定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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新生1日目

新生1日目

正式の退職日は昨日1月30日。本日31日から、新しい身分になる。というか天下無双の年金生活者となる。その一番最初の「仕事」として健康保険の書き換えを御茶ノ水にある健康保険組合に行って行った。これまで使っていた保険証を新しいものに改めたのだ。

 一方、業務として「課外授業」の年間メインテナンスを請け負ったので、御茶ノ水の手続きを終えた足でオフィスへ出る。もう出勤時間や退社時間という制約はないから、自由な仕事といえばそうだが、番組制作担当者というのは元来自由勤務だったから、これまでとカタチのうえでは変わらない。ただ、肩のあたりにいつもがしっと会社の看板がはまっていた「くびき」のようなものがとれた気がするのは、気のせいか。

さっそく2月24日放送の「ロボット博士」の編集スケジュールが入ってきた。見ると、2月上旬はびしっと試写とポスプロが埋め込まれている。番組作りは嫌いじゃないから、立て込んだ日程を見ると勇み立つ。

 家族のふたりが風邪シンドロームにやられた。ひとりは入院している。胃を大半切除した小生は抵抗力がないから近寄るなと警告を受けている。

 御茶ノ水の手続きが思った以上に早くすんだので、出社したのも早かった。気分一新も兼ねて机の上をすこし片付けよう。

なんてことを記したら、3人もの昔の友人から退職祝いの言葉をもらうことになった。
一人は去年しりあってすぐに気のあったKさん、8年ほど前に山口小夜子さんの番組でご一緒したSさん、広島時代の部下声をかけてくれるSくん。
そんなつもりはなかったのだが、一応仕事の節目だと思ってこのブログに書いたところ、昔の仲間として私に声をかけてくれたのだ。有り難い。
でも、まだ当分は番組作りを続けます。視聴者の琴線にちょっとでも触れるような作品を一本でも多く作ってみたい。
 気障だが、あらためて自分の人生はいろいろな人に支えられて生きていると実感した。 

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by yamato-y | 2013-01-31 11:49 | Comments(1)

ばたばた

ばたばた

 身内の入院騒ぎがあったりして、この2、3日ばたばたした。
幸い、最悪の事態は免れた。ちょっと安心しつつ、本日締め切りの企画書の整理に追われた。
多忙だが、久しぶりにレギュラー枠のトータル管理にはまって夢中で、企画書を読みこなした。
とにかく、新年度の上半期の企画候補を9本選んだ。

午前中、その業務に追われた。午後3時。社長室に呼ばれた。私の退職式をやってくれるそうだ。
役員のふたりと社長から、長い間おつかれさまでしたと、ねぎらいの言葉をいただいた。素直にありがとうございますと感謝の言葉が出た。この場では、協会生活(日本放送協会)の中で印象に残ったことを語ってもらうことになっていますと、社長から思い出の弁を要求された。印象に残っているのは、大江健三郎さんと出会ったこと、冬のソナタと出会ったことと、私ははっきり言った。
言い切りながら、なんだか随分価値観がばらけたエピソードだなと自分ながらアキレタ。

4月から東京のふたつの大学で教えることになる。そのシラバスをパソコンで打つように大学の事務局から指示されていたのだが、なかなか打てずにあった。本日、若い友人の手を借りて、すべて情報を記入することができた。

 そして夕刻、私の番組人生に大きな意味をもつ人物が25日に102歳で死去したことを聞かされた。年が年だけに、死に驚いたわけではない。その出会いと別れの過激さを思って胸が衝かれた。
 ウルトラの星こそ見えね冬薔薇


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by yamato-y | 2013-01-29 23:47 | Comments(0)

