定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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最新のコメント

2017年1月31日

寒風吹きすさぶ日

「荻窪風土記」で井伏鱒二が荻窪は風の荒い町と書いていたが、目黒も荒い。両方にすんだ私から見るとむしろ目黒の方が荒い。というのは河岸段丘の上に建っているので坂の上から吹いてくる風はきついのだ。今朝もジムに向かう朝8時半 、北風がビュンビュン吹き付けてきた。

いえの改造で本日は大工さんが入っていて居心地が良くない。はやばやと家を出て白金台の明治学院大学の講師控え室に来た。後期の授業の課題が解決できていないチームの成果物を受け取るためだ。学生たちはしっかり約束を守って「宿題」が事務方に届いていた。さあ、これから渋谷のオフィスに 向かう。本日で私の居場所が消滅するのだ。最後の挨拶回りに出掛けよう。
カメラは配備した。一応見馴れた風景だけは記録しておく。

そして8時半に半酩酊で帰還した。今日は良い日だった。
懐かしい人や親しかった人たちに短くサヨナラが言えた。おわかれの電話をくれた人もあった。長かった宮仕えも今日で終わると思うと少しむねに迫るものがあった。部屋でこのブログを打ちながらその余韻を味わっている。
主なき筆や鉛筆寒仕舞い

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# by yamato-y | 2017-01-31 12:17 | Comments(0)

便所掃除

便所掃除

 本日から出勤することもなく実質の天下の素浪人生活だ。朝も7時半に起きて、ジムへ行く準備をする。8時半家を出てジムへ。到着してリュックを探ると家にトレーニングシューズを忘れてきたことに気づく。あちゃあ。いったん家に戻ると1時間のロスタイムが生じる。出ばなを挫かれてやる気をなくし、とぼとぼと帰宅。

 家ではちょうど朝食。2日前から大阪から来ている娘夫婦がおいしいおいしいと煮物を食べている。今朝のジム行きが失敗したことを冷やかされて憮然とする。

 定年の定年ということで、一応家族が集まってお祝いをしてくれるということで娘夫婦や息子があつまってお祝い会を行ってくれたのが日曜日。一応お疲れさんとねぎらいの言葉を家族からもらうものの、コレから毎日どうするのと厳しい質問が子どもから飛ぶ。子供といってもおっさんとおばさんだが。まあ朝一番でスポーツジムへ行って、10時に帰ってからアイパッドでネットを眺めて、午後は公立図書館でぶらぶら読みでもして、あとは晩酌でもするぐらいの日課かなとふざけて応えると、娘がきっとなって私を睨みつけた。

「そんなことをしたら、すぐボケるわ。ボケたら周りが迷惑。規律ある生活を確立するように」と生活指導のいやなおばちゃん先生みたいなことを言う。そして、案の定怖れていた親父ボケ予防の対策案をとうとうと語り始めた。
「あ、そうだいい考えがある。私も実行しているが便所掃除の毎日励行がいい。あとで掃除のやり方を私が教えるから、メモ帳を持ってトイレまで来るように」とのたまうではないか。
 冗談じゃない。せっかく手に入れた人生の夕暮れ。便所掃除なんかに潰されてたまるか、即反論した。「俺もときどき便器をふいたり、便壺を洗ったりしているぜ。別に教えてもらう事なんかないよ」。
「だめ。小手先だけの便所掃除では意味がない。一日の生活リズムがしっかり立つような理にかなった便所掃除。その見本を私が見せてあげるから、メモ帳を持ってトイレの前に集合」と指示が出た。ほかの家族は誰も私への助け舟を出さず、黙ってみそ汁をすすっている。

 娘ははりきっている。
 「まずベン壺から。洗剤はLOOK。これで便器の縁をしっかりこそぎ落とす。次にウタマロクリーナーで上側の蓋などを拭き取る。ウタマロを縁に直接吹き付けてティッシュで拭き取る。そのティッシュは洗い流す。」さらに重要なのは便器周辺の環境保全だと娘はえらそうに言う。「床もウタマロを吹き付けキッチンペーパーで拭き取る。ただしこのペーパーは便器に流してはいけない。便器周りの壁、腰板にたまっているほこりをきれいに取る。この一連の作業をお父さんはお母さんに代わって毎日やるべし。そうすれば運気も上がって、輝かしい未来が待っていることでしょう」娘は自分の言葉に酔ったのかうっとりしている。

