定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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再見 春が来る道

春が来る道を書いてから数年経って

 2016年歳末。オフィスに出るのも昨日まで、今日から年末年始の休みとなる。スポーツジムも年に一度の休日に入ったから手持ち無沙汰だ。さて何をしようとPCの前に座った。古いマックに電源を入れると昔の「原稿」が出て来た。タイトルは「春が来る道」。いつ頃書いたのかな、年号がないので分からない。母が死んで数年のことだから、平成13年頃か。一度このブログに挙げているかもしれないが再掲してみる。

 ☆   ☆   ☆・・・♪♬♫♩

 ああ春だ、春だ。こぶしの白が目につく頃は寒さがあったが、桜のピンクが終わり、やまぶきの黄色が目にしみるようになると春だ。
 ようやく春が来たのだと実感する。
 1月生まれだから冬が好きだし寒さが好きなのだが、今年は春が待ちどおしかった。やはり寒さが身にこたえるようになっていたのだ。

 1966年の春を覚えている。大学入学が決まって、下宿も決まった。入学式の1日前に、母とふたりで金沢へ出た。
 大手町の下宿に挨拶をして、田舎へ帰っていく母をバス停まで送って行く。
 バスが来た。母が乗り込むのを見届けて私はきびすを返して、友だちの家に向かった。

 このときのことを晩年の母はくりかえし語った。
「あんた、冷たい息子やなあ。うちがバスのなかからあんたを見ているのに、さっさと行ってもうた。あのとき涙が止まらんかったで・・・」

 当時、加山雄三の歌が流行っていてギターの弾き語りすることに夢中になっていた。早く友だちの部屋に行ってギターを手にとりたかった。覚えたばかりのコード進行をたしかめたいと気持ちが逸っていたから、母のことを後回しにしていた。親と離れて暮らすことができる解放感が心を浮き立たせていたのだろう。息子と初めて離れて暮らすことにせつない思いをしている母のことなど気がつきもしない。

この年になって、母の気持ちを思うと申し訳ない気がする。

 なにより、4年ほど前、母が元気だった頃のことを思い出す。京都の大学で授業を終えて、敦賀へ回り、週末の2日間母といっしょに過ごした時間だ。夜になると、座敷の襖を開け放して広間に布団を敷いて寝た。一人暮らしでいつも緊張しているせいか、私がそばに寝ていると母はいびきをかいた。その寝しなに、母は昔話をよくした。そのおりに出て来るのが1966年春のことだった。語る表情が柔らかだったことを今になって思い出している。

☆   ☆   ☆・・・♪♩

ふーん、好きなタイトルだなと思って読み返すと粛然とするものがある。母を思い出した。今年亡くなった弟は今頃母とどんな話をしているだろう。八木重吉の詩を思い出した。

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by yamato-y | 2016-12-28 10:31 | Comments(0)

2016年の仕事納めに

弱気は最大の敵

2016年12月27日、仕事収め。スポーツジムも本日から来年4日まで休止となる。
さあ、伝票の最後の整理をして、気持ちを新たにしてラストイヤーを迎えることにしよう。

今年最大の事件は、次弟義朗の死。もっと老いたら昔話の本音でも語りたいと願っていたが、ままならない。まさか65で逝くとは思わなかった。2月という年の始めのほうで起きたこのことはずしんとボディに響いた。その後も知人の奥様が50歳という若さ、大学時代の親友が69歳で癌死するなど、早い死にいくつも遭遇することになった。

 一方、私自身の健康は、昨年末に手術した前立腺の按配がよく排尿問題は解決。11月には主治医から全治したことを告げられ嬉しかった。さらに2月から通いはじめたスポーツジムは幾度も筋肉痛に襲われたが、欠かさずトレーニングを続けたおかげか、木枯らしの季節になっても風邪ひとつひくことなく、身体すこぶる順調。しかし油断は大敵、転ばぬように注意しよう。

