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たかなわ

高輪

 南方海上に台風10号があって日本列島を虎視眈々と狙っている。道理で今日一日ピーカンと夕立が交互に襲来して不安定な天候だった。
 五反田の公立図書館を午後4時半に出て、このところ日課としている15000歩ウォークを開始。五反田から山手通りに沿って大崎、北品川を経由して品川駅から高輪に抜けるコースを選んだ。直前に図書館の書架で見つけた俳句雑誌で「畷道(なわてみち)」という言葉を知った。田んぼの中のあぜ道を指すという。南北朝時代、楠木正成の四條畷の闘いでもその名前が登場する。畷とは田んぼのような湿地帯を表すようだ。その中を貫く道を畷道(縄手道)と呼んだ。ここまで俳句雑誌を読んで、ふと閃いた。
 港区史に高輪とはこの区域に縄のような道があることから高縄という地名があって、それが転訛して高輪になったと書かれてあったが、元々は高畷道と呼ばれていたのじゃないだろうか。地形から観ると、高輪台地は海岸段丘で丘が海沿いに横に広がっている。高低差は20㍍もない小高い丘だ。先人はここを耕作して田んぼを切り開いた。おそらく丘一面に水田があった。この丘陵を南北に貫く一本道を高い(麓から見ると)畷道という意味で高畷と呼んだのではないか。ここから高輪の地名が誕生した、と私は推測した。
 余談だが、隣接する麻布台は丘一面に麻畑があったと言われる。

 ネットで地名由来を当たってみるとこう書かれていた。《戦国時代の軍記物語の中に「高縄原」として書かれていることに由来する。高縄とは高縄手道の略語であり「高台にあるまっすぐな道」を意味している。》
 ほぼ私の推論と同じだが、一点違うのは縄道とは「あたかも高いところに張った縄のようである」という解釈だ。高は一般論の高ではなく、現地の地形で、百姓たちが居住する麓から見れば高い場所にあるという意味ではないかと、しつこく食いさがる。

 東京は丘が多い。高輪近辺でも白金、麻布、広尾などめぼしいものが幾つもある。私が育った若狭や金沢はほとんどなく、あるとすれば「山」だった。敦賀であれば天筒山、金沢であれば卯辰山(向山)。山ほど高くなく、適当に人影の疎ら丘という空間にずっと憧れていた。高校時代に愛唱した“ちぎれ雲”の一節「思い出し、独りで丘の道を登り、雲に向い叫ぶ。君だけが好きだよと」が胸に残っていた。詠み人知らずだが「丘のポプラは揺らぎ、独り居はなべてかなし」というフレーズも脳裏に焼き付いていた。こんな情景の丘に登ってみたいと常々思っていた。
 そんなことを思いながら、ウォーキングで畷道を歩いて高輪ゲートウェイ桂坂を下っていくとぽっかり満月がのぼった。
   畷道二百十日の月夜かな






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# by yamato-y | 2020-09-03 22:36 | Comments(0)

