定年再出発  


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by yamato-y
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2013年12月31日

大晦日 大つごもり

 2013年、65歳の年も今日で終わり。東京目黒には冬のやわらかい光が降り注いでいる。昨日から今朝にかけて大急ぎで年賀状120枚を書き上げ、近所の郵便局に行った。元旦には間に合わないが、2日か3日には届くと思う。ここ数年、正月に入ってから賀状をやおら書くという「怠惰」なすすみゆきであったのだが、今年は久しぶりにリキを入れて賀状書きを行った。
 というのは、終の住処と考えていた大磯を離れ都心に本拠地を置く決意を固めたのだ。そのことを知人友人に知らせようと思って、賀状に新住所を書き込み配ることにした。

 昨夜、映画「タカダワタル的」を見ていささか心が揺れた。同世代なのにまったく人生に対して悟りきっていることに驚くより呆れた。どうして60そこそこでこんなに達観できるのだろうと不思議に思う。だが高田の短い人生を今になって知ると、彼は早々と人生の急所を掴むことになったのかもしれない。このところ団塊の世代の訃音を聴くことが多い。今朝も大滝詠一が死去したことをネットニュースが報じている。

 死を悲しいとばかりに考えることでもない。敬愛するこの人の「孤独死」はけっして悲しむべきことでないと思う。桜井センリさんだ。クレイジーキャッツのメンバーで、先年植木等のドキュメンタリーで一度だけ音楽録音でお会いしただけだが、その知性にあふれた人柄には魅了された。少し耳が遠くなったということで、公職から退かれて一人暮らしをしているとうかがったが、謙虚な応接と誇り高い人柄は深く心に残った。
 ニュースの見出しは「孤独死」とあって、いかにも哀れのような表現だが、そんなことはない。83歳の最後まで一人で毅然と生きて最後も誰かに「介護」されるような不自由な境涯を脱して、生き抜かれたのだ。その死を名誉あるものと讃えたい。

 「くんれん」という面白い番組を見た。新幹線の緊急訓練の様子を中継スタイルで描いた情報バラエティだ。久しぶりに新しいスタイルの可能性を秘めた番組だと少し興奮した。番組の最後のスタッフロールを見ると、広島時代の教え子の名前が統括として出ていた。顔がほころんでくる。
 ここ数年、新機軸を求めて試作を繰り返してきた彼の努力は、この番組ですこし報われてきたような気がする。そろそろ彼の時代が来てもいいはずだ。その彼とは、津田投手のドキュメント「もう一度投げたかった」をともに作った。戦友である。

 その「もう一度投げたかった」が本日ローカルで久しぶりに放送されたと聞いた。当事者である彼や私には何の連絡もないのだが、広島地方だけで再放送されたらしい。その理由を聞いて笑った。
 これまで広島地域で流れた番組のなかでもっとも人気の高かったものは何かとアンケートをとったところ、この作品が見事1位に選ばれたから年末の特別放送として再放送されたというのだ。そいつあ嬉しいことだと喜ぶが、一方制作担当者への連絡を怠らないようにしてほしいという不満もちょっぴり残った。作品は制作者にとって「我が子」のように可愛く大切なものなのだから。

 2013年の日本は「快晴」というわけにはいかないが、日本経済もそこそこ「晴れ」の気配になってきたかと楽観していたら、年末に来て国際的に懸念されるような事態が出来した。加えて31日の朝も震度5の地震が北関東を襲っている。来る2014年も予断を許さない厳しい試練が待っているのだろうか。

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by yamato-y | 2013-12-31 13:24 | Comments(1)

冬至の日

冬至の夜に

 今夜は冷えている。マンション4階は暖房要らずで快適なのだが、今夜はそういうわけにいかない。しんしんと冷え込んでいる。
12月22日、冬至にして母の命日。神妙にこの日を受け止めていたいと思うが。

