定年再出発  


懐かしい空
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E君へ

 E君へ

 一昨日、金沢の大学時代をともに過ごしたE君から分厚い手紙が届いた。開封すると、神戸に住む彼が、20年前に遭難した阪神淡路大震災の体験と、近年の闘病体験の報告であった。今年が被災20年という節目であるということで、これを記したのであろうか。文芸部に所属し作家を希望して、業界新聞の記者になったEであれば、手紙という「碑(いしぶみ)」を残そうとしたのだろうか。1枚1320文字の便箋が4枚というおびただしい分量だった。

 E君は別の便箋に、近況を記していて、先ごろ網膜はく離の手術を受けたとある。数年前にがんをやって、今度は眼(がん)と自嘲している。この自虐の感覚にいたく共感した。以下は、私の返事だ。不都合な部分はフェイクを入れたが、これが今の私の心境。
             ★                   ★

 E君へ

 手紙有難う。たしか、20年前にも被災の記をキミから送っていただいたことがあった。そのことを思い出します。あのときに受けた印象は、メディアで一般的に伝えられている情況と違って、個人が直面した遭難の恐怖と苦渋が直裁ににじみでていることに驚いたものだ。広島に単身赴任していた私は、神戸はどこか対岸の火事と見ていて、その年の8月の被爆50年にばかり目が向いていた。それを荒々しく修正され、アタマの後ろをドカンと殴られたような衝撃が、あの手紙から感じた。私のノーテンキぶりは、あなたが被災10日目に見た大阪の風景と同じものであったにちがいない。

 災害の当事者性というものはとてつもなく重大なものだということは、自分が4年前の3・11を東京で被災したときに気がついた。どんなに想像力を働かそうと、あの被災の恐怖、不安、絶望感は当事者でなければ理解しがたい。共感することはあっても、当事者と非当事者との裂け目は決定的に深い。震度5程度の都心ですらそうであるなら、活断層直下型の地震を体験した神戸市民はいかばかりであっただろう。その後、番組を通してであった作家のTが6年後に被災直後の苦難と不安を本気で語るのを見たとき、こんなかっこをつける人物ですら感情むき出しになるほどの生々しい体験をうちに持っているのだと呆れ恐怖しかつ感動した。

 あの災厄がなければ、君のご両親ももう少し長生きされたことだろう。たとえ実際の怪我や傷がなくとも精神に大きな裂傷を残したことぐらい、鈍い私でも分かる。あらためて、お父上、お母上の御逝去をお悔やみ申し上げ、ご冥福を祈ります。合掌。

 網膜はく離の手術の段は、私にとってこの手紙最大の恐怖となった。元来、尖端恐怖症をもっていた私は、眼球を蹂躙されるというイマジネーションはもっともきつい「拷問」にあたる。その拷問を君が受けたと聞いて、明日はわが身かと恐怖するのは小心のせいだけとはいえない。われらの最後のときのときはもはや旦夕に迫っているからだ。年齢67を3で割ると22・3333。0時から24時の人生時間において、われらは22時33分33秒にある。どんなに順調でも後1時間半しか残っていない。

 最後に、君が大学の文芸部の仲間と旧交をあたためたという記事を読みうらやむ。金沢に新幹線がつながるといって東京では騒ぐ。その雑音のなかから、あの地で君と谷口とわたしの3人で語り合った昔の光景がたち現れる。――継いで、大野林火の句が浮かぶ。
ねむりても旅の花火の胸にひらく

 最近になって林火が四高出身で、卒業から50年ほど経って金沢を訪れ、大手門の古い掘割のまえで凝然としたと書いているのを知って、言葉を失った。

どうかいつまでも息災であられることを。

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by yamato-y | 2015-02-23 17:11 | Comments(1)