 しゃくに触るが、この説明を私はしっかりノートに書き取った。明日からちょっとやってみようか、それで幸運がやって来るならおやすい御用だ。でも、毎日というノルマにどれぐらい耐えられるか。宮仕えを終え気ままな素浪人生活が来ると思っていたが、当初から予想が大幅にずれ始めている。

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# by yamato-y | 2017-01-30 16:07 | Comments(0)

送別会

新しい芸風

25日の夜、私の送別会を開いていただいた。6時半にオフィスの会議室で手作りのケータリングを準備していただいて始まった。ウィークデイの宵にもかかわらず思いがけない人の数で、多忙のなか足を運んでくれた仲間の気持ちに感謝そしていささか恐縮。

宴たけなわのところで、かつての部下のみなさんが私の思い出を語ってくれたのだが、話を聞いているうちに黙っていられず途中でマイクを奪って乱入した。あまり送別会で挨拶以外で当人がでしゃばるなんてことはないと思うが、一言もの申すの性分が出てしまった。

なかでもTの発言は見逃せず、事の顛末を面白おかしく盛大に語ってしまった。
6年前のあの東北大震災のときのことだ。当日、私とTは神田の高名な画商を取材していた。たしか高山辰雄の作品についてであったと思う。2時、大きな地震が来た。壁にかかった名画がガタガタ揺れて相当大きな地震ということはすぐ知れた。長い振動が続いたあと、外の様子が知りたくて私は往来に出て周りのビルを注意深く見まわした。風景に異常はない。見た目にはさほど被害も出ていない。ただおおぜいの人が通りに集まっていた。ひとまず安心して屋内にもどった。

 このときの様子をTは私が地震におびえて外へ飛び出したと話を膨らませた。むろん受け狙いもあっただろうが、いかにも怖がりと言わんばかりで聞き逃すわけにはいかない。彼のスピーチが終わり次第マイクを奪って私はこう言った。
「私が怖がり?Tがそんなこと言えるか。そのあと起きたことを忘れてしまったのか。
交通機関がすべてストップしたので、澁谷のオフィスまで歩いて向かおうということで神田を出発した。ところが秋葉原まで出たところでTはもう行けないと弱音を吐いた。たった一駅でだ。体が疲れたのか、余震が怖いのか分からないがTは動こうとしなかった。こんなときだからこそオフィスに駆けつけるべきと、私は叱咤したがTはいっこうに腰を上げない。痺れを切らして私は単独で歩いて行くぞと宣言。一路澁谷を目指して外堀道路を私はひとり歩くことになったのだ。あのときのことをT君,キミは忘れてはいませんか。(ドヤ顔)」
一気にしゃべると溜飲がさがった。すきっ腹もあって酔いが回った。このバトルににやにや笑う人、下をむいて笑いをこらえる人、会場はすっかり宴会のくだけた雰囲気になった。

 こうなると止まらない。ゲストのスピーチにいちいち半畳を私ははさむようになった。(いま思い出すと恥ずかしい。冷静に分析すると私は見送ってくれる人になにか恩返しでもしたいとはしゃいでいたようだ。)
 会がお開きになったとき、何人かから面白かった、いい会でしたよと声をかけられて、「ヤッター」と内心快哉を叫んだ。
こうして私の47年のサラリーマン人生は幕を閉じたわけである。

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# by yamato-y | 2017-01-27 13:41 | Comments(0)

定年の定年

定年の定年

とうとう1月25日となった。杉の戸だ。オフィスには今日まで出て31日に再出社して挨拶周りをして現職を閉じようと考えている。このことをちらと洩らしたら、今夕わたしの送別会を有志が開いてくれるそうだ。嬉しいが気が重い。こんな日なんか来なくていいのに、

 今年に入ってから憂鬱だった。47年続けた会社勤めをいったん納めるという踏み切りはなかなか越え難い。ぐずぐずしていたら家人から声が飛んだ。「現役退職は57、次の仕事も63で終わり。69の終わりなんて定年の定年じゃないの、さっさと次のことを考えて」。定年の定年か。となればさしづめこのブログも「定年の定年再出発」か。

