定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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北への想いしきり

北への想いしきり

なぜか、往年の名作「北の国から」を見続けている。1980年代から始まった富良野の物語。主人公は東京から父に連れられて北限の地に移り住んだ幼い兄妹の物語。兄は黒板純、小学4年生、妹は蛍、2年生。森深い開拓農家の廃屋を改造して貧しいくらしを営む父と子の物語。
ちょうど日本がバブルで好景気に沸いていた時期。時代の流れに背くようにして仕立てあげられたテレビドラマだった。脚本はへそ曲がりの倉本聡。さだまさしのスキャットだけの主題歌がめっぽういい。心に沁みる。
DVDには2回分収録されていて現在8夜を再生させているから、16話めを見ていることになる。幼い純と蛍の兄妹がいじらしく悲しい。不器用な父の生き方がせつない。

このドラマがフジテレビでオンエアーされている同時代にはまったく見る気がしなかった。バブルの世に背をむけるというドラマの反俗性はかえって胡散臭く思えた。一度見たときには、UFOの登場があったりしてSFめいた作りに鼻白んでしまい、それからはどんなに評判をとろうと見ることはなかった。

このドラマの脇役に地井武男が出ていて、その演技で迫真的な場面があるということを知ったのは今年彼が急死したときだ。晩年の「チイ散歩」で彼のリポートに好感をいだいていたので、その場面を見てみたいという意欲が沸き起こった。そのことがドラマ再見の動機といえば動機だろう。

昨夜は順番視聴の流れを外して、「‘87初恋編」を先回りして見た。中学3年生になった純の初恋である。同学年のレイに恋したが、村を襲った冷害でレイの家は夜逃げとなり、その恋も破綻。失意のなか、純はひとり村を出て、父や妹と別れて東京へ向かうことになる。その最終の場面、トラックの助手席に乗って駅に向かう純。雪道から見送る蛍と父。
車が動き始めると、いっしょになって追う蛍。が、突然兄にむかって何かを叫ぶ。マイクが音をきちんと拾っていないのが憾みだが、それもまた効果をあげているかもしれない。感傷的になった兄を鼓舞するかのごとく毅然とかつ愛情に満ちて大きな声を張る蛍。このけなげな表情に、泣けた。実は、幼い蛍が大好きなのだ。

「‘87初恋編」でも、純の初恋の相手レイを演じた横山めぐみの女子高校生にいたく惹かれた。だぼっとした長いスカートのセーラー服姿が昔の同級生たちを髣髴とさせたのだ。当分、このドラマに執心するにちがいない。

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by yamato-y | 2012-09-29 09:48 | Comments(1)

雨があがった今朝の秋

雨があがった今朝の秋

日が差してくると蒸し暑くなった。せっかくの昨晩の雨が甲斐なしだ。9月も半ばを過ぎたというのに暑い。まだ気温は30度を切らない。とは言うものの、時折そよと吹いてくる風はすっかり秋だ。先週までのじりじりする陽射しは消え、体の端のほうで涼んでいる部分がたしかにある。

昨夜は断続的に土砂降り。屋根をたたく雨音が大きかった。久しぶりの大雨。東京地方は降ってないようだったが、ここ大磯は本格的な雨となった。慌てて、屋上の換気窓をしめたり洗濯物をとりこんだりした(大磯の家には私以外誰もいない)。
雨で気温が下がって、1階の勉強部屋の居心地がよくなった。午後7時、昼間刈り込んだ庭を眺めながら、ちびちびウィスキーを飲みはじめる。一人きりの休日の夜も悪くない。自堕落に読書したりテレビを見たり。誰からも文句を言われない。

