定年再出発  


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by yamato-y
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20年も前のこと

 車輪の一歩

 プロデュ―サーになりたての頃だった。世の中に障害者はそれほど進出していなかった。どちらかというと、障害をもっている人たちは家にひきこもっていた。

 山田太一のドラマが評判になっていた。そのなかに「男たちの旅路」という土曜ドラマがあった。鶴田浩二、水谷豊たちが出演したガードマンのドラマだ。「車輪の一歩」という今思い出しても心が震えるようなドラマがあった。
 車椅子に乗った6人の若者。彼らは車椅子を使用しながら、なんとか社会に参加したいと願っていた。といっても世間はなかなか彼らのことを理解してくれない。
 あるとき、メンバーのひとりが車椅子の少女と文通をしていて、その娘が家にひきこもっている事実を知る。幼い頃に脊髄を損傷したため車椅子生活となっている少女。母と二人だけの暮らしをしている・・・その母は娘にきびしく外出を禁じている。6人の若者たちはなんとか外に引っ張り出したいと計画を練った。
 ある日、母の留守の間に、その少女を近くの公園にまで引っ張り出すことに成功した。若者たちははしゃぐ――連れ出された少女も最初はとまどっていたが、次第に解放された時間を満喫する。彼女も新しい世界への期待が膨らみはじめた。心ときめかした。

 その帰り道のことだ。電車の踏み切りを渡っているとき、少女の車椅子が線路の轍に落ちた。身動きがとれない。若者たちも引っ張り出そうとするがうまくいかない。やがて、電車が接近して来た。6人の若者も車椅子のため、なかなか救出できない。あわやというとき、通りかかったタクシーの運転者が現れて、少女は無事に救い出される。
 少女は蒼ざめた。そればかりか、恐怖のため失禁する。ついに、少女は泣き出した。6人の車椅子の若者たちは、若者が6人もそろっていながら何もできなかった自分たちの境涯を思い知らされ、不甲斐なさにうちのめされる。このシーンの演出が見事だった。

 ドラマと分かっていても、心を揺さぶられた。この「車輪の一歩」が私のテレビ人生に大きな影響を与えた一本であった。このドラマの演出は、中村克史という気鋭のディレクターだった。その名前はしっかり私の脳裏に刻まれた。

 それから数年後、アメリカからニュースが飛び込んで来た。障害者法というのが成立したという。障害は障害者自身にあるのでなく、生きづらくさせている社会に障害があるのだ、そういう社会こそ改善させなくてはならない、という思想からその障害者法というものが生まれたという。福祉関係者にとっては大きなパラダイムの転換だ。福祉番組の責任者になっていた私は、そのニュースには多大な関心をよせた。

 当時、NHKスペシャルの年間計画に、12月1日を「障害者の日」として編成されることがあった。そこで、私はアメリカの実情を知らせる現地リポートを提案し、作った。車椅子の人が行動するために、社会が支援協力することは当然――山田太一ドラマの先を行くような事実や出来事がいくつも報告された。山田太一ドラマの物語は、日本社会の変化を予見するような作品だったのだ。

 母は晩年短歌に精を出した。NHK短歌にもせっせと投稿した。ときどき佳作入選などになると、事務局から美しい短冊が届いた。そこには当該の短歌が刻まれており、主催者の理事長の名前があった。中村克史とあった。あのときのドラマディレクターである。
母が亡くなったあと、中村さんに年賀状で母が「NHK短歌」への投稿を楽しみにしていたこと、生きる励みになったと書いて、感謝を伝えた。

しばらくして、中村さんから小包が届いた。開けると、母の入選した短歌が載った「NHK短歌」のバックナンバーがあった。

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by yamato-y | 2012-06-30 14:15 | Comments(1)

戦争と音楽と女性

戦争と音楽と女性

今朝早く、自由が丘に集合した。かつて劇作家久保栄と音楽家吉田隆子が暮らしていた家に調査に入るためだ。集まったのは撮影クルー、プロデューサー、私、女性研究者。

吉田が死んだのは1956年、久保はその2年後に没している。以来、ふたりの家は養女であった久保マサさんによって守られてきた。が、そのマサさんも昨年死去し、近親の方が管理している。そして、開かずの間になっていた部屋の扉が開き、なかから戦時中の吉田隆子の心中の叫びを記したノートが出てきたとすれば、「愉快」「快挙」じゃないか。

