定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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46年前から通った道

46年前から通った道

 昭和45年、渋谷の駅前はスクランブル交差点もツタヤも地下街もなかったが、センター街はあった。放送センターへ向かう最短のルートはここをぬけることだった。
センター街に軒を連ねるのは貧乏くさい飲食店が主だった。たしか、道路の舗装も不完全で、雨が降ると諸所に水溜りが出来た。当時は、渋谷より新宿のほうが繁華で、若者文化が盛んであった。

 21世紀に入ってから、センター街は若者文化のメッカのようなゾーンとなった。この一年は、外国人旅行者の姿を多く見かけるようになった。
今朝もセンター街を通り抜けてオフィスに来た。建物は変わっても地形や地所は46年前とそれほど変わっていない。昔、ケンタッキーフライドチキンが入っていたビルも今じゃ靴屋だ。台湾料理屋もスニーカーショップに成り代わった。なんだか靴屋が多い。
センター街を抜けて、暗渠となった宇田川の路地。ここに永楽街という飲み屋町や中華料理屋「金龍」があった。

 今朝は冷え込みがきつかった。吐く息が白かった。手の指の先がかじかんで手袋が欲しかった。でも大気は相当澄んでいるのだろう。昨夜の満月も煌々と輝いていたもの。

 久しぶりにカメラを持ってセンター街を取ってみた。2016年の姿。2020年のオリンピックイヤーになれば、もっと町は変わっているだろう。なんだか文章がぐちゃぐちゃ。きちんとロジカルに書き立てるようにしたくない気分。

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by yamato-y | 2016-01-25 17:22 | Comments(0)

時にはアート

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時にはアート

朝一番で大橋の東邦大病院へ行き、前立腺の予後調べを行った帰り道、東急ブンカムラの「ラファエル前派展」を見てきた。

英国の19世紀、ビクトリア朝の後期あたりに起こった美術運動、ラファエル前派。自然主義だらけの表現に飽きた若手の画家たちが、ルネサンスのラファエル以前の自然観に戻ろうという意識で、象徴主義的な絵画を打ち立てた運動。なんとなく、日本の琳派と対で味わってみたい気がする。

 2年前、ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」の鑑賞番組を作ったこともあってラファエル前派には若干の知識や親しみがあって、久しぶりにギャラリーに脚を向けた。
画の題材が、ギリシア神話や聖書にとっていて、かつて習った西欧の教養のオサライのような気分でおよそ100点の作品を巡って堪能した。気になったのが、ジョージ・フレデリック・ワッツの「マグダラのマリア」。あのふしだらな娘でイエスと会って改心したマリアの肖像。それは大地に座り込んで、十字架を見上げて、悲しみのあまり呆けているマリアの姿。恨めしそうな、悲しみに満ちた眼差しはとてつもなく深い表現だった。

もうひとつは象徴的歴史画という本題とは離れるが、流れ星という風景画が心に残る。夜空にきらっと閃いて消えていく流れ星、原題は「falling star」。なるほど、堕ちていく星か。

久しぶりに美術展に触れて気分が高揚した。この流れで、明日からの週末には「ポッティチェルリ展」を見に上野へ出かけようかな。

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by yamato-y | 2016-01-22 16:08 | Comments(1)

119

後日譚

 昨夜のことだ。玉久で酒を飲んだ。8階から澁谷の巷を見下ろして飲む酒はうまい。
2(ふた)月に一度だけすこし贅沢をしたいと思って来る。昨夜は広報のデスクkさんに、年来のお世話になっているお礼も兼ねて1席設けた。普段なら入荷予定のきんきがないのが淋しい。煮付けを食べたかった。鯒(こち)のポン酢とめじまぐろを肴にして日本酒をぐびぐびといった。
 kさんとの出会いは30年前のけんか腰のやりとりから始まっている。
当時私が心酔していた巨匠のギャラをいかに設定するかをめぐって、Kさんと電話でやりあったのだ。淡々と額を算定するkさんの口ぶりに私が切れたのだ。額設定で、私とkさんの間で見解が相違し、じれた私が大声をあげたことから始まった。
kさんから私は暑苦しくてやかましい男と写り、私からはkさんは生意気な小娘と写った。互いに振り上げた拳は下ろさないまま口をきかなくなっていた。長い年月のなかで、すこしずつ和解して、昨夜の飲み会になった。