それにしても、夏の植生は成長が著しい。わずか半月あまりで庭は草ぼうぼうになっていた。背の高いあわだち草があちこちに伸び、桃の木のそばに見たこともない野生の若木が勢力を伸ばしている。地面の黒い土はいっさい見えない。野草の大団円。庭という体をなさないほど荒々しい。「退治してやる」。正義感が突然むくむくと持ち上がり、鎌と軍手を手にして草いきれに挑んだ。夢中になったらしい。
・・・気がつくと大汗をかいて肩で息する始末。立ち上がろうとした途端ふらりと貧血。(いかん、このままでは血圧が上昇する)。
わが身を取り戻す。草退治にわれを忘れていたのだ。体を起こして庭を眺めると、憎たらしいあわだち草はすべてなぎ倒されてある。野生の威張った木も小枝を取り払われ丸裸。下草もおおよそは除去されてあった。逆上した私が大魔神となって荒地と格闘したのだ。ちょっぴり満足。

だが喜んでばかりもいられない。来年になれば、こういう日が毎日続くのだから。偶にだったらいいが、これが毎日としたらどうだろう。退屈しないですむだろうか。我が家の庭回りなど半月もすれば直ぐ処理ができる。残りの1年300日は何をするか、するべきか。
「小人閑居して不善をなす」という格言が私を脅す。暇が出来ると、気に病まなくてもいいことまで悩んでくよくよしたりするのではないか。

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by yamato-y | 2012-09-18 14:43 | Comments(2)

幸せメシ

幸せメシ

久しぶりに親子4人で外食をした。息子が銀座のラ・ベットラ・ビスに招待してくれたのだ。
9月生まれの家内の誕生日祝いと来年退職の私のお祝いを重ねて、落合シェフの人気レストランで晩餐を設けてくれたようだ。男の子はそういうことをはっきり言わないから分からないが、どうやらそういう気持ちがこもった食事会らしい。

親子4人全員がそろっての外食するのは10年ぶり。たしか息子が大学に入った年にみんなでニューヨークへ出かけたのだが、そのときにマンハッタンのフレンチレストランで食事をして以来だ。あの頃は娘もまだ中学生になったばかりだった。

なかなか予約がとれないので有名なラ・ベットラ・ビス。2ヶ月ほど前に息子がたまたま予約をとれたと言って、声をかけてくれた。今日の日を楽しみにしていた。
6時からのディナーに間に合わせるよう、10分前に銀座1丁目の店まで行くと、予約の客らしい人たちがもう20人ほど並んでいた。とにかく、人気の店で予約のいらないランチなどは朝10時から並ぶという評判だ。

人気店だからといって値段が法外なわけではない。アラカルトだが、前菜、パスタ、メインの組み合わせで3990円のディナーコース。大学生のカップルが来ても、ちょっと張り込むぐらいの値段でディナーを食べさせたいという落合シェフの心意気の価格設定になっているのが嬉しい。

お祝いの席ということで、スパークリングワインでまず乾杯した。空腹のせいもあって、ワインの冷たさが胃にしみる。
 間をおかず、小イワシを混ぜ込んだ前菜のサラダが届く。うまい。食欲がむくむく湧いて来る。
パスタは蟹のソースを私は頼む。これが絶品。ここまでで腹9分。メインは鹿肉の赤ワイン煮を所望した。よく煮込まれた肉が口のなかで溶ける。会話も弾んで、楽しい食事となった。

順々に料理がいいタイミングで運ばれてくる。8名ほどのホールサービスの人たちのウゴキが実に軽やかできびきびしている。しかもサービスするときはニコヤかに客と応対する姿は実にスマート。洗練されたマナーに感心した。極上のレストランは単に料理が美味しいだけではない。

8時過ぎ。最後にコーヒーをいただくと、おなかが一杯になった。パンパンに張っていた。
胃の手術をして以来、これほどたくさんいただいたことはない。普段はほとんど外メシをいっしょにしない息子が招待してくれたお祝いのディナー。感謝して店を出ると、夏の終わりの銀座の柳が夜風に揺れていた。

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by yamato-y | 2012-09-16 07:53 | Comments(0)

夏の星座

夏の星座

昨夜、東の空が大きく晴れた。大気が安定しているらしく、普段見えないような小さな星の光がおびただしく輝いていた。見かたによっては、コップからこぼれたミルクのように白く夜空に滲んでいた。屋上にあがって星を見る習慣を長く忘却していた。

