定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
カテゴリ
以前の記事
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月

最新のコメント

「夏の香り」チェック②

 天気雨

今朝は不思議な天気だった。麓は晴れているのに山は雨が降っている。この季節にしてはめずらしい、天気雨だ。
「夏の香り」の前半(まだ全部チェックしていない)のキイワードに天気雨がある。この天気雨に遭って雨宿りする男と女。天気雨のことを「虎が婿入り」すると男は言い、女は「狐の嫁入り」と言う。ここから物語がほどけていく。
 この雨の撮りかたは美しい。さすがユン監督だ。秋雨や春の長雨のようにへヴィに降る雨ではなく、にわか雨といった爽やかな雨に仕上がっている。まさに夏の香りがするような『万緑の雨』だ。万緑つまりオールグリーン。そういえばタイトルバックも濃い緑に雨粒が落ちて波紋が広がるといった意匠だ。天気雨―緑―心臓(心臓については別の機会に書こう)。
これらのキイイメージが「夏の香り」を彩っている。
 にわか雨で雨宿りする男女というのは、映画「8月のクリスマス」(ホ・ジノ監督1997年)や「ラブストーリー」(クァク・ジョエン監督2003年)でも使われた設定だ。雨と恋というのは韓国では定番なのかもしれない。それぞれ美しかった。特にラブストーリーの主演ソン・イェジンはこの「夏の香り」のヒロインヘウォンを演じている。このことは特筆しておこう。病弱だった彼女が心臓を移植されて活発でお茶目な人格に変わっていくこと、時々見せるセンチ、優しさなど若いがうまい役者だ。むろんヒーローのソン・スンホンは監督のお気に入りだけあって、陰りをもつ人物ミンユをよく演じている。
 このドラマの脚本も「冬のソナタ」コンビのキム・ウニ、ユン・ウンギョンさんたちだ。語り口が似ている。愛しているということを暗示させるのに、ゲームで表すところなどそうだ。冬のソナタの場合尻取りゲームだった。夏の香りでは連想ゲームを使っている。これも韓国文化の伝統につながっているのかもしれない。言葉や文字を大切にする「文」の文化という意味だが。
 ユン監督の作品は現代的な風俗で描かれてはいるが、その精神は朝鮮の伝統文化に根ざしているように思える。

人気blogランキング
[PR]
# by yamato-y | 2005-02-23 13:27 | 夏の香りチェック | Comments(0)

大磯暮らし②

ツヴァイクの道

 我が家のあるモミジ山から麓までの道を、私はひそかにツヴァイクの道と呼んでいる。お気に入りの作家シュテファン・ツヴァイクに因んだのである。彼はザルツブルグのカプチーノ山に住んでいた。「サウンドオブミュージック」の舞台となった町である。20代の終わり、ザルツブルグへ行ってツヴァイク邸を訪ねたことがある。ツヴァイク自身、ナチに追われ亡命先のブラジルで自殺したからその邸宅の所有者は現在別の人物である。だが屋敷も庭も当時のままであった。深い緑に包まれていた。高い柵越しに静まる屋敷を見てツヴァイクの非業の死を思い私は胸がいっぱいになった。
 ツヴァイクは当時の流行作家で司馬遼太郎のような存在だった。歴史を題材にとった小説は無類に面白く、多くのファンをつかんだ。執筆に飽きると家の周りのカプチーノ山をツヴァイクはよく散歩した。その散歩道を辿ってみた。予想以上に文明が入り込んで車が往来していたが、この道で『人類の星の時間』や『マリー・アントワネット』、『権力と闘う良心』といった名作が生まれたかと思うと胸がふるえた。ツヴァイクは今も愛読書の一つだ。
 いつか家を建てることがあったら、山の上にと思っていた。現在、相模湾を遠望する
山上に住み毎朝山を下って通勤する度、あの思いがよみがえってくる。おこがましいがモミジ山をカプチーノ山に見立てたいのだ。
 今朝、ツヴァイクの道に陽光がさんさんと降り注いでいた。こういうときは、手のひらを太陽に向けて精一杯吸収するといいと、葉祥明さんから教わった。木々は芽吹いていた。
 大磯駅のフォームに立つと構内の桃の木があざやかな花をつけていた。

