定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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最新のコメント

シリーズ・作品回顧①

「もう一度、投げたかった」

 この「定年再出発」のブログは、新しい番組を目指して企画を考えたり表現方法を模索したりすることを念頭において立ち上げたのですが、一方で三十年にわたって作ってきた私自身の作品についても振り返っていこうと思うのです。その当時夢中になっていて見えなかった事情や作品の自己批評も加えて回顧しようと考えました。これも定年という一つの区切りがあってできることかなと思うのですが。

 1993年秋、私が広島にいた頃の話です。部下に広島出身のディレクター0君がいました。彼は工学部を卒業したいわゆる理系センスの持ち主で、〈物語をつむぐ〉というのが苦手のようでした。企画を立ててもどこかで聞いたことがあるような話であったり、お笑いのギャグになってしまったりと、ストーリーが作れず悩んでいました。
 ある日、「君の好きなものは何だ」と私は0君に尋ねました。「野球です」と応える。東京の大学にいる頃はいつも後楽園に行っていたという。「好きな球団は?」「もちろん広島カープですよ」津田投手のファンだ。上京して一人暮らしを始めたとき真っ向勝負をする津田のピッチングにずいぶん励まされたと0君は上気した顔で話すのです。私には何かピンと来るものを感じました。「2週間やるからカープのことを調べてみろ。取材に行ってこい」期間限定で0君をオフィスから放り出しました。
 それから数日間ウンともスンとも言ってきません。ちょうど2週間目に電話が入りました。今九州にいて津田投手が入院していた病院を取材していますと意気込んで報告するのです。ここから「もう一度投げたかった~炎のストッパー津田恒美の直球人生~」の制作が始まったのです。
 津田恒美、山口県新南陽市出身。協和発酵から昭和57年広島カープに入団し、直球勝負の投手として活躍。現役時代はセーブ王として名をあげ「炎のストッパー」と言われた。しかし平成2年に突如として引退。ファンの前から姿を消した。――これぐらいの知識しか私にはありませんでした。辞めた後の彼はどうなったのかと0君に聞くと、「彼は脳腫瘍のため1年前に亡くなりました。享年32ですよ。」と口惜しそうに告げます。どうやら0君は津田の非業の死を追っているらしいということが私には分かりました。でも活躍した
投手が亡くなった情報だけでは「ストーリー」は作れません。0君はどんなリサーチ結果をもって帰ってくるのでしょう。正直のところ、私はそれほど大きなものは期待していませんでした。
 帰局した0君の報告によれば、病気になった後津田は山口の実家に戻ったそうです。そこで療養していたが思わしくなく福岡の総合病院へ移り治療を受けることにしました。一時は奇跡的に回復し現役復帰も夢じゃないと思われましたが、再び腫瘍が広がりついに亡くなったのです。早い死でした。短い期間でしたが彼の真っ向勝負のピッチングは大勢のファンの目に焼き付いています。
 0君の報告の中に気になるエピソードがありました。福岡の病院へ搬送されるときの救急車の出来事です。球団のトレーナーが付き添っていました。津田は意識が混濁しています。「津田!しっかりしろ」と声をかけると、利き腕をトレーナーの方へ向けてマッサージしてくれと催促するのです。それから腕を振って投げようという仕種を見せたと、0君は目を赤くして話します。心に沁みました。津田投手の「もう一度投げたい」という思いを知った気がしました。0君は何かをつかんで帰ってきたのです。
 そして、幸運にも晃代夫人が日記をつけていることも判明しました。現在は熊本県八代の実家にもどりその日記をもとに執筆をしている最中だとの情報を0君はつかんできたのです。私は彼といっしょにすぐに八代へ飛びました。
 それは大学ノートにびっしりと書かれてありました。津田の病態、投薬、治療、そして津田の発言まで記してあるのです。これを土台にすえれば津田投手の闘病ドキュメントが浮かびあがる、そう私は確信しました。
 八代の実家へ晃代さんを訪ねたことは正解でした。晃代さんは思わぬ“ブツ”を所有していました。津田愛用の練習ボールです。そのボールには一球入魂という字がうっすら残っています。裏側を見ると「弱気は最大の敵」と書かれてありました。あの、強気で直球勝負の津田が刻んだ言葉としては意外でした。実は、この言葉こそ津田が最後まで病気と闘ったことを明かす証拠だったのです。そのボールには津田の指の跡も残っています。この球には津田投手の魂が宿っている、目にしたとき私は感じました。