大磯に家を建てた1993年ごろには、よく眺めたものだ。屋上にあがって、裏の紅葉山の峰から相模湾までを覆う天蓋に、はりつくような小さな星星を探して特定して愛した。ことに冬の星座は明確で、その凄まじい光に圧倒されたものだ。夏は涼をもとめて星さがしをやったものだが、水蒸気が多いせいか空が霞んで見つけられる星の数が少なかった。
 ところが、昨夜の星座は4等星あたりまで見つけられるほど澄んだ夜空だった。

 平畑静塔の俳論を読んだ。前から気になっていた人物だ。京大俳句事件に連座している。
和歌山出身で、京大の理系に入って湯川秀樹とも交友、後に精神科医となる。在学時から名門京大俳句に出入りし卒業してからも京大俳句にかかわり、同人誌の編集・発行人を務めていた。そのときに特高から狙われたのだ。通説では「鶏頭陣」の主宰者小野蕪子のちくり(密告)といわれている。当時、小野は日本放送協会の芸能班の幹部だった。その職種を利用して政界、官界に顔をうっていた。俳壇では彼の機嫌を損じると危険であるという噂が流れていた。
 静塔は執行猶予付きとはいえ2年半の懲役の判決がおりた。この経歴は終生彼の影となる。このような人生を選んだ人物の句とは、俳論とはいかなるものか、むさぼり読んだ。

 語らなくてもいいことかもしれないが、私には気になる戦後の出来事がある。 平畑静塔は西東三鬼、橋本多佳子と激しい鍛錬会を行ったというのだ。現代俳句の鉄人二人を相手に、一見穏やかな静塔はどんな腹のくくりかたをしたのだろうか。一人はノワールの匂いたっぷりの三鬼。もう一人は若くして寡婦となった美貌の多佳子。火を噴くような句を次々にひねり出して、相手を圧倒しようという鍛錬会。その状景を、夏の夜空のスクリーンに映し出してみた。

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by yamato-y | 2012-09-13 15:59 | Comments(0)

遠雷

遠雷

昨夜は対イラクのサッカー試合が終わる頃から遠雷が鳴り始めた。蒸し暑い夜だから、一雨来てくれるとありがたいと願っていたが、ほんの少しお湿りがあっただけで本降りはなかった。

このところ原発事故の資料や参考書を読みふけっているので、「ウソだらけの報道」とか「新聞は嘘ばかり」とか「新聞は正しく伝えたか」といったキャッチコピーにすぐ反応する。
今朝も、ネットでTBSキャスターの金平さんのデジタルコラム「日本のテレビ局はなぜ反原発の動きを報じ損ねたのか?」に目が向いた。
 3・11の過酷な原発事故は日本の市民の意識をかなり変えた、SNSや自由な活動を通してこの問題に対して当事者性を感じ取った市民が急激に増えたのではないかと、金平氏は推測する。官邸デモでは、4万にものぼるデモ参加者があるにもかかわらず、まったく報道しない大手メディアの取材に対して、市民から「帰れ」コールが出ている厳しい現実。今、原発をめぐって肯定派と反対派の2つの流れの報道があることを指摘し、肯定派が大規模な市民デモをまったく無視している態度の不自然さに疑問を呈していた。

テレビも例外でない。昨夜の9時のワイドニュースでも、東北大震災1年半という特集を組んでいたが、原発事故はほとんど報じられることなく、岩手、宮城の津波震災の復興ばかりに終始している。キャスターが現地に出向いて父を津波で亡くした中学生球児とキャッチボールする光景までリポートのなかにとりこむ姿勢には鼻持ちならないものを感じた。

