定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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人生の帰り道

人生の帰り道

明け方に見た夢はせつないような悲しいような、色あせたセピアなものだった。
今はもうそういう慣行もなくなったが、かつて職場の交流を図るということで、年に一度課員一同で親睦旅行に出かけたものだ。東京で勤務していれば、熱海か箱根の保養所で一泊するという週末コースが多かった。そんなときは三三五五に現地へ集合し、温泉で体を休めたあと宴会に臨んだ。一晩、飲んで歌ったあと、翌朝、またそれぞれの車や電車組に分かれて帰ったものだ。
 この別れていく朝の光景を夢に見た。「じゃ、またね」「明日、また職場で」と声をかけあって車に乗り込んでいく。新緑の箱根路を、それぞれの車が駆け下りていく。なんだかさっぱりしたような、名残惜しいような時間が流れていた・・・。

 考えてみれば、65歳の私も人生の帰り道に立っているようなものだ。行くときは勢いこんで全速力で走りこんでは来たものの、帰り道はギアをロウに入れてゆっくりと山道を下っている。出会う人も少なくなり、考えることも減るような境遇。
と思っていたが、最近の私はどうも違う。

 「定年したのなら、少し手伝ってよ」と声がかかって引き受けた仕事は、現役時代相当の仕事量になった。あまりの多忙さになかなか顧みることができないが、ふと明け方に夢を見るのは、宴会の翌日の帰り道の風景。
芭蕉の「夢は枯野をかけめぐる」ような末期の風景ではないが、なんだか人が絶えた寂しい風景が浮かび上がって来る。どうも忙しくやっていても、心の奥底は乾いているらしい。
 現役の多忙とは違う寂しさが底から湧いてくる。
 ♪今日は汝を眺むる終わりの日なり 思えば涙膝を浸す さらば故郷
と、「故郷を離るる歌」をいつのまにか口ずさんでいることに気づく。


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by yamato-y | 2013-05-30 07:49 | Comments(0)

心亡ばすことなく

心亡ぼすことなく

 春の初めに予想されたこととはいえ、多忙がこれほどにまでなるとは思わなかった。
とにかく忙しい。一日に予定が2つ以上入ってくる。課外授業の打ち合わせないしは作業が必ずある。それ以外に「知の逆転」という教養番組2本の打ち合わせ、2つの大学の授業、講演の依頼とスケジュールは目白押しとなる。
合間を縫って、映画、ビデオ、芝居、アートの鑑賞をやらかそうとするのだから、時間はいくらあっても足らない。夜は10時には眠りについている。くたくたで9時を過ぎるとまぶたが重くなる。体のあちこちが重い。
 しかし正念場は6月。ここにあらゆる作業が折り重なるのだ。とにかく健康を損なうことなくつつがなくこの月を通過したい。
 忙しいとは心亡ぼすと書くが、けっしてそういうことにならないよう自制しよう。
収穫の秋には笑顔でこの繁忙期を振り返ることができるようにしたい。

 サヘル・ローズさんの「課外授業」が出来上がりつつある。
サヘルさんの人生は数奇に満ちている。イラン・イラク戦争の空爆によって12人の兄弟姉妹を失い両親を奪われた。小学生のとき知人を頼って、養母とともに日本へやってきた。貧困、孤児、外国人という境遇のため辛い半生を送ることになったが、不屈の努力で現在のタレントの地位を獲得する。
その彼女の生き方を母校である港区の小学校で授業をした。題して、「私を生かしてきた理由」。とても感動的な授業だ。この記録(ドキュメント)の編集もようやく終わりに近づき、番組がようやく形になりつつある。明日はナレーションを入れて、テロップを加えて仕上げとなる。ナレーターはうまいと定評の女優中島朋子さんだ。
 サヘルさんの純粋な魂が弾けるような素敵な番組に仕上げたい。

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by yamato-y | 2013-05-29 06:05 | Comments(0)