 夜行「冨士」 海辺の駅の 桃を過ぐ

人気blogランキング
[PR]
# by yamato-y | 2005-02-22 18:56 | Comments(1)

シュウカツ(就職活動)

若いって素晴らしい

 昨日、男子学生3人と女子大生一人が私を訪ねてきた。シュウカツのための会社訪問である。1昨年から京都の大学で私は客員で教えている。男子は教え子、女子は在京の学生で彼らの友達ということだ。4人ともマスコミを志望している。
 まず、放送局とはどんなところかを知るためにスタジオやスタッフルームを案内した。音楽用の広大なスタジオ、ドラマスタジオ、こども番組のセット、サブ、編集室などを1時間ほど見てまわった。感想を聞くと「いろいろな職種の人が一杯いるって感じですかねえ」と仕事の幅広さと人の多さに呆れていた。
 京都の学生たちは私の映像メディア論を受講してからマスコミに興味をもったようだ。その授業では実際10分の番組を制作するのだ。テーマは「発見!大学の**」。毎年30人ほどで三本作っている。機材は電気店で売っているデジタルカメラと編集用のパソコンだけだが結構仕上がりはいい。半年間、実質2週間程度で作業するのだがユニークな番組が出来る。実際に作業をはじめてみると夢中になり、番組制作の「楽苦しさ(たのくるしさ)」を味わいひきこまれてしまうのだ。いつも受講生の中から10名程度テレビ局を志望する者が出てくる。(この授業の様子を今本にまとめようとしている)
 夜、4人を渋谷の焼き鳥屋に連れて行った。二人の学生は11時の夜行バスで帰洛するので、それまでの時間つなぎも兼ねて。ビールが入ると学生たちの口はなめらかになって、就職の現状を話す。景気がやや上向いた(数年前に比べて)とて、就職戦線はまだまだ厳しい。出版などではなかなか内定がもらえないとこぼす。でも、私が面接時の心構えなどを話すと、一言ももらすまいとじっと耳をすます。顔つきがいい。若さがみなぎっている。こういうやる気満々の有為の若者を、この国はつぶさないようにしていってほしい。
 来月に入れば、マスコミ各社ではエントリーシートの受け付けを始める。シュウカツはいよいよ本番をむかえる。

      背広着る 慣れぬ言葉や 沈丁花

 人気blogランキング
[PR]
# by yamato-y | 2005-02-22 17:18 | Comments(2)

