画期的な技術(テクネー)
歴史の教科書で習った年表のようには歴史はきれいに割り切れたり並んだりしない。
印刷機の発明はグーテンベルグ、蒸気機関の発明はワット、映画はエジソンと唯一の事実として切り出すのはかなり無理がある。映画だってエジソンと同じ頃にフランスのルミエールが行っているし、他の発明だって、周辺に類似の発明があって生まれているから、彼らがまったく独自に作り出したということにはならないのじゃないだろうか。
起源というははっきりしないものだ。
フィギュアの世界でもそういうことがある。1953年に国産プラモデルがマルサンから発売されて以来、モデラー(プラモを作る人たち)はメーカーが企画した部品を材料として受け取って組み立ててきた。つまり、作品はすべて他者(プラモデルメーカー)の手の内にあった。
ところが1980年に、大阪海洋堂へ一つの手作りプラモデルが持ち込まれる。作者のAさんは歯科技工士で、彼は入れ歯の「鋳型」を作るレジンという樹脂を使って怪獣モスラのオリジナルモデルを開発したのだ。これはプラモファンなかんづくモデラーにとっては画期的な技術となった。なにせ、自分たちが作りたいものを自分たちの手で複数作ることが出来る技術なのだから。当時、大阪の学生だった岡田斗司夫さんもそのAさんに弟子入りしたほど、大きな事件だった。
たしかに、大阪のある地域ではAさんの功績は大きかった。ところが、このレジンを使って部品を作るという技術は同じ時期に全国のあちこちで発見発明されたらしい。別にAさんの情報によらないまま独自でそういう作品が生まれてきたと思われる情報が各地にあるから。レジンという新素材がマーケットに移入されたからこそ同時多発的に起きた現象だろう。
サブカルチャーの世界では大衆一人ひとりが客であると同時にAUTHUR(作家)となっていくから、夥しい生産行為が積み重なる。互いに影響し合い受けあっているから、どこからどこまでが個人のオリジナルなものと断定するのが難しくなるのだ。つまり、画期的な事象というのは個人に属するのでなく、集団行為のなかで育まれていくのではないだろうか。
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