 浦上玉堂は50歳のとき岡山鴨方藩の重職を辞し、弾琴酔作の道を選ぶ。その後20年以上天下を浪々して画を描き琴を弾いたそうだ。次の人生も満更ではない。

とは言うものの、先週からぼちぼち挨拶状を友人知人に出していた。その返事がぽつぽつ来る。なかに恩師の敬子先生からの葉書があった。「今後のこともあるので、どうか身体だけはお大事にして」と記されていて胸を熱くした。先生の前ではいつまでも小学6年生のガキでしかない。
 住所録を繰ると、この10年の間にずいぶん物故した人が増えた。名前を読みながら面影を追う。

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# by yamato-y | 2017-01-25 03:46 | Comments(0)

杉の戸を

杉の戸を

1月17日。残り2週間となった――。
今朝も寒いが、空は澄み切っている。東京がこんなに晴れ渡っているのも越後で雪雲を遮っていてくれるからだ。毎日のニュースで伝わる雪国の過疎の苦難。申し訳ない気がする。

 話は飛ぶが、万葉の世界で「死」を歌うのは挽歌と呼ぶことは知っていたが、さらに自死した人の歌を自傷歌というのは知らなかった。主に辞世の歌を指すのだろう。大津皇子の歌を山本健吉がそう紹介していることが心に残った。そういえば大津皇子が落命するのは冬の季節であったか。

 夕方5時。「夕焼け小焼けで日が暮れて」のミュージックサイレンが鳴っている。窓外を見やると日がまだ残っていることに気づいた。少しずつ日が伸びている。

 久しぶりに企画書を作成した。長崎地方の教会堂群のことだ。一昨年、長崎から五島列島にかけて分布する教会堂群をユネスコの世界遺産登録として申請されたのだが、コンセプトが広がりすぎて採用されなかった。ユネスコの指導で、キリシタン禁教時代の教会にしぼったほうが良いとのアドバイスをふまえて2018年に再申請する予定らしい。

 ちょうど、マーチン・スコセッシ監督の映画「沈黙・サイレンス」が封切られるということでキリシタンに関する話題が耳目を引くことになるだろうが、そういうことでこの企画を構想したわけでない。
 先月初頭、上智大学で開かれたキリシタン文化研究会で、純心大学学長の片岡瑠美子先生が「長崎の教会堂建立の歴史的背景」を発表したことに由来するのだ。先生は狭い意味での禁教時代に絞り込むと、長崎地方の教会が果たした意味が薄れるのではないかと問いかけていた。潜伏していたキリシタンが明治の信教の自由で解放されたとき、カトリックに復帰することをめぐってかなり苦しい逡巡があった。4百年にわたって先祖から受け継いできた信仰がカトリックのそれと合致するのだろうかという迷い、悩みである。
 その悩む信者たちに招きの翼を広げたのが、外国人宣教師らの手によって建造された教会堂であった。教会は単なる建物でなく、信仰の顕現としてあったのだと片岡先生は考えている。この話を聞いたとき何か脳天に響くものを感じたので、その感動を「番組」にしたいと願ったのだ。

 「蛍の光」も元はスコットランドの民謡だったのが、明治の開化期に日本へ入ってきた。原曲も別離の曲だったのかもしれないが、日本語詞もそういう意味を備えている。
♪ほたるの光 窓の雪 文読む月日重ねつつ いつしか年も杉の戸を(過ぎの遠) 開けてぞ今朝は別れゆく
「杉の戸を」と(過ぎの遠)を掛けているのだ。だから後段の「開けてぞ」は杉の戸を開ける意味になるようだ。なんとなく別離にふさわしい情感をそこはかとなく抱いた。

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# by yamato-y | 2017-01-17 17:28 | Comments(1)

訂正と偶感

偶感

 快晴のなか澁谷のオフィスに出社した。今朝、目黒スポーツジムに一番で入り1時間汗を流したあとの出社ゆえ体は軽い。朝から通算7000歩のエネルギーを消費したことになる。

さて、マイデスクについてネットをチェックすると、ブログの今年第一回の記事に2018年と誤記していると指摘があった。なぬ。慌てて記事を見やると、たしかに2018。間抜けだ。2017年、平成29年という年号が正確に入っていなかったのだ。これは昔からのことで、特段呆けが早まったわけではない。指摘していただいたOさん有難う。