 昨日の土曜日、目黒碑文谷の福田さんの家を訪ねた。7年前に急死した作曲家福田和禾子さんのお宅だ。
私は30年前に、学校放送音楽番組の「ワンツーどん」からテレビ番組に関わることになった。そのときの音楽監督が福田さんだった。後にNHK「みんなの歌」で、「北風小僧の寒太郎」で大ヒットを福田さんは飛ばすことになるのだが。
姉御肌のさばさばした出来る女性だったが、とにかくメカの好きな人で、とりわけ車には目がなく、いつも最新のスポーツカーを駆って放送センターにさっそうと現れたものだ。タフで徹夜が続いても弱音など吐かない人だったが、ある夜あっという間に急死した。7年前のことだ。

 亡くなる直前に西口玄関で会ったときのことだ。「福田さん。そろそろお父さんの遺品などを見せてください」と私は福田さんに呼びかけたことがある。福田さんの父上は、戦前から戦後にかけて流行歌手として、一世を風靡した松平晃氏である。「サーカスの唄」「花言葉の歌」など名曲を持ち歌としていた。この人は東京芸大出身のインテリ歌手だったこともあって、蓄音機、映写機、録音機材など最新のメディア機器にめっぽう強く、自ら機器を駆使してさまざまなものを記録していたという噂を、私はものの本を通して知っていた。だから、長女である福田さんに父上の遺品を見せてほしいとリクエストしたのだ。

 シャイな福田さんは父上の華やかな経歴などに言及することはほとんどなく、私の要望になかなか応えてくれなかったが、その急死した年の出会いのときは、「いいわよ。そのうち父のコレクションを一同に集めておくから」と嬉しい答えをくれたものだ。松平晃の伝説を若干勉強して、その多彩な人生に関心をもっていた私としては、遺品、記録に遭遇できると知っておおいに喜んだ。

 ところが、それから数日も経たないうちに福田さんは急死した。その見せていただける予定であった亡父の遺品のことなどを相談する人もなく、この話は立ち消えになった。この件について、私は諦めていた。

 1週間ほど前のことである。「ワンツーどん」の先輩ディレクターであったYさんから、福田和禾子さんのコレクションについて相談を受けた。福田さんが残した品物のなかに、戦前の松平晃が残した記録が多数あるのだが、その処分をどうしたらいいかと福田さんの長男匠さんからYさんに相談があったというのだ。
 驚いた。7年前に私が提出したリクエストに福田さんはちゃんと応えて、品物を揃えておいてくれたのだ。
これは検分しないわけにはいかない。すぐに調査をしたいという旨を、匠さん側に伝え、昨夜の4時間におよぶ調査となったのだ。

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by yamato-y | 2013-12-22 20:16 | Comments(1)

払暁

おふくろ

明け方、母の夢を見て目覚めた。遠くでカラスが一声鳴いた。
母の命日かと思って暦を見たら、2日後にやって来るのを知った。3年前の12月22日払暁、母は死んだ。寒い朝だった。駆けつけた病院の霊安室で、担当の医師のお悔みをしらじらしく聞きながら、遺体を東京から敦賀までどうやって運ぶか思案していたことを思い出す。

今朝、夢で見た姿は30代の若い母だった。次弟が小学1年生だったから私は4年生の頃であろう。学校から帰ると、真っ先に「腹へった。何かない」と母に尋ねる。たいてい何もないが、たまに母が「そこにあるやろう」と声が返ってくることがあった。水屋の引き戸を開けるとふかしたサツマイモがあって、それを見つけたときは本当に嬉しかった。昭和34年、貧しいおやつだった。我が家だけが貧しいわけでなく日本中が貧しくひもじかった時代のことだ。甘いものなどクリスマス、正月、お祭り、遠足の時しか与えてもらえず、間食は寒餅、干し柿、昆布の切れ端などであったから虫歯など一本もなかった。