 放送を終えるとすごい反響がありました。うれしかったのは、普段ドキュメンタリーなど見ないような高校生から手紙をもらったことです。彼は野球に自信をなくして部をやめようと思っていたときこれを見て、あきらめたら津田さんに申し訳ないと再びグランドに立つことにしたと、書いてきました。スランプで苦しんでいた槙原投手は、番組に感銘を受け奮起します。次のシーズンで完全試合を遂げたた時、津田投手に感謝するというコメントを発表しています。
 たかがテレビの番組ですが、人の人生に大きな影響を与えることを、私はこの番組で学んだのです。

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# by yamato-y | 2005-02-20 16:07 | シリーズ作品回顧 | Comments(0)

「冬のソナタ」の秘密1




メロドラマの話

 私は長くドキュメンタリーをやってきた人間なので、まさか定年の1年前にメロドラマに関わるなんて思ってもみなかった。前にも書いたように、ひょんなことから「冬のソナタ」に関わり、ついに「冬のソナタ」の特集を4本も制作することになったのだ。その折メロドラマって何だろうと考えることになった。
 メロドラマは感傷的で通俗的な物語と思われ、何となく低く見られている。実はメロドラマはヨーロッパ近代の歴史の中から生まれてきた由緒のあるものなのだ。王侯貴族の世の中が滅び教会が世俗化していく17世紀頃、イタリアで演劇としてメロディのあるドラマつまりメロドラマが誕生したのだ。
 18世紀になってイタリアで起こったメロドラマはフランスへ移入された。支配層が愛したそれまでの「悲劇」(例えばギリシャ悲劇)に替わって、メロドラマは新しい階級のブルジョワによって育てられ成長していったのである。人々はこれに熱狂した。当時の論客ディドロはメロドラマのことを「感極まって泣き崩れることの喜び」と讃えている。
 メロドラマの登場人物は、「悲劇」のように神様や英雄ではなく、身近な生身の人間だった。その人生を舞台で演じたのである。しかもあらかじめ運命が定まっている神々と違って、人間は偶然や病気、事故によってどんどん運命が変化し、さまざまな事件を引き起こして行くのだ。次々に起こる事件、恋愛、苦難。観客の心をつかまないはずがない。
 偶然が多すぎるとかすぐ事故だとか言って「冬のソナタ」を批判する人はメロドラマの精神が分かってないようだ。そういう道具立てで芝居を盛り上げることこそメロドラマのねらうところなのだから。その芝居の進行に合わせて「感極まって泣き崩れることの喜び」を、観客は味わっていた。
 こうやって演劇として発達したメロドラマは、19世紀に入っておこってきた映画にその精神が引き継がれる。ハリウッドで大きく発展する。そして20世紀にはテレビに。
 最も近いメロドラマは言うまでもなく「冬のソナタ」であった。これを作ったユン・ソクホ監督はまさにメロドラマの申し子と言って過言でないだろう。冬のソナタの随所に見られる仕掛け、細部へのこだわり、美しさへの憧れ――ユン監督はすべてを備えている。彼の資質については書くことがあまりに多い。いずれ別の日に書くことにしよう。

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# by yamato-y | 2005-02-19 20:07 | 冬のソナタの秘密 | Comments(4)

美しい生き方

ちょっとしたアイディア

 新しい番組のイメージをちょっと思いついた。
昨年は「冬のソナタ」で韓国のことをずいぶん考え番組を作った。同時に、日本人の美しさ、素晴らしさを表現したいなあと考えている。
生き方の美しさを描いてみたい。
 以前、向田邦子さんの恋、津田投手の闘病の番組を作ったことがある。そこには、美しい日本人がいた。それをもっと分かりやすく、若い人に伝えたい。
昨夜、このアイディアでスタッフに集まってもらって、みんなで議論した。
誰か、素敵な人を知らないだろうか。

