定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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最新のコメント

手紙の別れ

若葉風

 日曜から大磯の家に来て、書棚の整理をしている。築20年のまだ若い家だが、あちこちに故障が発生している。私の人生は、家族のこと、仕事のこと、個人の内面のこと、などは人並みの幸せを与えてもらったと感謝している。ただ一つだけ、ずっと悩まされたのがこの大磯の家だった。職場まで1時間15分の遠距離にあるなんてことは当初から予想していたから問題ではない。家そのものの欠陥に10年以上悩まされて来たのだ。どれだけ補修工事を行ったことだろう。かかった経費も今ではそれなりの額になった。それでも、一生のなかの最大の買い物であったわが家だからなんとか住める状態をキープして自分の終の住処(すみか)にしたいと頑張ってきたが、4年ほど前から精魂尽き果てて都内のマンションに越した。
 週末のセカンドハウスでもいいかと考えて、贅沢ながら二つ所有していた。他にこれといって金のかかる趣味や道楽ももたないから切り詰めればなんとかなると思っていた。2年ほどこれといったトラブルもないまま過ぎた。一昨年の暮れあたりから、屋上の防水などにほころびが出てきた。部分措置をやってみたが、うまく収まらない。そうこうするうちに、昨冬長い間放置した。年明けに訪ねてみると、応接間の壁にシミが出来ていた。

 それからずっと考えた。―そして、結論を出した。これ以上は無理だ、この家をアバンダンしようと。もちろん私一人の判断ではない。家人や子供の意見も入れて、検討した結果である。
おそらく1年後には建物が消えているだろう。それまでの過程を映像で記録して、住宅トラブルドキュメンタリーでも制作して、世に建築家とか工務店とかいう人たちの悪辣さを訴えてやろうかと考えてみたり。

 そういうこともあって、週末には大磯帰りが大事な日課となった。今、二千におよぶ書棚の雑多な書籍の整理にかかっている。今回は、大江健三郎さんに関する資料と書籍の整理だった。大江さんの単著だけで195、他の人が書いた評論でも30あった。この他に、私が大江さんと同行取材したときのノートや資料を合わせると膨大なものになる。
次回は、花田清輝とフォロアーたちの書籍、雑誌などの整理にかかるつもりだ。

 本棚の整理をするとどうしても書類の破片がぼろぼろ出て来る。それをビニールの大袋に入れていた。朝9時半、チャイムが鳴ってゴミ収集車がやって来た。さっそくビニールの袋に昔の日記や名刺などを詰めて出した。ひとつひとつ精査していたら、また整頓が停滞する。思いきってミズテンで一袋を作り上げ、収集車のローラーの間に押し込んだ。
 袋は何の悲鳴も上げず、ゴミの闇のなかに吸い込まれていった。
アディオスわが××よ

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# by yamato-y | 2016-05-16 22:16 | Comments(0)

ジョナス・メカスのように

敦賀、山中への旅
2016年GWは娘夫婦と一緒に私のふるさとを訪ねる旅となった。今日はその1日目、13時に敦賀の待合室で会うことになっている。そのまま実家へ向かう。家の取り壊しがまもなく始まるので、その最期を娘とつれあいに見せたかった。
そのあと、莇生野の丘にある教会の共同墓地へいって、今年亡くなった弟の死について父母に話をしようと考えているのだが。

おそらく、北陸が初めてのタ君(娘のつれあい)に気比の松原、常宮、敦賀半島などを見せようと計画している。有り難いことにタ君は運転が好きだということで、移動は心配しなくていいようだ。朝、品川を発ったが、薄曇りのなかに澄んだ青空が顔を出していた。日吉丘陵の背後に富士山が冠雪の美しい姿を見せていた。今日は暑くなりそうだ.