転換期

転形期ならぬ転換期

先週金曜日のETV特集のブラックライブス・マターは面白かった。パンデミックという災厄の中で人類は改善という善を目指しているという逆説を主題にしたストレートトークはスマッシュヒットだ。プロデューサーの矢吹、東野両氏の見識の高さに敬意を表したい。そしてMCを担当した道伝さんにも大きな拍手を送りたい。彼女の起用からテレビは新しい手法を獲得したような気がする。シンボル扱いのMCでなくまさに考えるキャスターであった。それも母国語でなく質問応答してリアルタイムでアジェンダを浮かび上がらせる技能と能力に感服した。
 話はさておき、この番組で心に残ったのはジャック・アタリの指摘したことー2020のパンデミックは人類にとって1945の戦争終結、1984の冷戦終結と並んで100年に一度のエポックメーキングなことという言葉だ。
 日本人の感覚でいえば、1995の阪神淡路大震災、2011の東北大震災のほうが大きいと思うが、世界スケールでは上の3つなんだ。歴史のうねりというものは後世になって見えてくるもので、当座にあってはなかなか見えないものだ。だからその時点を転形期という幅をもった時期にはめ込もうとするが、2020パンデミックははっきり2020年の2月からその年の終わりまでという転換点という特異点になるのじゃないか。
 コロナはついに身近に迫ってきた。長年愛顧していた居酒屋「××目黒駅前店」が店じまいをすることになった。1本90円の焼き鳥と2合の熱燗だけが楽しみだったのだが、そこが消える。ベテランのホール担当女性は突如告知されたとショックを受けていた。飲食業は不景気の波がもろにやって来た。
どうやら社会はきっぱりと変化していくことに決めたようだが、その現場にいる人たちのくらしや人生は虫けらのようにして蹂躙されることになりつつある。この歴史の不条理に対して、小さな存在はどうやって抗議できるのか。






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# by yamato-y | 2020-08-25 22:43 | Comments(0)

雨の下町

雨の深川、小名木川そして門仲

正午に目黒の家を出て山越えで高輪新駅まで出て、山手線、総武線を乗り継いで両国へ出た。結局雨は降ったりやんだりぬか雨になったり、終日梅雨模様。人出が少なくて助かった。
 両国駅北口から北上して震災公園にある震災記念堂と復興記念館に行く。ここは大正12年の関東大震災と昭和20年の東京大空襲の被災の記録と記憶が蓄積されている。原爆については長崎広島でたびたび資料館で体験していたが、地震と空襲の災厄については初めてだった。さまざまな被害にも圧倒されたが、もっとも衝撃を受けたのは自警団による朝鮮人虐殺の生々しい記録だった。竹久夢二が描く絵手紙にも出てくる。外に出ると、庭に「朝鮮人犠牲者追悼碑」がひっそりと建っていた。雨は蕭条と降っている。
 ここから隅田川に沿って下った。国技館の傍を抜けて両国橋を経て新大橋まで。杉本章子の『東京新大橋雨中図』を思い出し、ひとしきり大川を眺めた。杉本は第50回直木賞を若くして受賞した。その記念の回の番組を作ったとき、初々しい彼女を私は取材したことがある。博多の人なのになぜ明治の東京を主題に選んだのか不思議だった。当時私は41歳。72になってなんとなく彼女の心境が分かるような気がする。しかし、62歳で杉本さんが夭折するとは思わなかった。もう一度インタビューしたいと願っていたのだということを、今日初めて気がついた。『東京新大橋雨中図』の主人公、小林清親の存在が重要であると気づいたのは2000年を超えてからだ。もっと早く気づいて、杉本さんに話を聞いておけばよかった。
 さらに小名木川の萬年橋たもとの芭蕉稲荷に詣でる。ここに深川住まいの芭蕉の庵があったという。石碑に彫られた句「古池や」をなぞりながら読んでいると、遠くで海猫の声がする。大川端に出た。ちょうど隅田川と小名木川が合流するポイント。満ち潮で水面が膨れ上がっている、雨は依然止まない。
 清澄白河に出て、そこから門前仲町までまた歩いた。夕暮れて、雨で人影もまばら。小林清親の光線画のような風景じゃないかと、独りごちた。
 ここまで来たら、行く先は決まっている。門仲駅前の「魚三」。いつも満席で長待ちになるが、コロナのご時世どうなっているかー。
 うまくいった。ちょうど一席だけ空いていた。すぐ後客が来たから、間一髪。
 席に座ると即注文。「イカ刺し、アジのたたき、鰯の刺身」「熱燗」。鰯と酒がすぐ来た。
鰯があまくて美味い。コップ酒がほどよく染みる。
2合呑んだところで、鰤の吸い物を頼む。これが酔い覚めにちょうどいい。勘定は1310円。
 すっかり暮れて、永代橋をわたり茅場町へ。そこから地下鉄で恵比寿まで行き、地上に出て目黒の家まで線路伝いに歩く。どこかで折りたたみ傘を忘れたらしい。ぬか雨が酔い覚ましに心地よい。