 丹沢も 大山もいづこ 冬のもや
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# by yamato-y | 2005-02-18 15:53 | Comments(0)

林住期

大磯暮らし

湘南大磯に住んで十年になる。住み始めて1月足らずで脳出血で倒れた。およそ2年にわたりリハビリ生活となった。そんなつもりではなかったが、海と山のある暮らしは私にとってよかった。人生論的に言えば、「林住期」となるか。
 私の住むモミジ山は海抜30メートルほどの丘のような里山だ。近所には画家のカヤマ・マタゾーさんのアトリエやムラカミ・ハルキさんの家がある。山から下りる道は二つ。車が通る舗装道路と歩いて降りる近道だ。私は山道が好きでよく歩く。近道を使うと駅まで10分で行く。途中人家がなくケヤキやクヌギ、ナラの雑木林が続く。降りきったところに、かつて家が建っていた空き地があって、そこにポツンと古井戸が残されている。中は埋め戻されているのだが、夜一人でそこを通ると、「貞子」が現われそうで怖い。恐怖で心臓が痛くなる。私は無類の怖がりなのだ。
 にもかかわらず夜の森(特に冬の森)を歩いて帰るのが好きで、ドキドキしながら月光で明るい夜の森を抜けて家に向かうことになる。おまけに井戸から5メートル先に古墳の横穴がある。古代人の墓ということで、いつも黒い口をぽかりと開けている。なぜ、こんな所に作ったのか、残念。 
カヤマさんのアトリエの辺りを散歩していると、晴れていても長靴を履いた品の良さそうな白髪の老人によく会う。画集の中にある紹介写真で見たカヤマさんに似ていたので、「先生、いつまでもお元気でがんばってください」と声をかけると、「どうも、有難う」と先生は応えた。以来会う度にあいさつを交わしていた。
 一昨年、カヤマ先生は文化勲章を受章し名声はさらに高まった。アトリエには深夜遅くまで灯がともるようになった。一度、あの部屋で作品を拝見したいものだと密かに憧れた。昨年先生は急死した。76歳だった。
 ところが、長靴を履いた老人はその後も山道で会う。どういうことだろうと訝しく思って隣人に尋ねると、「えーっ あの人はリタイヤしたM爺さんだよ。もっぱら孫の世話をしてる」と言うではないか。
 あの野郎と思っても悪いのはこっちだ。彼が名乗ったわけではない。こちらが勝手に勘違いしたのだから。でも、あの態度はなんだ。いかにも風流を解するような風情で、小川をながめたり雑草を摘んだりしているのはなんだ。そればかりか鷹揚に「ありがとう」とはなんだ。大磯でよく見る旧華族のような振る舞いで。そういう思わせぶりな態度をとるからこちらも間違えるのだと、怒ってみても詮無い。ばかりか、自分の間抜けさ加減に愛想が尽きる。
 あの爺さん、今も山中をふらふら歩いている。

 山鳥の 影追いやすき 冬の森


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# by yamato-y | 2005-02-17 15:47 | Comments(0)

沈思

 退役の悲しみ

私がいた古巣が騒がしい。昨年来の混乱はいっこうに止まることがない。組織そのもののレゾンデートル(存在理由)が問われている。
 退職したから、悲しくない関係ないといえば嘘になる。今回の出来事の原因は私の現役時代に起こっていたわけだから、責任の一端に連なっていることにもなるだろう。視聴者や後輩に対し申しわけないし、口惜しい。
放送は文化だと歯をくいしばって、厳しい予算と苛酷な状況の中で番組を作ってきた先輩や仲間の顔を思い浮かべると、悲しみはいや増す。
 私が入社した1970年代と現在では、社会が大きく変わり倫理も大きく変化した。価値観も180度といっていいほど違ってきている。当時、常識とされたことが今では不当不法のことのように思われることも多々ある。
 かつて巨匠と言われた人たちは豪傑伝説をもっていた。あるディレクターは取材用に駱駝を購入したとか、あるカメラマンは当事者に知られずこっそり撮ったとか、伝説の枚挙に暇がない。それもこれもいい番組ができれば感動を与えることができれば、結果オーライ、ということであった。
 そしてこの伝説は現場では英雄的に語られ、後輩は憧れの目で聞き入ったものだ。そうやって積み上げてきたキャリアと社会の厳しい目との乖離が、この数年激しくなった。
 むろん、今問われている不正はいつの時代も変わらない不正であって、弁解の余地はない。
 制作者である私たちはどうやれば視聴者の信頼を再び取り戻すことを、模索できるのだろうか。陥っているニヒルな深い穴から、どうやって這い上がることができるのだろうか。 職場の隅で通勤電車の中で、私は沈思する。どんなに辛くとも目をそむけないで沈思する。