ジョナス・メカスの「リトアニアの旅」を思い出した。アメリカに住むメカスは✖️十年かぶりで故国リトアニアを訪ねる様子をメカス自身がフィルムカメラで収録した、紀行フィルムドキュメンタリーの名作だ。なぜこれに思い当たったかは、今車中で記しているので詳細を期すことができない。後刻試みることにしよう。
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# by yamato-y | 2016-04-30 09:55 | Comments(0)

粗忽もの

粗忽もの

 3日前から始まった熊本地方地震、16日未明に起きたマグニチュード7・2の大地震の悲報が終日テレビで伝えられる。苦しくなるが、テレビから離れることもできない。間断なく続く余震におびえる住民の顔が哀れで、居間でテレビを見るだけの自分が腹立たしい。じっとしていられない。

九州の惨状を座して見続けることに耐えきれなくなった。とうとう午後2時、家を出て、目黒区民センターのスポーツジムを目指した。ランニングで自分の肉体を追い込みたいと思った。甘ったれている、自分でも分かってはいたが。

 目黒駅の脇を抜け、権之助坂を下る。坂の中程、二股の信号は赤なのでパスして、さらに下の信号付き横断歩道まで走り降りる。気持ちが急いていたかもしれない。弘南古書店のあたりで足がいささかもつれ気味になった。やばいと思って体勢を立て直そうと思った矢先、目の前を自転車がさっと通り抜けた。足がからまった。体が前に投げ出されて行く。やばい。このままでは石畳と激突する。体をかばえ、私はわたしに命じた。ゆっくり倒れながら、アタマをかばうように腕を持ち上げた。

 どさっと倒れた。体の右側に数カ所痛みが走った。倒れてしばらく起き上がれなかった。若い男が寄って来て、「大丈夫ですか」と案じてくれる。礼を言って、ゆっくり立ち上がるつもりと応えると、その人は離れていった。

 立ち上がって、手のひらと右膝から血が流れているのに気がついた。右手のひらは真ん中がべろっと剥けている。膝はコールテンのズボンが破けて、2カ所から血が垂れていた。痛みはすぐにはなく、2、3歩行くと、猛烈な勢いでやってきた。(まずい。どこか骨折でもしたのだろうか)

 ジムへ行くのは止めて、家に戻ることにしたが、なにせ繁華街なので、通行する人からじろじろ見られる。恥ずかしいやら痛いやらで、気がすっかり顛倒してしまった。
 途中、駅前の高木薬局に寄って、消毒薬と血止めのスプレーを購入。そのまま、家の風呂場で傷口を確かめながら、治療する。消毒薬の最初の一吹きの痛いこと。手のひらに真っ赤に燃えた炭を落とされた気がした。血だらけで、怒髪天をついた私の姿を見た家人は絶句。

 10時間経って、ようやく痛みはおさまったが、依然打撲した右手首は回しにくい。だが、熊本の被災した人たちの苦労に比べたら、こんな怪我などたいしたことではない。どうか大雨を降らさないでと念ずるばかり。


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# by yamato-y | 2016-04-17 01:10 | Comments(1)

春が行く

春の草花

目黒川沿いの桜も終わりに近づいた。今朝、ジムの帰りに新橋のあたりで最後の花見をした。

午後、白金の自然教育園を久しぶりに回遊した。
山吹の黄色い花が最初に迎えてくれた。黄色の5弁はまさに春いろだ。
足元にスミレがある。タチツボスミレのうす紫の花は可憐だ。隣にはイチリンソウとニリンソウの群落が連なっている。ニリンソウはヒト茎に二つの花が咲くのでそういう名前となったと案内板に書かれてある。
正門から水鳥の沼まで、ずっと植物園が続く。途中で野生の狸を発見。無心に羽虫のようなものを追いかけていた。子供が「あ、タヌキだ」と叫ぶと、そそくさと森の茂みに消えていった。何か得をした気分。
シャガが白い花をつけていた。故郷(くに)では狐しょうぶと呼んだはず。山中温泉に眠る父母の墓の周りにたくさんあったことを思い出した。今年は次弟が両親の元へ帰って、きっと3人で睦みあっていてくれるのではないだろうか。そうあって欲しい。

最後にラショウモンカズラの花を知った。羅生門で切り落とされた鬼の腕のような細長い筒状の紫の花はなかなか華美にして優雅。来年もまたこの花と会いたいと思った。

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# by yamato-y | 2016-04-10 18:49 | Comments(0)