冬から春へ

冬から春へ

 まもなく春。季語でいえば、「春隣」。この時期になると、「冬のソナタ」の第18または第19話に出てくるエピソードを思い出す。主人公のチュンサンがライバルであり親友であったサンヒョクと和解し、アメリカに向かう直前のシーンだ。ふたりは、サンヒョクの勤める放送局の屋上に上って、天空に広がる薄い雲と薄い青空を眺めて語り合う。チュンサンが、ぽつんと言う。〈ぼくは、此の国の冬の終わりが好きだった。寒さがゆるみ、暖かさが一日一日増してくる。春到来を告げるかのように黄沙が舞い込んでくる。そらは春特有のどんよりしたことになるのが多くなってくると、ああ春が来たなあと思うんだ。〉
 これは記憶で書いているから、正確がどうか分からない。テキストに触れて、私なりに把握した場面、せりふだからきっと細部では違っているはず。でも、前述のようなせりふをチュンサンが語り、ふたりでソウルの青空をいつくしんだと、私には記憶として打ち込まれている。

 今年の冬の終わりから春にかけて。いいこともあったが、辛い悪いこともあった。まさに悲喜こもごもである。決して素直に春到来を祝すというような気分にはなかなかなれなかった。いきおい、このブログに書き込むことも減った。

 友人のつれあいが篤い病になった。ファミリーヒストリーにとっても、これから家族の春になろうとする時期に至って、苦難に満ちた人生を体験することになった。当事者の心中を思うと言葉が出てこない。安易に「頑張れ」などとはいえない。十分頑張っているし、頑張ればいい結果が得られるとはかぎらないのだから。きっと、自分の運命を呪いたくなるであろう。その爆発寸前の苦悩を秘め、その人は病魔と闘っている。

 まったく、お門違いの表現かもしれないが、ある歌謡曲の詞の一節を思い出す。
「春にそむいて 散る花びらを 背に受け行こう ひとり旅」たしか、西郷輝彦の初期の歌の中にあったと思う。高校生だった私は、この詩句にずっぽりいかれた。私の感情生活などは、このようにメロドラマと歌謡曲など大衆文化の事象によって形成されてきたと自覚せざるをえない。

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by yamato-y | 2015-02-16 15:59 | Comments(0)

神楽坂下からの電話に寄せて

たとえ死の陰を歩むとも

 新しい年をむかえてから楽しいことが続いていたので、どこか安閑とするところがあった。
中東で後藤ケンジさんが捕捉されて、身代金の要求が報じられた頃から緊迫したものを感じるようになった。ネットで流れたという恐喝の映像は、まるでファンタジーのなかの一場面を思わせるような前時代的なものであったが、同時にただならない狂気を感じたりもした。後藤さんの安全を祈ったが、その甲斐なく無残な結果となった。

 そして、友人にも苦難が降り注ぐことになった。中東の出来事と友人の苦難とは何の関係もないのだが、何か同じ苦しみに思えてならない。わずか半年前には冗談を交わすような日常が友人にはあったはずだが、あっというまに暗転した。話を聞くだに苦しい出来事に友は出会うことになった。なんと慰めていいのか分からない。もし同じ境遇になったら、とても耐えられない。なんとか彼の重荷の一部でも背負ってあげたいが、なす術が見当たらない。

 頑張れとはいえない。頑張ったから報われるというものではないから。むしろ頑張ることによって苦しみは深くなる。では、なんと励ませばいいのか。言葉が出てこない。せいぜい伝えられるのは、ただ祈れとしかない。だが信仰を持たないものは何に祈ればいいのか、その答えを今の私にはないが、やみくもであれとにかく祈れと友に告げたい。

 こういう時、つくづく人間という存在の儚さを思い知る。人は自分で生きることはできない。命は自分で操縦できない。当たり前だが、命は寿命なのだ。私を超えた大いなるはたらきによって私は在る。そして不在も然り。
 と自分の卑小さをつくづく思い知らされる、冬の日。

       冬一輪悲しみだけを吸い上げて

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by yamato-y | 2015-02-03 11:28 | Comments(0)


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