 青鳩の声とどかずに時雨かな

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# by yamato-y | 2005-02-16 18:03 | Comments(0)

「夏の香り」の山の魅力

 韓国の山
  またまた「冬のソナタ」のユン監督の話題となるが、昨夜渋谷のツタヤでユンさんの「夏の香り」第1巻をレンタルした。この物語の噂はよく聞かされてはいたが未見だったので、新しい日本語字幕バージョンが出たと聞いて借りに行ったのだ。
 オープニングのタイトルバックが、雨が注いで生まれる水の輪というところなど、冒頭からいかにもユンさんらしい画作りがあちこちに見られる。脚本には冬ソナコンビのあの二人の名がある。何となく冬ソナを引きずっているのかなと先を見ていくと、確かに何かが起きたとき使われる効果音楽のピアノ音も似ている気がする。今回のライトモチーフの曲はシューベルトのセレナーデ、なるほど。くすっと笑わすユーモア感覚もしっかりある。でもカッティングのテンポはやや早い。服の趣味やスタイリングは「冬のソナタ」のほうが私は好きだが。
まあ、「冬ソナ」に似ているといえば似ているが、この作品はこの作品なりのテーストがあると思わせたのが、登山のシーンだ。冬ソナの高校生のキャンプの時より本格的な登山、というよりトレッキングが第1話の主な舞台になっていた。
長い間、私は韓国では禿山が多いと思い込んでいた。日本によって植民地として統治されてから朝鮮戦争まで数々の戦乱が続き、朝鮮半島の草木が疎らになったと勝手に考えていたのだ。
 ところがユンさんの作品見ると、その先入見を払拭される。実に青々とした木々が山々のなだらかな斜面に叢生している。さらに滝や山清水が流れて水が豊な山系だということが知れる。
物語のヒロインの職業はフローリストで野生の花を求めてこの山に入ってきたのだ。ヒーローはイタリア帰りの風来坊。帰国してすぐ思い出の山に登ってきた。実はヒロインの胸の奥の心臓は、かつてこのヒーローの彼女だった人のものだ。むろん二人はそんなことを知る由もない。だが理由もわからないのに、見知らぬ二人はすれ違うとヒロインの移植された心臓が早鳴りをはじめるという、いかにもユン好みのストーリー。
 山でのアクシデントで、二人は山荘に一泊することになる。そこでコーヒーを沸かして呑むシーンがある。やはりコフェルで飲むコーヒーは格別だなあと、山好きらしいセリフが飛び出す。きっとこういう会話は、ユンさんが指示しているはずだ。
 前にもユンさんとマネージャーのチョンさんとは毎週休日にはソウル近郊の里山をトレッキングしていると書いたが、ユンさんの山好きは半端ではない。1ショット1ショット山の良さを表している。そして時折降る天気雨が美しく効果的だ。この雨をめぐるカットバックの世界がまた美しい。青々とした山、美しい天気雨、野の花。そして物語もまた思わせぶりに進行していく。うまい設定、繊細な画作り・・・。
 今、私は検屍官シリーズのミステリーに凝っているのだが、このドラマに引きずられそうだ。これでまた「夏の香り」による寝不足が始まる。


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# by yamato-y | 2005-02-08 17:16 | 夏の香りチェック | Comments(0)