シリーズ・作品回顧2

 「向田邦子が秘めたもの」

向田邦子が昭和56年に台湾上空で命を落としたときマスコミに大きな衝撃が走った。放送作家として華々しく活躍する一方、鮮烈な文壇デビューを飾ったばかりだったからだ。その華麗なライフスタイルは女性の憧れの的だった。その死を惜しむ声が長く続いた。 しかし、謎となっていることが一つある。才色を兼ね備えた向田はなぜ結婚しなかったのだろうか、恋愛の体験はなかったのだろうか――。
向田邦子の作品の中に「中野のライオン」という不思議なエッセーがある。二十年前に電車からぼんやり外を見ていたら中野のアパートにライオンがいたというのだ。意表をつく話で読者の心をつかんだが、この話の影に向田邦子の恋が隠れている。そのことを私が分かったのは、彼女の番組を制作してからのことだ。
 永く謎とされてきた向田の恋の情報が私のチームにもたらされたのは、没後20年を控えた2000年冬のことだった。向田邦子の遺品から向田の手紙5通、恋人からの手紙3通、そして恋人の大学ノートの日記2冊、が発見されたのだ。向田邦子の若き日の恋の痕跡だった。
 向田には10年以上にわたって深く愛した男性Nがいた。しかしNには妻と子がありおまけにN本人は脳出血の後遺症で苦しんでいて恋は成就しない。当時、向田邦子は荻窪に住み中央線を利用していた。Nは妻と別居して中野の実家に戻っていた。最寄りの駅は中央線高円寺であった。そして昭和39年、その男性が自死をとげて、秘めた恋は終わる。向田邦子34歳のときのことだ。
2001年7月、「没後20年・向田邦子が秘めたもの」と題して100分の特集を私は制作した。大きな反響があった。「番組は向田邦子像を実証的にとらえるうえで、全体の構成もよかったし、テレビドラマの本質を教えてくれた」という批評を得た。
 こうして向田の隠された愛をみつけたのだが、そのことを向田がいっさい語っていないことに私はひっかかっていた。後日、エッセー「中野のライオン」を読んだときひらめくものがあった。
 《今の住まいは青山だが、二十代は杉並に住んでいた。日本橋にある出版社に勤め、通勤は中央線を利用していたのだが、夏の夕方の窓から不思議なものを見た。場所は、中野駅から高円寺寄りの下りの電車の右側である。今は堂々たるビルが立ち並んでいるが、二十何年か昔は、電車と目と鼻のところに木造二階建てのアパートや住宅が立ち並び、夕方などスリップやステテコひとつになってくつろぐ男女の姿や、へたをすると夕餉のおかずまで覗けるという按配であった。
 編集者稼業は夜が遅い。女だてらに酒の味を覚え、強いとおだてられいい気になっていた頃で、滅多にうちで夕食をすることはなかったのだが、その日は、どうした加減か人並みの時間に吉祥寺行きの電車に乗っていた。
 当時のラッシュ・アワーは、クーラーなど無かったから車内は蒸し風呂であった。吊皮にぶら下がり、大きく開け放った窓から夕暮の景色を眺めていた。
 気の早い人間は電灯をつけて夕刊に目を走らせ、のんびりした人間は薄暗がりの中でぼんやりしている――あの時刻である。
 私が見たのは、一頭のライオンであった。
 お粗末な木造アパートの、これも大きく開け放した窓の手すりのところに、一人の男が坐っている。三十歳位のやせた貧相な男で、何度も乱暴に水をくぐらせたらしいダランと伸びてしまったアンダー・シャツ一枚で、ぼんやり外を見ていた。
 その隣りにライオンがいる。たてがみの立派な、かなり大きな雄のライオンで、男とならんで、外を見ていた。》(向田邦子「中野のライオン」)
  邦子は目を疑る。息が詰まった。ところが、まわりの外を見ていた乗客が「あ、ライオンがいる!」と騒ぎたてるかと思っていると、誰も何もいわない。寝ぼけたのかと思い直すが、「そんなことは、絶対ない。あれは、たしかにライオンであった。」と、邦子は胸中でつぶやく。
 嘘のような話である。二十年ほど前にライオンを飼っていました、という人が現れないかなと書いて小説新潮に発表したところ、私がライオンを飼っていたという人物が本当に現れた。発売から五日後、確かに自分が飼っていたという人物が現れたのである。その連絡を受けた時、邦子は――
 《私は受話器を握ったまま、こみ上げてくる笑いを押さえ切れず、裂けた夕刊に顔を押しつけ声を立てて笑ってしまった。悲しくもないのに涙がにじんでくる。はなも出てくる。》(「新宿のライオン」)
 ライオンを目撃した場所は、中央線、中野駅から高円寺寄りの下り電車の右側。そこは、まさにNが住んでいた町の方向にあたる。邦子は中央線、高円寺付近を通過する時、無意識にNの家をさがしていた。その時、視野にライオンが飛び込んできたのだ。
誰の目にも映らないライオンはNと重なる。不自由な右手を使って自炊するNの姿が邦子には見えていた。
だから20年後ライオン実在の連絡を受けたとき、「悲しくもない」のに邦子の目に涙がにじんだのである。
  
人気blogランキング






 
[PR]
# by yamato-y | 2005-02-22 09:15 | シリーズ作品回顧 | Comments(1)