吉田隆子。1930年代から50年代にかけて活躍した、女性作曲家のパイオニア的存在。「君死にたもうことなかれ」を作曲したり、バイオリン・ソナタ、ソプラノとピアノのための組曲「道」などを作曲したりした。ムソルグスキーの日本紹介に多大な力を貸したり、久保栄「火山灰地」の音楽を担当したり、戦前の男性優位の音楽界にあって大きな力を発揮した。ところが、現在はその名前はほとんど聞かれない。・・・なぜだろう。

その燃えるような鮮やかな吉田の行動、振る舞いは、当然にも当局から目をつけられ、弾圧される。
23歳のとき逮捕され築地署へ。25歳のとき上野署へ拘留。27歳のとき東調布署に挙げられる。そして1940年、戦争の始まる1年前の1月、碑文谷署に連行され、このときは5ヶ月にわたって拘留される。そして病がひどくなったということで6月過ぎ、急遽自宅に押し戻される。まるでズタボロの雑巾のような有様だったという。
警察で、彼女は相当ひどい扱いを受けた。食べ物もロクなものも与えられず、暴力でなく辱めという陰湿な仕打ちを長期にわたってうけた。そのために、吉田は病気となり、長い闘病に入る。ちょうど戦争期にあたる1941年から45年まで、床に伏せたきりになるのだ。その苦渋のなかで綴った言葉が、今回、肉筆でつづったものとして発見された・・・。長く行方が分からなかった記述だ。そこには、吉田隆子の血を吐くような言葉があった。

この出来事を描いた番組は、8月の第4週の日曜日の夜に放送される予定。タイトルは未定。

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by yamato-y | 2012-06-29 18:00 | Comments(0)

受賞の通知

受賞の通知

朝一番、いいことがあった。アメリカで開かれた国際フィルム・ビデオ祭で、去年制作した杉本文楽のドキュメンタリーが部門3位のクリエティブ・エクセレンス賞を受賞した。
10月に放送したあと、評判がいいので英語版を作ってみたらと声がかかり、「SUGIMOTO meets Bunnraku」というタイトルで翻訳された。

今回のコンクールは、北米中心の歴史のあるもので、29カ国から1100の作品が応募してきたと、主催者のホームページにある。素直に受賞は嬉しい。

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by yamato-y | 2012-06-28 12:48 | Comments(1)

テッペン越えの次の日

テッペン越えの次の日

昨夜は帰宅したのが午前2時。自慢じゃないが、今朝も時間通りに出勤した。
夕方4時から、ナレーションコメントの直しをはじめて、終わったのが午前1時半だった。よく体がもったものだ。途中、血圧が上がっているなと「気配」を感じたときが一度ならずあった。だが、プロデューサーの一人としては、作業を放り出して帰ることもできない。
60分サイズのアートドキュメンタリーのナレーションおよび吹き替えのコメントが適正かどうか検討しながら、最初から終わりまでチェックするのだ。コメント数は222。いつもより多い気がする。
イギリスの名画で、ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィリーア」。この絵のドキュメンタリーなのだ。
シェークスピアの「ハムレット」に登場する悲劇のヒロイン、オフィーリア。ハムレットに捨てられ、さらに父も殺され、失意にあったオフィーリアが、過って河に落ちる。その流されていく様を描いたのが、今回取り組んだ「オフィリーア」。

局の若いプロデューサーが熱心で真面目。とにかく、手抜きということを知らない。ひとつひとつのナレーションコメントをもっとも正確で美しい表現に仕上げようとするから、時間はいくらあっても足らない。台本のページ数は57。2ページ進むのに1時間というのもザラ。
むろん、夕食もコンビニで買ってきたぶどうパンとミルクを頬張りながら、コメント直しを続けた。
 そんなハードな日の翌日にもかかわらず、日常業務が普段以上に多い日となった。
おまけにトラブルも発生。いったいどうなっているんや。