語り得ないもの

若者といっしょに戦争を考えた

 先週金曜日のMU大学での講義では、学生たちの多様な意見がコメントペーパーに記され、若者のなかの一途な思いや肉親への情愛などが披歴され、久しぶりに活発な意見が飛び交って高揚した。

1001大教室に150名あまりの学部生が出席したなかで、私は2年前放送されたETV特集「おじいちゃんと鉄砲玉」をテキストとしてとりあげて、戦争と言う大きな社会変動が個人にいかなる影響を及ぼすかということを考察することにした。

その番組のディレクターの久保田瞳が自分の祖父の死にまつわるエピソードを、自らリポートして紹介している。NHKではめずらしい私ドキュメンタリーだ。
佐賀県武雄市に住んでいた祖父北村源六は90歳で他界。火葬したとき、その頭蓋骨から鉄砲玉が取り出された。生前から戦争で負傷して鉄砲玉が体に残っていると北村は孫である久保田に語っていたが、それは事実だったのだと知って27歳の久保田は愕然となる。それを契機に祖父はいかなる軍歴を歩んだのか調査することにした。
16歳で兵隊となった北村源六は1式陸攻機の偵察員となり、昭和16年のマレー沖海戦に参加して、戦艦プリンスオブウェールズに一撃を与えるなど輝かしい経歴を誇ったことだけは、久保田も知っていた。ところが、それ以外のことは分からないため、祖父と文通していた戦友5人を訪ね歩いて、祖父の戦争の実態を補足しようと久保田は試みる。

昭和19年、戦争末期。北村は鹿児島の鹿屋基地にあって、特攻の誘導機に乗務していた。
そのころ現地で知り合った女性と結婚もしていた。久保田の祖母である。当時の北村の行動を調べると、特攻機のほとんどが未帰還にあるなかで、北村機は天候不良で帰還しているという事実が浮かび上がる。戦友の証言のなかに、祖父は搭載した爆弾を未使用のまま海に投下して帰還したこともあったという衝撃的な出来事が浮かび上がってくる。
それまで英雄的な戦士として北村を見ていた孫の久保田にとって、あまりに異なる行動に久保田は涙を流す。
どうして祖父はこんな行動をとったのかと祖母に聞いても、祖母はいっさい口をつぐんで語らない。戦友たちに聞いても、あいまいな答えしか帰って来ない。

さらに久保田は調査をすすめると、下士官であった北村のなかに軍の上層部に対する反抗があったことを示すような遺品や証言が飛び出してくる・・・。

このドキュメンタリーを視聴したあと、私は3つの問いを学生たちに出した。
孫の久保田はなぜ泣いたか。祖母はどうして口をつぐんでいるのか。戦友たちはなぜ北村の行動についてあいまいな証言しかしないのか。
この問いに対する答えが実にさまざまであったことが、私を昂奮させたのだ。けっして通り一遍の型どおりの解釈で済ませていない。学生たちは北村のなかにあった複雑な思いにしっかり身を寄せて、この出来事を読み取ろうとしていた。

戦争という異常な空間のなかで、25歳の若者が必死で生を生き抜くことに学生たちはリスペクトしながら、その行動を批評したのだ。

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by yamato-y | 2013-05-28 07:40 | Comments(2)

続き

続き

1998年7月の夕方、和歌山県和歌山市の園部地区で行われた夏祭において、提供されたカレーに毒物ヒ素が混入されて複数の人が死んだ。和歌山毒物カレー事件である。犯人として主婦林真須美が逮捕起訴された。
そして林には死刑が宣告され確定した。

林は死刑確定者だ。日本には現在130余名の死刑確定者がいる。
死刑確定から1年ほどで執行された大阪のTのようなケースもあるが、だいたいは数年ほどを経るようだ。執行されることは、その日の朝に突然告げられる。それから1時間後には刑場の露と消えるのだ。その朝が今日ではないかという恐怖が毎朝ある。林真須美も例外ではなかろう。