位相は少し違うが、財務大臣の自死に関する「報道」にしても違和感をもった。12日発売の週刊新潮でかの人の女性問題を扱った記事を掲載する予定だったそうだ。どうやらそれを苦にして大臣は自裁したと思われるが、その原因を作った週刊誌の編集部はこんなコメントを出している。「亡くなられたと聞いて驚いています。心よりお悔やみ申し上げます」なんだか他所事みたいないいかただ。この週刊誌の醜聞記事がなければ、ひとつの命は存続したのに、興味本位、面白半分の記事で、ひとりの男の苦悩が死にまで至らせたのだ。
「心よりお悔やみ申し上げます」という言葉の白々しさ。
権力をもつ人物というのは、いつも公人としてチェックを受けるのだから、この記事もそのひとつに過ぎないと編集部は考えるだろうが、どうもそういう志をもって記事化したとは思えない。むしろ、井戸端スキャンダルとして格好の餌食にしたのではないだろうか。

元宮崎県知事が現役中20人もの女性と乱行におよんだというような記事は、当人の2枚舌性もふくめてしっかり批判すればよいと、記事を肯定する気にもなるが、財務大臣の場合はどうもそれですまないものを感じる。

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by yamato-y | 2012-09-12 13:22 | Comments(0)

おーい、荻窪

おーい、天沼

久しぶりの中央線。阿佐ヶ谷を越えると杉並の住宅街が一望できる。電車はまっすぐ夕焼けに向かう。この光景が吉野弘の詩「夕焼け」を彷彿とさせて好きだ。

荻窪の駅を降りて北口に出る。不法占拠していた焼き鳥屋が消滅していて、公園になっているのには驚いた。町並みは変わらないが、そこにあるひとつひとつの店が変わっている。全体に私にとってよそよそしい町になった。

1975年から80年まで天沼に住んだ。荻窪北口から12分の住宅街、借り上げの独身寮があった。杉並第五小学校の裏。入り組んだ路地の奥だった。風呂はなかったが、まわりに銭湯が3つもあったから不便ではなかった。
金はなく力もなく恋人もなく、ただ時間だけがいっぱいあった。暇だから、出歩いて散歩ばかりしていた。当時はビデオもなく古い映画を見ようと思えば、新宿まで出てアートビレッジのようなシアターに行かなければならなかった。先達からすすめられて、「戦艦ポチョムキン」を見たものの、それほど感心もしなかった。

唯一の楽しみは、ポロン亭という喫茶店へ行って、その店のママであるミヨさんや常連たちとおしゃべりすることだった。店は10時で閉店し、そのあとはみなでカンパしてサントリーの白を買って、だらだら酒を飲んだ。興が乗れば、そのまま荻窪の寺院や公園を散歩して放吟した。

仲間に黒テントの役者、カズオミがいた。妻帯して子供までいた。若くて美しい妻シスカは親切で、ときどき家に呼んでくれた。若い夫婦の所帯が珍しく、行くといつも部屋のなかをきょろきょろ見ていた。そのふたりとも先年相次いで死んだ。ミヨさんも死んだ。
でも3・11を経験しないですんだのはよかったじゃない。フクシマの悲惨を知らないで逝ったのは悪くない。
生きていたら、反原発できっとミヨさんは先頭に立っていただろう。

思い出のつまった町荻窪。すっかり顔が変わっていた。道行く人は老人ばかり。若者の姿はほとんどない。若さにまかせて議論し狼藉をしていた若者の姿を探そうにも術がない。

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by yamato-y | 2012-09-07 16:53 | Comments(0)

40年の旅路

長い友

 40年も細々と友情をつないできた友がいる。2歳年長のコーイチだ。コーイチは埼玉県南部の町で学習塾を営んでいる。
出会った1975年の頃は公立の中学校で数学の教師だった。ロックが好きでローリングストーンズを愛しており、長男にミックと名付けるほどだった。若者の歌が好きなのは今も変わらない。

 コーイチを紹介してくれたのは荻窪の天沼八幡界隈にある喫茶店ぽろん亭の主人ミヨさんだ。ミヨさんは私よりずーっと年長だったがかつて演劇運動に参加し、美大を出てデザイナーを長くやっていたらしい。脱サラして、荻窪で喫茶店を始めた。その店の常連となったことからミヨさんの信頼する友人コーイチとレイ子の夫婦を知った。なんでも両者はキューバの砂糖黍刈りのボランティアで知り合ったそうだ。

