定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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大学の講義のための覚書

 
大学の講義のための覚書

ずいぶん長くこのブログから離れていた。新しい年度に入って、担当の「課外授業」が大きく内容、形式を変えたので、その対応に追われたこともある。さらに4月から始まった大学の講義のための下調べで時間を取られていたこともある。桜のことや別離、沖縄のこと、原発の再稼動のことなど書きたいことはいっぱいあるのに、書く気が起こらない。8年ほどブログを書いてきて、すこし疲れたのかな。だが、さすがに半年近くも放ってあると気にかかり、ちょうど講義のためのノートを書き上げたから、それを差し込んでおこう。


テーマ主義を越えて

土本典昭のことを、羽田澄子が批評して面白いことを言っている。羽田が初めて記録映画の監督を勤めたときのことだ。羽田は、岐阜の根尾にある古木「薄墨の桜」を撮りたいと、考えた。制作に際して羽田はこう考えた。
 《桜のちょうど花時に、偶然見るチャンスがあったんですね。私は、その花、木を見ながら、本当に、こんなに生きていて、こんなにも今花が咲いている。生きものなわけですけど、こんな生きものがあるってことが信じられない思いがして。(略)で、その時に、私は、あーあ、この木一本だって映画ができるくらい凄まじい木だな、とふっと思ったんです。》(私のドキュメンタリー映画の手法『ドキュメンタリー映画の現場』シクロ・編)
 ――そして、映画が完成したとき、羽田は土本に映画試写の案内をした。喜んで応じた土本が、視聴後羽田に発した疑問は、「どうして桜なのか、なぜ今桜なのか」であった。
 羽田はその問いに直接答えず、《私は、「なぜ、今、桜?といわれても困るんですね。なぜ、今というわけじゃないけど、私は桜に何かを感じたものだから」と答えた。》と語っている。
 優れたドキュメンタリー映画作家である土本は、テーマは社会との関わりの中から引き出してきた。たとえPR映画であっても、その時々の状況との結びつきでテーマを考えてきたのであろう。つまりジャーナリズム性を中心に、作品の主題を導出してきたのだ。その土本から見れば、羽田の「桜」はいかにも状況との関わりにおいて問題意識が稀薄と思えたにちがいない。
 TVのディレクターやプロデューサーにとっても、よく似た議論がある。いや、むしろ多いというべきか。企画の審議を受けるとき、いつも飛び交う言葉こそ、「このテーマは、なぜ、今、やるのか。現代社会にとってどんな意味があるのか」である。
 若い頃、このような言葉を聞いて反発したものだ。なぜ今か、を問わなくとも人間存在にとって重要な永遠の課題があるではないか。羽田が語るように「私の魂が感動したもの」を制作したいだけだ、そう主張したかった。その思いは今も消えたわけではない。
 ところが、時局と離れて永遠を追い求めると、作品はやせ細ってゆくことに気付いた。共生、平和、寛容、安らぎといったテーマで作りあげてゆくと、作品が傾くのだ。坐りが悪いといっていいかもしれない。他者の共感を得るようなエネルギーが溢れてこないのだ。羽田のような成功例はむしろ例外だと実感した。
 ドキュメンタリーは、時局性と批評性を本来持っているジャンルではないだろうか。 

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by yamato-y | 2015-04-15 17:04 | Comments(0)


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