 テレビがつまらないというと自分をけなしているようで嫌だが、実際つまらない。年始のお笑いは「ご祝儀」みたいなものだから、それほど目くじらを立てない。一般番組が面白くない。2018年を占うというようなトークも、顔ぶれはどこも同じで、かつ論旨も堂々巡りしたようなものばかり。こちらの安逸をばさりと切り落とすような鋭い激しいものは皆無。トランプ、小池、グローバリズム、景気、中国・ロシア、難民など。フクシマのことなどすっかり話題から消えている。

 ツタヤで新作を借りた。「ロクヨン」前後篇を通して見た。原作横山秀夫、主演佐藤浩市と来れば、テレビドラマの名作「クライマーズハイ」と同じだから期待できると思って何の予備知識も持たず見た。面白かった。役者の演技(特に緒形直人、永瀬正敏)が鬼気迫るようなものがあって、日本映画では久しぶりの充実した読後感をもった。後編の捜査車両内の電光石火のせりふ切り替えしの見事さは、黒澤の「天国と地獄」にも劣らない。監督の瀬々敬久の演出に目をみはった。全体としては秀作だが、エピローグのやや弛緩した展開には落胆した。もっと切れ味よく語るべきではなかったか。この場面は表現が劣化して説明になっていた。
 だが映画の水準は高い。2016年は「シンゴジラ」と「君の名は」ばかり喧伝されたが、実写でもこういう作品が生まれていたということを忘れてはならない。今週末は横山秀夫の原作でも読もうか。

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# by yamato-y | 2017-01-05 13:15 | Comments(1)

 2018年初

正月

 2017年になった。早生まれの私も69歳。同級生からの賀状には「今年で古稀をむかえ」という文言が散見される。
といっても私自身は旧年2月の弟の死があったので、2018年は年賀状を出すことを控えた。知己諸先輩にはあいすまないが、今年は欠礼させていただくことにした。乞寛恕。

 いくつになっても思うのが、冬の東京というのは本当に天気がいいのでいつも得をした気になる。今年も元日、2日といずれも冬晴れの青空が広がっている。幼い頃、故郷敦賀には年末から寒波が押し寄せ、正月でも大雪に見舞われることが一再でなかった。元朝、目覚めると軒には氷柱が下がり、目の前の田んぼは一面銀世界に変わっていた。空には黒い雪雲がどんより居座って、景気の悪い天候だったが、子供にとってはそんな風景が気に入らないわけでもない。ただ正月あそびは表日本とは違う。戸外でタコを揚げることなどありえない。東京の出版社が出している学習雑誌を開くと、男の子は凧揚げ、女の子は羽根つきを楽しむ光景がかならず描かれていた。雪のなかで正月をむかえる地方などまったく眼中にない。被害者意識丸出しでいえば、われらは「化外の民」扱い。わが故郷は辺境なのだという妙なコンプレックスがいつまでも残った。だから今でも季語に対しては過剰に気を使う。

 だが、そんな私も首都圏に居を構えて23年。もはや18年すごした故郷より長くなったが、いまだに快晴の東京をむかえると、なにか得をした気になる。
 一方、新雪を食べる爽快感などは消え、雪遊びで長靴のなかまで濡らした不快が入り交じった遊び心などは次第に薄れて行くのが寂しい。

 浦上玉堂の伝記を読んでいて、「雪を欲す」という表現を知った。宋の時代の漢詩によく使われている。ちょっと句をひねりたくなった。
  雪を欲す玉堂狂ふ会津山
  陶詩杜句名残は尽きぬ年の暮

 こんな句が浮かぶのも、年末からずっと『浦上玉堂伝』(久保三千雄)を読みふけっているからだろう。仙人かと思っていた玉堂が意外に生臭い生き方を選んだと知って、親近感がますます湧いた。

 2018年、今年はトランプの野望がどのようになるか、沖縄の苦悩を本土がどこまで共有できるか、グローバリズムの氾濫をどう制御するか、湧き起こるナショナリズム、ポピュリズムとどう向き合うのか――考えることは少なくない。
 
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# by yamato-y | 2017-01-02 16:21 | Comments(1)

再見 春が来る道

春が来る道を書いてから数年経って

 2016年歳末。オフィスに出るのも昨日まで、今日から年末年始の休みとなる。スポーツジムも年に一度の休日に入ったから手持ち無沙汰だ。さて何をしようとPCの前に座った。古いマックに電源を入れると昔の「原稿」が出て来た。タイトルは「春が来る道」。いつ頃書いたのかな、年号がないので分からない。母が死んで数年のことだから、平成13年頃か。一度このブログに挙げているかもしれないが再掲してみる。