 そしてその朝を過ぎると、死刑囚は次の朝まで命があることを実感し、短い安堵をむさぼる。だが放っておけばすぐに死刑の恐怖が頭をもたげ、過去への後悔が襲ってくる。妄想と孤独、恐怖の世界。そこからの束の間の逃走として絵を描くことを選ぶ囚人が少なからずいるという事実を、この鞆の津ミュージアムで初めて知った。

 囚われてからおよそ10年。林真須美の画力は著しい進歩を遂げていた。初期に描いた「母と子」はおそらく差し入れられた漫画雑誌から模写したものであろう。稚拙な表現だが、若い女性が両脇に子供を抱くその手が腕がすさまじいエネルギーを放っているのが印象的だ。添えられた林の文章を読むと4歳で手放したという3女への思いが痛切だ。思いはともかく絵はけっして上等とはいえない。

 ところがそれから数年後に描かれた「国家と殺人」「ピカソ」「四面楚歌」「青空泥棒」といった絵は完全な作品に仕上がっている。「国家と殺人」は、絵の中央に太鼓橋のようなオブジェが描かれ、その図形の中心に細かい皺が寄せ集められている。画面全体を支配する赤がつよい緊張感をかもしている。「四面楚歌」は終日独房で監視されている苦しさを必死で訴えていた。

林真須美は無実を訴え、現在再審を請求中である。

 もうひとり気になる絵を描いていたのも女囚だった。風間博子。作品のタイトルもずばり「無実という希望、潔白の罪」彼女も無実をつよく主張している。

 色紙の切れ端を丁寧に貼りつけた点描「祈りの母」。優しい穏やかな母の表情。作者の松田康敏元は昨年3月に死刑執行されている。
 
 この美術館に入館して1時間半。酸素が減衰していって窒息するような苦しさを覚えた。はじめての体験である。

 あの絵を目にしてから3日経った。目に焼き付いている。まだ、この極限美術に対しての冷静な評価ができない。

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by yamato-y | 2013-05-20 21:38 | Comments(0)

アールブリュット

 極限芸術 〜死刑囚の表現〜  


  どうしても、その絵たちを見たくて、福山まで行って来た。

 福山駅から市営バスで30分、鞆の浦にその美術館鞆の津ミュージアムがある。そこで4月から死刑囚の絵が展覧されている。
其の絵のことは先週知って、ネットで見本例を数点見て、心が動いた。(この絵を見ておかないと後悔する)

 目黒を朝8時に出て、品川へ。新幹線のぞみ博多行き8時37分に乗ると、福山には12時12分に着く。その間、堀川恵子さんの書いた「死刑の基準/永山則夫」を読む。あらためて知ったのだが、永山は私と同世代。昭和24年6月に青森で生まれているから、学年は永山のほうが1年下になる。雪深い津軽の鄙びた街や北海道の港町を転々として生きた。父は失踪し、母の手で育てられたが、8人の子供を手に余して、則夫たち3人を北海道に残して母は津軽へ帰ってしまう。其の年の冬は悲惨であったと永山が語っている。永山は兄たちからリンチを受けていた。

 激烈な幼少年時代を送った永山は、集団就職で東京へ出る。彼が最初に勤めた渋谷のパーラーは今もあって、通勤の行き帰りは其の店の前を通る。にしむらという看板を見ると、永山がここでボーイとして不器用に働いていた姿が浮かんで来る。だが上司によって過去の万引きなどを仲間の前でばらされ、永山は半年でそこを辞める。そこから次々に事件を起こし、ついに4人を殺害する「連続射殺魔」となっていく。

 同級生で、いつも給食費をもって来れず、冬の寒い朝も裸足で廊下をぴょんぴょん跳んでいたYくんを思い出す。暗い目をしていたが、喧嘩のときだけ爛々と燃え上がり、普段の気弱そうな顔とは違う顔を見せた。そのY君も金の玉子と言われて、京阪地方の工場へ集団就職へしていった。私らの時代、大学へ進学するどころか、高校へ行くのすら二割ほどしかいなかった。大半は稼業を継ぐか集団就職で都会へ出て行ったのだ。永山の暗い青春を読みすすめていくと、いつのまにか自分のまわりの人々のことが甦って来る。