店を出たのは11時過ぎ。 思わぬ長っちりになったのは、互いに俳句に興味があるということを知ったからだ。酔余にまかせて、二人だけの連句でもやろうということで、575、77をやったのだ。あっというまに小一時間が経っていた。

 この席で、前日の1月19日が誕生日だったと漏らすと、すかさずkさん、「119番じゃない。くれぐれも救急の御出動がありませんように」。
 思わぬ言葉に呆気にとられた。いままで、マイバースディと119の救急を連想したこともなかっただけに、救急ご用命のくだりには思わず吹いた。

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by yamato-y | 2016-01-21 16:55 | Comments(0)

俺の日

俺の日

 すっかり晴れた。昨日の雪嵐が嘘みたい。午前10時まで家にいた。目黒の丘から五反田方向を見下ろすと家並みがくっきりと浮かんでいる。

PCを開いて、スケジュール表のページを見ると、「本日バースディおめでとう」というワードが1月19日の欄に張り付いている。そうか、今日は68回目の生まれた日か。

誕生日で気になっていることが一つある。俺の生まれた時刻だ。午前か午後か、早朝か深夜か。一度、亡母に聞いたと思うが、すっかり忘れた。なんとなく早朝の気がするのだが根拠がない。母から聞いたときどこかにメモしておけばよかったのだが。星占いには誕生日、誕生月とともに誕生時刻が必要になる。なんとか、自分の生まれ出た時刻を知る術はないだろうか。

母方の実家、大津市上平蔵町で昭和23年、戦争が終わって3年後に俺は生まれた。日本でもアメリカでもベビーブームの時期だ。生まれたとき、産湯を使った盥は、祖父がわざわざ闇市へ行って入手したものだ。盥の底には、「為初孫」と墨で黒々と記されていたという。晩年の母がそのことを短歌にしている。

 50年前の誕生日、18歳の俺は高校卒業を間近にしてうかれていた。親元を離れて金沢で1人暮らしになると羽根を伸ばし始めていた。その日、雪が積もっていたと思う。外出するのも億劫で、ひねもすテレビの前に座っていた。50年後にまさか表日本で暮らすことになるとは想像もしていない。当時のお気に入りの番組は、音楽バラエティ「シャボン玉ホリデー」。ザピーナッツの「beside garden 」エンディングテーマが気にいっていた。まさか自分がテレビの番組を作るとはまったく考えてもいなかった。将来何になりたいか、クモを掴むような案件だった。あれから半世紀。もとい「反省期」。
いったい50年、何をしてきたのだろう。まさに、「初暦知らぬ月日は美しく」か。

赤坂の試写室から帰って、オフィスの隅でほっこりお茶を飲んでいる。

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by yamato-y | 2016-01-19 16:22 | Comments(1)

多万華鏡

多万華鏡

6時過ぎに目が覚めて窓外を見遣ると、一面銀世界となっていた。北陸のような重く暗い雲が立ちこめ、灰色の世界と言ったほうが適当かもしれない。幼い頃の冬に見た鬱陶しい雪の日を思い起こした。石油ストーブしか暖房がなく、布団から出るのをいつまでも躊躇っていると父親から怒声が来る。渋々起きて靴下を履いてもやはり布団から出たくない。促されて冷水でかおを洗うが、堪えきれない水の冷たさに声を上げた。軒端の氷柱の長さが恨めしい。

明け方苦しい夢を3本続けて見た。
旧知のニシヨ君の本拠地を私は訪ねた。そこは荒涼とした深い谷間の町の公団アパートだった。食事を終えて懇談をしようと屋外のリビングに場所を変えた。ニシヨ君とその連れ合いと私は四角いテーブルを挟んで言葉を交わした。恐怖で身体が強張っている。私はテーブルの端にしがみ付いている。足元が落ち着かずスウスウするので見ると、私たちはアパートの屋上のとんがり屋根の上にとどまり、そこにテーブルを広げていた。油断して手をはなすととんがり屋根から転落しかねない足場に腰掛けていた。手に汗がジワリと滲んでくる。ところが二シヨ君は平常の表情。怖くないのだろうか。

