定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
カテゴリ
以前の記事
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月

最新のコメント

<   2014年 01月 ( 10 )   > この月の画像一覧

同窓

同窓

 加賀市に住む友人I君から手紙が届いた。わたしの昨年書いた小論文に対する感想があり、文末に富山の堀田君の死について触れていた。加賀市の友も堀田君も大学時代の仲間で、昭和23年生まれの66歳たちだ。昨年暮れに逝去したらしい。
I君の手紙にこうあった。「同級生がこの世を去る年代になったのだと改めて老いを感じている」。
同感である。

 堀田君は富山出身で大学時代は空手のクラブに所属していて、頑健な体の持ち主だった。どちらかと言えば議論が苦手で、当時始まっていた大学闘争などにはまったく関心をもたなかった。経済的にも質素で、いつも学生服を着ていたことを覚えている。口数が少なくにこにこ笑っていた。初夏、大学からの帰り道、ぼそぼそと景気の悪い話を対話した場面が浮かんで来る。奨学金だけでは足らないからもっとアルバイトを増やさなくてはというような話だったと記憶する。
 昭和45年の3月。卒業式はあったが、私はボイコットした。大学は半封鎖状態が続いており、同窓生ともきちんと別れを告げないまま大学を卒業した。堀田君とも最後にいつ会ったか覚えていない。帰省先の住所も聞いていなかったから音信も途絶え、そのまま40年の月日が流れた。

 高校の社会の教師を長年続けていたと聞く。どんな先生だったのだろう。彼が授業している光景を見てみたかった。ふと啄木の短歌を思い出す。「煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし」今頃、富山は大雪に埋もれているのだろう。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング
 
 
[PR]
by yamato-y | 2014-01-31 07:44 | Comments(0)

学校のヒーロー

学校のヒーロー

本日の東京新聞に明日放送の「課外授業 ようこそ先輩」の紹介記事がカラー写真付で出ている。3段抜きの大きな記事となっている。Eテレの長寿番組でこういう場に登場するのは半年に一度くらいだが、こうして注目されると晴れがましくもありやる気がまた一段と湧いてくる。

1月31日(金) 夜7時25分からEテレで放送される「課外授業」は、アニメソングの第一人者水木一郎さんの授業。題して、「ヒーローソングを作ろう」。

マジンガーZやキャプテン・ハーロックなど、これまで12000にのぼるアニメソングを歌いつづけてきた水木一郎さん。どんな授業をやっていただけるのかと、最初に「教案」を見せていただいたときの驚きは忘れない。授業プランに学校のヒーローを考えるというコンセプトが挙げられていたのだ。生徒のこどもたちにとって母校は6年間慣れ親しんだ愛着のある施設。ここに、もし危害を加える邪悪が襲来したら、どんなヒーローが現れて守ってくれたらいいか、ということを子どもたちに考えてほしいという課題だ。

面白い。学校を守るヒーローというアイディアは秀逸だ。なかなかこういうぶっ飛んだアイディアはない。担当するディレクターは30代。実は、彼が水木さんのファンでもあり、水木さんの特性、経歴を知悉しているところから、当人と話し合ってこの課題を引き出したという。

そして実際の授業が始まると、子どもたちは実にさまざまなヒーローを考え出していく。その詳細はぜひ本番でご覧下さい。

ところでこの「課外授業」のラストシーン。いつも授業を終えた先輩が後輩たちと別れていく場面だが、いつもいろいろな工夫が凝らされていて私も試写でそれを見ることを楽しみにしている。さて、今回はどんなお別れになっているでしょう。この番組のひとつの楽しみ方だ。
やはり母校で授業をするというのは、主人公にとってひとしお感慨の深いものがあるようだ。授業のときは夢中で気がつかないが、別れのときになって、数十年前に通った母校、その仲間たちへの思いと現在の校舎、そして現在の“教え子”たちが重なる。すると胸に熱いものがこみあげてくるのを止めようもなくなってくるそうだ。
アニキ水木一郎さんは、最後にどんな顔を見せてくれるだろうか。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング
 
c0048132_142578.jpg

[PR]
by yamato-y | 2014-01-30 13:54 | Comments(0)