「冬のソナタ」メーキングビデオのカメラマン

チョンさん~ユン監督のマネージャー~

 チョン・スンウさんは「冬のソナタ」の監督ユン・ソクホさんの唯一人のマネージャーだ。 チョン・スンウさんのことを、私はソウルのドラえもんと呼んでいる。目がクリッとして頬がプクッとふくよかで、大きな声と身振りで愛嬌たっぷりの姿はぴったりだと、私は思っているのだ。おまけにロケの最中に何か事態が起きても、すぐポケットから道具(例えば、ライター、ペン、ピンセット、爪きりなど)を取り出してたちまち直してしまうという特技の持ち主。まさにドラえもんの「夢のポケット」を持っているのだ。年齢は正確には知らないが20代後半といったところか。
 チョンさんが名前を上げたのは、「冬のソナタ」ロケのメーキングビデオを撮影したことからだ。2001年から2002年の冬季、冬ソナはかなりハードなロケを行った。その様子が今でもわかるのは、チョンさんがハンディカムで撮った映像があるからだ。ぺ・ヨンジュンの緊張する様子、チェ・ジウのお茶目な素顔、徹夜続きで居眠りするスタッフ、そして俳優。そればかりか、当のユン監督も本番のキューを出しておきながら居眠りをはじめるという「お宝映像」をチョンさんは実にうまく捉えていた。これは撮影の技術もさりながら、ロケの関係者がみんなチョンさんに心を許していたから撮れたのだ。そうでなければ、これほど自然にプライベートな部分をさらさないものだ。
 チョンさんはユン監督の教え子である。ユンさんがKBSに勤めていたころ、非常勤講師として大学で教えていたことがあった。そのときの教え子で性格が明るく人懐っこいチョンさんに声をかけて、ユンさんがKBSを退職してフリーになったとき、自分の会社ユンズカラーに彼を引き入れたのだ。監督の目が正しかったことは、その後はっきりする。
 一見、吉本の芸人風の明るい乗りのチョンさんだが、根は真面目。言われたことは必ずすぐ実行し成果をあげるのだ。そして何よりユン監督の信頼が厚い。ユン監督はどちらかと言えば内向的でおとなしい性格。時にストレスのあることに出会っても自分の中でかかえてしまうタイプだ。それをチョンさん相手にジョークを言って解消するのだ。監督がチョンさんとやりあっているときは、別人かと思うほどよく喋りよく笑う。
 ユン監督は時々ソウル近郊の山に登る。そういえば、「冬のソナタ」でもユジンたちは放送部の仲間と共に山小屋へ行っていた。ああいう小高い山、例えばプッカン山に日曜日など出かけるのだ。そのときのお供はかならずチョンさんになっている。そうして二人でゆっくり山へ出かけてアイディアをしぼったりするのだ。
 その山行きが評判になって、毎週登山口に女優の卵たちが集まってくるようになった。美女がぞろぞろとやってくるのだ。みんな、ユン監督に存在を覚えてもらおうと顔を出すのだ。毎日曜日なのだが、時には監督が参加しないこともある。そんな時は、チョンさんの独壇場だ。大勢の美女に囲まれてハイキングするのだ。「すごい美女も来ますよ。先日はミス**と言われた人も来たなあ」と満更でもなさそうなチョンさん。
 でも、チョンさんは虎の威を借りているのではない。チョンさん自身実力もあり何より親切で優しく誰からも愛される人柄だから、人が集まってくるのは当然なのだ。
 今までも「秋の童話」などで、チョンさんはチラッと出演したことがあった。俳優としても堂々としていてセリフも聞きやすくいい役者なのだ。その彼は、今度のユン監督作品「春の**」にはかなりセリフの多い役として出演するらしい。
 最後に、チョン・スンウさんはユンズカラーの企画室室長という要職に現在あることを銘記しておきたい。

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# by yamato-y | 2005-02-07 14:27 | 冬のソナタの秘密 | Comments(0)

