命終
昨夜は星が美しかった。もみじ山の峰越しに小さな星がいくつもまたたいていた。寝間から空が見えるので月の夜は嬉しいが、昨夜はなかった。薄い星明りを見ながら眠った。
今朝はよく晴れた。黄金色の光が降る紅葉山ツヴァイク道を降りる。寒くなればどんどん光が美しくなる。山で拾った大きな枝を杖代わりにして歩く。この杖は夜登るときのためだ。真っ暗な夜道は心細いので護身用に枝を持ち歩くようになった。時々、イノシシが出たり狸が姿を現したりする。朝は、杖は無用だが山上から持って降りて麓に置いておかないと用をなさないので持っていく。山道を降りていくと頭上からはらりはらりと葉が落ちてくる。麓で、大きな杉の裏側に杖を隠す。そこから見える相模灘は寒々しい群青色をしている。
『西行』を読んでいると「命終」(みょうじゅう)という言葉が頻出する。彼の生きた時代は激動であったから落命、非命がたくさんあったのだ。
ところで、この命終という言葉から連想する。京終だ。こちらは地名できょうばてと読む。まさに都の終わり、果てという意味で付けられたのだろうが、昔からこの地名が私は気にいっている。こういう地名はいい。
長崎本線に現川という駅名がある。うつつがわと読む。山間にあって、いくつもトンネルを出たり入ったりする地点にある。トンネルの闇がまるで夢のような居心地となり、その感じのはてに出会う「現川」駅はその言葉のままではないかと、通過するたびに思っていた。むろん、そんなつもりでついているわけではないだろうが。そういえば大村線沿いには不思議な駅名がいくつもあったなと思い出す。
南風崎(はえのさき)、彼杵(そのぎ)、早岐(はいき)、・・・。地名の向こうに、西九州の山並みや海岸線が浮かんでくる。
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