 この「死刑の基準」がたしかに福山行きを決意させたにはちがいないが、死刑囚の描いた絵が300点現在展覧していると聞かされたとき、フランシス・ベーコンの絵と同じくらい、きっと私に重要になるにちがいない、そう思い込んだ。

 鞆の津ミュージアムでは、1時間半アートグリュット(極限芸術)に見入った。林真須美死刑囚の絵は・・・。(続く)

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by yamato-y | 2013-05-20 08:56 | Comments(0)

昭和の語り部のようにして

昭和の語り部のようにして

 忙しいわりには心躍る出来事に近頃よく遭う。

 江古田の大学で教えている映像アーカイブ論の前回の授業では、10年前制作した「向田邦子の秘めたもの」をとりあげたことから、その学生の反響がことのほかよく、本日もその続きの授業を行おうと昨日資料を集めたり調べたりした。
前にも記したが、10年前のドキュメントは向田さんの若き日の恋について描いたもので、その後の向田研究の先駆けになった作品と自負している。
 この10年の間に、その恋をめぐるドラマや再現ドラマ、紀行ドキュメンタリーなど数本が制作された。その映像資料を取り寄せて視聴した。そこに描かれたワールドの異同はいろいろ考えさせるもので、伝説の生成というものはあらためて人間くさい所業なのだと感じ入った。そのことを本日の授業で語ろうと思う。

 ところで昨日の朝日新聞のコラムで向田さんの乳がんのことが取り上げられていた。アメリカの人気女優、アンジェリーナ・ジョリーさんの乳房切除手術の話題と関連して書かれたものであろうが、ちょうど向田さんの調査を行っているときに其の記事を目にしたからシンクロニシティのような気がした。詳しくは書かないが、向田さんの乳がん発見は若い頃の思い出と深く関わっていると私は推測している。痕跡は名作『思い出トランプ』にある。こういう知的ゲームのような調査が続いて、期せずして気分が高揚した。

 午後3時過ぎ、「ときわ荘研究会」の幹事さんから電話が入った。6月下旬の例会で講演してくれないかという相談だ。「全身漫画家・赤塚不二夫」のロケのときに名刺交換していたことから発生したお話のようだ。その後も「サンデーマガジン物語」や「ちばてつやのときわ荘」などのドキュメンタリーも私が手がけていることを御存知であったようだ。取材を通して知った範囲の話であればと応じると、幹事さんはたいそう喜んでくれた。
 この忙しい時期にまたひとつ仕事を受けたりしてと後悔しながらも、「トキワ荘」の話が出来るならばどうしても語りたい恋の話があるのだ。前から一度関係者に聞いてもらいたいと考えていたこと。それを今度ぶつけてみようと思う。

―そして、忘れてはならないことがある。5月5日に放送された「日曜美術館・フランシス・ベーコン」だ。信頼する女性ディレクターが渾身の作品を仕上げた。この番組に大江さんを招きたいと相談を受けたことから、国立近代美術館の夜間ロケにも立ち会った。その際の大江さんの深い言葉に感銘をうけたが、45分の番組に仕上がったうえでも、その言葉は美しく響いていた。むろん、ベーコンの作品も人生も度肝をぬかれるほど素敵ではあるが。この作品の惜しいのは音楽が多すぎることだ。もう少し減らせばいいのだがと、旧世代に属する私は思った。


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by yamato-y | 2013-05-17 06:49 | Comments(0)

多忙

愚痴は言うまいこぼすまい

1年間に18本の新作を担当するというのは、ここ10年でもっとも厳しい状況だということを今頃になって気がついた。
さらに7月に特番で「白熱教室」の番外篇ともいうべき「世界の知性は語る」(仮)の前後編が二本加わり、週に2回の大学の授業もノルマとして抱えているとなると、スケジュールの空きが見当たらない。