 広島カープが25年ぶりにリーグ優勝した。ペナントレース終盤はカープブームが起きた。おすそ分けとでもいうか、ブームに乗って20年前に出した著書「もう一度、投げたかった~炎のストッパー津田恒美 最後の闘い」が新たに9000部増刷となり、書店の棚に奥様の津田晃代さんの「最後のストライク」と並ぶことになった。なんと賞味期限の長い本だろう。
 さらに現地広島から講演の依頼が来た。期日は来年2月初頭。1994年5月に放送したNHKスペシャル「もう一度投げたかった」が、なぜ人の心を捉えることになったかを、メディア論的に解体してほしいというムズカシイ御要望。半月ほどアタマをひねって、お話の3分の2ほど構想したが、残りは年末年始に作り上げることにするつもり。しかし、この番組の大きなキイワードが「弱気は最大の敵」という言葉。津田投手は座右の銘にしていた。忘れないよう、自分に言い聞かせようと、愛用の練習ボールに黒いマジックインキで黒々と書いた。放送はそれだけの情報を伝えただけだ。
だが放送終了後、思わぬ情報が飛び込んでくる。この言葉を彼に教えたのは私ではないだろうかという人物から連絡が入ったのだ。驚いた。
 その人物は早稲田大学のエースだった道方投手だ。津田さんが南陽工業高校の野球部部員だった頃、東京から来て部員たちに野球指導を行っていた。そのなかで、めっぽう美しくダイナミックなフォームで投げる津田さんに目をかけて指導した。素晴らしい球威球速をもっているにもかかわらず元来の「蚤の心臓」で、緊張するとすぐ崩れるという難点があった。道方さんはそういう彼を励ます意味で、「弱気は最大の敵」という言葉を贈っていた。田舎の高校生だった津田さんの胸に大きく響いたに違いない。彼は死ぬまでこの言葉を離すことなく病と闘ったのだ。
 勝負師津田恒美のモットー「弱気は最大の敵」。

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by yamato-y | 2016-12-27 13:52 | Comments(0)

クリスマス2016

終わった人 で終わりたくない

 新刊本のコーナーで、「終わった人」(内館牧子)という本を手にとった。帯に、「仕事一筋だった男の定年後の姿」という文言を見つけたからだ。
このブログのタイトルは「定年再出発」。まさに定年後の男の報告を目指しているから、同世代の女性(作者の内館は私と同じ1948年生まれ)はこの現象をどう捉えているのかという好奇心からだった。

 主人公の田代壮介63歳。岩手出身で、東大法学部を出て大手銀行に就職。順調に出世街道を歩んで来たが、役員一歩手前で出世コースから子会社に出向、転籍させられ、そのまま定年を迎えた田代壮介。仕事一筋だった彼は途方に暮れた。妻は夫との旅行などに乗り気ではない。「まだ俺は成仏していない。どんな仕事でもいいから働きたい」と職探しをするが、取り立てて特技もない定年後の男に職などそうない。妻や娘は「恋でもしたら」などとけしかけるが、気になる女性がいたところで、そう思い通りになるものでもない。だが、ある人物との出会いが、彼の運命の歯車を回す──。
 ネタバレでいうと、彼はベンチャーのIT企業に顧問として関わる。これでも年収800万を保証されるという破格の好待遇。ところが、39歳の若い社長が突然不慮の死を遂げ、其の後がまに田代が選出されるという「僥倖」に遭う。社長だから、専用の自家用車も付いて、年収はいっきに2千万。退職者の夢物語じゃと呆れて、ページを繰って行くと、物語は大きなどんでん返しへと突き進んでいく・・・・。

 この本、駅ビルの大型書店の平積みのなかから見つけた。だから、そこで立ち読みして全部読み切ることになった。さすが、朝ドラ「ひらり」で一世を風靡したシナリオ作家、読ませる。面白い。加えて、自分と同世代の主人公ゆえ、リタイアライフの細部のひとつひとつに共感する。