公団アパートを出て草原を横切っている。先頭に立って二シヨ君が草をかき分けている。野分が吹いて草が激しくなびいている。雲の流れも早い。私を置いてけぼりにしてニシヨ君はどんどん先を行き、あるところで立ち止まった。草の根方にでも何かを見つけたのだろう。と、突然、彼は姿を消した。急いでそこまで行ってみると、その場所から深い穴のように、峡谷が広がっていて、どうやらニシヨ君は下へ素早く降りていったようだ。
後を追おうとして逡巡した。その谷間の深さは30メートルはあろう、下まで降りるルートは2つしかない。一つは馬の背のような細い尾根道、鎖も手すりもない。峡谷の川まで垂直に落ち込んでいる。道幅は50センチほど。まるでロッククライミングのような恐怖感が沸き起こる。とても無理だ。
もう一つは反対側斜面に1メートル間隔で鉄製のホールドが谷底まで続いている。ただし、最初のホールドまで身体を乗り出して腕を伸ばさないと掴むことができない。その身体を谷に投げ出すという行為にまたしても身体が硬直してくる。途方に暮れてしまった。谷底からニシヨ君が声をかけてくる。意気地なしと見られるのも癪だが、怖いものは怖い。

トイレで目が覚めた。なんでこんな夢を見たのだろう。昨夕、寝しなに読んだ藤枝静男の幻想小説が祟ったのだろうか。

この出来事をくくるタイトルって何かと考えた。タマゲタという音が頭をよぎった。そこで「多万華」。

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by yamato-y | 2016-01-18 14:05 | Comments(1)

熱い痛み―激痛一瞬 2

熱い痛み―激痛一瞬 2

 10月初旬に前立腺の手術を終えた時期から(正確には施術から6日ほど経過)、背中や腹にチクっとした痛みが走るようになった。今年の秋は陽気がいいから、ベッドに蚤か南京虫の類でも入り込んだのか、それが私の身体を攻撃しているのかと自己判断。翌日、職場近くの皮膚科で相談した。医者は、私の腹や背中を見て虫の痕跡がないことを認めたうえ、これは皮膚科の要件じゃないという。「じゃ、何ですか」大きな声をつい上げた。
 おそらく脳が間違った指令を出して、身体の末端の神経が誤作動して痛みという作用を発生させていると、いつも陽気な医者は珍しくマジな顔で言った。一瞬、津田投手の脳腫瘍のことを想起し悪い予感が駆け巡る。彼は頭に出来た腫瘍が脳を圧迫することによって、腕がしびれたりだるくなったりする症状で最晩年苦しんだという事実を思い出したのだ。一瞬青くなった。私もあの難病に取り付かれたのか。
――医者にどうすればいいか聞いた。「不安であれば、脳関係の専門医を訪ねることです。」医者は淡々と告げる。「そうしたほうがいいですか?」と後追いして訊ねると、「私なら、まあ当分様子を見ることにてしますがね」と、個人的意見として応えてくれた。なるほど、大騒ぎするほどじゃないということか。当分経過観察にしよう。

その後大きな痛みもなく、秋は闌けて冬になった。暖冬であったが、クリスマス頃からぐっと冷え込みがきつくなった。
12月29日、左わき腹と左足裏に熱く鋭い痛みが走った。終日、断続的に同じ箇所に痛みが走った。10月の頃より症状が進行したようだ。神経系統が錯乱している。それからは、前にも記したように、広島の瞑想の師匠に相談してまず精神の落ち着きを取り戻すことに専念。

1月5日。夕刻、歌舞伎町のタケ先生の診療所に向かった。先生にこの10日の間に起きた異変について語る。黙って聞いた先生は、いつもと同じ施療を素早く始め、身体の腹側の打鍼の最後に、突然、足裏に鍼が素早く3本。ずきーん。脳天を揺さぶるような衝撃が走る。普段の鍼とまったく違う。
 背中側の打鍼はいつもと同じ。すべて終えた後、私のもう一つの患部、肋骨下の窪みに3つのお灸をすえた。短い灸で、数秒で燃え盛る。「あっ」という声を上げる前にその作業は終わった。まさに電光石火の早業だ。
 帰りがけ、タケ先生は、「身体を冷やしちゃダメだよ。これを貼っておくのがいいね」と紙カイロを20袋ほどくれた。