 請負契約の番組作りだから、オフィスへは毎日行く必要もない。週に4日ほど出社すればいいのだが、このところ毎日であるばかりか、土日の休日出勤も少なくない。月平均二本のレギュラーをこなすには4ヶ月先の企画を育てつつ、1ヶ月先の放送用のポストプロダクションを並行作業にしなくてはならないのだ。

 昨日は白金の大学での三限目の授業が入っていた。開始は1時過ぎ。オフィスに出ても中途半端なので、直接大学へ向かった。授業は番組制作のなかのリサーチとロケハンティングの役割について。50人の学生たちに実地で教えようと野望を抱いたのが、昨日の敗北の大きな原因。ひとりで50人の学生を連れ歩くのは無茶苦茶疲れるのだ。90分間、走り回ってへとへとになった。
 午後3時。授業を終えると、体はガタガタになった状態。這々の体でバスに乗り込み目黒へ向かう。いったん家にもどって荷物を置くことにした。体が動かない。オフィスへ行って事務処理をする気にもなれない。しばらくソファに身を投げ出し、グタッとしていた。

 午後4時、Hプロダクションの女性社長から電話あり。本日の待ち合わせの目黒駅改札に到着したという連絡が入る。すっかり忘れていたが、7月放送を予定している「課外授業」の構成打ち合わせを目黒で行うことになっていたのだ。
あわてて駅に向かった。
 社長と女性ディレクターが待っていた。さっそく駅ビルの喫茶店に入って、構成表を手に打ち合わせとなった。残念なことに構成がうまく立ち上がっていない。苛立つ思いを押さえながら、新しい構成を作り直すよう指示をするのだが、どうもこちらの真意がディレクターに伝わっていそうにもない。またまた疲れがたまりはじめた。

 午後5時30分。打ち合わせを終え、新宿に向かった。
 鍼灸のタケ先生の治療を受けるため、歌舞伎町にある診療所へ行く。30分、鍼をうってもらう間爆睡した。

 家にもどり、金曜日の江古田の大学の授業の下調べに追われる。資料を整理終えたのが午後10時。へとへとになってベッドにもぐりこむ。

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by yamato-y | 2013-05-15 06:48 | Comments(1)

命短し恋せよ

命短し恋せよ

江古田のM大学で映像アーカイブ論を週1で教えているが、前回は10年前に作った「向田邦子が秘めたもの」を取り上げて、ドキュメンタリー番組の在り様について、学生といっしょに考えた。
この番組は向田邦子が台湾上空で急死して20年にあたることを記念して作られた。制作チームは久世光彦さんのプロダクションだから、向田人脈に詳しい集団であった。その一人、Sプロデューサーがとんでもないネタを掴まえてきた。あの向田邦子の「恋文」が見つかったという。半信半疑でその手紙が入った茶封筒を私も見ることにした。

たしかに向田さんの悪筆の手紙がそこにあった。それはラジオ番組の原稿を書くためにカンヅメになっているホテルからある男性に向かって書かれた通信文であったが、同封されていたノートや日記と照らし合わせるとまさしく恋文の内容であると、私も確信した。向田邦子の秘められた若き日の恋がよみがえったのである。この茶封筒の現在の持ち主である妹さんに許諾を得て、制作チームは手紙の事情を探ってその内容を明らかにしていった。

昭和38年、東京オリンピックの前年の出来事で、当時の日本はまだ貧しい時代であった。向田は10歳年長の記録映画カメラマンと恋に落ちていた。その顛末を取材チームは朗読ドキュメンタリーという手法で表現することにした。番組は好評を得た。後に、総務大臣賞を受賞する。