明け方の夢2

明け方の夢

明け方にまた夢を見た。大寒なのに見た夢は夏の季節だった。登場した芥川也寸志は浴衣を寝間着にしていた。掛布団も薄い夏物だった。

芥川の東京の家で会合があった。どうやら龍之介の作品に関わる町のことでの発表会のようだ。長崎か敦賀の話題があがった。その町に今も残っている異人館のたたずまいについて、郷土史家が熱く語った。病に臥せっている也寸志は床から半分身を起こして楽しそうにその報告を聞いている。
 郷土史家の報告の最後を、私が受け持つスピーチで締めくくることになった。私は龍之介が若い頃その町をほろほろと彷徨った光景を思い浮かべて、こう言った。
「人は末期のシャッターが下りて来るとき、最後に見るのは懐かしい町か、懐かしい人か。」
柳の青める葉が揺れて風があった。石畳の路地だった。異人館を楽しそうにのぞいている龍之介。単衣の着流しで、麦わら帽子をかぶっていた。
そのとき、ふと句が浮かんだ。

麦わらのつばに残れる別れかな

床で耳を澄ましていた也寸志は楽しそうに笑った。

目が覚めて、まざまざと句を覚えていたことに少し感動して、午前5時半にこの記事を作成することになった。昨日は飛騨高山の友人谷口のこと、今朝は芥川也寸志のこと、明け方に見た夢のあざやかさ。

8時、二度寝して目がさめた。明け方の夢について書いたことを読み直して、なぜこんなことを思ったのか考えてみた。
昨夜、この冬一番の寒さのなか銀座へ出た。京大のS先生と待ち合わせるためだ。学士会館で会合のあった先生と久しぶりに夕食をともにした。先生とは毎年4月から7月まで月一でお会いしてきたから半年会わないと長い不在に思われ、機会があればいつでも会いたいと願う気持ちがある。
三笠会館で2時間かけて食事をした。現在執筆中の「源氏物語の新説」についてや私も知っている卒業生諸君の動向についてのとりとめもない話だ。ところが退屈しない。ふたりとも好奇心が人一倍強く、アカデミズム、ジャーナリズムのそれぞれの話に興味がつきないのだ。

食事を終えて、腹ごなしも兼ねて日比谷方面へ散歩。とびきり風が冷たいが、町の明かりがうるんで美しい。
帝国ホテルまで出たとき、ここのパーラーでスィーツを食べようということになり、1階ロビーに入り込んだ。週末の帝国ホテルは若い世代で賑わっていた。
ここでも先生と小豆アイスを頬張りながら、わたしの「課外授業」のネタや先生の西陣のうまいものやの話で時間はあっと言い間に過ぎた。

そして新橋まで歩いた。私は山手線、先生は銀座線で帰っていく。ではまたお会いしましょうといって新橋のコンコースで別れた。なぜだかこの別れが心に残ったらしい。これが形を変えて明け方の夢になって現れたと、自分なりに解釈した。しかし、こうして書き出して振り返っても、夢で見たことと現実に再会したS先生のことも区別がつかない。両方とも現実にあったような気もするし、夢のなかのことであったような気もするし。

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by yamato-y | 2013-01-27 08:42 | Comments(0)

フルボッコ

ぼこぼこ

今朝の瞑想の最後に不思議な「夢」というかイリュージョンを見た。
朝の帝国ホテルのダイニングでコーヒーを飲んでいた。友人の谷口は立ってズボンを直していた。そこへ若い男が私たちの間に割り込んでコーヒーを飲み始めた。マナーが悪く、コーヒーカップからコーヒーが溢れて周りに飛び跳ねる。谷口はベルトをいじりながらその若い男に文句をいった(ようだ)。声が聞こえないのだが口ぶりで理解した。
言われた男はいきり立って、カバンを持って席を離れようとする。そのとき荒々しくカバンを振り回したので、コーヒーを再びまき散らす。
谷口はさらに注意をした。彼は急いで身支度しようとするのだが、なかなかベルトを締めることができず焦っている。
その谷口の叱責に、若い男は引き返して谷口につかみかかろうとする。大男だ。谷口は165センチの小柄。周りにいた外国人が二人のつかみ合いを止めようとするので、私も加勢して、二人を引き離そうとする。
と、若い男が谷口のこめかみを殴って、床に倒した。よろよろと倒れた谷口はこめかみをさすりながら立ち上がり、男のコートの襟をつかむ。そして、支えつり込みあしの技で男をごろんと横倒しにする。
谷口は少年時代から柔道を習っていた。大学の体育の時間で私は彼の切れ味のするどい技をたびたび見ていた。高山の小天狗と異名をとったことがあるということを、私はそのとき思い出した。