25年も月日が流れて

黄金街にて

昨夜、トミさんと鷺ノ宮の立ち飲みで盃を交わした。久しぶりに見たトミさんはすっかり痩せていて心配したが、当人曰く「年に一度の検診では百点満点だ」だと。
立ち飲みのハイボールをお替りしながらトミさんは、日曜日の昼に8CHで放送されるドキュメンタリー番組を見てあげてと告げた。枠はザ・ノンフィクションで、ゴールデン街のマキちゃんが主人公のドキュメント。「せつなくて故郷 女になって47年目の帰郷」。3年前に放送したものを、マキちゃんの死を惜しんで、少しリメイクした作品を再放送するという。そこで、本日3月27日午後2時からの放送を視聴した。

3年前の76歳のマキちゃんの人生が描かれていた。映像には亡くなったとんぼの秋子さんも映っている。顔見知りの編集者やディレクターの仲間たちもいる。
マキちゃんとは25年近い付き合いだから、ドキュメントに登場する人たちも知っている顔ぶれが多いのは当然か。

マキちゃんの本名は敏雄、鹿児島の枕崎で少年時代を過ごしていた。女として男に好かれたいと願望を持っていたが田舎ゆえカミングアウトできない。やがて美容師になることを期して都会に出た。その後、性別適合の手術を受けて性を転換した。敏雄から真紀になったのだ。46年前のことだ。
その後、旧青線地帯のゴールデン街に身を置き、水商売に専念した。この間、マキは一度もふるさと枕崎に帰っていない。そこで、番組はマキの故郷行へと展開していく。ためらう彼女の後押しをしたのが、いっしょに店を手伝っていたつぐみさん。彼女は、マキちゃんの本心は故郷へ帰って老いた母と和解したいということだ、ということを見抜いていた。

 番組では、酩酊して吼える、歌う、踊る、悪態をつくマキちゃんのさまざまな顔が登場する。全部知っている。バブルの頃、トミさんや工藤さんたちと毎夜新宿で飲み明かし、その後秋子さんが五番街に店を出すようになってからは、そこを根城に夜の新宿に突撃したものだ。そのとき、口の悪いマキちゃんから「明後日おいで、とっとと出て行け!」と“激励”を受けた。

 忘れられないのは10年ほど前のことだ。わたしが高校時代に好意をいだいた女性とそのともだち4人をマキちゃんの店に連れていったことがある。金沢のミッションスクールを卒業した女性たちはいたって御淑やかでキャバレーどころかゲイバーなど行ったこともない。何事も経験だよと言いくるめて、ゴールデン街中央にあるマキの店を訪れた。

――この宵のマキちゃんはとびきり意地悪だった。かつこれまで見たこともないぐらい下品でハスッパだった。
目を丸くしている4人の淑女を相手に、マキちゃんは猥談はするは、胸を見せようとするは、悪態をつくは、狼藉のかぎりを尽くした。なぜ、こんなに悪ぶるのだろうと訝った。
 手ひどく恥をかかされたと思った私は、この日以降、マキちゃんと口をきかなくなった。半年ぐらい続いた。
 あるとき、とんぼに溜まっていると、マキちゃんが入ってきて哀願するではないか。「いつまで怒っているんだよ、アタシが悪かったから謝るよ。だからもういいじゃない」
これでは、謝っているのか威張っているのか分からん。

 大磯へ転居すると新宿から足が遠のく。いきおい、秋子さんやマキちゃんの顔を見ることも減った。
だが5年前から鍼灸で歌舞伎町のタケ先生にかかるようになると、帰路とんぼをのぞくこともあった。開店前の支度でどんなに忙しくとも秋子さんは必ず私をカウンターに座らせて、ビールをグラスに注いだ。そして互いの健康を祈って乾杯したものだ。そこへ大騒ぎしてマキちゃんが現れる。「アタシにも一杯ちょうだい」と強引にコップを手にとる。そんな面影が蘇る。

 今年の1月、秋子さんが逝き、旬日を隔てぬうちにマキちゃんが逝った。マキちゃんは80歳になっていた。
 合掌

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# by yamato-y | 2016-03-27 15:59 | Comments(0)

薄氷

薄氷

今朝は4度まで気温が下がった。昨日に比べて10度以上の寒の戻りである。春は来そうでなかなかやって来ない。
悲報、哀報が続くなかで、すこし嬉しいことがあった。
わが俳句倶楽部の2月21日の句会の結果が、会報となって届いた。開くと兼題の「薄氷・雪祭」の部で、“地”の位をいただいていたのだ。

