ミュラーさん
『アンネの日記』・・・あの戦争のさなかの出来事を綴った少女の日記である。
アンネ・フランクと彼女の一家ら8人は、ナチの追跡を逃れてアムステルダムの河畔にあるビルの隠れ部屋におよそ2年にわたって隠れて住んだ。そのときの様子を綴ったのが『アンネの日記』。やがて、彼女らの存在が密告によってナチに知られて、アウシュビッツに送り込まれる。そこからも移送され、ドイツ国内にあるベルゲン・ベルゼン収容所に連行される。そして、1945年3月にアンネはその収容所で病と飢えによって15歳の若さでこの世を去った。
『アンネの日記』は戦争が終結してわずか2年後の1947年に出版され、これまで50カ国で翻訳され3000万人の読者から愛され聖書に次ぐノンフィクションのベストセラーと言われている。60年以上経過しても、その感動はけっして古びない。それどころか、まだ新しい事実も発見される。
ウィーンの女性ジャーナリスト、メリッサ・ミュラーは1996年からアンネのことを調べなおした。事件から50年も経っていたのだが、40人近いアンネ関係者の戦後の人生を追って調査をしていくなかで、ミュラーは98年にとんでもないものを発見する。アンネの日記の欠落した部分5ページだ。これは、父オットーがアンネの日記を出版する際にあえて外した部分で、長い間、秘められていた。これをまだ20代であった女性ジャーナリストがスクープするのだ。彼女が著した「アンネの伝記」を今読んでいる。その取材の仕方などが、おおいに参考になる。
なるほどと思ったのが、天候のことである。アンネの50年前のさまざまな事件事象を確認していくミュラーの作業のなかで、その起きた日の天候をきちっと調べておくということだ。なにげない工夫だがきわめて大切なことだ。これとて網羅しようとなるとかなりのエネルギーがいるはずだ。それを厭わずやり遂げた地道な調査活動が、さらに大きな手柄に繋がっていく。
アンネ一家をナチに売った密告者をミュラーは特定したのだ。大きな組織に属するわけでもない若い女性が自分の足と勘でこんな大きな仕事を成し遂げたことに敬服する。
ミュラーの「アンネの伝記」を読みながら、一人の若い日本人医師のことを思う。
ソマリアで囚われの身になっているアカハネさんだ。彼女もアンネと同じくらい今心細い思いをしているだろう。なんとか、救出させてあげられる方法を見つけたい。
アンネの家の前に咲いていた薔薇の花が日本にも移植されて、今年も美しい花を咲かせたそうだ。一度見にいきたい。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング