昔の仲間と
昨夜、我が家に広島時代の仲間5人が来てくれて、忘年会のような同窓会のような酒盛りをした。
今から、16年ほど前のことだから、メンバーはすっかり中年の域に達している。が、私から見れば当時のままの新人たちで、ちょっと髪が後退したかシワを増やしたかなとしかみえない。大笑いする表情は昔のままだ。家人が作った料理も量が多くて食べきれないかと思ったら、然にあらず。よく食べよく飲み、よくしゃべった。
当然、話題は16年前のことになる。私がどれほど横暴ではりきっていてホラばかり吹いていたかということが繰り返し語られる。語りながらゲラゲラ笑う。くそ、あの頃こいつらそんなことを思っていたのかとくやしがっても後の祭だ。私もいっしょになって、当時の私のドンキホーテぶりを笑ってばかりいた。
こんな話が出た。津田投手の番組を作っていた頃だから1994年のことだ。この企画を東京の本社に提案するにあたって、私はあれこれ作戦を立てて臨んだ。スペシャルの番組枠で野球のドキュメンタリーを扱うとすれば巨人しかない、地方のいわんや広島の球団では「話が遠い」と一蹴される可能性が高いと私は予測した。そこで、東京本社で開かれる企画提案会議に出席するにあたり、私が物語の事実系を語り、同行するディレクターが津田投手および家族の心情を語るという役割分担をした。そのとき、その若いディレクターに私が言ったことを、私はすっかり忘れていた。
「いいか。この物語は往年の傑作『ペルーが泣いた日』の感動をめざすのだぞ」
ああそうだ。たしかにあの頃そう考えていた。そんなことを言った、そのことを思い出した。
日本人バレーボールコーチ“アキラ・カトウ”。彼はコーチとしてペルーにわたり女子バレ—のナショナルチームを最下位から4位にまで引き上げた実績をもつ。その彼が49歳で病死する。亡くなった翌日の新聞の一面には“ペルーが泣いている”と見出しが出た。選手だけでなく、アキラはペルーの誰からも愛されそして、その死を悼まれたのだ。その事実をふまえて作られたのがNHK特集「ペルーの英雄アキラ~女子バレーに賭けた日本人~」。1984年の5月に放送されて、私は心に残っていた。その思いをこれから提案しようとする番組にこめようと檄を飛ばしたのだ。若かったなあ。
そして、「津田投手」の企画提案から半年。若いディレクターは必死になって番組を制作した。放送して、それなりにいい反響をもらったが、たいしたことはなかった。ところが日を追ってこの物語に感動したという声が大きくなっていく。広島の地元だけでなく、東京や大阪からも感想の手紙が届くようになっていく。やがて、津田投手のことは全国のファンたちの支持するところとなっていったのだ。
今月の20日に、また「もう一度、投げたかった」が放送される。この16年間に何度再放送されたことだろうか。くりかえし放送されても、番組は褪せない。その都度、新しい若いファンが増えて行く。当初、私たちがめざしたペルーの感動を得ることができたのだ。
そんな思い出をみんなでわいわい語りながら夜遅くまで酒を飲んだ。
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