夜更けの電話
誰の詩だったか小説だったか忘れたが、こんな場面があった。東京の自宅から八ヶ岳の山の家に深夜電話をかけている・・・。時期は今頃で、山が冬支度に入る頃だ。夏しか使わない別荘だが、そこへ向けて電話をかけている。主人公は受話器を握りしめて、呼び出し音に耳を傾けている。誰も電話をとる者がいないことが分かっているのに電話をかける。
やがて、男のまぶたに山の家の光景が浮かんで来る。静まり返った部屋、誰もいない台所、かつて幼かった子供たちが遊び回った居間、廊下、玄関・・・。呼び出し音という手を伸ばして、遠く離れた山小屋を抱きしめている。
深夜の電話。あてのない電話。空しく凛々と響く電話。東京のベッドでじっと耳を傾ける。
河合隼雄さんが「ほんとうのところは『喪』は現代人にとってもきわめて重要なことなのである。」と書いている。
近親者が死んだ場合、喪に服する。その喪という行為、感情。
この河合さんの言葉は大江健三郎の『取り替え子』の書評にあったものだ。
『取り替え子』の主人公古義人は自殺した友人吾良の死を考えている。その吾良が送って来たカセットテープに深夜ヘッドフォーンで耳を澄ませながら考えている。死んで今はいない吾良の声をじっと聴きながら、古義人は喪の作業を行う。
古義人は著者を表すとすれば、千樫は著者夫人だろう。その人がずっと耐えてきている長い夜を思う。
ふと思った。河合さんが倒れて意識を失ってから3年以上経って、河合さんが亡くなってから1年以上経って、河合さんの奥様はずっと喪の作業に立ち向かっているのだ。そのことに今気づいた。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング