二日続きのインタビュー
昨日は茗荷谷で、少年マガジン初代編集長の牧野さんにインタビューした。一昨日は私のオフィスの会議室で、少年サンデー4代目編集長の高柳さんにインタビューと、2日連続の取材となった。
連続してみると、意外なおもしろい事実に突き当たる。
マガジンは講談社、サンデーは小学館、とほぼ同じ規模の会社の看板雑誌である。この二つの会社の風土というか社風のようなものをそれぞれ感じたのだ。
これまで、マガジンの関係者は自伝をいくつか著しているので、その雑誌の顛末がある程度知られていたが、サンデーは編集者の一人が赤塚不二夫との交友を描いた一冊があるだけで、編集部の実態というのがほとんど知られていなかった。だから、サンデーは秘密主義のやや暗い組織かなと勝手に想像していた。
ところがサンデー関係者と会ってみるとまったく違っていたということを知る。歴代編集長は明るい。かつ情熱的だ。みな、こどものための文化を創造するのだという熱い使命をもっていた。これは、小学館という会社が学年誌という学習中心の書籍作りから始まることに由来するのであろう。
比べて、マガジンは大日本雄弁会講談社を祖とする娯楽書籍を開拓することから始まっている。サービス精神が旺盛であること新しいことへの好奇心はえらく強いのだ。そして、戦前の名雑誌といわれた「少年倶楽部」を作り上げたという実績がバックボーンとしてある。
昭和34年の3月17日に同時発売となった、少年サンデーとマガジン。最初の4,5年はサンデー側が一歩リードした有利な展開が続いたと思うが、必ずしもサンデー関係者はそう見ていない。互角かもしくは抜きつ抜かれつの接戦であったのではないかと認識している。
そのシビアな認識のかげに、戦前の「少年倶楽部」の伝統をもつ講談社はきっと何かをしかけているにちがいないというトラウマのようなものがあったのではないだろうか。
それにしてもこの二つの雑誌のライバル関係は面白い。もしライバルのない一社体制で少年誌を作っていたら、今日のキッズカルチャーの隆盛はなかったかもしれないと思ってしまう。互いに相手の手法を意識し、それを上回る戦術をくりだして、かつ相手の仕掛けを封じ込める。オフェンス、ディフェンスのせめぎ合いが、後年の漫画文化を育成していくことになったのではないだろうか。
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