さて、この恋の逸話は生前の向田はずっと秘めてきたものであった。死後、遺族によって封印が解かれるのだが、果たして公開はよかったかどうかという課題が残った。この問題について、学生たちといっしょに考えたのだ。
公開したことへの賛同意見から見てみる。
KON「文章を書くことは、彼女の一番の表現方法であったように思うので、手紙を公開されることはけっして心外ではなかったと思う」
Y「有名人のプライバシーを知りたがるのも人間のさがであり、このような映像が視聴者に受けるのだろう」
O「日記を公開してよかったと思う。自分だったら恥ずかしいけど」
K「没後20年たってから公開された資料で、当時をさかのぼり、その人物に言及していくことは映像アーカイブでも貴重なこと。」
S「向田はこうやって公開されることが分かっていたかも」

積極的ではないが、賛同するという意見もあった。
KO「妹が明かしたのは余計なお世話と思ったが、見ているうちにだんだん引き込まれていった」
Y「プライバシーもあろうが、人の歴史を見つめ直すときには、そこへ踏み込むことは仕方がないと思った」
T「インターネットの今の時代では、こういうプライバシーのからむ番組を作ることは難しくなっているのでは」

しかし、出席した150余名の学生の大半は公開することには反対だとした。意外だった。その主な意見を挙げる。
Ku「本人の意志に反して公開されることは許されるだろうか」
A「世間に出ることが本当によかったか。私だったら嫌だ。」
Y「自分が死んだあとに、自分が恋人にあてた手紙をテレビで公開されるのは嫌です」
W「向田さんが必死に秘めてきたことなので、明らかにするべきでなかったと思う」
若者たちは意外に強い言葉で否定している。頑なに守秘することを欲している。

絶対反対ではないがという反対意見も少なくない。
U「私たちは面白く見れるが、本人からしたら悲しいのでは」
M「亡くなった人ではあるが、誰かの手紙を見せられるのは、どうかな」
MO「秘められた思いを20年後とはいえ、共有される映像で表されるのはどうかな」
MU「本人の許可なく手紙を公開することはよかったのか」

学生たちは公開には反対だとしながら、向田のこの秘めた恋に対しては深い共感を示した。
WA「なぜ、向田は自分の恋について作品として発表しなかったのか、不思議でした」
N「この恋そのものが、向田の作品だと、私には思えた」

今の若者たちはけっしてスマホの画面だけに夢中になっているわけではないのだ。恋をすることにも真摯に向き合っていこうとするちょっぴり健気な姿勢も垣間見える。イノチ短し恋せよオトメ。少年老いやすくガクならぬコイなりがたし。ボーイミーツガール。

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by yamato-y | 2013-05-12 11:08 | Comments(0)

朝焼けを見ながら

目を逸らすな

 北朝鮮のミサイルは日本海側の原発施設はとっくに射程のなかに納めている。そのなかでの米朝の駆け引きは当然他人事ではないはずだ。また尖閣諸島をめぐる記事のなかには局地戦であれ火花が散ることもあるかのような論調のものも最近では出現してきた。憲法改正の国会論議も見過ごせない水位まで上がって来た。禍々しい情報が身の回りに浮遊するようになった。
日々の多忙に追われて自分を見失いがちだが、ふと昨今の国際情勢に目をこらすとダモクレスの剣状態であることに気づいて身が引き締まる。

 ついこの間までは最大の関心事は東北大震災の被害と復興だったのに、わずか二年ほどで国際情勢の緊張が眼前にせり上がって来た。この急激さ。かつて昭和史を学んだときに、昭和9年から12年にかけての急激な変化ということに想像がつかないと嘆いたことがあった。今の情勢はその時代と似ているのではないかと不安な予見を抱いてしまう。

 福田和也氏の強い薦めで、堀川恵子著『死刑の基準』を読み始めた。前半は死刑囚永山則夫の半生が描かれている。連続射殺魔として怖れられた永山。1949年に生まれている。私の1年下で同世代であることを改めて知る。その彼が獄中にあって残した1万5千におよぶ書簡や著書から、死刑囚としての苦悩を浮き彫りにしていく堀川の真摯な行動と態度。本書の並々ならぬ迫力をわずか60ページで感得する。一挙に読み通したいが、来週放送のナレーション録音と大学の講義の準備もあって金曜日の夜まで一時中断とする。