横たわった男の顔面まで谷口はにじり寄り、その顔にこぶしを2つ3つ呉れる。男の顔は見る見る腫れてくる。
まだ抵抗しそうな男を見て、谷口は口をこじ開けてその前歯を指でごつごつとたたく。だが谷口の爪が割れたようで、手を離し、まわりに獲物がないか探す。金槌があった。谷口はその金槌を取って、若い男の歯をたたこうとする。
すると、若い男のだらんと下がった手にいつのまにかバイソンと呼ばれるリボルバーが握られていた。
男はそれを少しずつ上に向けて谷口の胸あたりを撃とうとする。

そこでシーンが切り替わった。掴み合ったふたりがそのまま飛んで行く。これからどうなるか分からない。ただ喧嘩状態のふたりに私と外国人もぶらさがっている。

瞑想を終えて、この文章を打ち始めたのだが、なぜこんなイリュージョンを見たのか自分でも分からない。が妙にはっきり印象が残っている。谷口がこのふとどきな若い男をぼこぼこにしていることに溜飲を下げている私がいる。でも、そこまで追いつめなくてもいいのにと、男に半分同情もしている。

谷口とは親友の谷口茂雄。大学時代の親友で卒業してからも文通はある。彼は故郷の高山に帰り英語の教員になった。最後は乗鞍岳が見える山の中学校の校長で終えた。小柄で穏やかな谷口だが腕っ節は昔から強そうだった。だが泣き虫でセンチメンタルな面も多分にあり、そこが魅力の男だった。
こいつが女に振られたときのことを今でも覚えている。俺の部屋に駆け込んで来た。何も言わずに部屋の隅に転がっていたギターを手にとって歌いはじめた。舟木一夫の「絶唱」だった。涙をぽろぽろ流しながら歌った。私は呆れた。だが委細かまわず谷口は大声で歌い続けた。冬の寒い日だった。火の気のないわびしい6畳の部屋。西条八十の絶唱に涙する友。

今は、谷口は引退して、教育委員会の手伝いのようなことをしていると賀状に書かれてあった。

冬真っ盛り。高山は深い雪に埋もれているだろう。少女少年たちを相手に英語をこつこつ教えているであろう谷口に会いたい、会っても話なんてなにもないのだが、会いたい。そんな気持ちがこんな変な夢を見させたのだろうか。

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by yamato-y | 2013-01-26 08:23 | Comments(0)

金焦土

金焦土

65歳の誕生日を過ぎてばたばたと周囲が変化していく。
新しく担当する「課外授業」の来年度の予定を立てるために、60本の企画書を精査するということがこの2、3日続いている。ただ読むだけでなく、実際に企画を作ったディレクターたちと面接して、その動機や仕掛けなどを問いただしながらだ。手間と暇がかかる。昨日だけで5組の制作会社の人たちと会った。
6時を過ぎて店仕舞いにするかと思っていたら、庶務係から退職の手続きについて説明したいと声がかかった。応じて、書類の検分となる。
3つ大きな事務処理が必要だということを知った。健康保険、年金手続き、現在の身分の喪失手続き。ハローワーク、出版健保などへ出向いて行う諸手続きを聞いていたらすっかり戦意喪失してしまった。とてもじゃないが、本来業務に専心する余裕などない。とにかく今週から来週にかけて走り回ることになるだろう。

