吾があかときの時
目が覚めたら6時半だった。大磯もみじ山の静かな夜に育まれて昨夜は熟睡した。
明け方に夢をみた。大学時代の仲間たちといっしょだった。当時のわたし達ではなく卒業して定年退職した仲間たちだった。それらが記念日に大学へ再び戻って祝賀した後、論文を提出すれば新しい資格(ひょっとすると修士ということか)を得ることになる、という日。
私は勇んで学校へ向かう。途中で森岡さんという女子に会う。学生の頃は眼鏡をかけていたが、今朝の彼女はそれがなく中年の麗しい奥さんになっている。うっすらと化粧していることに驚く。
大学の門をくぐると大勢の同窓生がいる。ざわめきの中からオルゴールのような音色が流れてくる。振り仰ぐと時計台のカリヨンから聞こえてくる。四高寮歌「北の都」だ。
♪北の都に秋たけて 我ら二十歳(はたち)の 夢数ふ
男(おのこ)女(おみな)の住む国に 二八に帰る術(すべ)もなし
1コーラス終わると、大きな歓声が起きてみな拳を空に突き上げる。私もそうした。懐かしく高揚するものを身内に感じる。
というところで目が覚めた。久しぶりに目覚めがいい。
トイレに向かい、帰りがけに裏のドアを開けた。正面に相模平野が広がり地平から朝日がさしていた。あかときだった。あかとき、暁(あかつき)ともいう。あかいとき、明るいときつまり朝方をさす古語だが、それにふさわしい日の出であった。
わが大磯は夕日が背中に落ちるので、朝日のほうが美しい。鎌倉や三浦半島から見れば夕日の里になるのだが、居住して見られるのは朝日なのだ。あかときがいい。
今週末、広島時代の仲間たちと旧交をあたためる予定になっていて楽しみにしている。15年前に仕事をした若手たちが声をかけてくれたのだ。嬉しい。小津の「秋刀魚の味」に出てくる田舎教師(東野英二郎)のような心境だ。そういうわくわくした気分が今朝のここちよい目覚めとなったのであろうか。
小津安二郎が死んだのは60歳、今の私と同年だ。なんと小津は大人であったか(比べて、なんと私は大人げないか)
ところで、昨夜嬉しい便りが届いていたのを忘れていた。3ヶ月前から参加している俳句結社「めじろ遊俳クラブ」の機関紙だ。先週、句会が開かれたのだが私は日本におらず欠席した。兼題が難しいので自由題のほうに2句だけ投稿しておいた。その一句が人位として選出されていたのだ。期待していなかったので嬉しかった。
コスモスや風より近き連れはなし
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