偶感

台本・ヤラセなし

 少し前のことだが、Y新聞に、台本・ヤラセなしという見出しが躍っていた。
CS放送の「リアリティTV」というドキュメンタリー専門チャンネルの番組紹介記事だ。
 深夜放送予定の「闇のマーケット~臓器移植の裏側」という番組を取り上げているのだが、その番組枠がかかげているキャッチフレーズ「台本・ヤラセなし」に引っかかった。
台本なしヤラセなしというのが本物ドキュメンタリーだと言わんばかりの表現。ちょっと待ってくれと言いたい。

 ヤラセをやらないというのは当然のことだ。だが台本がないのがドキュメンタリーの要件というのはお門違いもいいところだ。どんな突撃取材でも必ず現場で起きる(または起こる)事象を予測しないで撮影録音するなどということはありえない。
だから撮影の事前に予定(予定は未定にして往々変更あり、という格言がある)の構成案を立てて現場に臨むのだ。この構成案はあくまで案であって、実際に起きた事象と食い違っていればその現実に合わせて内容を変更しつつ、撮影をすすめるというものだ。

まったくの構成案をもたないまま現場に入って、ディレクターはカメラマンに「まあ、適当に撮ってくれ」などという無責任な取材などはしないものだ。この構成案というものの存在なしで、やみくもに撮影してドキュメンタリー番組ができるものなら見せてほしい。
特に欧米系のドキュメンタリーは事前にかなり入念なリサーチをかけて取材に乗り込むのが制作スタイルだ。それをこの記事の筆者は、「リアルな映像と衝撃の中身には説得力がある。世界中の視聴者を相手にするチャンネルの底力を感じさせられる。」と手放しで賞賛している。どこに台本がなく撮影しているという保証があるのか。まったく与えられた情報を鵜呑みにした記事としか読めない。

世界中の人に誰でも分るという映像は、ぎゃくに周到に撮影構成されているからであって、まったく偶然に突撃的に撮影された映像などというものは、一見しても状況がよく分らないものが多いという実態がまるで分っていない。

そして、この筆者は日本のドキュメンタリーにくらべて欧米は優れているといわんばかり。むろん、日本でも安易なドキュメンタリーもどきの番組を制作している者がいることは否めない。だが、欧米系の作りこまれたスタイルでなく、時間をかけてチャンスを狙い続けて取材している、日本的じっくり型ドキュメンタリーをきちんと認識してもらいたい。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング
 
 
[PR]
by yamato-y | 2014-01-29 16:35 | Comments(0)

大磯冬景色

大磯冬景色


週末に大磯へ戻った。新年に入って続いていた寒さが少し緩んだので、ひとり酒でもゆっくり呑もうと山の家を目指した。2ヶ月ぶりか。大磯の谷風が懐かしい。ツヴァイクの道をダラダラ登る。振り返ると相模湾が鈍色に沈んでいる。冬空の青さに、空を仰いだ。紅葉山の木立が目に入った。
 小枝が小枝を呼び、いくつも美しい三角形の空間を空に刻んでいる。冬の木立がこんなに美しいとは知らなかった。冬の山は眠っていて鈍重なものだと思い込んでいたのが少しうらめしい。

 夜、ひとりで酒を飲みながら読書。久しぶりに小林信彦の『夢の砦』を読むことにしたのだが面白くなってつい夜更かし。気がつくと午前3時になっていた。途中、驟雨が来て屋根をぽつぽつとやさしく叩いたことは覚えている。