ほとほと疲れて8時過ぎ帰宅。風呂に入って、ハイボール一杯飲んだら疲れがどっと出た。南木佳士の新しく出た小説を読もうと思っていたがとてもその気にならない。そのうち睡魔が襲う。

午前3時。厠のために目が覚めた。
床にもどったが眠れない。起き出して読書することにした。石田波郷の『波郷句自解』を手にした。
戦時中から敗戦後までの時代の句を選んである。
22年1月という日付の句に目がとまった。
束の間や寒雲燃えて金焦土

敗戦の国土に冬の陽が燃えている。みじめな焦土でもほんの束の間金色に輝く。波郷はこの句を重く尊いと解している。
目黒の白金台地から遠望すると、美しい夕景がここ数日ある。そのことを思った。深夜、夕景を思いながら、これからの人生を思って暗然とする。
波郷句はすべて暗いわけではない。
寒卵薔薇色させる朝ありぬ

こういう心根で朝をむかえたい。

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by yamato-y | 2013-01-25 07:53 | Comments(0)

名もない花の生き方

『雪国89歳の郵便配達おばあちゃん』


早朝目が覚めたので、傍らにあった本を手にとって読み始めたところ夢中になり、1時間で読了してしまった。『雪国89歳の郵便配達おばあちゃん』(廣済堂出版)。
長野の豪雪地帯にひとりで暮らしている清水咲栄さんが、郵便配達を委嘱されて毎冬雪をかきわけて郵便を運ぶという姿は、ローカルのテレビニュースで見たことがある。そのおばあさんの半世紀を聞き書きで描いた本だ。たしかに89歳が急坂の雪道をソリで滑って降りて来る姿はなかなか爽快なものがあったが、そのおばあさんの背後の人生にこれほど滋味深いものが潜んでいるとは思いもよらなかった。

大正13年に長野の「貧農」の家に生まれた咲栄さんが、結婚して、貧しいが正直な夫と懸命に生きて、でも人に騙されて多額な借金を背負って、その返済のために夫は出稼ぎに出て、咲栄さんは行商をやった。やっと借金の目処がたった頃に、夫は56歳の若さで交通事故死。涙も乾かないうちに、同居していた4女も40代半ばで乳がんで死亡。その悲しみから立ち直るまでの苦労も淡々と語る咲栄さんの語り口の魅力。

今、その書が手元にないから、うろ覚えで書くが、近所に5歳下の友達がいて、彼女は杖をついている。二人は会うと、いつも、「あんたは私より年下なのに杖をついて」と咲栄さんはいうと、そのおばあさんはいつも同じ答えを返すと、咲栄さんは笑う。毎度同じ話ばかりをしてと、自分たちの境涯をちゃんとこの人たちは見ていながら、けっしてそれをやめることはない。人間とは人との交わりだという人生の大真実を、やさしい言葉を使って教えてくれる。私はこのくだりに感動した。

実は、この書は娘が編集者として関わっている。2,3日前にこんな本を作ったからといって持ってきた。それを枕元に置いて今朝読んだのだ。

親ばかになるが、こんな本を作れるようになった娘の成長に感動する。よくぞこういう人物に注目して、きちんと向き合って身の上を聞きだしたものだ。この本の文章力、構成もきわめて優れていた。例えば、怪我で指が2本ほど切断しているという話。物語の後半でさりげなく出てくる。この位置がいい。

それにしても雪が4メートル半も積もる豪雪地帯というのは想像を絶している。雪をかくのでなく雪をはらうでなく、雪を掘るそうだ。この雪のなかで何度も死にそうな経験をしている咲栄ばあちゃんだが、自然を怖いと思ってもおびえてはいない。その背筋のぴっと伸びた生き方は見事。

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by yamato-y | 2013-01-24 11:52 | Comments(0)