 さて、2016年のクリスマスは実に身軽な境遇にあったので、午前中ジムへ行って汗を流したあと、午後から広尾の有栖川宮公園に出かけた。公園内にある都立図書館にデビューしようと思い立ったのだ。192万の蔵書がある図書館の使い勝手ってどんな感じか知りたかった。エビスまでJRで出て日比谷線に乗り換えて一つ目、広尾。出口1番から地上に上がるとおおぜいの散歩者がいた。みな有栖川宮公園を目指しているようだ。欅の裸になった枝が美しい公園を上っていく。上がりきったところに建つ図書館。勢い込んで入り口に立つと、本日休館日の看板が出ているではないか。月に一度の整理日だというが、28日から年末年始休暇に入るじゃないか。公務員はすこし勤務が緩いのじゃないかと一言文句も言いたくなる。
 仕方がないので、公園のベンチでおよそ700字の原稿の下書きを書く。ふと時計を見ると午後3時。目黒に歩いて引き返すことにした。都立広尾病院の前を通り、天現寺橋を渡って目黒トンネルの脇を抜けると、なんと上大崎の交差点。そこから家まで1分。これで歩いて六本木、芝公園、新橋に出るルートが分かった。年が明け、私の新しい人生が始まったら、東京21日和下駄のプロジェクトを実行する。

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by yamato-y | 2016-12-25 20:00 | Comments(0)

職場周りの食いもの屋

渋谷今昔①・職場周りの食いもの屋

1995年、広島から東京へ戻ってから、ずっと渋谷のオフィスに通っている。21年になる。
それまで、敦賀、金沢、東京、大阪、東京、長崎、東京、広島と転居を繰り返したから、よもや一箇所に20年も通勤するとは思ってもいなかった。

 この20年、渋谷も大きく変わった。町並みも行き交う人もすっかり変わった。20年前は東京の繁華街は新宿、渋谷は二流の盛り場でしかない。センター街も小汚い店舗、食堂がちんまり並んでいた。
 2016年暮れの渋谷。通りには外国人が多い。白人だけでなく南アジアの人が増えている。ヒジャブというスカーフのような布で頭髪を隠した女性が目につく。店舗もリニューアルして小奇麗になっている。

 さて、ラストランに入った私としては、この馴染みの深い町のこまごまとしたことを記録しておこうと今朝思い立った。手始めに、昼食で通う店、通って今はない店のことを記録しよう。

 2016年秋から冬にかけて、トピックは神山町界隈を「奥渋」と呼ばれるようになったこと。まさに私の昼めしゾーンだ。かつては東急本店通りと呼ばれた細長い区域。中ほどに白洋社のビルがあって、そこを境目にして代々木八幡寄りになじみの店が並んでいる。
 増田屋。昔からあるうどんや蕎麦屋。あまりうまいとはいえないが、時々昔風の麺類が食べたくなる。お気に入りはきつねうどん。黄色いカレーライス。
 うなぎ吉野。うな丼は1500円以上するから、うなぎと鳥の相乗り丼が月に二度ほどのぜいたく。
 長寿庵。蕎麦屋うどん屋。増田屋と似ているが、すこし味がいい。五目そば(中華風)。
 TAKE。夜は酒場になるのだが、ランチはプレートに乗ったハンバーグなど。食後のコーヒー付きで千円。
 麗郷。台湾料理。本店は渋谷恋文横丁にあるが、数年前に支店を出した。中華ランチ、3点のなかから選ぶ。950円。最近、あまり行かない。
 ここで富ヶ谷の大通りを渡って、小田急代々木八幡の商店街に入っていく。入り口にイタリア料理「イルキャンティ」。今一番気にいっている店。ランチがパスタ、ハンバーグなど3品から選ぶ。本日はハンバーグランチを所望。サラダのにんにく仕立てのドレッシングがめっぽううまい。おなかいっぱいになって、980円。ホシ3つ。
 はしや。駅近くにあるパスタ専門店。あの「壁の穴」から独立して、いっときはブームになった店。ウニ入りのパスタがうまい。ちょっと値段が高いと思ったこともあったが、最近の物価から見るとリーズナブル。1200円。
 和食かぶら。はしやの裏通りにある店。刺身がたっぷりあって1000円。うまい。