冬のソナタの秘密2



ユンズカラー

映像は光を使って絵を描くことだと、ユン・ソクホ監督は考えている。
 元々画家を志したこともあってユンさんは絵を描くことも見ることも好きだった。美しいものに対しては敏感だ。あまり知られていないが、ユン作品で使用される絵画はすべて監督の好みで指示されている。「秋の童話」では主人公が画家という役柄もあってずいぶん絵が登場した。半抽象の色彩鮮やかな作品をよく使っている。しかもそれは場面との色合いの調和をしっかり計算しているのだ。色にこだわることは社名にも表れている。昨年、個人プロダクションとしてユンさんは会社を設立した。その名はユンズカラー。
 韓国四季四部作。「冬のソナタ」は白、「秋の童話」では黄金に輝く褐色「夏の香り」は緑を基調に画面を作ってきた。さて次回作「春」は何色をもってくるのか。日本の春であれば桜に代表されるピンクだが、はたして韓国ではいかが。

人気blogランキング
[PR]
# by yamato-y | 2005-02-20 22:25 | 冬のソナタの秘密 | Comments(0)

ミステリーもメロドラマ

〈検屍官シリーズ〉スカーペッタ

 実は、ミステリーやホラーが大好き。松本清張や水上勉は若い頃没頭した。その後江戸川乱歩賞は出来るだけ逃さず読んだ。『暗黒告知』や初期の井沢元彦なんかは好きだ。でも外国ものは文体が馴染めなくてなかなか読まなかった。昨年の暮れ、職場の同僚がこれおもしろいよと貸してくれたのが『コーノトリ殺人事件』。それから『報復』など赤毛物にいっきにはしった。
 物語の設定はうだつの上がらない探偵や弁護士というのが好きだ。権力をもっている奴にいやというほど最初いじめられるのだが、最後で逆転というパターンがお気に入り。これって昔はまったプロレスのスタイルだ。余談だが、研修の講師などで行くと、私は番組の作り方をプロレス団体の分類で示したりするほどプロレスが好きだった。でも1昨年オーエンハートの暴露ドキュメンタリーを見て一気に熱がさめた。格闘技も最初はよかったが、最近のプライドなんかはリアリティが薄い。以前ほど力が入らない。
 閑話休題、外国ものにはまって読みすすむうちに、パトリシア・コーンウェルの〈検屍官シリーズ〉に出会い、これに心を奪われた。このはまり方は昨年の「冬のソナタ」に似ている。1作読むと次にいきたくなるのだ。読み終えるうちは、他の本が読めない。たいてい私は2,3冊並行して読書するのだが、このシリーズだけはそういうわけにはいかないのだ。このシリーズは1990年代全米で最大のミステリーになったというがたしかにその面白さが無類だ。
 作者のパトリシア・コーンウェルは実際に検屍官を体験しているので、医学知識、警察組織の詳細が半端でない。死体からのプロファイリングは今までなかった手法で読ませてくれる。犯罪もカルト教団や殺人狂など中途半端ではない凶暴で犯人も悪辣だ。物語は起伏があってぐいぐい引っ張る。
 でも一番のお気に入りは登場人物の人間関係だ。検屍官スカーペッタはイタリア系の美しいエリート女性。FBI捜査官の恋人がいる。不倫の関係だ。現場のさえない警部マリーノも横にいて、スカーペッタに邪険にしながら意識している。女子のエリートということで男社会のいろいろな意地悪にあう。それをぶち破って行くときの爽快感が最高。もう独り重要な人物がいる。姪のルーシーだ。天才だが母性に恵まれずスカーペッタを母のように慕う。最初少女だった姪はシリーズがすすむにつれ、美しい若い女になっていく。でも彼女は男に興味をもたない。女の恋人がいる。これらのレギュラー人物が、さまざまな事件に遭遇し解決していくのだ。
 この人間関係の面白さは、藤沢周平の『用心棒日月抄』に似ている。
 スカーペッタとマリーノのやりとりなど、翻訳ものとは思えないほど、洒脱でいい。翻訳の相原真理子は相当の人だと、私は思う。
 これは、デミ・ムーアの主演で映画化もされたというが、評判をとっていない。多分シナリオ化するのが難しいのだろうが、うまい映像で見てみたいものだ。せめてジェシカ・ラングの「ミュージックボックス」程度のあがりで見ることができないかなあ。ハリウッドの監督でユン・ソクホぐらいの感覚をもった人がでてこないかなあと夢想する。
 ちなみに戦後評判をとったフランス映画のジャンル、フィルムノワール(犯罪映画)もメロドラマの一種として欧米では見られる。メロドラマというコンセプトはなかなか広いのだ。

