っていたがこの作家を読むのは初めてだ。
この書を手にとりわずか6ページ進んだところで、物語の急流に入る。ジェットコースター状態になる。絶賛のその理由を垣間見た気がした。訳者である柴田元幸は、あとがきでこう書いている。
《「次はどうなるんだろう」という、物語というものが与えてくれる一番根本的な興味をそそられる展開が、次々惜しげもなくくり出される。》
バーモントに住む大学教授ジンマーは愛する36歳の妻ヘレンとトッドとマーコの二人の息子に囲まれて何不自由なく過ごしている。冬休みに妻の実家に帰ることになっているが、早めに冬休暇に入る少し前に妻と二人の子だけ帰すことにした。その年は妻の父が足の腫瘍の手術をうけたということもあって、父のことを心配するヘレンを気遣ってそうすることにした。彼が住んでいる町から飛行場のある町まで急スピードでハイウェーを駆けて、3人を送っていく。車内の後部席ではまた幼い兄弟が喧嘩を始め、それを叱りながら、車を空港に着ける。そして、いつものように3人はゲートの向こう側に消えた。
その3人の乗った飛行機が墜落。1万メートル上空から彼らは放り出された・・・。
オースターのうまいのは、この衝撃的な出来事を前面に押し出さない。事後の主人公の悲しみの日々を描くなかで、時折事故は姿をちらりと見せて、読者を”からかう”のだ。まるで「鬼さんこちら、手に鳴るようへ」と言わんばかりに。
家族の喪失を苦悩し自分を苛み恐怖するジンマー。一人だけ残された彼は自分を失ってしまう。連日、酒びたりのくらしとなる。そうするしかなかった。
荒れた日々のなかで、ある深夜、付けっぱなしになっていたテレビから不思議な映像が飛び込んでくる。無声映画時代の俳優ヘクター・マンが軽妙洒脱なスラップスティックを見せていたのだ。彼は思わず笑った。この数ヶ月忘れていた笑うという行為にジンマーは愕然とし、そのことに、自身感謝する。
その怪優ヘクターの生涯はほとんど知られていない。映画史にあっては、7本の映画を撮ったあと、トーキー到来前の映画世界から忽然と姿を消した人物としか残されていない。姿を消してから半世紀、おそらく死去したにちがいない、亡くなっただろうという推測だけが残っている。
彼が残した7本の映画は今や全世界に散らばった。アメリカだけでなく英仏にと拡散していて、誰もそのすべての映画を見たことがない。その映画をすべてみたいと主人公は願い、勤め先の大学に休職願いを出して映画をすべて見る旅に出ることにした。やがて、7本の映画を精密に見て、克明なヘクター研究の学術書を書き上げる。このヘクターの映画に集中するということで家族を失くした悲しみを忘れようとしたのだ。そして、本が出来上がる。学術書という性格もあってその本はそれほど大きな評判をとるわけでもない。それから3ヶ月ほど時間が流れる。
出版したことも忘れた頃、ヘクターの代理人から彼はまだ生きていてあなたに会いたがっているという手紙が届いた・・・・・。差出人の住所は遠くニューメキシコ州とある。
私はこの『幻影の書』の半分まで読んで外出した。この記事は鎌倉に向かう横須賀線の車中で書いているから、この物語の結末はまだ知らない。だが、話の展開が速く文章も映像的で、読む私の心は鷲づかみにされている。
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