薄氷の小窓を透きて茶のボタン

宗匠が、「詩的興趣にあふれている素晴らしい作品だ」と高い評価をしていただいたのは嬉しい。先日、弟を失ったこともあって、南小学校へ通学していた幼い日々が、心のなかに居座っていた。弟を連れて歩いた通学路。

――冷え込んだ朝、通学路で見かけた光景。舗装されていない赤土の道に薄氷が張っていた。覗き込むと氷の奥に茶色のボタンが閉じ込められていた。誰かのオーバーのボタンだろうか。やや大きめの形だった。氷を割って取り出すのは惜しい気がして、そのままにした。氷の窓の向こう側の世界はしんと静まりかえっていた。指先から湯気が立っていた。

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# by yamato-y | 2016-03-24 16:58 | Comments(0)

無明

無明

弟の葬儀が無宗教だったことを未だに考えている。
弟のなかに信仰と呼べるものはなかったのだろうか。
たしかに父と母は日本キリスト教団所属の教会の会員でクリスチャンだったが、弟は洗礼を受けていないから会員ではない。が、祖父祖母は真宗門徒だったから一族は仏教徒だったことになるので、仏教徒といえるかというと、そういう告白は弟から聞いたことがない。でない、という否定形を重ねていくと、弟は無宗教者ということに行き着くということなるか。だが無宗教というのは当人の意思だから、彼は生前そういうことを示唆していたのだろうか。

 別に宗教の種類とかにこだわっているわけではない。どの宗教であれ、自分を支えるものとしての宗教をまったく持っていなかったと断言するほどの確信が弟にはあったのかしら。

 若い頃はともかく、私の場合五十の坂を越えたあたりから、生きることへの畏れが深くなってきた。人の道もそうだが、自分の身体そのものが不可思議に思えてならなくなった。この壊れやすい肉の器が存立し続けること自体奇蹟に思えてならなくなった。特に、47歳のときに脳出血を発症してから、脳内の血管が安全に運行していることがフシギというか奇蹟としか思えなくなった。
 時折、首から頭部にかけて勁いハリを感じるとき、私は思わず祈っていることを自覚する。「どうか、無事であり続けてほしい、永らえさせたまえ」と。私の場合、祈りの対象は父母から受け継いだものと同一である。
二人の弟は信仰を告白していないから無宗教者ということになるのだろうか。

一方、信仰を持たないと明言する大江健三郎さんですら何かに向かって祈るということは否定していない。大江光さんが初めて言葉を発したとき、次の言葉を発するまでの短い時間、大江さんは必死で祈ったという。何に向かってか、誰に向かってか。宗教を持たなくても、祈るという「行為」はあるのだろうか。

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# by yamato-y | 2016-03-22 17:12 | Comments(0)

春の日の花と輝く

肌寒いが

先週は大阪へ飛び、帰京して番組終了のパーティと走り回ってすっかり疲れた。スポーツジムにも行く気がおこらない。土日と家にこもって読書アンドiPad 。ところが電波事情が昨夜から悪化し、WiFiがなかなかチューニングできない。ついイライラしてしまう。

2冊を並行して読んでいる。ひとつは松尾尊よし先生『戦後日本への出発』、もう一つはディレクターの大先輩萩野靖乃さんの『テレビもわたしも若かった』。前者は昭和天皇がマッカーサー元帥と会見したときの記録を再検討して、事実関係を洗い直す話。証拠調のような手際のよさで、情報の真実を追い求める手法は読んでいて心地よい。後者は私より10歳年長の練達の番組制作者の回顧録。かの伝説的番組「YOU」を作り出したときのエピソード満載、小気味のいい文章に乗せられて快読。

午後3時頃になったらジムに行って体を動かすかな。
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# by yamato-y | 2016-03-20 13:06 | Comments(0)

弟の死

弟の死

私は3人兄弟。私が一番上で68歳、真ん中が次男で65歳。一番下が60 歳。男ばかりの兄弟3人で育った。年に一度やって来る富山の薬屋が、我が家に荷をほどいたとき、会計を終えると、母に「男の子ばかりで楽しみですね」とお追従を言った。母も満更でないらしく、嬉しそうな顔になっていたのを覚えている。

