定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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仲間の受賞は嬉しい

仲間の受賞は嬉しい

ETV特集のチームが今年度の文化庁芸術祭賞の大賞に選ばれた。東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染の実態を調査報道した、NHKのETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」などがその受賞理由である。1本の番組だけでなく、シリーズ全体で福島原発の事故に取り組んだことが評価された。
とすれば、私も関わった大江健三郎さんと大石又七さんの対話のETV特集も評価されたと考えたい。

今年度の文化庁芸術祭賞には、7つの部門に268の作品や公演が参加して、審査が行われ、その結果、テレビ・ドキュメンタリー部門では、先の結果となったのだ。この受賞の立役者はまず「ネットワークでつくる放射能汚染地図」の大森チーフディレクター、次に全体を統括してきた増田プロデューサーであったといっても過言ではなかろう。二人とも、私の好きな人たちで、長年の仲間である。

特に大森Dとは広島時代いっしょだった。デスクという名前になっていたが、いい番組を作っていた。彼と組んで10本以上作品を私も作ったと思う。広島に夏が来て、凪の季節になると、私と西世デスクと大森の3人は、せっせと流川へ出かけて、酒を飲んだ。時には、浪曲師だった老婦人のカラオケバーに行って、その美声に聞きほれたものだ。

こんなことがあった。3人でしたたか飲んで、最後に馴染みの「銀河鉄道」に行くと、なんと部長が幼馴染を連れて「偉そうに」飲んでいた。ここは私たちペエペエのたまり場。幹部クラスが独自で来ることもないのに、友達を連れてふんぞりかえっていた。その友というのが、俳優の橋爪功さんだった。二人は大阪教育大付属中学の同級生だったとか。撮影で広島に来た橋爪さんが野原部長を訪ねて来て、意気投合して、流川で祝杯をあげていたという経緯らしい。部長はガラッパチだが気のいい人。我々の顔を見て、「おう、これがうちの若い衆」とかなんとか言って紹介したと思う。すると、西世が突然「うるせえ!ここはおれたちのショバだ。手前らなんかが来るところじゃない。帰れ」と怒鳴った。

なにが起きたか一瞬分からなかった。部長の顔は見る観る朱に染まった。「なにいいい。今なんと言った」部長がいきめばいきむほど、西世の罵詈雑言は過激になる。「○×部長のノータリン」「3文役者の▽▼」傍にいた私も大森もいっしょになってはやし立てる。最後はシュプレヒコールとなる。「帰れ、帰れ」部長はカンカン。店のママはおろおろしていた。外に連れ出せと言われて、私と大森が西世を引きずって外に出た。

出た途端、西世は素面にもどってこう言った。「あの橋爪という役者はいいよね。俺は大好きだ。だからからかってやったんだ」呆れた。人騒がせなことは定評があったが、ここまでやんちゃとは思わなかった。さらに大森の顔を見ると、嬉しそうにうなづいている。「面白かったなあ。部長も相当頭に来てたぞ」。大森もまったく反省の色なし。あちゃー、二人とも駄目だ。明日、会社へ行ったら、部長に何て言い訳するんだよ。3人のなかで、私が最年長だし、役職にもついている。当然、私の部下のしつけがなっとらんとかなんとか叱責されるんだろうなあ・・・。最悪の事態は・・・・。

ええい、もういいや。処分でも何でもやってみろ。気が大きくなって、また流川の居酒屋を求めて、3人は歩き出した。
ところで、次の日のことだが、朝のミーティングに顔出すと、部長は何もなかったかのように、本日の取材スケジュールの確認を始めるぞとて点呼をとっていた。私の名前を呼んでも、顔もみない。いつものようにてきぱきと業務の指示を出していた。やるなあ、野原部長。

 今から19年も前のことだ。ガキ大将みたいな顔をしていた大森も今ではドキュメンタリーのマイスターだ。見識、問題意識、取材力、構成力、コメントの味、どれも際立っている。あの「ネットワークでつくる放射能汚染地図」のラストシーンを覚えているか。無人となった集落に置き去りにされた飼い犬が、最後に取材班の車を追って走って来る場面。ここ数年のなかで、あれほど胸がつまる場面を見たことがない。放射能汚染という過酷な現実をかくもリリカルな描写で捉えた大森の「精神」に感服する。受賞、おめでとう。