 コーイチは大学を出て電子メーカーに勤めた。そのころ始まったコンピュータの製造が主力の学生に人気の会社だったのだが、その金儲け主義の経営に失望。もっと人として生きがいのある仕事をと考えて選んだのが公立中学校の教師だった。
 都会育ちにもかかわらず純粋で朴訥なコーイチは、まるで青春映画に登場する熱血教師だった。勉強が出来る子供よりつっぱっている生徒たちの面倒をよく見ていた。家庭訪問を熱心に繰り返していた。
 80年代に入って、中学校が荒れていた頃、コーイチは学校の教育に限界を感じた。学校側は管理中心で、子供たちの思いなどまったく考慮しないシステムに成り下がったとコーイチは悩んだ。挙げ句、学校を辞めて、地域の塾をはじめた。数学を中心とする学習塾だったが、こどもらの相談に乗る町のカウンセラーのような存在となった。以来、40年塾を営んでいる。
 
 コーイチは荻窪のぽろん亭で月に一度ライブハウスを始めた。週末の一夜、店をミヨさんから借りてフォークシンガーらを呼んだのだ。小さなコンサートのプロデューサーといったほうがいいかもしれない。
高田渡や南正人、その他売れないシンガーソングライターたちがやって来て、歌をうたった。バブル前夜、世の中金儲けにうつつを抜かす時代に背を向けた、永島慎二の漫画に出て来るようなやさぐれた歌い手ばかり、コーイチは呼んでいた。ぽろん亭ライブは最後にカンパを集める。その収益は売れないシンガーにとっては割のいいものだったようだ。コーイチはシンガーから信頼された。
 あれから40年。ぽろん亭ライブも100回を越えた。その間、亭主のミヨさんも死んだ。高田渡も死んだ。ある歌い手は行方不明となり、あるシンガーは葉っぱで収監された。いろんな泣き笑いがあった。気がつくと、コーイチも私もシンガーもみな60代を越えていた。

 このライブハウス活動もそろそろ終わりに近づいたような気がする。コーイチの苦労をねぎらいたい。最後は、彼の望むスタイルのコンサートにして、このぽろん亭にゆかりのあった死者たちを弔うような会をもてたらいいなとぼんやり考えている。


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by yamato-y | 2012-09-07 07:23 | Comments(0)

腑に落ちない

腑に落ちない

 読売新聞の若手記者が一斉メールにしたため、事件取材の極秘情報がたくさんの人の目に触れ、取材源秘匿のルールを破ったと、諭旨退職の処分を受けたと今日の朝刊が報じている。
業務上、大きな過失をおかしても、フクシマ原発のときに対応したおおぜいの役人や東電の職員、社員はひとりとして罪を問われていないのはなぜなんだろう。比較はできないと思うが、先のメール誤送した記者とは違って、フクシマの過失は人命に関わることだったのだが。

 3月11日、午後2時にあの大地震が起きた。それから1時間足らずで大津波が福島第1原発を襲った。自動停止はしていたが、外部電源を失われた原発はすこぶる危険な状態に陥った。午後7時3分、政府は原子力緊急事態宣言を発する。現地大熊町、双葉町、浪江町などは、いつ何時避難を命じられるかと緊張した。
 翌日、津島という原発から30キロ離れた山合の地におおぜいの浪江町の人たちが逃げてきた。午後3時36分、3号機が水素爆発を起こした。ここにいては危ないとか警察が何も言ってこないから大丈夫だとか、避難者のなかで意見が分かれた。出て行く者があったが、残ったままの者も少なからずいた。

 そうこうするうちに15日となり、自主避難ということで二本松市に移った。行政からもなんの指示もなかった。
その間、爆発した炉から放射性物質がかなり飛び散ったらしい。後になって、カウンターで計測したところ機械の針は高い値を示した。それでも、テレビで枝野官房長官は「地域の皆さんに影響をあたえるものでない」と発表していた。