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# by yamato-y | 2020-07-23 22:11 | Comments(0)

花房山たより4号

花房山たより4号

昨年、インバウンドで最高に伸張した航空産業。COVID-19のおかげで2月から運航が激減し、現在は国際便の8割ほどが周航を停止している。昨年並みに戻るのにあと4年かかると言われている。空港は人影は消え、こころなしか照明も薄暗い。落ち込んでいると思いきや、新しい業態を目指して航空各社がさまざまな試みを始めていた。座席の密度を減らす策として3席の真ん中のシートを反対向きにして密接の度合いを下げる。そして境界にはアクリルの透明パーティションが建てられる。東南アジアの航空会社は客室乗務員は医療従事者と同じような完全防護服で接客するという。これまでのキャビンアテンダントのイメージとおよそ遠いものだが、ニューノーマルはこんなふうにして新しいフェーズを準備していくのかもしれない。

 今夜のNスペは「世界同時ドキュメント 私たちの闘い」は世界各地で起きたCOVID-19禍を現地の当事者たちが撮影したスマホ動画を使って構成されていた。海外取材どころか国内取材も県域に制限されているなかで、撮影ができないという苦難を乗り越える一つの試みとして興味深かった。むろん素人が撮影しているから、細切れの映像だがそれをオムニバス風にして、一つ一つのシークエンスを成り立たせていた。難しい編集だが、味のある作品に仕上がっていた。
 実は、わがチームもそれと同じことを目論見て、イタリアのロックダウンの苦難を描くつもりでリサーチを開始していたし、企画を提案したのだが、どうもイタリアのみの主題が今夜のNスペよりスケールが小さく見えたのかもしれない。だが、物語性はむしろ当方の方が豊かだと自負する。もう少し積極的に売りこみを掛けるつもりだ。トスカーナがなぜ最小の被害で済んだか、その"奇跡の軌跡"をたどろうというものだ。

 高輪ゲートウェイ新駅は、泉岳寺の真ん前にある。品川海岸の段丘が高輪台地で、尾根伝いに家々が並ぶ。おそらく新駅は今年のオリンピックに合わせて開発をしていたのだが、延期やコロナでややゆっくりと進められている。ここは交通が便利にも拘わらずそれほど大きな賑わいがなかったが、このあとブレイクしそうな地の利だなと愚考する。港区の高輪、三田、麻布、には大使館がたくさんあって、暮らしがハイソで垢抜けた店舗が多いのが特徴。成城や田園調布の匂いがする。JRを挟んで海側はまったくまだ開発されていない。目ざといAPAホテルが入り込んではいたが。
 それにしても赤穂浪士の泉岳寺はなかなか趣がある。12月以外は混雑もなく江戸の御代を味わうには悪くない。今、紫陽花が薄紫の花額をつけていた。

 武士(もののふ)のあはれや梅雨入り泉岳寺






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# by yamato-y | 2020-05-31 23:18 | Comments(0)

花房山たより2号

血は立ったまま眠っている-緊急事態宣言解除から3日

新型コロナウィルス拡大による緊急事態宣言が4月16日になされてからおよそ一月、5月25日に解除された。水中で呼吸を止めていて水面に出て大きく息を吸ったような開放感を得た。これで一息つけると安堵したのも束の間、28日になって北九州市感染の第2波が起きているらしいという情報が入った。やはりかと苦いものがこみ上げ憂鬱になる。ウィルスという原始生物は途轍もなく手強い。自分の細胞すら持たない極小生物のくせにどこに悪巧みする“知性”があるのだろうか。
自粛の間、体力低下を防ぐため夜間にウォーキング10000を心がけた。出来るだけ人のいない地域を通って、目黒の我が家から四方1万歩の地域を回遊した。Aコース:目黒→恵比寿→広尾→西麻布→麻布十番。Bコース目黒→白金→高輪→ゲートウェイ→泉岳寺→三田。Cコース目黒→五反田→不動前→林試の森→武蔵小山→環7。Dコース目黒→目黒川→中目黒→代官山→神泉。このコースを往復するとだいたい12000~14000歩になる。1時間40分ほど。4月26日から5月28日まで、休んだのは2日だけ。総歩数404972歩。4000歩で3.2キロ行くから323キロほど歩いたことになる。東京から大津ぐらいまでか。