人気blogランキング
[PR]
# by yamato-y | 2005-02-20 17:58 | Comments(1)

シリーズ・作品回顧①

「もう一度、投げたかった」

 この「定年再出発」のブログは、新しい番組を目指して企画を考えたり表現方法を模索したりすることを念頭において立ち上げたのですが、一方で三十年にわたって作ってきた私自身の作品についても振り返っていこうと思うのです。その当時夢中になっていて見えなかった事情や作品の自己批評も加えて回顧しようと考えました。これも定年という一つの区切りがあってできることかなと思うのですが。

 1993年秋、私が広島にいた頃の話です。部下に広島出身のディレクター0君がいました。彼は工学部を卒業したいわゆる理系センスの持ち主で、〈物語をつむぐ〉というのが苦手のようでした。企画を立ててもどこかで聞いたことがあるような話であったり、お笑いのギャグになってしまったりと、ストーリーが作れず悩んでいました。
 ある日、「君の好きなものは何だ」と私は0君に尋ねました。「野球です」と応える。東京の大学にいる頃はいつも後楽園に行っていたという。「好きな球団は?」「もちろん広島カープですよ」津田投手のファンだ。上京して一人暮らしを始めたとき真っ向勝負をする津田のピッチングにずいぶん励まされたと0君は上気した顔で話すのです。私には何かピンと来るものを感じました。「2週間やるからカープのことを調べてみろ。取材に行ってこい」期間限定で0君をオフィスから放り出しました。
 それから数日間ウンともスンとも言ってきません。ちょうど2週間目に電話が入りました。今九州にいて津田投手が入院していた病院を取材していますと意気込んで報告するのです。ここから「もう一度投げたかった~炎のストッパー津田恒美の直球人生~」の制作が始まったのです。
 津田恒美、山口県新南陽市出身。協和発酵から昭和57年広島カープに入団し、直球勝負の投手として活躍。現役時代はセーブ王として名をあげ「炎のストッパー」と言われた。しかし平成2年に突如として引退。ファンの前から姿を消した。――これぐらいの知識しか私にはありませんでした。辞めた後の彼はどうなったのかと0君に聞くと、「彼は脳腫瘍のため1年前に亡くなりました。享年32ですよ。」と口惜しそうに告げます。どうやら0君は津田の非業の死を追っているらしいということが私には分かりました。でも活躍した
投手が亡くなった情報だけでは「ストーリー」は作れません。0君はどんなリサーチ結果をもって帰ってくるのでしょう。正直のところ、私はそれほど大きなものは期待していませんでした。
 帰局した0君の報告によれば、病気になった後津田は山口の実家に戻ったそうです。そこで療養していたが思わしくなく福岡の総合病院へ移り治療を受けることにしました。一時は奇跡的に回復し現役復帰も夢じゃないと思われましたが、再び腫瘍が広がりついに亡くなったのです。早い死でした。短い期間でしたが彼の真っ向勝負のピッチングは大勢のファンの目に焼き付いています。
 0君の報告の中に気になるエピソードがありました。福岡の病院へ搬送されるときの救急車の出来事です。球団のトレーナーが付き添っていました。津田は意識が混濁しています。「津田!しっかりしろ」と声をかけると、利き腕をトレーナーの方へ向けてマッサージしてくれと催促するのです。それから腕を振って投げようという仕種を見せたと、0君は目を赤くして話します。心に沁みました。津田投手の「もう一度投げたい」という思いを知った気がしました。0君は何かをつかんで帰ってきたのです。
 そして、幸運にも晃代夫人が日記をつけていることも判明しました。現在は熊本県八代の実家にもどりその日記をもとに執筆をしている最中だとの情報を0君はつかんできたのです。私は彼といっしょにすぐに八代へ飛びました。
 それは大学ノートにびっしりと書かれてありました。津田の病態、投薬、治療、そして津田の発言まで記してあるのです。これを土台にすえれば津田投手の闘病ドキュメントが浮かびあがる、そう私は確信しました。
 八代の実家へ晃代さんを訪ねたことは正解でした。晃代さんは思わぬ“ブツ”を所有していました。津田愛用の練習ボールです。そのボールには一球入魂という字がうっすら残っています。裏側を見ると「弱気は最大の敵」と書かれてありました。あの、強気で直球勝負の津田が刻んだ言葉としては意外でした。実は、この言葉こそ津田が最後まで病気と闘ったことを明かす証拠だったのです。そのボールには津田の指の跡も残っています。この球には津田投手の魂が宿っている、目にしたとき私は感じました。