 そして今日の日曜。昔の番組資料を整理して、当面必要な資料だけカバンに入れ、家を出た。3時過ぎだというのに空が暮れかかっていた。雨雲でも襲来したのかな。
日曜夕方の東海道線は行楽地から帰る客で混むのだが、やはりまだシーズンオフの冬のせいか、車内にも空席が目立った。
大船で降りて、エキ中の寿司屋で690円の盛り合わせを食す。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング
 
 
[PR]
by yamato-y | 2014-01-26 16:31 | Comments(0)

花の命はことのほか長くて

花の命はことのほか長くて

10年教鞭をとっていると教え子たちもそろそろ社会の中堅に入ってきた。みなそれぞれの現場で活動するようになっている。活躍とあえて言わない。当人は精一杯働きたいと思ってもそうはさせてくれない社会の仕組みがあるようだ。30を過ぎると、女子にはその阻害構造が特に大きく立ちはだかるような状況が多々起こってくる。政府は女子の社会参加30%を目標にと掛け声をあげるが、現実はとてもそこまでは届かず厳しいものが横たわっている。

 昨夜、二人の教え子から自己実現を目指せない苦しみを聞いた。ちょうど夕方であったから一人は子供を保育所に迎えに行く途中で電車に乗っていた。もう一人は原稿締切時刻がせまって忙しく働いているときであった。二人とも時間に追われ忙しくしながら、それでも今の仕事が畢生のものであるといえるかどうか悩んでいた。

男並みに働いた一人は体調を崩して職場を移ったという。男の体の変わり目より女子は少し早めに更年期が来るようだ。その年時はちょうど仕事が佳境に入る頃と重なり、企業は戦力化できないことを嫌がる。むろんアカラサマでない。生-権力が行使される。いきおいその人生は副線路に転轍されることにもなる。
子供をもって共働きの状態になると母性保護ということで、こちらも副線路に追いやられてしまう。いずれも真綿でくるんだような「悪意」がじりじりと個人としての女子に迫って来る。
以上のようなことを、私は迂闊にも昨日初めて知った。

家庭ということは家人にまかせて、番組を制作することのみを邁進しつづけてきた自分の人生を振り返ると、私のような生き方こそさきほどのような悪意のシステムを構築し維持してきた元凶そのものであったことを知り愕然となる。

 娘を思った。彼女もまもなくそういう葛藤の時期に入っていくのかと思えば、けっしてその自己不実現という現実は他人事ではない。表現という場を一生持ち続けたいと願いながら、そのことを阻むものが、今そこにあるという重い現実。

なんてことだ。女性学の書籍をいくつも読みながら、こんな本質的にしてプリミティブな葛藤に少しも気づいていなかった自分の迂闊さ。

ヒトの平均寿命が90歳にまで届こうというご時勢。けっして女子とても副線路に安住して微笑んでいればいいという時間の長さでない。花の命はことのほか長い。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング
 
 
[PR]
by yamato-y | 2014-01-21 08:53 | Comments(1)

アニソン

アニソン

 世界的なアニメソングブームだそうだ。
1月31日放送の「課外授業・ようこそ先輩」のゲストはアニソン界の帝王水木一郎さん。
これまでに1200曲以上のアニメソングを歌ってきたという。その情熱的な歌い方、生き方からファンたちは彼をアニキと呼んで慕う。

水木さんの年齢66歳。私と同学年だ。この世代つまり団塊ジェネレーションは熱いというのが定評だがご他聞にもれず水木さんの授業も熱かった。舞台となった母校は世田谷区立松原小学校。

今回の授業では、学校を守るヒーロー、ヒロインを考えて、その主題歌を作ろうというもの。どんなヒーローが子どもたちから飛び出て来るかは、番組を見てのお楽しみにしてもらって、ここではその「授業」のなかで心に残ったことをちょっと記しておきたい。
アニソンの心を水木さんが熱く語るシーンだ。
歌作りする子どもたちが、言葉が見つからなくて右往左往しているとき、水木さんがばしっと言い放つ言葉が素敵なのだ。
「一番大切なのは君たちが何を伝えたいのかだ。伝えたい思いが伝わらないとつまらない」