本日は目黒から白金台を抜けて四の橋から南麻布に入り仙台坂を下りて麻布十番を目指したが途中から激しい雨に降られ、仙台坂上で方向転換して有栖川宮公園に向かった。そこまで行けばバス道に出られるし、目黒駅行きのバスが走っているからだ。たいがいのことではバス電車には乗らないと決めているが、さすがにTシャツはずぶ濡れでこのまま1時間雨中にあれば風邪をひくなと警戒した。驟雨で街角から人が消え、額咲きの紫陽花が可憐で美しかった。
目黒の駅前でなじみの居酒屋で熱燗を飲んで体を暖め、もつ鍋で精気を入れた。

飲食店はかなり店が開いたが、大型書店は依然閉鎖のまま。代官山ツタヤは昨日からオープンしていた。久しぶりに新刊書を目にしたが、あまり心に響かない。
コーヒースタンドでは隣との間仕切り透明スクリーンが設置され、食堂へ行っても一席ごとに間を空けて座る。スーパーへ行けば、レジ前のビニールカーテン。至るところでソーシャルディスタンスが実行されている。半年前はインバウンドの外国人が目にとまったが、今は対人距離装置ばかり目につく。
ふと山小屋を思い出した。白山の山頂にあった山小屋で雑魚寝したこと。まるでオイルサーデンのようにぎっしりと詰められて眠った50年以上前の出来事はまるで夢のようだ。






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# by yamato-y | 2020-05-28 23:17 | Comments(0)

花房山たより 1号

花房山だより 1号
2020年5月23日、コロナ事態を受けて、日々聞き込んだ市井の話を書き残すことにする。昨夜(22日)のクロ-ズアップ現代で、精神医学者で作家の斎藤環が記録することの重要さを100年前のスペイン風邪を通して語っているのを聞いて、まったくその通りだと思った。およそ5000万人がスペイン風邪で犠牲になったにも関わらず、その記録は驚くほど残っていない。終息と同時に正視できないほどの傷を負った人類はそれを忘れようとしたのだろう。うっかり忘れたわけではない。思い出したくなかったのだ。その気持ちは理解できるが、今度のコロナは人類の苦い体験として苦しくとも残すべきだと斎藤は語っていた。

昨夜、右下の奥歯が痛んだ。激痛に耐え兼ね渋谷の歯科医の予約をとった。午前中に定期診断の神田小川町のクリニックで胃の経過観察を受けることが入っていたので、スケジュールをやりくりして、午後一番に歯科のアポを取った。一日に2つの医療施設を廻ることになったのだ。そして全歩数は16364歩となる。

 小川町ではスポーツ衣料品店は軒並みシャッターを下ろし、飲食店も地下鉄駅周辺しか店を開けていない。朝が早かったのかもしれないが、古書街がひっそりとしていることが気になった。新刊本屋も2割以上売り上げを下げているとか。中国製品で店の棚を埋めていたスポーツ店もどんどん店仕舞いするのではないかと噂されていた。小ぬか雨が降って肌寒い。コロナ冷えとでも呼びたかった。