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by yamato-y | 2016-12-20 13:50 | Comments(0)

山屋敷

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山屋敷

 日曜日、信濃町の慶応病院に見舞いに行き、その帰途、小石川まで足を伸ばした。12月に入って寒い日が続くなか、珍しく快晴でぬくい日だった。信濃町から水道橋に出た。神田川をわたって本郷の方へと歩く。春日通りを越えて左に折れて、文京区小日向の地名を探した。行きかう人に道を尋ねると、8百メートルほど先だという。黙々と歩いた。

伝通院を通り過ぎ 茗荷谷の交番で「切支丹屋敷の跡地はどこですか」と聞くと、親切な巡査は地図で確かめて、この裏の谷に切支丹坂がありますからその側にあるでしょうと教えてくれた。このあたりは坂道が多い。神田川の河岸段丘の地形だろうか。屋敷は段丘が少し飛び出た舌状の台地にあった。むろん今は屋敷はない。記念碑が建っているだけだ。 江戸時代キリシタン禁教令が出たあと、見つかった信徒たちはこの屋敷に閉じ込められていたと記録が残っているだけだ。なるほど舌状の離れた台地は隔離するには都合のよい地形、まさに牢獄であったろう。通常山屋敷と呼ばれた。
 禁教令が出て50年後に捕縛されたシドッチが、この屋敷の最後の虜囚だ。イタリア、シシリー出身のシドッチは、禁教の日本に密入国するのは危険だと幾度も説得されたにもかかわらず、布教の思い断ちがたく、ついにマニラから鹿児島県屋久島に潜入。髷を結って二本差しの日本人に扮したが見破られて捕まったという。青い目とのっぽの体型は目立ったに違いない。捕らえられた宣教師は江戸の山屋敷に送り込まれたのだ。遠藤周作『沈黙』のモデルといわれる。

 この屋敷で、幕府顧問の新井白石の尋問をシドッチは受ける。宗教以外の問答のなかで、シドッチの知性に驚いた白石は、西洋の学問を学ぶ必要性を感じ洋学解禁を幕府に進言することになる。すなわちカトリックのスペイン、ポルトガルなど南蛮の文化でなくプロテスタント国であったオランダ、イギリスなど紅毛の学問のみ解禁させたのである。これによって医学、天文学、航海術などの進んだ学問を日本はキャッチアップすることが出来て、日本のサイエンスの素地は作られていく。この潮流はついには明治維新の改革にまで繋がっていく。

 現在の屋敷跡地にはモダンなマンションが建っていて、往時の気配などどこにもない。
午後3時を回って陽が翳った。八兵衛の夜泣き石と伝説が残る石がある。殉教した者を偲んだ記念の石らしい。これだけが唯一の名残りだった。

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by yamato-y | 2016-12-20 13:00 | Comments(0)

高輪・義士まつり

義士まつり

久しぶりにロケ現場に出た。といっても大学の演習のロケではあるが。
後期、表現演習のひとつ。明治学院大学周辺のネタで5分程度の番組を作っているのだが、4班のうちのひとつが高輪の町の姿を追っている。
そして本日は、高輪の最大行事「忠臣蔵・義士まつり」が高輪泉岳寺で行われた。その賑やかな様子を1班の4人のメンバーが取材して、映像で切り取ることになった。ハイライトシーンの撮影だ。
それを聞いて、一応のロケの仕切り方を実地で教えようと、私も参戦した。