晩年の母を思った。敦賀の家で母が一人暮らしを始めて10年ほど経った頃、ひょんなことから月に一度京都の大学で教えることが始まり、その帰りには湖西線をたどって敦賀に戻った。滋賀の大津に母の実家があった。私もそこで生まれた。琵琶湖と比良の山並みの動静を土産に、母の待つ敦賀へしげしげと帰るようになったのは1998年の春からだ。
土曜日の夕暮れ、家の戸を開けると、いつもにしんなすびのおばんざいの臭いが漂った。料理が苦手な母の唯一の得意レシピで私の好物だった。食卓には敦賀の近海で取れたキスやいか、ヒラメなど白身魚の刺身が並べられた。炊き立てのあつあつご飯とみょうがの味噌汁。そして、高血圧症である私にはタブーであるはずの塩分たっぷりのへしこ。冬は卵がいっぱいつまったせいこ蟹がテーブルの真ん中にあった。

10年通ったがいつも同じ田舎料理。私には何よりのご馳走だった。母と向かい合って食事をとった。母は私の仕事や家族のことをあれこれ聞いたが、私は「ああ」とか「うう」とかしか言わずろくに返事もしなかった。今思えば、なぜあのときもっと身を入れて母の話に耳を傾けてやらなかっただろう。

母は少女時代にキリスト教の信仰を得た。京都五条坂の教会で洗礼を受けた。やがて結婚して父も信仰をもつようになり、一家5人は教会へ通うようになった。雪の積もったクリスマスは我が家のもっとも晴れがましい夜だった。
母が2010年晩夏に倒れたとき、母の歌集を急いで作ったことがある。そこに載せたクリスマスの短歌。
幼き吾子三人を連れて雪道をクリスマス礼拝へと行きし遠き日

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by yamato-y | 2013-12-20 08:32 | Comments(0)

1週間

1週間

 アグレッシブな1週間だった。
10日、月曜日に福島へ向かった。午前11時に、駅前で京都のS先生、神戸のY講師と合流。レンタカーを駆って、浜通相馬、南相馬におよそ1時間かけて出た。そこで見た被災地、仮設住宅はちらつく雪のなかで沈んでいた。通行制限は思った以上に解除されていて、われわれは浪江町のフクイチから15キロの地点まで進入することができた。
浪江の無人地帯(ノーマンズランド)は奇妙な風景が広がっていた。外見は現代日本のどこにでもある地方の風景だが、何も動かない。動くものがない。スチル写真のような遅滞感が風景から滲み出ている。田んぼには廃棄物が、処理の手順も決まらないまま積み上げられている。道路のすぐそばの畑には大破したままの貨物トラックが横転したまま。冬の荒天がさらに寒々しい風景を演出している。まさに、タルコフスキーの「ゾーン」だ。
その夜、二本松近郊の岳温泉に一泊。

11日。吾妻連峰を山越えして猪苗代へ。途中、アイスバーンに車輪をとられ危うく蛇行。運転していたY講師は初めての体験にえらくショックを受けていた。
風は冷たいが、湖面が穏やかな猪苗代湖を左に見て、車は会津若松に向かう。
この地では、大河ドラマ「八重の桜」の影響や風評被害などの痕跡を調査した。
ここでY講師は所用のため、神戸へ帰っていく。
その夜、会津近郊の芦の牧温泉の観光ホテルに一泊。源泉かけ流しに惹かれて4回も湯船に入る。

12日、夕刻、帰京。
13日、大橋病院、定期1ヶ月検診。

14日、土曜日。午後6時より中野ゼロホールにて、バレエ「くるみ割り人形」観劇。初めて見るバレエはクリスマスムードたっぷり。見終わって帰路につく。木枯らしが吹いていたが、心穏やかな星月夜。

15日、日曜日。めじろ遊俳クラブの12月句会の日だが、出席不能。午後5時から恵比寿ガーデンホールにて、現代の歌姫と呼び声高い「畠山美由紀」のコンサートを見る。畠山さんは気仙沼の出身。歌のうまさに驚く。

そして、新しい1週間が始まった。今週は三浦投手の「課外授業」の編集試写作業が1日置きに入っている。

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by yamato-y | 2013-12-16 14:49 | Comments(0)