 午後、雨があがった。日が射すと蒸し暑くなった。渋谷神山町の歯科医に行く。センター街は閉まった店が多いが、繁華街から少し外れオフィス街に入ると、意外に10余りの飲食店が開いていた。店頭にテイクアウトの弁当を並べている。価格は850円から1200円まで。持ち帰りにしては値が高い。コンビニ弁当なら500から700円ですむのにと、恨めしく思う。
 有名なフランス料理店の店頭販売をちら見したら、サラダとドレッシングをセットで売っていたので、450円で購入。帰って家で食すとドレッシングが抜群に旨い。さすが三ツ星レストランと感心した。奮発して特売していたルーマニアの白ワインも買っておけば良かったと、悔やむ。

 M歯科では厳重な感染防止の態勢になっていた。この医院のいいのは従業員はおらず先生一人でやっていること。だが現在は院内の除染まで仕事が広がってやや草臥れている。土足は厳禁でドアの外でスリッパに履き替える。医師はけっして正面には向き合わない。飛沫感染を互いに避けるためだ。いつも陽気なM先生も趣味の渓流釣りが出来ないとショゲていた。奥会津の只見川に行きたいが、県外ナンバーで出かけると自粛ポリスに罰せられそうで怖いとこぼしていた。歯痛の原因は虫歯でなく歯周病だと診断された。お迎えも近いのに、高い金で歯を治療するのも馬鹿馬鹿しい、それなりの痛み止めで結構と開き直ったものの、やはり痛みで夜眠れないのは嫌だということで、ドリル(削岩機)の刑も甘んじて受ける。

 日伊ハーフの女性プロデューサーがいる。ボローニヤの大学を卒業後に来日して、映像活動を始めた。出身地のミラノにはおおぜいの幼馴染がいるということでフェイスブックを通して、イタリアの封鎖の状況を友人たち10名以上に取材してもらった。一応、イタリアは5月初旬にロックダウンを終えたのだが、けっして平穏な日常に戻ったわけでないらしい。厳しい実態がいくつか見えてきた。
 日本の自粛と違って、イタリアの封鎖は家からの外出は厳禁で、戸外どころかマンションの廊下にも出られない。一週間に一度だけ家族の中のひとりが食材生活必需品を買うときだけ時間制限で許可が出る。破ると400€の罰金と軍隊警察の厳しい注意を受けるというのだ。住人は疑心暗鬼になり、互いに行動をチェックして、ついには密告のような陰湿な行為も現れたと嘆く声があった。

 医療崩壊はすさまじく、病院へ行って診察を受けたいと願っても、順番がなかなか回って来ないということで老人たちは家に閉じこもり、きちんとした治療を受けられないまま死んでいくケースもかなりあったという。現在イタリアのコロナ犠牲者は28000人となっているが、実際にはコロナ直接ではないが、その巻き添えで亡くなった、いわゆるコロナ犠牲者を含めると49000人に登ると噂されている。

 そこで小川町の検診クリニックへ話が戻る。主治医のN先生はこんなことをもらした。
「今回の騒動で、あらためて災害弱者の存在が浮き彫りになった。普段は検診で指摘されても、糖尿病が少しあってとか血圧が高くってとかいって適当に考えていた人たちは、ことが起きれば犠牲になりやすいということが分かったはず」 トリアージュ(患者選択)の際にはこういう持病のある人は一般病院に廻されて、助かる可能性のある無病、若年を優先して人工肺などの処置を施すことになる。持病のある者は治療の対象から外されやすいというのだ。こういう存在を災害弱者と呼んでいるとN医師は深刻な顔つきで話してくれた。

 これだけたくさんのメディアや開放性が担保された表現が増えたというのに、流言飛語が甚だしい量で飛び交っている。市民は何を信じて何を警戒するのか分からない。自らの知性を信じて、ひとつひとつ吟味してかつ他者の評価などを参考にして自己判断する以外ない。あの太平洋戦争のさなか軍部の暴走に隷従してプロパガンダで民衆を巻き込んだマスコミ(新聞、ラジオ)。その渦の中にあって、永井荷風は自らの欲望と美意識と文学への渇仰に指針を見出し、正気を保ったという。いささか美談めくが、この逸話は忘れがたい。