 放送を終えるとすごい反響がありました。うれしかったのは、普段ドキュメンタリーなど見ないような高校生から手紙をもらったことです。彼は野球に自信をなくして部をやめようと思っていたときこれを見て、あきらめたら津田さんに申し訳ないと再びグランドに立つことにしたと、書いてきました。スランプで苦しんでいた槙原投手は、番組に感銘を受け奮起します。次のシーズンで完全試合を遂げたた時、津田投手に感謝するというコメントを発表しています。
 たかがテレビの番組ですが、人の人生に大きな影響を与えることを、私はこの番組で学んだのです。

人気blogランキング
[PR]
# by yamato-y | 2005-02-20 16:07 | シリーズ作品回顧 | Comments(0)

「冬のソナタ」の秘密1




メロドラマの話

 私は長くドキュメンタリーをやってきた人間なので、まさか定年の1年前にメロドラマに関わるなんて思ってもみなかった。前にも書いたように、ひょんなことから「冬のソナタ」に関わり、ついに「冬のソナタ」の特集を4本も制作することになったのだ。その折メロドラマって何だろうと考えることになった。
 メロドラマは感傷的で通俗的な物語と思われ、何となく低く見られている。実はメロドラマはヨーロッパ近代の歴史の中から生まれてきた由緒のあるものなのだ。王侯貴族の世の中が滅び教会が世俗化していく17世紀頃、イタリアで演劇としてメロディのあるドラマつまりメロドラマが誕生したのだ。
 18世紀になってイタリアで起こったメロドラマはフランスへ移入された。支配層が愛したそれまでの「悲劇」(例えばギリシャ悲劇)に替わって、メロドラマは新しい階級のブルジョワによって育てられ成長していったのである。人々はこれに熱狂した。当時の論客ディドロはメロドラマのことを「感極まって泣き崩れることの喜び」と讃えている。
 メロドラマの登場人物は、「悲劇」のように神様や英雄ではなく、身近な生身の人間だった。その人生を舞台で演じたのである。しかもあらかじめ運命が定まっている神々と違って、人間は偶然や病気、事故によってどんどん運命が変化し、さまざまな事件を引き起こして行くのだ。次々に起こる事件、恋愛、苦難。観客の心をつかまないはずがない。
 偶然が多すぎるとかすぐ事故だとか言って「冬のソナタ」を批判する人はメロドラマの精神が分かってないようだ。そういう道具立てで芝居を盛り上げることこそメロドラマのねらうところなのだから。その芝居の進行に合わせて「感極まって泣き崩れることの喜び」を、観客は味わっていた。
 こうやって演劇として発達したメロドラマは、19世紀に入っておこってきた映画にその精神が引き継がれる。ハリウッドで大きく発展する。そして20世紀にはテレビに。
 最も近いメロドラマは言うまでもなく「冬のソナタ」であった。これを作ったユン・ソクホ監督はまさにメロドラマの申し子と言って過言でないだろう。冬のソナタの随所に見られる仕掛け、細部へのこだわり、美しさへの憧れ――ユン監督はすべてを備えている。彼の資質については書くことがあまりに多い。いずれ別の日に書くことにしよう。