ある節目

ある節目

一月でひとつの区切りをむかえたものがいくつかある。
サラリーが今月でおしまいとなった。来月からは他の収入法にかわる。ともなって、身分が変わるのでこれまで使っていた職業上のパスワード、番号も変更となる。交通費も自弁となる。
仕事上でいえば、来年度から受け持つ番組の企画募集を1月20日付けで締め切った。昨日現在で60本の企画が集まり、今日からその提案についての詳しい聞き取りを始める。そのための企画票の整理で昨日の後半は追われた。
さらに、4月から始まる武蔵大学のシラバスを打ち込み終えた。あとはもうひとつ残している。

来る2月4日には、前立腺の生検を受けるため1泊2日の入院をする。これも大きな踏み切りとなる。

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by yamato-y | 2013-01-23 08:31 | Comments(1)

冬晴れの日に

冬晴れの日に

朝8時、瞑想を終えて目を明けると輝く青空。小鳥のさえずりが聞こえる。窓を開けると冷気がさーっと入り込み、硬直していた体を刺激する。生きているという実感ありあり。

65回めの誕生日。不思議な気もする。そんなに長くもいたかなあというのが実感。
敗戦の日本で、世の中貧しく寒い冬だった頃だ。母は私を生む為に大津の実家に帰っていた。23年の1月19日早朝に私は生まれた。誕生したという自動詞ではなく、吉野弘の言うごとく私は生まれた(I WAS BORN)。母方の祖父宇野源次郎にとって最初の孫であったから喜んだと母から聞かされ、また母自身短歌に詠んでもいる。
壱月吉日「為初孫」と父の文字産湯に使ひし盥(たらひ)の底に

祝福されて生まれ出たというだけで感謝である。大津は北陸敦賀と違って陽光うららかで穏やかな朝であったろう。実家の目の前に広がる琵琶湖もきっと波ひとつなかったと思う。

幾星霜。

65歳の誕生月の月末で私の今の職場での資格が終了する。つまり社員ではなくなる。58歳の誕生日から勤めてきた身分はなくなり、請負契約の仕事をする。いよいよ年金生活者となる。
この1、2年大きく変化したのは食欲だ。昼食が昔の半分以下となった。50代は麗郷の焼きそばなどぺろりであったが、今ではパン二切れで十分。一方、晩酌というか、帰りがけに必ず天狗に寄って熱燗を1合飲むくせだけはついた。

先日の転倒騒ぎで、体力の衰えを知った。朝の早歩きというのを春から日課とすべきだと今言い聞かせているのだが。

誕生日というのは自分のことを思うより、自分を生んだ母のこととひとつながりで思うことのほうが多い。
背なの子を揺すりつつ食みし遠き日よ時は流れてひとりの夕餉

ふるさとは今雪だろうか。

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by yamato-y | 2013-01-19 09:02 | Comments(4)

老いの小文

老いの小文

 年が明けて、風は冷たく雪は残れども、日脚伸ぶで明るさがましていくということは励まされるものだ。
数日来、腕の痛みで居酒屋に寄ることもなかったが、昨夜は先輩のYさんと駅前の庄屋に寄って1時間半飲んだ。
今年74歳になるYさんは学校放送の利用推進の事業に関わっていて、月のうち2週間以上全国各地に出張している。先週も留萌まで行って雪に閉じ込められたそうだ。山口、秋田、留萌、滋賀と東京の自席を暖める暇もなく飛び回っている。さすがに近年は草臥れてきたそうだ。

 早稲田の政経出身のYさんの楽しみは、母校の大学図書館で読書することだ。高田馬場まで行って、ヨーロッパ中世美術の専門書を読みふける事が現在の最大の楽しみだそうだ。グリューネバルトがお気に入りで、北方ルネサンスの絵画を求めてよく渡欧していたが、最近は大学の図書館でその史実を調べたりしているのだ。
ということで馬場の古書店には顔らしい。最近は古書を購入するのでなく売り払うほうにまわっているとか。50年かかって集めた蔵書で、梶ヶ谷の自宅も傾きはじめ、奥様からさすがに顰蹙をかって、少しずつ処分を始めたのだ。買値とちがって売値は圧倒的に廉価になるでしょうと聞くと、にやにや笑っている。