 不思議な仕事のリズムが続いている。暇な日が2日ほど続くかと思うと、突然多忙が降りかかってくる。こういうことの繰り返しがこの2ヶ月ほど続いている。


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by yamato-y | 2012-06-26 18:06 | Comments(0)

俗の俗

俗の俗

句会で盛り上がった。
私の選んだ句が通俗だと、宗匠が指摘したことから、議論は紛糾したのだ。
ifといふ鵜の吐き出せぬ思ひかな
もしも・・・あのとき、あの行動をとらなかったらと後悔する念を、喉元に押し込んでいる姿のアレゴリー。鵜が魚を摂って喉越しにせず留めている「悲しみ、苦しみ」を、思い出を反芻する悲しみの寓意にあつらえた句である。
そういう感情は月並みで、大衆がふと思いつきそうな“安い”ものじゃないかと宗匠は言う。
そうかなあ。喉元に悲しみが滞留しているという表現はそれほどあるとは思えないのだが。

でも、なにより気になったのは通俗な意識は俳句では敬遠されるということ。
誰しも考えるような、宣伝文句のような、語呂のいいだけの、俳句というのは駄目だ。という俳句界における戒め。
一般論としては分かるが、掲句はそういうものに該当するとは思えないのだ。
正岡子規がかつて月並み批判をした。『陳腐、平凡』という意味を含んだ、教訓的、風流ぶった、嫌味な、穿ちのある俳句や短歌を「月並み調」と批判したのだ。
朝顔につるべ取られてもらい水
これなどはわざとらしいという類例になる。
子規が挙げた句
手料理の大きなる皿や洗ひ鯉
手料理とか大きなる皿という表現がもはや月並みだと、子規は語ったらしい。そこで子規が推奨するのが「雅趣」。おくゆかしい心というのを尊ぶ。わが宗匠は、「ポエジー」ということを盛んに強調した。

でも、月並みだっていいじゃないか。そういう常套句でも、気持ちを代弁できるならいいじゃないか、という不満が私のなかにはあった。

月並みの反対に、ヘンテコリンな言葉の衝突を目論む句もある。「俳句を意味の中だけで完結させることを嫌い、自立した言葉同士が邂逅することによって生まれる新しい叙情性を追及した」摂津幸彦のような作品もある。宗匠はそういう前衛がお気に入りのようだ。
ヒト科ヒトふと鶏頭の脇に立つ
これは、よく読むと、ハ行カ行タ行の音が響きあう仕掛け。
私はこういうのは採らない。何かわざとらしさを感じて、逆に俗味を感じてしまう。
でも、なかには好きな句もある。

さやうなら笑窪荻窪とろゝそば

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by yamato-y | 2012-06-25 12:18 | Comments(2)

イカキョー

イカキョー

学生たちがにやにや笑いながら、「イカキョーだからね」とか「イカキョーなんだよ」とつぶやく。何のことだ。
長谷川京子のことをハセキョーと呼ぶのは知っているが、イカキョーなんて言葉は知らない。
これは、実は今学生たちが制作している「番組」のなかで飛び交った言葉だ。その番組の主題は、「京大生男子は草食系か」。
この問いを、時計台の前の広場で当の京大生男子にぶつけてみたのだ。
問いに対して、多くの学生たちは「京大生は変わり者が多いから」「地味な人ばかりと入学前は思っていたら、全然違う。派手な人が少なくとも3割はいた」「異性と話したりするのは苦手」。
そのなかで飛び出てきたのが「イカキョー」だった。いかにも京大生、というの略語。
やはり、京大生の自己認識も「変わり者」というイメージなのだ。

だが、この大学の教壇に立ってきた私から見ると、予想以上に軽い、軟派な学生が多いということだったのだが。
さて、先の学生制作の番組の仕上がりは、7月5日。どんなふうに仕上がるのか楽しみだ。

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by yamato-y | 2012-06-23 08:57 | Comments(0)

ついり

ついり(梅雨入り)