目黒駅から都バスで高輪警察署前まで出る。そこから伊皿子坂近くの泉岳寺まで徒歩で向かう。思った以上に距離があった。高輪は台地なので坂の起伏が多い。息切れしながら泉岳寺境内に潜り込んだのが12時15分。
12時30分過ぎに4人のメンバーと合流し、すぐに観光客やたこ焼き屋の主人たちにインタビューするよう指示。4人の学生たちはそれなりに体勢を作るが、何か覇気が足りない。必死さがないと、相手も引くぞとハッパをかける。ただちに2台のスマホ、1台は被写体の姿を捉え、もう一台は被写体の音声を捕獲する体勢を作る。その間に聞き手としての番組のレポーターが入った。次にこの撮影舞台にゲストを呼び込む必要がある。これはもう一人のメンバーが行うことになったが、なかなか声をかけることができない。インタビューを依頼するのは、慣れないと難しいものだ。そこで早速見本を行って見せた。
次に、本番前に聞き手に忠告。質問はだらだらするのでなく、相手の気をそらさないようにテキパキとやることと。
 実際に本番撮影となると、4人のメンバーは実に的確に行動した。やっぱり現場は面白い。

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by yamato-y | 2016-12-14 18:02 | Comments(0)

ヒップホップでジャンプ

どこまでも黄一本世界銀杏降る

銀杏(いちょう)が最後の激情を露にした12月第2週。明治学院大のキャンパスの並木、渋谷ブンカムラ周辺、外苑の並木など、東京は今は盛りの黄落。
一方、目黒北口のとある駐車場そばの民家の前に山茶花(さざんか)一本、白一色。けなげにもこちらは花びらを散らさない。朽ちた花は朽ちたまま残っているが未練にはならない。さざんかはむくげに似ている。さざんかとむくげの恋は身内の恋。
「身内の恋」は「未必の故意」に似ている。

朝、渋谷駅前のスクランブル交差点の大画面に、「○子がヒップホップにはまってから、やたらに韻を踏むようになった」というような意味の文字が浮かんでいた。年寄りだけでなく若者も押韻が好きなんだ。

この週を境に木々は裸木となる。なって見事なのはケヤキ。箒木の名前どおり、すっきり伸びた枝木が美しい。木枯らしがきっぱりと吹きぬける。
すっきりケヤキ きっぱり木枯らし
ケヤキはやきもちヤキ
シモヤケ アサヤケ ユウヤケ みんなケに蹴飛ばした
残ったヤキは タイヤキ カバヤキ ドンドヤキ
ヤキがまわってヤクとなり
ハヤク カイヤク 
サイアク ザイアク カイアク

2016年。今年のマイブームはスポーツジムに通いはじめたこと。2月の寒い日から始め、夏も秋も、週3は通った。毎回30分3キロを早足で歩く。10ヶ月通って、体重は68から65キロへ。3キロの減、思ったほど減らない。やや運動が過多になって、左足の筋肉痛がはんぱない。
ハンパナイ
カンケイナイ
シンパイナーイ

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by yamato-y | 2016-12-13 15:46 | Comments(0)

鴎盟は完治せり

鴎盟は完治せり

 今朝、小水を我慢して大橋の大学病院に行った。昨年10月に手術した前立腺肥大の最後のチェックを受けるためだ。
 受付で小水検査の指示が出て、排出機能が調べられた。「残尿はゼロです」と嬉しい声がベテランの看護師からかかった。そのまま主治医の問診室に入る。先生はニコニコしながら「すっかり治っていますよ」。「一応、治療は本日で終了ということにしましょう。何かあったら来院してください。長い間、ご苦労さまでした」と労っていただいた。この病院に通うようになったのが5年前。寛解することはあってもまさか完治するとは思っていなかったので、主治医の言葉は嬉しかった。
 記念に、奮発して病院の地下食堂でモーニングセットをフルでとって食した。トーストの酵母の香りが胸いっぱいに広がり、あらためて健康の快を感じた。

 昨日、千葉まで遠出して「浦上玉堂と子らの展覧会」を見に行った。新橋に出て総武線の快速に乗り千葉市へ。かれこれ1時間かけて木枯らし舞う千葉に降り立った。平日の千葉市美術館は人影が疎らで、絵をじっくり鑑賞するには最適だった。