だからアニソンは日本語で歌われた歌のまま、世界中で歌い継がれていると水木さんは、自分の海外公演などを通して経験的に知っていたのだ。
それにしても水木さんの「アイテム」は赤いマフラー、そして掛け声「ゼットおおおお」

本日、林原めぐみさんのナレーションを収録。一本の番組に仕上がった。2014年の第1回作品とあいなった。



来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング
 
 
[PR]
by yamato-y | 2014-01-20 17:02 | Comments(1)

寒風に立つ(東京はこの冬一番の寒さ)

寒風に立つ(東京はこの冬一番の寒さ)

 66歳になった。まさかこの歳まで現役で番組を制作できるとは思ってもみなかった。思い起こせば、1992年に広島局にいっしょに転勤した副部長のタマキさんがわずか半年で胃癌と判明し、3月も経たないうちに死没したことは私の死生観に大きな影響を与えた。ガタイが立派でちょっとやそっとでは倒れまいと思われたタマキさんが、わずか一月で見る見る衰弱しかつ人生に見切りをつけた姿は今も眼裏に焼き付いている。浪人をしたタマキさんは私より入局が2年ほど後だったが年齢は同じだった。だから亡くなったときのタマキさん、そして当時の私は44歳だった。

 それから3年間。広島でバリバリ仕事をし、飲み歩いた。人生でもっとも活動的な時代であった。刹那的なものではなく、タマキさんの死を見取って人の世の呆気なさを知り、動けるときにはできるだけ動いておこうという信念のもと、ガムシャラに疾走したのだ。それがたたってか広島から東京へもどった1995年の6月、突然脳内出血を発症。最高血圧263という看護士の声をおぼろに聞きながら私は明日の仕事の段取りを考えていた。(後からそのときの私の様子を家人に聞くと、血の気を失い朦朧としていたそうだ)。このとき明らかに私は死の谷の影を歩んでいた。

 職場復帰してから15年間。多少の不調はあったものの、一応つつがなく生き抜いてこられた。
 しかし2010年の夏に母が倒れた。東京に迎えて半年ほど闘病の末、その歳の暮れに母が肺がんで死んだ。その2日後に胃癌であることを告げられた。62歳になっていた私はこの辺が寿命かなと覚悟した。ところが、早期発見という幸運にも恵まれ、かなり早く現場に復帰することができた。その2011年の早春、私は上野の画廊で取材しているとき、これまで体験したことのない大きな大地の揺れを感じた。それはすぐに収まらず、(主観的にはおよそ15分ほどの)鈍い振動が続いた。東京が終わる、私も終わるという恐怖をいだいた。・・・あの未曾有の大震災は被災地だけでなく東日本の各地に深い爪痕を残す。それは今も続いている。

 このようにして、私は幸運にも生きている。生き延びて、本日66回目の誕生日をむかえた。

追加

なぜこんなことを書いたかというと、COCO壱番屋でカレーを食べたからだ。この店の本社は愛知県尾張一宮にある。タマキさんの実家は、その町の由緒ある古刹で、そのお寺で盛大な葬儀があったことを、カレーを口にしたときまざまざと甦ったのだ。


来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング
 
 
[PR]
by yamato-y | 2014-01-19 20:34 | Comments(1)

寒太郎

寒太郎

今年の寒太郎は例年以上の厳しいものらしい。大陸から日本海、裏日本に大きく張り出してきた。山川啓介作詞福田和禾子作曲「北風小僧の寒太郎」どおり、今年も町までやってきたのだ。明日はひょっとすると雪になるかもしれないという予報が出ている。