 ☆   ☆   ☆・・・♪♬♫♩

 ああ春だ、春だ。こぶしの白が目につく頃は寒さがあったが、桜のピンクが終わり、やまぶきの黄色が目にしみるようになると春だ。
 ようやく春が来たのだと実感する。
 1月生まれだから冬が好きだし寒さが好きなのだが、今年は春が待ちどおしかった。やはり寒さが身にこたえるようになっていたのだ。

 1966年の春を覚えている。大学入学が決まって、下宿も決まった。入学式の1日前に、母とふたりで金沢へ出た。
 大手町の下宿に挨拶をして、田舎へ帰っていく母をバス停まで送って行く。
 バスが来た。母が乗り込むのを見届けて私はきびすを返して、友だちの家に向かった。

 このときのことを晩年の母はくりかえし語った。
「あんた、冷たい息子やなあ。うちがバスのなかからあんたを見ているのに、さっさと行ってもうた。あのとき涙が止まらんかったで・・・」

 当時、加山雄三の歌が流行っていてギターの弾き語りすることに夢中になっていた。早く友だちの部屋に行ってギターを手にとりたかった。覚えたばかりのコード進行をたしかめたいと気持ちが逸っていたから、母のことを後回しにしていた。親と離れて暮らすことができる解放感が心を浮き立たせていたのだろう。息子と初めて離れて暮らすことにせつない思いをしている母のことなど気がつきもしない。

この年になって、母の気持ちを思うと申し訳ない気がする。

 なにより、4年ほど前、母が元気だった頃のことを思い出す。京都の大学で授業を終えて、敦賀へ回り、週末の2日間母といっしょに過ごした時間だ。夜になると、座敷の襖を開け放して広間に布団を敷いて寝た。一人暮らしでいつも緊張しているせいか、私がそばに寝ていると母はいびきをかいた。その寝しなに、母は昔話をよくした。そのおりに出て来るのが1966年春のことだった。語る表情が柔らかだったことを今になって思い出している。

☆   ☆   ☆・・・♪♩

ふーん、好きなタイトルだなと思って読み返すと粛然とするものがある。母を思い出した。今年亡くなった弟は今頃母とどんな話をしているだろう。八木重吉の詩を思い出した。

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# by yamato-y | 2016-12-28 10:31 | Comments(0)

2016年の仕事納めに

弱気は最大の敵

2016年12月27日、仕事収め。スポーツジムも本日から来年4日まで休止となる。
さあ、伝票の最後の整理をして、気持ちを新たにしてラストイヤーを迎えることにしよう。

今年最大の事件は、次弟義朗の死。もっと老いたら昔話の本音でも語りたいと願っていたが、ままならない。まさか65で逝くとは思わなかった。2月という年の始めのほうで起きたこのことはずしんとボディに響いた。その後も知人の奥様が50歳という若さ、大学時代の親友が69歳で癌死するなど、早い死にいくつも遭遇することになった。

 一方、私自身の健康は、昨年末に手術した前立腺の按配がよく排尿問題は解決。11月には主治医から全治したことを告げられ嬉しかった。さらに2月から通いはじめたスポーツジムは幾度も筋肉痛に襲われたが、欠かさずトレーニングを続けたおかげか、木枯らしの季節になっても風邪ひとつひくことなく、身体すこぶる順調。しかし油断は大敵、転ばぬように注意しよう。