 浦上玉堂は岡山小藩のエリートだったが、50歳のとき長男と次男を連れて脱藩。七弦琴と画具をもって文人の暮らしに入る。次男秋琴はまもなく会津藩に仕えるようになるものの老年画筆をとって作品を残した。長男の春琴は京都で画業に生きて、後に関西画壇の人気作家になる。展覧会はこの父と子らの作品を一同に会して営まれていた。
 春琴の作品は華麗で色が豊かで華やか、現代のイラストレーションのような鮮やかな筆捌きで花鳥画にその技を見せる。秋琴は父親の画風に近く山水画に枯淡の味わいを見せる。二人とも親の七光りと切り捨てることができないほどの技量を持っていた。
 だが真打の玉堂を見ると、二人の作品が霞んでしまう。とてつもなく無垢で大胆な描線がウワーっと見る者に襲ってくるのだ。雨に濡れそぼった風景「山雨染衣図」は、幼稚園児の画かと見紛うほどの画面が湿りきっている。作品が放つエネルギーにたじたじとなった。川端康成が所蔵していたというが、彼のコレクションはそのほかに国宝「東雲篩雪図」も入っているのだ。川端のすごい眼力に呆れた。

 岡山、鴨方藩の上級武士であった玉堂が藩を出て家を捨てることになった理由の一つが40過ぎで亡くなった妻への思いがあるという。封建の世に珍しい「純愛」と七弦琴の弾き語り―文人玉堂はこよなく現代人の心象に近いのではないだろうか。近来、久しぶりに画を見て感動するという純粋体験を得た。
この展覧会は18日で終わるので、それまでにもう一度見に行こうと考えている。今度は2500円のカタログを絶対に買って帰ろう。

玉堂の画題のなかに「鴎盟」という言葉があった。鴎はかもめ、かもめの仲間になるというような熟語で、転じて隠居して風月を楽しむことという意味らしい。私の身分に近いが、風月を楽しむという雅亮は私にはない。だが玉堂のその思いだけは敬していただく。

 鴎盟となりてととのふ冬の部屋

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by yamato-y | 2016-12-07 12:31 | Comments(0)

寒さが緩んだ日に

在るとは

昨日、息子の誕生日だった。30代のオッサンに誕生祝をいうのも気がひけるから、なんの音信もなく過ぎて、今朝になって記念日だということに気がついた。
たしかに息子のHは在る。だが親である私たちが見ているのは30年前の乳児だったH。
小脇にかかえて自転車の前の席に乗せて、共同保育所に連れて行く光景が脳裏にこびりついている。私よりガタイが大きく、何を言っても反論するようなナマイキなHではない。

つまり目の前のHは不存在だ。非存在ではなく、たしかにその分身というかかけらはあるものの、私自身が期待する存在ではない。存在というのは「時」の影響を大きく受けるようだ。どうもそんな気がしてならない。あのハイデガーも最も関心があるのは「時」であったということを何かで読んだ。

 では私自身の存在はどうか。
今、自分史の年表を作成している。1948年から2016年までの時間と事象の流れを一覧にしたものだ。年表の特徴はほとんど仕事と絡んでいることだ。誕生から大学卒業まではたった3行。22歳で就職してから現在までが192行ある。事象の過半が制作した番組名で埋まっている。おそらく有象無象含めて、生涯8百ほどの番組を作ったことになり、それに大半の時間を費消してきたわけである。
 長男が生まれた年は初めて海外取材をした年で、長女は長崎から東京へ転勤する年だった。脳出血を起こしたのはニューヨークで大きな賞をもらった年で、災厄と幸運がいっしょにやって来たので忘れられない。これらの時代の私(複数)は今の私ではない。だが想起すれば当時の意識が出現して、現在の意識に上書きされるのも可だ。いつでもあの頃に戻れるし戻ってもいる。けっしてあの頃から自分の本質が変わったわけでもないと御託を並べることも可だ。
 ずっと連続する私もいれば、そのつど切断される私もいるのだ。在るということはどういうことだ。

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by yamato-y | 2016-12-02 16:27 | Comments(0)


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