追記 花房山由来 :目黒駅西口からほど近くにわが家がある。花房山と呼ばれる小高い丘で、坂を下ってゆくと五反田に至る。隣は池田山。姫路城主池田候の屋敷があったそうな。このあたり旧大名の下屋敷が軒を連ねた江戸郊外だった。花房もそういう候の一人。
 藤の花 房は切られて黄泉(よみ)の国





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# by yamato-y | 2020-05-24 22:59 | Comments(0)

飛騨の友人へ

飛騨の友人、T君へ

 50年前に金沢の大学に入って友人になったT君がいる。彼は飛騨高山の出身で、文学と音楽が好きなこともあってすぐ友人になった。サントリーレッドを呑みながら夜通し人生論や文学論を語った仲だ。
卒業後、道はそれぞれ違ったが、薄く淡く交流は続けてきた。今となっては数少ない故友だ。
 本日、飛騨地方で数回地震が起きた。地震お見舞いのつもりでメールを書いたら、とんでもない文章となった。こんなSFみたいなことを俺はずっと思っていたんだと知って、自分でも吃驚した。
 ***
 Tくんへ
おーい、地震が頻発しているようだがダイジョウブか。飛騨と信州の国境で起きているようだな。おそらく大事には至らないとは思うが、用心するに越したことはない。
世界的には新型ウィルスで、国内にあっては自然災害の到来と、我らの人生の終盤で終末論的なことが立て続けに起きている。戦後70年、人類は少しズに乗っていたな。この地球という乗り物は人間の独占物のように考えてきた。鳥類も魚類も植物も鉱物もすべて人間に与えられた果実だと誤解してきた。よく考えればそんなはずはない。地球の歴史46億年のうち、生物が出現したのが5億年前。恐竜がのさばっていたのが1億年前。ヒマラヤが造成されたのが4500万年前。類人猿が現れたのが2500万年前。ヒトが姿を現したのがおよそ700万年前と言われている。そこから人間にとっては気の遠くなるなるような時間として650万年が流れて北京原人が出て来た。そして3万年前にネアンデルタール人が滅亡して、1万6500年前に青森にヒトが居た痕跡がある。この頃は日本海が出来て日本列島になっていた。おそらく北方から南方から大陸から太平洋の対岸からいろいろな人種民族が長い時間をかけてやって来たのだろう。富士山は爆発を起こし火を噴いていた。信州の火山群も現役だったはずだ。列島の海沿いにヒトは住んだ。人種民族は交配を続けて「日本人」を形成していた。この頃まで新型コロナウィルスも森に住む獣や鳥を宿主として人間の近いところに棲息していたのかもしれない。
お見舞いのつもりでこのメールを書き始めたが、俺の関心がすこし外れはじめたようだ。すまん。でも前から気になっていたことをここに少し書く。
「日本人」がある程度たまり始めた後に、「ヒダ人」は遅れてこの島にたどり着いたのではないか。かれらは先住のヒトよりも進んだ文明をもっていた。しかも数も一桁二桁多い集団で、他とも交わることもしないでも生き延びる知恵を持っていた。海浜は先住が占拠していたので、山間に入った。進んだ文明というのは道具を作ったりそれを活用して住居を構築したりする文化のこと。これがわずか5千年前のことだと推定する。もしT君の家が先祖伝来そこに住んでいたとすれば、ヒダ人だ。俺は父が白山麓の山中出身だから距離的にはそれほど遠くないが、おそらくまったく交流のない種族だったろう。この両者が出会うのは50年前に俺たちが大学で遭遇したことで始まる。おそらく俺の町で俺以前に飛騨と交流をもつものはいなかった。たった50年の間に、人間はすべてを制服しすべて知ったつもりでいた。人類3000年は、この50年に指数関数的なスピードで急進展した。地球の陸地はすべて踏破し開発し、森を殺し川や海を汚した。地球の環境すら危うくさせることとなった。森の奥に追い詰められたウィルスはもはや逃げ場を失い、人間に牙をむいたのだ。
# by yamato-y | 2020-05-19 23:54 | Comments(0)