 広島カープが25年ぶりにリーグ優勝した。ペナントレース終盤はカープブームが起きた。おすそ分けとでもいうか、ブームに乗って20年前に出した著書「もう一度、投げたかった~炎のストッパー津田恒美 最後の闘い」が新たに9000部増刷となり、書店の棚に奥様の津田晃代さんの「最後のストライク」と並ぶことになった。なんと賞味期限の長い本だろう。
 さらに現地広島から講演の依頼が来た。期日は来年2月初頭。1994年5月に放送したNHKスペシャル「もう一度投げたかった」が、なぜ人の心を捉えることになったかを、メディア論的に解体してほしいというムズカシイ御要望。半月ほどアタマをひねって、お話の3分の2ほど構想したが、残りは年末年始に作り上げることにするつもり。しかし、この番組の大きなキイワードが「弱気は最大の敵」という言葉。津田投手は座右の銘にしていた。忘れないよう、自分に言い聞かせようと、愛用の練習ボールに黒いマジックインキで黒々と書いた。放送はそれだけの情報を伝えただけだ。
だが放送終了後、思わぬ情報が飛び込んでくる。この言葉を彼に教えたのは私ではないだろうかという人物から連絡が入ったのだ。驚いた。
 その人物は早稲田大学のエースだった道方投手だ。津田さんが南陽工業高校の野球部部員だった頃、東京から来て部員たちに野球指導を行っていた。そのなかで、めっぽう美しくダイナミックなフォームで投げる津田さんに目をかけて指導した。素晴らしい球威球速をもっているにもかかわらず元来の「蚤の心臓」で、緊張するとすぐ崩れるという難点があった。道方さんはそういう彼を励ます意味で、「弱気は最大の敵」という言葉を贈っていた。田舎の高校生だった津田さんの胸に大きく響いたに違いない。彼は死ぬまでこの言葉を離すことなく病と闘ったのだ。
 勝負師津田恒美のモットー「弱気は最大の敵」。

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# by yamato-y | 2016-12-27 13:52 | Comments(0)

クリスマス2016

終わった人 で終わりたくない

 新刊本のコーナーで、「終わった人」(内館牧子)という本を手にとった。帯に、「仕事一筋だった男の定年後の姿」という文言を見つけたからだ。
このブログのタイトルは「定年再出発」。まさに定年後の男の報告を目指しているから、同世代の女性(作者の内館は私と同じ1948年生まれ)はこの現象をどう捉えているのかという好奇心からだった。

 主人公の田代壮介63歳。岩手出身で、東大法学部を出て大手銀行に就職。順調に出世街道を歩んで来たが、役員一歩手前で出世コースから子会社に出向、転籍させられ、そのまま定年を迎えた田代壮介。仕事一筋だった彼は途方に暮れた。妻は夫との旅行などに乗り気ではない。「まだ俺は成仏していない。どんな仕事でもいいから働きたい」と職探しをするが、取り立てて特技もない定年後の男に職などそうない。妻や娘は「恋でもしたら」などとけしかけるが、気になる女性がいたところで、そう思い通りになるものでもない。だが、ある人物との出会いが、彼の運命の歯車を回す──。
 ネタバレでいうと、彼はベンチャーのIT企業に顧問として関わる。これでも年収800万を保証されるという破格の好待遇。ところが、39歳の若い社長が突然不慮の死を遂げ、其の後がまに田代が選出されるという「僥倖」に遭う。社長だから、専用の自家用車も付いて、年収はいっきに2千万。退職者の夢物語じゃと呆れて、ページを繰って行くと、物語は大きなどんでん返しへと突き進んでいく・・・・。

 この本、駅ビルの大型書店の平積みのなかから見つけた。だから、そこで立ち読みして全部読み切ることになった。さすが、朝ドラ「ひらり」で一世を風靡したシナリオ作家、読ませる。面白い。加えて、自分と同世代の主人公ゆえ、リタイアライフの細部のひとつひとつに共感する。

 さて、2016年のクリスマスは実に身軽な境遇にあったので、午前中ジムへ行って汗を流したあと、午後から広尾の有栖川宮公園に出かけた。公園内にある都立図書館にデビューしようと思い立ったのだ。192万の蔵書がある図書館の使い勝手ってどんな感じか知りたかった。エビスまでJRで出て日比谷線に乗り換えて一つ目、広尾。出口1番から地上に上がるとおおぜいの散歩者がいた。みな有栖川宮公園を目指しているようだ。欅の裸になった枝が美しい公園を上っていく。上がりきったところに建つ図書館。勢い込んで入り口に立つと、本日休館日の看板が出ているではないか。月に一度の整理日だというが、28日から年末年始休暇に入るじゃないか。公務員はすこし勤務が緩いのじゃないかと一言文句も言いたくなる。
 仕方がないので、公園のベンチでおよそ700字の原稿の下書きを書く。ふと時計を見ると午後3時。目黒に歩いて引き返すことにした。都立広尾病院の前を通り、天現寺橋を渡って目黒トンネルの脇を抜けると、なんと上大崎の交差点。そこから家まで1分。これで歩いて六本木、芝公園、新橋に出るルートが分かった。年が明け、私の新しい人生が始まったら、東京21日和下駄のプロジェクトを実行する。

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# by yamato-y | 2016-12-25 20:00 | Comments(0)


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