静岡を越えて遠州平野を新幹線で通過している。田んぼの苗が小雨を浴びて青々と茂っている。ついりを果たした本州。数日前には季節外れの台風4号が襲来して大騒ぎとなったが、まだその余燼がくすぶるなか、次の台風5号が熱帯低気圧に変わって押し寄せている。とにかく、日本列島水浸し。
京都へ向かっている。6月の授業は2日間。その間に、映像編集の意味を教え、実際のモンタージュを学生たちに実行してもらう。さて、5月に開始した「取材」は3つのチームともうまくいったのだろうか。
 昨日は近世の名画をめぐるドキュメントの5回目の試写が青山であった。ディレクターは大ベテランで、経験豊かな海千山千の御仁と聞かされていたが、今回の取材ははっきりいって成功しているとはいえない。取材がほとんど「フィラー」なのだ。
 フィラーとは新聞雑誌の活字の世界でいえば「埋め草」。あまったスペースにはめこむような記事のことを埋め草と呼び、それらは記事として情報性、時事性などの意義など期待されない。あり合わせの、絵葉書やカレンダーのような、ただ美しいとか珍しいとかだけが特徴の映像を指す。天気予報のバックに流れる映像などがその一例。そこに映っているものがメッセージもしくは意味をもつという映像でなく、何かの情報(例えば天気予報、イベント情報、街角情報など)の「壁紙」のようなものを指す。わざわざ現地まで出向かないと撮影できないという意味性のある映像でなく、ロンドンブリッジとテームズ川、イングランドの森といった名所旧跡のご当地自慢映像でしかないような月並みな映像ばかりが並んでいる。
取材が甘い、ときつく叱った。いったん編集を中断させて、最初からもういちどつなぎ直したらどうかと提案したのが10日ほど前のことだった。今回は、そのやり直しバージョンの第1回試写だった。

結果は、ぎりぎり合格点。めっぽう面白いわけではないが、絵の魅力が一応描けていると判断し、最終バージョンを目指して、最後の編集作業にとりかかってほしいとだけ、そのベテランディレクターに伝えた。

ドキュメンタリーというのは難しいものだ。取材するテーマというものは生き物のようなものでじっとしていてくれない。いくつも姿を変える。だから一面的にしか取材していないと、その主題そのものから遠く離れたものになるということは少なからず起こる。

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by yamato-y | 2012-06-22 23:07 | Comments(0)

早苗ちゃん

早苗ちゃん

「大学ノートの裏表紙に早苗ちゃんて書いてみた」、という歌詞で始まるフォークソングがあった。
私の時代ではない。吉田拓郎という歌い手が好きだと末弟が言っていた頃だから70年代の後半のことだったろう。歌の終わりは、早苗ちゃん、早苗ちゃんと連呼する歌だったとかすかに覚えている。

幼馴染に山口早苗さんという人がいたことを、明け方まどろみながら思い出した。同じ集合住宅の地域に住んでいたこと、美人3姉妹のなかんちゃんだったこと、習字がうまかったことなどをぽつぽつ思い出した。そういう記憶はすべて小学生の時代のことで、色気が出てきた中学生時代にはほとんどない。歩む道がまったく違ったからだろう。

2年前、母が病で倒れる前に早苗ちゃんのことを、嬉しそうな顔で話してくれたことがあった。かかりつけの病院で出会ったというのだ。「あんた、覚えているか。早苗ちゃんって可愛い娘がいたことを。あの子が先日、K医院の待合室で話しかけてきたのや」と声が弾んでいた。早苗ちゃんもお母さんの薬をとりに来ていたらしい。母を見かけて懐かしくなったのか、徒歩で来た母を車で送ってくれたそうだ。その親切が嬉しかったのか、そのときに私の話が少し出たことが嬉しかったのか、母は満足そうな顔を見せた。その表情が輝いていたことが、今も私の心を温かくさせる。
ところが、平成24年に発行された高校の同窓会名簿で、その名前を探すと住所不明者になっていた。どうしたのだろう。どういうことなのだろう。
小さい出来事、ささやかな思い出だが、住所不明という暗い言葉に飲み込まれることが悲しい。