3人の仲で一番勉強が出来て、いつもクラス委員に選出されていた優等生は、次男。性格は温厚にしてだれにも優しい。カンが強く誰にでもすぐ噛み付く長男の私と真逆の温順な性格の持ち主だった。小学4年生の運動会には学校を代表する鼓笛隊の隊長にも選ばれるほど、先生たちも弟の「実力」とひととなりを認めていた。でも、その当時弟は陰湿な苛めを受けていた(らしい)。私は現認していないが、亡くなった母が私と2人だけの昔話のなかで、悲しそうに語ったことを思い出す。おそらく悪ガキが優等生の弟を妬んでいじめに走ったのではないかと推測するが、当時中学生になって自分専用の自転車を買ってもらって有頂天だった私は、弟のそんな苦しみには気づいていない。

弟は一浪した。最初の受験で失敗したあと、京都の難関の予備校を受験し合格した。そこに受かれば京大も夢じゃないという名門だ。其の前に受けた地方国立大学工学部よりよほどレベルの高い予備校に入ったものの、どうやら勉強はそっちのけで京都や大津の文化を楽しんでいたらしい。
その最初の受験のとき、弟に付き添ったのは亡母だ。大津で生まれ育った母は京都に土地勘があったから、弟を連れて同志社のキャンパスなどへも足を伸ばした。その頃の思い出を、母は短歌にしている。
如月の風も冷たき京の町 受験子連れて五条坂行きし 美代子

やがて故郷の北陸の国立大学に進み、弟はあくせくもせず大阪堺の自転車部品メーカーへ就職する。そのあたりから私と弟の交流はほとんどなくなった。両親を通して、彼がシンガポールへ転勤したこと、仕事も自転車部品でなく、釣りのリールの設計が専門になったことなどを、うっすら知るのみとなった。

 現役退職したのも私より早かった。定年前の引退だったかな。50代後半になると、弟は体調に異変を感じるようになっていた。2010年に敦賀で一人暮らしをしていた母が死去するが、その前から弟は健康に不安を感じるようになった。
それでも、母がいなくなった敦賀の実家に一人住んで、漬け物を作るような自適の生活を送るようになった。弟はまったく野心も計画も名声も望むことなどなかった。淡々と、与えられた命を大事に慈しみながら生き、本日平成28年3月14日、午前11時50分昇天した。

 彼のいまわのとき、後でたしかめたが、私は目黒の山手線の外回りのホームにいた。耳朶に突然メロディが流れた。「主よみもとに近づかん」の賛美歌が聞こえたのだ。家人たちは笑うが、目黒駅のホームに立つ私にはたしかに聞こえた・・・。

明日、弟の葬儀に立ち会うべく、朝9時過ぎに家を出て、品川から新幹線に乗り、大阪南西部を目指す。ヨチロー、いいか待っていろよ。にいちゃんが駆けつけるからな。
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# by yamato-y | 2016-03-14 23:59 | Comments(0)

関東はくもりだが、東北は晴れ

被災地から生中継

午前中はテレビの前にいた。大震災5年の特別番組が生中継で放送されている。知人が総合演出に関わっているのでモニタリングした。

司会のなかに糸井重里が入っている。彼の発語は一つ一つ響く。被災という呪縛からの脱出を暗示する姿勢に共感する。
被災地を三桁回数観光で訪れているといゲスト、カンニング竹山が茶化さず真っ当に議論していることに好感をもつ。議論の内容も悪くない。だがゲストが少し多いかな、半分でいいと思うが。

それにしても、ずいぶんたくさんの中継が出動している。局としても力が入っている。これだけ注目される番組を担うとなると、圧力もハンパでないだろうが、あえて火中に飛び込んでいってほしい。

来週後半に、私の担当していた番組の終了を記念する会が開かれることになっている。上記の大番組と異なり、こちらはひっそりと番組が終わりに近づいていくのだ。
誰かの句にこんなのがあったっけ。

さまざまなことを思い出す桜かな
もうすぐ花の季節がやって来る。
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# by yamato-y | 2016-03-12 14:12 | Comments(0)


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