「ほとんどただ同然で引き取ってもらっているんだ」「だって、誰も読まないような本ばかりだからさ」
先月、奥様の亡くなった父上の蔵書を古書店に頼んでひきとってもらったという。たしか、その人は若山牧水の弟子で良書をたくさん所有していたはずだがと聞くと、「そういう曰くとか因縁とかはもうすっぱり断ち切って、引き取ってもらうこと第一」とさばさばしてのたまう。

 そんなはずはない。自分で油絵を描く以外、読書しか趣味をもたないYさんが安月給のなかから少しずつ買い集めた書籍を、そんな簡単に諦められるはずがない。

 1時間、盃を交わすうちに本音がぽろり。「いちいち売値を決めていると、本がかわいそうでさ」
そうか、みな老いの幕引きを考えているのだ。私とて、20年かかって集めたサブカルチャーの資料や大江健三郎資料、長崎広島原爆資料を後生大事にもっているが、息子や娘はまったく関心の外。大磯の家に閉じ込めているのだが、どうしよう。
 さらに、今月でオフィスの資料ロッカーも店じまいとなる。これらの処分をどうするか。

 
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by yamato-y | 2013-01-18 08:18 | Comments(1)

拝島の人

拝島の人

自分で年賀状を書くのを減らしているくせに、いつもいただく人から来なかったと思ってやきもきする人がいた。
昭島市拝島に住む佐々木利雄さんだ。私が初めて東京へ出て来て、担当をした立川地区の営業担当員の方だ。25歳の私から見ると、定年前のおじいさんだった。関西の人と見受けたが、いつもきちんとした事務処理と律儀な字を書く人で、前職はきっと社会的地位のある人だったのだろうということを偲ばせた。私が団塊の世代と知って、自分の息子も同じで関西の大学を出て金融関係に就職したと、普段の無口とは似合わないおしゃべりを、宴会の席でした記憶がある。
後で知ったのだが、三井三池炭鉱争議のときの有能な活動家だったそうだ。戦いが敗れたあと、上京して一から出直して人生を築かれたのだ。

正月も松の内を過ぎて、佐々木さんに賀状を書いた。今年65歳になって無事定年をむかえると書き添えておいた。
昨日、「佐々木利雄長男」という方から葉書をいただいた。「父は一昨年の9月に92歳の天寿を全うし永眠しました」と書かれてあった。その真面目で自分に厳しい誠実な人柄を思って瞑目した。

そして午前3時半。厠へ立って寝床にもどってみると、佐々木さんのことがしきりに思い出されて眠れなくなった。けっして深い交わりではなかったが、一期一会を得た間柄として、せめて一度だけでも生前にお目にかかって若き日の私を可愛がっていただいたことのお礼を言いたかった。
息子さんの「92歳の天寿を全うし永眠しました」の文言だけが救いである。父上同様のきちんとした字、文言に、息子さんのお父さんへの愛情を知る。きっと長寿の穏やかな晩年を生きられたことだろうと推察して、そのご冥福を心から祈念した。

一度、佐々木さんと拝島線の小さな駅で待ち合わせをしたような気がする。昭和48年頃だったか、今から思えば世の中はまだ貧しかった。多摩の奥はまだ未開発で住宅もまばらだった。駅のホームで佐々木さんを見つけると、物静かな佐々木さんが珍しく大きく手を振って応えていただいたことを思い出す。
立川の時代のことを語る友も今はなく、佐々木さんの思い出をひとり真夜中に抱きしめていること。悲しくもあり、そういう人と巡り会えた仕合せをじっと噛み締めている。

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by yamato-y | 2013-01-17 08:47 | Comments(0)


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