24時

24時

4年前にこのブログに書いた「E君」という記事を読み返した。68歳のときに書いたものだ。
江口は神戸に生まれ神戸で生きてきた。大学時代だけ金沢に住み、そこで私と出会った。業界新聞の記者として関西で活躍した。1995年に阪神淡路大震災に遭遇する。そこから20年経ったと長い手紙を送ってきた。来し方を見つめ恬淡と述べてあったが、最後の段落で数年前に癌を患い、いままた網膜剥離という「眼」を病んでいるという言葉が気になった。そこで、高山に住む谷口に声をかけて神戸に会いに行った。40年ぶりに再会を果たした。江口は大きくやつれていた。半年後に訃報を聞いた。
 江口の手紙をもらったときに書いた「E君」に、私は自分の年齢を3で割って、22・66666という数字を書き残している。人生年表を午前0時に生まれ24時に終わりとすれば、そのとき私らは午後10時半過ぎにいるということをたしかめた。だが江口は午後11時をむかえる前に死んだ。少し早いよ。
そして今、私は72。3で割ると24と出た。――そうか、ノーサイドの時刻を迎えていたのだ。感傷ではなくその数字をじっと見つめる。
うどんを食い、どんぶりを横に置いて、ベッドのそばでパソコンを打っている。シーツを取り換えに来た家人がどんぶりを見て、出しっぱなしにして、だらしない。早く片付けろと悪態をつく。




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# by yamato-y | 2020-04-10 10:00 | Comments(0)

サカイヨシノリちゃん

命ーサカイヨシノリちゃん

新型コロナウィルスの話でネットも世間ももちきりだ。家に居てネットサーフィンをしていたら、「空席に座る子」というサイトに出会った。
若い夫婦(といっても20代後半)が病気で幼児を失い、その傷を互いに癒えないまま憎しみあっているという間柄で起きたことを報告した記事。その夫婦は和解しようと、その子供が生前行きたがっていたディズニーランドへ出かけて、園内のレストランで亡き子供をまじえて食事を取ることになっていた。二人だったが、4人掛けのテーブルを予約していた。二人で座った。店内は混んできて、店員から席を替わってほしいと懇願される。生真面目な父親は実は昨年亡くなった子供の命日で、出来たらここで祝いたいと申し出る。事情を聴いた店員は謝って退いた。その後、二人の元に3人分の料理が届く。一つはお子様ランチ。そして突如バースデイソングが鳴って、サプライズのケーキが夫婦のテーブルに運ばれてきた。我が子の死後、ギスギスしていた(離婚を覚悟していた)夫婦は言葉を失い、居るはずもない愛児の席に幻がパパとママに向かって呼びかける。という「tearjerking物語(お涙頂戴)」だ。
 分かっていたけど思わず泣いた。サカイヨシノリちゃんの両親と兄の思いを60年経て想起したのだ。
  私は車の運転が出来ない。免許は一発でパスしたが、いざ路上に出ると体が強ばってしまうのだ。だから免許は70歳のときに返上したが、50年間に3回しかハンドルを握っていない。
中学校1年の春、私は交通事故を目撃した。ちょうど中学へ進学する直前の春休みで、友達と疎水のほとりで木片を船に見立ててレースをやっていた。そこへ元気のいい幼稚園生が3人ほどやって来て、このレースをしばらく見物していた。着ているスモックはグレイでキリスト幼稚園の子供らだなと気づいた。小川の流れは意外に急で木片は土手のあちこちにぶつかりながら下流へ流れて行った。「ああ面白かった」といって、ヨシノリちゃんらは帰って行った。10㍍ほど先の国道8号線に向かって走っていった。私は立ち上がって、その方向を見送っていた。先頭のヨシノリちゃんが横断しようとしたとき、下手から走ってきたダンプカーが襲いかかった。園児の小さな体をオオカミのような獰猛な口がヨシノリちゃんを飲み込みそして吐き出した。その瞬間がスローモーションとなって目に焼き付く。ヨシノリちゃんは背中をこちらに向けてポーンと弾き飛ばされた。一瞬何が起きたか混乱した。恐怖はなくむしろ驚異だった。だが、すぐにその場面は私のトラウマとなった。その後何度も悪夢を見るようになる。そして、数年後、自動車学校に通って車の運転を始めたとき、ハンドルを握ると言い知れない恐怖で脂汗が出た。
 1年経った頃、私はわたしの両親が通うキリスト教会の礼拝に出た。そこは幼稚園も経営していて、その教室を抜けて礼拝堂に行こうとしていた。そこで真新しいオルガンが設置されていることに気づいた。なにげにオルガンの鍵盤を見ると、譜面立ての下に何かが書かれていた。「寄贈サカイヨシノリ」とあった。電撃が走った。
 事故を見た恐怖、ヨシノリちゃんの悲劇は頭にこびりついていたが、御両親の悲しみなどまったく考えたことがなかった。しかし、そのオルガンを見たときどれほど父上と母上そしてお兄さんはどれほどヨシノリちゃんを愛していて、その喪失が苦しく悲しかったかを一瞬にして知った。