いっぱしの口をきく

B B

今朝、定期検診を受けたところすこぶる順調だと医師から太鼓判を押してもらった。
病院の廊下に設置されている血圧計に腕を差し込むと、124-76。これまた安定値、というか理想的な値だ。思わず気持ちが弾んでくる。10時半、オフィスにもどった。

 朝食抜きで受診したせいか、正午になるとひもじい。久しぶりに寿司でも食べるか。道玄坂、TOHOシネマの地下に寿司清があることを思い出した。手ごろな値段でネタが新鮮な店だ。チェーン店だが中高年の客が多い中級の店。会社から徒歩で15分はかかるが美味しいものを食べるに労は厭っては駄目だ。
寒風吹きすさぶなかどしどし歩いて、年末の東急本店どおりを抜け坂下交差点にたどりついた。連れはなく私ひとりで寿司清の暖簾をくぐった。ランチタイムということでカウンターも椅子席も満員。カウンターに立つ5人の従業員もてんてこ舞い。熱気がすごい。

1050円のランチ握りを所望。カウンターの真ん中あたりを案内され座った。担当の職人は店長だ。ラッキー。そばに新人が見習いとしてついている。客は私の隣に五十代過ぎの金のローレックスをはめた中年紳士。その隣が60後半の熟女。ずんぐりとした中年体型だがジーンズをはいている。仕事をしているようには見えない。さりとて専業主婦のご身分でもなさそうだ。店長はこの3人の注文をうかがいながら、それとなく店全体の動きを把握している。おひつのご飯が切れそうになると奥に向かって、追加注文を出したり、新しく入ってくる客の席を指定したりと忙しい。

出だしにマグロの赤身と白身魚のにぎりが1貫ずつ出た。マグロをつまむと口のなかでシャリのうまみがあまく溶け出す。1050円の寿司セットといって、この店は侮れない。ネタが新鮮で上物を使用していると定評がある。ここまでは上機嫌であった。

 セットの半ばになった頃、隣の隣のおばはんの声が大きくなった。どうやらカウンターを挟んで立っている新人に口をきいているようだ。「あんたも、横顔がようやく一丁前になってきたね」。褒めそやすのは聞いていてもここちよい。
 だが、次第に舌鋒鋭くなってきた。客が帰っていくとき、新人は包丁の手をとめて、「ありがとうございました」と挨拶した。おばはんはすぐに注意する。「あんた、手を動かしながら顔だけ上げて挨拶が出来なきゃ一人前といえないわよ」
言われた新人は何と返事していいか分からずニコニコ笑っている。だが気まずい雰囲気があたりに広がった。店長は新人の馴れない受け応えが気になっているのだが、店全体に心を配っていなくてはならないから、おばはんに対応できない。
おばはん、だんだん調子に乗って、魚のネタの品定めまで始めた。耳障りで仕方がない。さっきまで美味しかった鮨がだんだん味を失ってくる。不愉快になってきた。

昔(といっても20年ほど前)、こんなオヤジがカウンターの端にいた。ごたくをえらそうに並べるのだ。店もお得意とあって無碍にもできず、にやにや拝聴する。なんて光景があった。
今は社会進出をはたした女性のなかから能書きを垂れるおばはんが登場するようになったのだ。今朝の新聞でNTTは女性管理職をこれまで以上に増やすと前向きの記事が出ていたが、一方で悪しきオヤジのスタイルを真似る後ろ向きの現象も、これからは増えていくのだろうなあとひとりごちた。

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by yamato-y | 2013-12-13 15:06 | Comments(0)

日米開戦の日

情報戦

昨日12月8日は、パールハーバー奇襲の日、日米が開戦した日である。NHKスペシャルもそれにちなんだ番組を編成した。「日米開戦への道」。
あの戦争が終わって68年。英米では当時の機密文書のいくつかが公開となり、そのなかから今回の番組のヒントやさらに物証まで発掘して、開戦記念番組のとして体裁を整えたようだ。