今週金曜日の「課外授業」は横浜ベイスターズ、浜の番長こと三浦大輔投手。これが実にさわやかな作品に仕上がってきた。とにかく三浦さんのアニキ分的キャラがしっかり滲みでているのだ。詳しいことは本番をご覧いただきたいが、とにかく母校の講堂でユニフォームを身につけた三浦さんが一球に懸ける集中力を熱く語り実践するのだ。彼が、ベイスターズ一筋でやってきた誠実さ忍耐力の秘密を見つけたような気がする課外授業の一本。
そして、31日の「課外授業」もアニソン界のアニキが世田谷の母校で熱い授業を遂行する。水木一郎さんだ。今や世界の歌になりつつあるアニソンの名歌手。なんと、母校松原小学校を守るヒーローをみんなで考えて、その賛歌を作ろうという大胆な授業が展開する。これもぜひ本番をお楽しみにしていただきたい。

 ということで、連休も試写に追われて休息という気分はまったくない。多忙ゆえか風邪をひいたり肩痛、腰痛を発症したりする余裕などない。2013年度の業務も終わりに近づいたと思ったら、さっそく来年度2014年の企画計画を策定しなくてはならない。ちょっと新しい人材を発掘したいと考えている。

 福田和禾子さんに今注目している。7年前急死した彼女は子ども歌の世界では有名であったが、彼女の父上は戦前の日本歌謡界をリードした松平晃。ちょうど日本がアジア太平洋戦争に突入していく時期に華々しい活躍を遂げた伝説的人物だ。この人の波乱に富む人生を通して日本および日本人が忘れてきたものを再発見できないかと、想をめぐらしている。ということもあって、土日は中田整一『盗聴 2・26事件』を精読。2・26事件を戒厳令司令部が盗聴していた事実を追ったドキュメントだが、ここで使用される円盤レコードの存在が、松平晃の活躍するSPレコード時代と呼応すると、今仮説を立てている。果たして、この仮説は有効か、これから東京、上海、佐賀の情報をひとつずつ調査していこうと考えている。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング
 
 
[PR]
by yamato-y | 2014-01-14 13:11 | Comments(1)

比治山の雨に別れて以来なり

比治山の雨に別れて以来なり

 広島時代の戦友が1月4日に亡くなった。訃報を聞いたのは昨夜のことである。
 48歳という若さで彼女は昇天した。この10年、その人はずっとアトピーから来る舌癌、食道癌と闘ってきた。病に次ぐ病の日々が続いていた。ある意味でやっと彼女のもとに休息が訪れたと言えるのかもしれない。

 広島へ赴任した1992年の秋、喜多素子さんと出会った。ボーイッシュなしなやかな体つきが印象に残った。特技はダンスと履歴書に記されていた。番組制作の補助スタッフとして私のチームに参加してもらうことにした。20人ほどいたディレクターたちの庶務的な役回りを担当してもらった。本職は創作ダンスの指導者であったが、それだけでは広島では食えないので放送局でアルバイトをすることになったと後から聞いた。

 喜多さんの何事にも動じない泰然とした性格は誰からも信頼された。事務的手続きや備品管理などは言われた以上の仕事をこなし、小ウルサいディレクターたちからも一目置かれた。やがて、彼女のなかに表現する高い能力があることに気づいた。私は広島局専用の編集ウーマンを、彼女を通して育成したいと考えた。彼女に映像を編集する技法を少しずつ教える。頭のいい彼女はすぐに覚えた。
案の定、彼女は3ヶ月も経たないうちに才能を発揮しはじめた。15分のローカル番組などを次々に作り始め、ついには45分の中国管内放送の作品も手がけるようになった。3日や4日の徹夜などはへっちゃらというタフな女性編集パーソンになっていった。英語が堪能であったので、海外との共同制作の作品も彼女に任せた。イギリスのBBCと組んで作った「ガイガースィート/ガイガーサワー」もその一つである。広島発の番組巻末のロールテロップに彼女の名前が出ることも少なくないようになった。育成方針が間違っていなかったことに私は内心得意であった。

