古沼の
昭和30年代になぜ「月光仮面」や「ウルトラマン」といったテレビ映画の名作が生まれたか。偶然ではないということを、今朝『「月光仮面」を創った男たち』(樋口尚文著 平凡新書)を読んで痛感した。
月光仮面が放映されたのは昭和33年。私は10歳、小学4年生。たちまち虜になった。
♪どこの誰だか知らないけれど という川内康範の有名な主題歌はすぐ覚えた。「ALLWAYS・3丁目の夕日」の時代だ。主人公の男の子と私は同年齢、団塊世代だ。当然だろう。この漫画の作者西岸良平も私と同じ年だから。
この33年という年は繰り返し語られるのだが、映画とテレビのメディアの大きな転換期だった。この年、映画の観客動員数は11億。史上最高である。ここから映画は傾いていく。5年後の昭和38年には半分の5億人まで落ち込む。その2年後に「ウルトラマン」が始まるのだ。
樋口が「月光仮面」で言おうとしているのは、この日本初のテレビヒーローを作ったのは映画界の最後尾にいた人たちが、テレビという新興のまだ海のものとも山のものともつかないメディアに「撲りこみ」をかけて大成功に導いたということだ。
当時、映画人たちはテレビを馬鹿にし、なめていた。自分たちの作品を「本編」と呼び、テレビのドラマは格下に見ていた。
「月光仮面」の監督船床定男は映画の助監督出身でそれまで監督演出の経験をもたない。主演の大瀬康一にしても映画の大部屋俳優だった。この下積みの人たちがテレビの初のヒーローを作り上げたのだ。
「ウルトラマン」のシナリオ作家上原正三さんに先月インタビューした。そこで一番面白かったのは、制作陣の互いのライバル意識ということだった。このドラマには2系統の演出があった。一つは東宝映画出身の監督、もう一つは円谷一を中心とするTBSドラマ出身の監督、だ。この二つの潮流がぶつかりあい、互いに切磋琢磨して熱い作品が生まれたのだと上原さんは見ていた。この二つの勢力の蝶番(ちょうつがい)の役割をライターの金城哲夫が果たしたことになる。
時代の大きな転換は点ではなくうねりのようなものだろう。花田清輝は「転形期」と表している。それをきわめて映像的な文章で表したのが有名な「古沼抄」というエッセーだ。
室町の動乱の時代、まさに転形期を生きた大名三好長慶が詠んだ連歌からそのことをつむぎだしている。その連歌とは。
古沼の浅きかたより野となりて すすきにまじる芦の一むら
ちょうど今頃の季節の連歌だ。冬枯れの沼の周りに芦が生えていて、それが岸にあがったあたりからススキが混じり、やがて野原となってススキだけとなる。芦→芦とススキ→ススキというのがまるで焦点深度の深いレンズで撮影されているかのような情景と重なって、このエッセーから転形期のイメージが与えられた。
世の中の変化、転形期とは芦とススキが入り混じるようなもの。「月光仮面」も「ウルトラマン」もそういうなかから誕生したということを、私はしっかり押さえておきたい。
今はどうか。テレビからネットに変わっていく転形期・・・。
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