本来、アメリカから輸入する石油に頼っていた日本が、なぜ和平を捨ててアメリカとの戦争に突入したかということを情報戦から見ていくという趣旨。加藤陽子の名著「それでも日本人は『戦争』を選んだ」の趣旨とよく似ている。番組が始まって34分ほど、当時の国際情勢の説明で時間が割かれ物語がなかなか進行しない。番組のもつ展開力が弱い。おそらく戦無世代が増えたので基礎知識を注入し説明することが優先されているのだろう。歴史の勉強、教養の確認。近年のNスペの特徴だ。
 90年代のNスペはもっと勢いがありかつ取材も編集も荒かった。いささか緻密さには欠けたが、見る者の心を掴むスピリットがあった。それに比して、当節のNスペはカットレベルのつなぎは精確だが大きな流れにおいて、迫力を感じない。

おそらくこの企画は、今喧々囂々と取り沙汰されている「秘密情報保護法案」を意識して立てられたものだろう。そこに時代的、今日的意味を見出して作っているのだろう。かつて軍事機密情報というものはこういうふうに扱われ、その後封印されて保護されることになるが、けっして永遠の措置ではない。ある一定の時期を経れば解禁されなくてはならないという欧米の民主主義国のマナー。機密情報を保護する法律を作るというのなら、為政者はこういうマナーをわきまえているべきであるし、国民はまたそのことを要求するべきではないか。そういう作者の「声」がかすかに聞こえてくる。

もっとも大きな不満。研究者のインタビューがあまりに作者の文脈に合わせたものばかりで短い。短すぎる。もっとその文脈から外れたことまで含めて広く研究者の声を響かせるべきであったのではないだろうか。


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by yamato-y | 2013-12-09 14:21 | Comments(0)

山茶花よ

山茶花よ

昨夜、広島の知人に連絡をとったところ、予想もしなかったつぶれた声が返ってきた。日ごろのハスキーなアルトとは到底異なるだみ声にたまげた。どうしたのかと訊ねると、以前患った舌癌に加えて食道癌も発生し、その抗がん剤の副作用で声が出なくなったと「しどろもどろ」で答えた。胸を衝かれた。

その人は40代。30代の若さで発症し十年以上癌と闘ってきた。これでもかと次々にがん細胞が発生してくる。加えて、今回は痛みが烈しいと、母上から聞かされた。放射線治療の被曝線量が規定値をとおに越えてしまい、その少ない照射ですら、当人の体に大きな負担と痛みを与えているらしい。絶望のなかにあって、それでも必死に病と戦うその人に頭が下がる。なんとかご加護をと祈らずにいられない。

 その情報をケータイで聞き取ったあと、家に向かった。
家の前に店を閉めた洋服屋(テーラー)があって、その空っぽのウィンドウの前に大きな山茶花が立っている。今盛りの白い花をつけていた。
夜目にもその可憐な花びらは美しい。寄っていって思わずその花びらをつまんだ。
すると花ごとぼそりと抜けた。もろい。
さらに、花弁に触れると、ばらばらとほどけて落ちた。

遠めで見たときは、寒風のなかでけなげに白い花を咲かせて頑張っているように見えたが、実はもう死に態だったのだ。いや死んでいたかもしれない。いたたまれないものを感じた。

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by yamato-y | 2013-12-05 15:08 | Comments(0)

銀杏の日々

銀杏の日々

 大磯のふれあい会館の傍に、東海道線の下を抜ける大きなトンネルがある。山側に出た坂道に大銀杏があって、毎年おびただしい落葉をまき散らす。今年も銀杏は美しい黄色の権化となって最後の時期をむかえていた。12月に入っても銀杏の葉の3分の2は残っている。

 目黒の元公証役場のあった駐車場の隣にさざんかが白い美しい花をつけた。寒風のなか涼しげに花をなびかせている姿は清々しい。今年2013年も暮れようとしている。5日は忘年会を兼ねた同期会が開かれる。1970年に入社した仲間たちだが、もう大半は現役を退いているからめったに顔を合わせることもない。みんなどういう老いの日々を送っているのだろう。今度会ったら聞いてみたい。といっても会合に出て来るのは7、8人ぐらいで、残りのメンバーはここ十年ほど顔を見たことがない。