 明け方目が覚めた。東から徐々に赤く焼けて行く空を見ながら大きなため息をついてしまった。

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by yamato-y | 2013-05-09 05:38 | Comments(0)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んで

村上春樹の最新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んで

 おそらくぼくが読んだ村上作品のなかでももっとも好きな作品のひとつであろう。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」という持って回った思わせぶりなタイトルも、一読後には十分に納得するものとなった。そのことをまず告白しなくてはいけない。つまり、孤高主義を少なくとも日本のマスコミに対してはとる村上の流儀はこれまでもスノッブに思えてならず、この最新作のタイトルに対してもどうせ格好をつけたものだろうと高をくくっていたが、その小説の正味はけっして半端でなくまさに魂のど真ん中に飛び込んでくる作品であったことを正直認めざるをえない。

 名古屋の仲のよい5人組の高校生がいた。それぞれ名字の一部に、アカ、アオ、シロ、クロといった色彩の語をもつなかで多崎つくるだけは違っていた。その彼に受難が訪れるのも記号論的にはある意味当然だが、そんな小説のような設定ってあるかとツッコミを入れたくなるような、剥き出しの小説のオープニングにまず鼻白んだ。ところが、そんなものに乗せられてたまるかという反発も、章を重ねて頁を繰るうちに薄らいでいった。物語に対する違和感を次第に失っていった。(つまりぼくは村上ワールドにまっしぐらに落ちていった)

男3人、女2人のグループの均整のとれた親密のなかで、つくるだけが他の4人から絶交を申し渡される。つくるにはまったく身に覚えのない咎(とが)が発生したようだ。そして、そのために死ぬことを考えるほど、つくるは追い詰められた。まったく別人のような相貌に変化するほど苦悩したつくるは16年間生き延びることになる。そして・・・。

 ――新しい恋を得るなかで、つくるは16年前の真相を知るべき旅に出ることになる。
新しい恋の相手沙羅はつくるより2歳上のキャリアウーマン。この二人の関係描写にぼくはいささかの安堵と共感をもった。そうだ、これぐらいの救いがなくてはつくるの人生はあまりに理不尽・不条理ではないかと、ぼくは義憤をいだいていたのだ。ぼくにはつくるの人生を支援したい個人的体験があった。

 読み進めるうちに、この物語はぼくの物語だと思うようになった。

大学を出て2年目、ぼくはぼくの「巡礼の年」と遭遇した。ぼくは納得できなかった。なぜこの段階で喪失というものが発生するのか、まったくぼくには理解できなかった。その不条理に10年耐えて、新しい恋に進むことができたぼくにとって、この小説は他人事には思えなかった。

 村上はなぜ2013年のこの時期(保守派がぐんぐん勢力を伸ばしている)に、こんな物語を発表しようと思ったのだろうか。地下鉄サリン事件のドキュメントを記して、社会性に手を出してかけていたこともあった村上。イスラエルで中東の現実の争いにコミットすることもあった村上。その村上が60代になって、なぜこんなナイーブな物語を書いたのか。
 さらに、これまで村上ワールドにはなかった同性愛に対する憧憬がこれほど滲みでたのは何故か。灰田という2歳年下の男子に対するつくるのまなざしはかぎりなくせつない。

 この連休のなかで、この読書をできたことが最大の収穫であった。ぼくは万緑の大磯の森のなかで、あの物語をもう一度思い返して、寂しい喜びに全身で浸っている。もうひとつ思いがけず、以前購入して積んでおいた柄谷行人著『倫理21』(2000年)を読破した。戦争責任の問題点というやつが、これを読んでやっとわかった気がする。得した気分。

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by yamato-y | 2013-05-06 20:09 | Comments(2)


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