のど自慢の思い出

2月7日 のど自慢の思い出

昨日の「NHKのど自慢」鳥取大会を見ていて、最後の演奏者紹介でシンセサイザー奏者がよく知っている女性だったので驚いた。10年前私が広島の局で番組を作っていたとき、いっしょに働いていたプレイヤーだ。その彼女から今年の正月3日に突然電話をもらったことを思い出した。バンドリーダーのトヨさんが2日に亡くなったという知らせを彼女は伝えてきたのである。
 最初彼女が姓を名乗ったとき一瞬誰だか分からなかったが、トヨさんといっしょに働いていましたと聞いて思い出した。そしてその訃報におどろいた。たしかトヨさんは私と同年の57歳。まだ天寿を全うする歳ではないはずだ。
 すい臓がんだった。2年前に胃がんになりその後仕事を控えながら病と闘ってきたがついに倒れたという。葬儀は翌日だと彼女は告げた。
 1月4日早朝、ANAで羽田から広島へ向かった。午後1時からの葬儀に間に合った。会場には100名あまりの参列者がいて、顔見知りが数人いた。最後の棺を蓋う前にお顔を見たとたん、そのやつれてはいるものの若々しさを残したトヨさんの姿にこみあげるものを抑えることができなかった。
 トヨさんは広島を中心に中国地方を拠点として活動する音楽事務所を営んでいた。自身もうまいドラマーでバンドリーダーを勤めていた。芸能界に身をおく人とは思えない質実で謹直な人だった。たしか趣味は魚つりで暇があると瀬戸内海へ出かけていた。私は芸能畑の者ではないが、当時中国地方の番組制作統括ということで、管内で開かれるのど自慢などには現地に足を運んでいた。めったに音楽イベントなどない地方の市町村へ行くと、楽しみに待っていてくれるお年よりの顔を見るのが私自身好きだったのだ。
 のど自慢の本番が終わった後、プレイヤーや番組スタッフと打ち上げを兼ねて居酒屋でいっぱいやったものだ。そういう折トヨさんは寡黙でニコニコ笑って杯をくいっくいっと空けていた。呑んでも乱れない人だった。
 仕事がゆきずまって悩んでいたときもトヨさんに助けてもらったことも何度かあった。その後広島を離れ東京へ戻って1月足らずで私が脳出血を発症し再起不能かと噂されたときも、励ましの手紙をトヨさんからもらった。目立たずさりげなく私をサポートしていてくれたんだと、改めて実感し、斎場であふれ出る感情を止めることができなかった。
 のど自慢鳥取大会、ドラムの席に若い奏者が座っているのを見て、トヨさんのことを思い出した。
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# by yamato-y | 2005-02-07 11:54 | Comments(0)

冬のソナタ ユン・ソクホ監督

2月6日  冬のソナタの巨匠――ユン・ソクホ監督

 私の退職祝いにと高麗青磁のポットをユン監督からいただいた。以前、私は「冬のソナタ」を評して、まるで高麗青磁のように繊細で優美だと讃えたことを覚えておいてくれたのだろうか。嬉しい。わざわざ海を隔てて遠く離れた一(イチ)プロデューサーのために配慮してくれたことが本当に嬉しい。
 昨年のちょうど今ごろだった。仕事の割り振りを決める担当部長が3月の特番プロデューサーの人選で悩んでいたとき、たまたま通りかかった私が春まで余裕があるからやろうかと声をかけたのは。それが「冬ソナ」と私の出会い。その特集は4月から始まる韓国ドラマを盛り上げるような内容にしてほしいというNHKの意向だった。それ以降暮れまでに私は4本の特番を作ることになるとは当時思いもよらなかった。
 3月の特集「冬のソナタへようこそ」で特別ゲストとして、チェ・ジウさんと共に参加してくれたのがユン監督だ。おだやかで上品な監督は私より年少だが才能があふれていて、私は敬愛した。人の心とりわけ痛みや哀しみをよく分かる人だった。それまで私が抱いていた情熱的で激しいという韓国人のイメージをガラリと変えた人柄だった。
 初めはこの特集だけのつもりが、ドラマ「冬のソナタ」が話題になるにつれ、「素顔のペ・ヨンジュン」「グランドフィナーレ」「もっと知りたい冬のソナタ」と続いて私は制作することになり、4本のうち3回もユン監督に出演してもらった。グランドフィナーレのステージでは日本のソナチアン(冬ソナファンを私はこう命名した)を感極まったユン監督が抱き包んであげたことは、日本の視聴者に監督の優しい人柄を認識させ、深い感銘を与えて話題になった。