OBの組織で旧友会というのがあって、会員には毎年暮れになると会員の住所録が届く。今年も届いた。巻末に今年1年の間に物故した人の名簿がある。毎年、この住所録が届くと一番先に目を注ぐのはこの欄。今年も知り合いが4人ほど亡くなっていた。大阪の村岡さん、東京の生涯学習部の部長で上司だった岩下さん、BCCの庶務にいた中川さん、学校放送の石原さん。全員七十代で命終をむかえていた。去年の物故者名簿には大阪時代の先輩で大切な澤田さんの名前があった。長く患っていたから覚悟していたとはいえ67歳の死は早いと思ったことが忘れられない。

 思えば、大阪をかわきりに東京、長崎、東京、広島、そして東京と全国を転勤して40年。各地でさまざまな人と出会い、お世話になった。交わしていた年賀状も年々少なくなり、今では百枚ほどになった。この葉書がある日パーッと風に舞って華やかに散っていく銀杏の葉と重なる。それぞれの人の消息が次第に消えていくよりも、消息をもたらさせる主体がいっそ消えたほうが美しい。 

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by yamato-y | 2013-12-03 07:55 | Comments(0)

穀物のない水車のように

穀物のない水車のように

 久しぶりに映画を堪能した。2006年のドイツ映画「善き人のためのソナタ」。前に、少しだけエピローグを見ていて、結末は知っていたが、全編通してみるのは今回が初めてとなった。

1984年の東ベルリンが舞台。悪名高い秘密警察(シュタージ)の一員ヴィースラーが主人公である。彼は、反体制の疑いのある劇作家ドライマンと愛人の舞台女優クリスタを監視するよう命じられた。ドライマンのアパートに密かに侵入して、盗聴装置をつけ、さらにはその屋上のアジトで監視する体勢をとる。ドライマンは自由を奪った東ドイツの社会主義体制を憎んでいてもけっして口にすることなく、そこそこの社会的成功は得た劇作家。愛人のクリスタは女優として名声を博してはいるものの薬物を使用し、かつ権力者から言い寄られて拒否することもできず不安定な境遇にある。この二人の一部始終をヴィースラーは隠しマイクを通して知っていく。
 ドライマンの友人に反体制であるとして10年以上仕事をほされた演出家がいる。かつてはブレヒトも活躍した東ドイツの演劇シーンで高名をはせたが、政府の逆鱗に触れた芝居を演出したことから、長く舞台から遠ざけられて逼塞するという人物だ。ドライマン以外の友をもつこともせず、置かれた境遇を嘆くしかない演出家。あるとき、彼はその無用の人生を穀物のない水車のようなものだと例える。

 自分の身の置き所がどこにもない。それはまるで挽くべき小麦やその他の穀物をもてない水車のようなもので、ただ意味もなく水流にのって水車を回すしかない「無用の人生」。演出家はそう断じたのである。
 映画を見ながら、深いところから密かなささやきを聴く思いがした。仕事もだんだん減っていくおまえのこれからの人生。それもまた穀物のない水車と等しいのではないか、と。

 週末、大磯の家でひとり居て、過去の品々を整理した。亡き母が私のためにとっておいてくれた小学校時代の通信簿や作文を目にして、母の思いの一端を知ったような気がした。そのまま隣の棚には息子の作文や赤ん坊時代のガラガラがある。家人が子供の思い出の品として保存したのであろう。冷えきった山の家で、私はすっかりセンチになった。

 12月1日。33年前に息子が誕生した日である。あの日の朝、陣痛が始まってからの夫婦の慌てぶりは今も忘れない。ドタバタと聖マリアンナ病院に駆けつけてから、出生まで。さまざまなことが甦る。

 ひとつの命の誕生と水車の例えのような人生。なにか深淵を覗くようなイリュージョンが、やつぎばやに眼裏にフラッシュする。

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by yamato-y | 2013-12-02 06:38 | Comments(0)


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