 午後8時帰宅。入浴後、すぐに瞑想。9時半、寝衣に着替える。胸の肋骨部分と足裏にひとつずつカイロを丁寧に張る。家人がいないことをいいことに、安藤サクラ主演の話題の映画「百円の恋」を視聴。およそ3時間、映画にすっかり引き込まれる。その間、発作一度もなし。
 午後11時半、ベッドに潜り込む寸前、肋骨部分にびりりと痛みが走った。だが、昼間ほど痛みがきつくない。念のため、瞑想を20分間実施。蒲団に潜ると、2つのカイロもほどよく暖まり心地よい。数分で眠りに落ちた。

 どうやら、私の症状は神経症らしい。中高年になってからの外科手術のあとに多いそうだ。季節も関係があるらしく、冬場に発症しやすい。春になれば、この「発作」も軽減するのか、とにかく当分見守ることにした。

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by yamato-y | 2016-01-06 12:37 | Comments(1)

熱い痛み―激痛一瞬 1

熱い痛み―激痛一瞬 1

《一般に発作性の痛みが反復して現れることが多く、不規則に起こるが長時間続くことは少ない。原因不明の特発性のものから、原因のはっきりしたものまで含め、特定の末梢神経領域に起こる痛みを総称し「神経痛」と呼ぶ。手足や関節などに起こりやすいが、全身いたるところに起こりうる。強い針で刺したような、あるいは焼け付くような痛みが特徴。特に秋から冬にかけて増える傾向がある。痛みはリウマチにも似ているが、神経痛では関節の変形は起こらない。》とウィキペディアにあった。これが日に2度ほどやって来る。
11月初頭から始まったが、当初は1週間に一度ほどだったので気にもとめなかったが、年末に至って日に3回から5回ほど現れるようになると放置することもできなくなった。
中年になりやすく原因はいまだに分かっていない。ただ外科手術を受けた後などに起き易いという。10月の前立腺の除去手術が影響したのだろうか。発生季節は冬に多く、鍼療法が有効とある。今夜、タケ先生の治療院にかかるから、そのとき相談してみようと思う。何か、2016年、68歳は新たな試練が到来した気分。
今のところ、痛みを感じる箇所は肋骨の左下と左足の足裏の2箇所に同時に「焼け付くような痛み」が走る。60年も生きてくると、いろいろな情況が現れるものだな。
今朝は、今年の初出社で、年末年始に溜まっていた情報、連絡、処理に追われていたので発作のことをすっかり忘れていた。午後4時過ぎ、仕事に段落が就いた直後、ビビッと鋭い痛みが胸の筋肉を電撃した。

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by yamato-y | 2016-01-05 16:32 | Comments(1)

2016元旦

去年今年浅蜊(アサリ》も砂を吐きつづけ

これといった大きな不安や悩みをかかえることなく六十八歳の新年をむかえることが出来た。がんたんの朝に届いた年賀状およそ100枚。ひとつひとつ目を通しながら来し方の端のほうに目線が動いていく。
同級生らはほとんど仕事をしていない。おまえはまだやっているのかと冷やかすような文言が賀状のなかに散見された。高校時代の友人kは、毎日じかんをどうやって潰そうかとこころをくだいている辛さをぼそっと呟いていることに深いかんめいを持った。

近年、自分の歴史時間の感覚が曖昧になってきた。父が死んだのは1994年の春だったか明けて95年の初夏だったか。京大で教鞭をとるようになったのは、冬ソナのキャンペーンを始めた2014年春だったかそれともその前だったか。じかんの軸が判然としなくなってきた。そこで自分の記憶をきたえるために、1994年以降の自分の個人誌を作り直そうと考えるに至った。

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by yamato-y | 2016-01-02 02:22 | Comments(0)


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