 原発から放射性物質が放出されたとき、風に乗ってどんなふうに拡散するかというコンピュータ予測するシステム、SPEEDIが80年代から120億円もかけて開発されていた。運用は文部科学省である。ところが大地震のためその機械が故障して今回の爆発でどれぐらいの量の放射性物質が空中に出たか把握できないため、このシステムの活用は不能になったと伝わった。ところが、全体量は分からなくても、どういう方向でどれぐらいの区域に落下していくかという計算は行われていた。しかも、あとになってデータを調べると、ほぼ実際に動いたものと異同がそれほどない。
 その落下した区域のなかに、先の家も入っていた。もしこの情報が現地に伝わっていれば、そこにいた人たちはいち早く避難したであろうが、無為のまま一夜を明かす。その状景を思い浮かべるだけでもそら恐ろしくなる。

文部省所管の原子力安全技術センターは、データが不完全だということで公表しなかった。だがセンターから福島県には86枚のデータが送られている。福島県側はそのデータは不完全なものと決め付けて消去してしまったというではないか。

そうして、このデータが明らかになるのは、3月23日以降となるのである。もはや住民たちは放射性物質がフォールアウトする場所に十分止まった、相当あとのことだ。

文部科学省、原子力安全技術センター、福島県、それに官邸・・・。いったい誰が悪いのか、誰が責任をとるべきなのか。今にいたるまで誰も処分もされなければ誰も責任をとってもいない。

 かつて厚生省のエイズの薬害訴訟のとき、やるべきことをやらないでいること、不作為もまた罪であるという判例が示されたことがあった。そのときの厚生大臣は菅だったはずだ。その判例の考え方にのっとれば、今回の出来事にも一定の答えが出てくるはずだが。

 という憤りを、新書『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)を読んでいて、禁じえなかった。これはマーティン・ファクラーという在日米人記者が書いている。ぜひ、読んで欲しい。

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by yamato-y | 2012-09-05 16:04 | Comments(0)

静かな反響

静かな反響

昨夜、無事放送が出た。
夜10時からのETV特集「吉田隆子を知っていますか~戦争・音楽・女性~」という60分のドキュメンタリーだ。今年の春過ぎから制作して、やっと陽の目を見た。元々8月の戦争関連番組がよく放送される15日前後を予定していたのだが、今年は沖縄が注目されて、その関連番組が2つ8月のオーダーに入ったため、押し出されるかたちで9月初旬に放送となった。

放送を終えたあとの反響は悪くはない。こういう人物がいることを初めて知った、彼女の楽譜をきちんと読みたい、などの熱い声がいくつも挙がってきている。有難いことだ。
なにより驚いたのは、活動家でもない吉田隆子が4度も特高に引っ張られながら、けっして転向、妥協しなかったこと、という歴史通の方たちからの声もある。

 治安維持法とか特高警察という存在は、国家が総力戦を遂行していくための暴力的歯止めであったことを、今回の番組制作を通してつくづく理解した。教科書だけではなかなか分からないものだ。それにしても、人形劇団プークの女性団員たちの肝っ玉の座っていることには敬服する。川尻錦子さんは94歳という高齢にもかかわらず、いまだに世の不正に対して怒りを隠さないなど情熱は少しも衰えてはいない。

今回の番組で吉田隆子の描けなかった部分がある。彼女の恋である。最終的に、劇作家久保栄と20年以上にわたって暮らしをともにするのだが、それ以前に彼女は数回の恋愛と結婚を繰り返している。その情熱性、一途さなどをもっと表してみたかったが、わがチームにはそこまでの技量がなかった。隆子の「可愛さ」を描くことには力足らずであった。少し口惜しい。

 この吉田隆子に私が興味をもった最初の動機は、彼女の兄正の存在である。長兄は異母兄で、血がつながるのは次兄の正だけだ。その正は早くに養子となって出されたため、飯島姓を名乗っていた。兄の名は、飯島正。
なんと、戦前から活躍してきた高名な映画評論家ではないか。ヌーベルヴァーグが盛んな頃、私たちはその名前を映画雑誌でよく目にしていた。あの飯島の妹であれば、きっと本物にちがいないと、根拠のない確信をもったのだ。

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by yamato-y | 2012-09-03 15:17 | Comments(2)


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