失われた場
2冊の本を並行して読んでいる。1つは、水村美苗『日本語が亡びるとき』、もう一つはメアリー・C・ブリントン『失われた場を探して』。ひとつは評論のような小説であり、ひとつは社会学的日本研究の書、ということになろうか。水村の本は今話題になっているので手にとったが面白い。中年女性の落ち着いたかつ落ち込んだまなざしの文章は劇的なことは何も起こらないが読む側にひたひたと押し寄せてくるものがある。この本については、読了してから書いてみよう。
ブリントンの本は現代日本社会を捉えるのにとても重要な視点を提供している。現在ハーバードで教鞭をとっているが、彼女の日本研究は30年におよんでいる。しかも90年代に日本に滞在して調査したものをベースにして今回著したのだ。
バブルが弾けた後の就職氷河期時代に社会に出て行った人たちはロストジェネレーション(失われた世代)とよばれているが、その人たちの失われたものをブリントンは調べている。
彼女は「外にいる者だからこそ見える」という。
《ある国や社会の「あたりまえ」は、私のように外から見たほうが目につきやすい場合もある。》
高学歴社会のなかで高校卒という立場は微妙になった。かつて機能していた学校、企業、親などが破綻したという現実を、ブリントンは実際に神奈川の高校を調査してあぶりだしている。ニートとかフリーターとかの問題群を考えるときに出てくる大げさな社会政策や教育論などをふりかざすことなく、実際に若者たちのそばで、彼らの人生をじっくり見つめている。つまり上から目線でない。しかもブリントンはこの若者たちをいつか救済したいという真情があふれている。
こんなエピソードがある。高校ではアルバイトは禁止されているが、実際はほとんどの生徒がコンビニやファーストフードの店で働いている。それは、また安い労働力を提供することになり、彼らが正式に仕事に就こうとするときに足を引っ張っていることになる。しかも、深夜のコンビニでバイトした結果、昼間の学校では居眠りする実態。
――なるほど、日本人にはあたりまえにしか見ていなかったことが、ガイジンのブリントンによって抽出されてくる。
1960年代から30年ほど続いた終身雇用という幻想は、日本社会の歴史でもきわめて稀なものであったという。その後の社会では転職、異動、という形に職業観が変わっていっているにもかかわらず、そういう状況に対応する知恵が、今の日本の若者がもっていない、もつ訓練がされていない、というブリントンの指摘にはぎくりとする。というのは、その稀な30年という時代を、私ら団塊の世代は生きてきたのだ。私らの体験でもって、彼らをはめ込んだり説教したりこと自体、お門違いということになるではないか。
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