昭和30年代の私の周りは貧しく、いつも空腹だった。北陸地方は辺鄙だから都会に比べてずっと遅れていたのだと思い込んできた。ずっと劣等意識をもってきた。東京へ出てきただけでドギマギしていた。
が、東京でも大阪でもやはり貧しかったのだということを少しずつ分かってきた。高井戸に住んでいた川本三郎さんのエッセーや上州の田園で育った南木佳士の短編、大阪人の宮本輝の小説を読むなかで、全国オール貧乏だと知る。みんな同じ体験をしてきたのだなとこのごろつくづく思う。木造校舎、雨が降ればぬかるんだ道、給食の揚げ竹輪、遠足にもっていったチョコレート、原っぱ、夜汽車の汽笛、習字道具を入れた画板。
早苗ちゃんの名前を口にすると、そんな光景が浮かんでくる。

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by yamato-y | 2012-06-20 07:34 | Comments(0)

いささか弁解

この差はどこから来るか

年齢か意欲か。友人のナガタさんのブログ「隙だらけ好きだらけ」を読んでいると、毎日記されている記事の分量と豊富な話題にたまげてしまう。私の経験から言うと、毎日ブログ執筆だけで1時間は時間を割いていると見た。私の「定年再出発」のような字数の少ない記事ですら、ほぼ1時間半かかっているのだから、「隙だらけ好きだらけ」は推してみると2時間かけて書いていると思われる。
とにかく話題が偏らない、固まらない、面白い。加えて、感情がストレートに表出されるから当方の共感も反発も早い。つまり読解しやすい。
このブログからの推測判断だが、作者ナガタさんの読書量は大学の先生というより、ディレクターの仕事として読む量に近い。しかも書籍の種類が一般書、新書、画集、写真集と実に多様。もしかすると、これらの読書以外に、専攻であるメディア社会学の専門書も読んでいるのだろうか。とすると、1日24時間をどんなふうに使っているのだろう。

読書だけじゃない。行動力にも目をみはる。東北へ出かけたり大阪へ行ったり、東京近郊は平塚や下町まで、実にチョコマカ動いている。これらの交通費、運賃はどうなっているのだろう。すべてが大学が払ってくれるとも思えないし、かといってすべて自弁とも思えない。

さて、ここでわが身を振り返る。5年前、ブログを始めた頃の私とて、最初の3年ほどは意欲的にあれこれ書いたものだ。ブログで「走り書き」しておいたものを、いつか、まとめたいという欲求がふつふつとあった。

執筆意欲が減退したのは、母が病で倒れやがて他界し、直後に私が胃がんになった頃だ。プライベートなことがあまりに多忙で、加えて、番組作りも増えたこともあった。湘南ライナーの利用が減ったことも要因のひとつ。往復2時間の「分離された時間」が消えたことも執筆減少の理由。

でも、一番大きなことは主持ちのサラリーマンはなかなか自分の考えを表明できないものだということを知ったからだ。私が書いたいくつかの記事について、守秘義務が発生しますからと警告を受けたことが数回ある。いずれも韓流ドラマに関する情報だった。
その頃からだ。少しずつパソコンが遠くなっていったのは。

でも、ナガタさんの迸る情熱のブログを読んでいると、もういちど奮い立たさなきゃという気にもなる。

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by yamato-y | 2012-06-18 12:13 | Comments(1)

猪とツヴァイク道

梅雨入りしたツヴァイクの道


久しぶりにツヴァイク道を入っていくと、あちこちに立て札がある。「いのしし用の網をしかけてあるので注意」というようなことが書かれてある。
どうやら、春先に見かけた大型の猪が頻繁に出没するようになり、繁茂していた下草をすっかり刈り取って丸裸の野原にしたようだ。露出した地肌に網がうっすらとかかっている。
夕方、日がかげったあとに、山道を下っていると、いささか薄気味悪い。ひょいと、行く手に猪が今にも現れてきそうだ。

大磯の書架にあった工藤敏樹の本を久しぶりに手にとって読み始めると、止まらない。
工藤さんのシナリオのコメント部分を声に出して読んだ。

今、画策している企画は、工藤さんが切り開いてきた茨の道の、イラクサのようなもの。
果たして、こういう進みゆきでいいのであろうか。

ツヴァイク道に、一叢の紫陽花があって、梅雨の晴れ間の光を浴びて美しい。その背中にうっすらと江ノ島が浮かんでいた。

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by yamato-y | 2012-06-15 17:53 | Comments(0)


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