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# by yamato-y | 2020-04-08 23:49 | Comments(0)

ケータイの紛失―老い先の運命か

ケータイの紛失―老い先の運命か

 昨日の午前から正午にかけてケータイが行方不明になった。午前中まで電話をかけていた記憶があると思うが、どうもそれは一昨日の午前だったと家人は言う。なくしたのは一昨日の夜半の酩酊のときに目黒駅前の酒場もしくは路上で紛失したのではというのが外部の見立て。私個人の主観は昨日の午前まで枕元にあって充電していたはずと認識するのだが、客観情勢はどうも分が悪い。最近、記憶の把握がやばい。出来事の順序や物事の生起が逆転したりするのだ。おまけに記憶の出来事そのものの印象はあるが、その日時や場所などのディテールがおぼろになりつつある。つまり記憶のエッジが溶けてきている。これも古希を越えての老いの道かと思うが、周囲に言わせると昔からではないかという。
ケータイ紛失はこれで4度目だ。最初は梶原一騎未亡人の取材で訪れた練馬の原っぱで紛失。これは発見できず、番号を変更して新しいのを購入した。次は8年ほど前に訪ねたタイのチェンマイの空港だ。税関を通るとき、タイ側にケータイを置いたまま通過。周章てて引き返そうとおもうと停止を命ぜられ、それを取り返すには再入国が必要だと警告された。飛行機の出発時間も迫っていたので、次に来るときに奪還しようと泣く泣く諦めた。そのリベンジと思いつつ時は流れ、そのケータイも流れた。
3番目の紛失は何があったか失念したが、これもやはり番号変更して新しいスマホにした。買い換えたのが昨年の11月だから、まだ半年も経っていないのにまた紛失したのだ。自分の馬鹿さ加減に呆れる。とにかく一つのことに想念が集中すると、他がぽかーんと脱けるのだ。だからこれは老いの惚けでもなく元来の私の資質らしい。あほらしい。
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といって、洗濯機に放り込んでいたものを取り出して干そうと思ったら、靴下の片一方がない。洗濯機の水槽にも、風呂場の前にも、ベランダの干し場にもない。さっきまであった靴下の片方が行方知れず。こりゃあ、「神隠し」のたぐいが悪さをしておるんかのお。話はずれるが、季語で「桜かくし」というのがある。桜の花の季節に、季節違いの降る雪を指すという。ついでにお金をかくすのもある。

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# by yamato-y | 2020-02-19 20:57 | Comments(0)


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