 監督は今「韓国四季4部作」の最終作の準備にはいっている。「秋の童話」「夏の香り」「冬のソナタ」に続いて「春の**」である。今年の春から撮影を開始して来春まで追っかけて韓国でまず2006年に放映するそうだ。私も少しだけストーリーを教えてもらったが、韓国南部の島々から始まってソウルでの再会、そして…。物語は、その人といた春が懐かしい、という想いを中心に流れていく。少し聞いただけでも十分期待できるストーリーだが詳しくはこの段階では書けない。キャスティングがまもなく発表されるだろうが誰が主役を演ずるのか、今韓国の芸能界でも最大の関心を集めている。この物語のポイント、それはハッピーな恋の物語になるということだ。春にふさわしく希望にあふれた結末にしたいと、ユン監督は考えているようだ。前作の冬はともかく秋、夏は悲しい結末となっていたが今回はそうではないらしい。むろん、20話も続く物語の中では別れあり悲しみありのユンマジックが発揮されるのは言うまでもないことだが。
 監督がポツリともらした言葉が心に残る。「恋って不思議なものですね、人はなぜ人を好きになるのでしょうか」48歳になるユン監督の言葉だ。私は彼のことを少年のような中年ではなく、「少女のような中年」と心秘かに呼んでいる。という理由の一つは、監督は日本でよく女の子たちが行くファンシーショップを歩き回るのが好きなのだ。可愛い小物を見つけると目を輝かし無邪気に喜ぶ。しばらくするとそれはドラマの大事な小道具になっているということが多く、どこまで趣味でどこから仕事か分からないというところはあるのだが、監督は乙女心を持っていると私は思う。「ポラリスネックレス」もそういう監督の感覚から誕生したのだ。
 さて次回作「春の**」では、どんな小道具と素晴らしいせりふが飛び出してくるのやら、大いに期待したい。

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# by yamato-y | 2005-02-06 23:17 | 冬のソナタの秘密 | Comments(4)

冬のソナタからの呼び声

 冬のソナタからの呼び声

 昨年、私のディレクター、プロデューサー人生の中でも異例のことが起こった。
ずっと、硬いドキュメンタリーを制作してきた私に、とんでもない企画が舞い込んだ。
「冬のソナタ」だ。ちょうど1年前、偶然から「冬のソナタ」の特集番組をつくることになった。この間のいきさつは、岩波ブックレット『冬のソナタから考える』に書いたので、関心があったら、そちらを読んでみてください。
この仕事で昨年だけで、韓国へ3回行った。ユン・ソクホ監督を始め沢山の友達ができた。その中で、一番仲良くなったのは、コーディネーターのホンさんだ。ホンさんは日本の大学を卒業していて言葉は堪能。加えて、ドキュメンタリーの番組に関わってきたので、私と話があった。互いにドラマや芸能番組は初めての体験だったので、教えあって1年間に四本の特集を制作した。
 ナミソムの並木道に最初に行ったときは、わずかに雪があった。そして最後に秋に訪れたとき、落葉で風情があった。秋は「もっと知りたい冬のソナタ」で、現地で収録したのだが、本番の前の夜、みんなで焚き火を囲んで話し合った。その夜の星の大きかったこと。ユンさんやホンさんと熱く番組やドラマや映画について語ったことがなつかしい。
 そのホンさんから、1月31日、私の退職の日にお花が届いた。これからも友情をあつくもってやっていきましょう、という嬉しい言葉が添えられていた。
2月1日にホンさんから電話があった。31日のお花の礼を言って、そちらの気温はいかがと聞くと、体感温度マイナス20度と言うではないか。吃驚仰天。
 でも、電話の向こうに、寒い国だが暖かい心を持った友達がいるんだと思うと嬉しかった。


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# by yamato-y | 2005-02-01 17:28 | 冬のソナタの秘密 | Comments(0)


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