 ある日のことだ。喜多さんは思い詰めた顔で相談に来た。やはり編集パーソンは荷が重いからやめさせてほしいというのだ。驚いた。補助スタッフと格段に違う収入も保証されるようになったというのにその既得権をあっさり放棄する彼女の恬淡とした生き方に度肝を抜かれた。彼女はダンスの道をもっと極めたいと考えていたのだ。再び補助スタッフとしてディレクターたちをサポートする側に回り、その傍ら創作ダンスの指導者としての道をゆっくり歩むようになった。

 1995年に私は東京へ戻ったあとも、喜多さんは広島局でしばらく働いていた。
 21世紀になった頃、体調が思わしくないということで自宅に帰って療養するようになったという噂を聞いた。やがて舌癌を発症し、千葉の放射線治療の専門病院に入院した。治療を半年ほど受けたあと、広島へ帰ることになった。その際、銀座で食事でもしようよと誘ったところ応じてくれて、資生堂のパーラーで1時間ほど歓談した。長期の放射線治療をうけたせいか、彼女の顔色がドス黒く変色しているのが気になった。それでもそのときはまだ快活な笑みを見せてはいたのだが。

 2年前、広島美術館へ取材交渉に行ったとき、その建物のある比治山公園で待ち合わせをして会ったことがある。その日は夏の始めの夕立が降った。傘を持たない私はずぶ濡れになっていた。ぬれねずみの私を見て喜多さんはにやに笑っていた。相変わらずのせっかちで慌て者だとでも思ったのだろう。食道に異物が出来て不自由だと言いながら、食品メーカーが主催するパンケーキのコンクールで入賞したことを嬉しそうに報告してくれた。元気そうで安心した。
 あれから会っていない。年末に気になって電話をしたところ、声がほとんど出ない状態にあることを知った。舌ガンと食道ガンに挟撃されていた。ただならぬ様子に、私は別途母上に連絡をとり様子を聞いた。緩和治療を受けることになったと母君は答えた。死期が迫っていることを、私は知った。

そして、昨夜の訃報となった。

 本日、広島で喜多素子さんの葬儀が行われる。心より冥福を祈る。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2014-01-07 09:19 | Comments(0)

いい日和で

いい日和で

初仕事の前に、年金事務所に行って住所変更を申し出た。仕事始めの事務所は閑散としていて相談者も少ない。30分足らずで順番が回って来て、親切な(年金事件以来)所員は年金台帳の変更をてきぱきと処理。年の初めから爽やかな気分。縁起がいいや。

会社に出てみりゃ、人影まばら。阿佐ヶ谷あたりで大酒飲んだ、という井伏鱒二の心境。そこへ懇意のプロデューサー、ディレクターが年末に作成した「課外授業」のデータを持参して
現れる。さっそく喫茶店にふけて、近況を互いに語り合う。年末の「アマちゃん特集」「紅白のアマちゃん」は出色の出来であったと感心することしきり。

 年が改まったといっても、10日前と何も変わらない日常。冬晴れの東京は穏やかではあるが、このまますんなりと政局も国際情勢も経済もいくまい。先を思うと武者震いがするが、逃げる姿勢を見せれば運命はさらに意地悪をしそう。いっそ、我に艱難辛苦を与えたまえと山中鹿之助になってみせようか。

賀状のなかに、水戸のおひいさまからのものがあった。老舗の令嬢であったが、公共放送の職員として昭和45年から10数年間働いた人物だ。同期のなかではその優雅なものごしからおひいさまとあだ名されていた。20年前に結婚出産にあわせて退職したが、同期の仲間ということで細々と交流を重ねている。その人のはがきにこう書いてあった。
「お店も今年で290周年をむかえました。私もあと10年はがんばろうと思います。」
えっ。あと十年現役で働くというのか。

どうやって店じまいするかということを日夜腐心する我らのなかにあって、まだまだ終わらせることなど先のことと考えている人がこんな身近にいるんだ。驚くというよりたまげた。最近わざと老人めく言動を振り撒いてきた私に、がツーんと鉄槌が下った感じ。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれません
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2014-01-06 16:15 | Comments(1)


その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