人気blogランキング
[PR]
# by yamato-y | 2005-02-19 20:07 | 冬のソナタの秘密 | Comments(4)

美しい生き方

ちょっとしたアイディア

 新しい番組のイメージをちょっと思いついた。
昨年は「冬のソナタ」で韓国のことをずいぶん考え番組を作った。同時に、日本人の美しさ、素晴らしさを表現したいなあと考えている。
生き方の美しさを描いてみたい。
 以前、向田邦子さんの恋、津田投手の闘病の番組を作ったことがある。そこには、美しい日本人がいた。それをもっと分かりやすく、若い人に伝えたい。
昨夜、このアイディアでスタッフに集まってもらって、みんなで議論した。
誰か、素敵な人を知らないだろうか。

 丹沢も 大山もいづこ 冬のもや
[PR]
# by yamato-y | 2005-02-18 15:53 | Comments(0)

林住期

大磯暮らし

湘南大磯に住んで十年になる。住み始めて1月足らずで脳出血で倒れた。およそ2年にわたりリハビリ生活となった。そんなつもりではなかったが、海と山のある暮らしは私にとってよかった。人生論的に言えば、「林住期」となるか。
 私の住むモミジ山は海抜30メートルほどの丘のような里山だ。近所には画家のカヤマ・マタゾーさんのアトリエやムラカミ・ハルキさんの家がある。山から下りる道は二つ。車が通る舗装道路と歩いて降りる近道だ。私は山道が好きでよく歩く。近道を使うと駅まで10分で行く。途中人家がなくケヤキやクヌギ、ナラの雑木林が続く。降りきったところに、かつて家が建っていた空き地があって、そこにポツンと古井戸が残されている。中は埋め戻されているのだが、夜一人でそこを通ると、「貞子」が現われそうで怖い。恐怖で心臓が痛くなる。私は無類の怖がりなのだ。
 にもかかわらず夜の森(特に冬の森)を歩いて帰るのが好きで、ドキドキしながら月光で明るい夜の森を抜けて家に向かうことになる。おまけに井戸から5メートル先に古墳の横穴がある。古代人の墓ということで、いつも黒い口をぽかりと開けている。なぜ、こんな所に作ったのか、残念。 
カヤマさんのアトリエの辺りを散歩していると、晴れていても長靴を履いた品の良さそうな白髪の老人によく会う。画集の中にある紹介写真で見たカヤマさんに似ていたので、「先生、いつまでもお元気でがんばってください」と声をかけると、「どうも、有難う」と先生は応えた。以来会う度にあいさつを交わしていた。
 一昨年、カヤマ先生は文化勲章を受章し名声はさらに高まった。アトリエには深夜遅くまで灯がともるようになった。一度、あの部屋で作品を拝見したいものだと密かに憧れた。昨年先生は急死した。76歳だった。
 ところが、長靴を履いた老人はその後も山道で会う。どういうことだろうと訝しく思って隣人に尋ねると、「えーっ あの人はリタイヤしたM爺さんだよ。もっぱら孫の世話をしてる」と言うではないか。
 あの野郎と思っても悪いのはこっちだ。彼が名乗ったわけではない。こちらが勝手に勘違いしたのだから。でも、あの態度はなんだ。いかにも風流を解するような風情で、小川をながめたり雑草を摘んだりしているのはなんだ。そればかりか鷹揚に「ありがとう」とはなんだ。大磯でよく見る旧華族のような振る舞いで。そういう思わせぶりな態度をとるからこちらも間違えるのだと、怒ってみても詮無い。ばかりか、自分の間抜けさ加減に愛想が尽きる。
 あの爺さん、今も山中をふらふら歩いている。

 山鳥の 影追いやすき 冬の森


人気blogランキング
[PR]
# by yamato-y | 2005-02-17 15:47 | Comments(0)


その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