――野原さんは、その後退職して、奥さんの実家がある福岡に引っ込んだと噂を聞いた。明るい人だったが、時折寂しそうな顔を見せた。若い頃に、最初の奥様を失っていたという理由を聞かされたのは、私が東京へ転勤して野原さんと離れてからだ。


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by yamato-y | 2012-01-31 17:44 | Comments(1)

前の時間、後の時間

前の時間、後の時間

日本の人口推計が昨日発表されて話題になっている。50年後には現在1億3千万の日本の人口が8700万まで減少するという。65歳以上の老人が3人に一人となるそうで、年金などの社会保障制度などが破たんしてしまうと、テレビや新聞が騒いでいる。その頃はもちろん生きているわけがない、子供たちの世代が老人になっている。つまり現在の若者たちの老後の問題である。たしかに彼らには差し迫ったことだが、親世代の私らにはどこかに関係ないという「無責任」がある。
4年以内に襲って来るという首都直下地震は他人事ではない。目の黒いうちに見ることになるかもしれない修羅場に恐怖する。その恐怖に原発の事故が加わればもはや生き延びることはできないと深い絶望にかられる。

先一昨日、トミさんの出版のお祝いを、老年4人が荒木町のしほ瀬で開いた。甲州に隠棲しているHさんが久しぶりに上京したという機会に合わせて、70代の仲間が集まったのだ。私だけ60半ば。現役は一人もおらず全員年金生活者になっている。
トミさんが著したのは『ぼくのNHK物語』という自伝的ノンフィクションだから、当然、座は昔話と知人の話となった。物故した偉大なドキュメンタリストから死にかけの先輩まで、景気の悪いことばかり。だが湿ったりもせず盛り上がるのは、各自もそろそろ泉下に入ることを覚悟しているからか。残された後の時間は少なくなったという自覚か。

昔なら2次会で新宿に出かけたものだが、極寒の土曜日ということもあって、午後7時過ぎにはお開きになった。私は足が少し不自由になっているHさんを送って青山の宿まで行った。そこで1時間ほど昔話となった。Hさんは当初ラジオドラマから出発し、家庭番組や情報番組を担当してきた、女性ディレクターの草分けのような存在。今でこそ、女性のディレクターや記者が海外取材することは珍しくないが、Hさんの時代に初めてリツコさんが出かけたときのことをあれこれ聞いた。Hさんのテレビの代表作は写真家濱谷浩のドキュメンタリー。美しい新潟の海岸のラストシーンは今も鮮明に覚えている。
これ以外の、Hさん自身が思い出になった番組は何かと聞いた。宇野千代を3夜にわたってインタビューした女性手帳、戦争未亡人清水鶴子を追ったドキュメントという答えだった。後者の清水鶴子さんは、ちょうど同じ時期に、私もラジオドキュメンタリーとして取材していた。その当時を思い出して、話が盛り上がった。

 最後に、Hさんが平松洋子のエッセーを愛読していると聞いて、我が意を得たりの想いがした。

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by yamato-y | 2012-01-31 08:47 | Comments(0)

失われた言葉

失われた言葉

1945年8月6日、午前8時15分に広島市に原子爆弾が投下される。
中国新聞の報道カメラマンだった松重美人は、その朝出勤途中でトイレに行きたくなり、自宅に引き返した。それが命を得ることになる。爆心地より南東に約2.7kmの翠町の屋内で被爆したが傷は薄手で、愛用のマミヤシックスを残骸のなかから掘り起こして市内数箇所の惨状をいち早く撮影する。それらは8月6日当日の広島市内の出来事を撮った唯一の写真となる。6枚撮影されたが、1枚は露出不足で破棄され、現在5枚残されている。あの有名な御幸橋西詰の光景もそのなかに含まれる。この写真を撮影した経緯については、松重自身が「なみだのファインダー」という著書で克明に語っているが、テレビでも1983年のドキュメンタリー「爆心地のジャーナリスト」(1980年)というなかで、そのときの心境をインタビューで答えている。

そのドキュメンタリーを試写していて、ふと気になることがあった。御幸橋付近で撮影をしようとしていたときのことを松重が説明する段だ。あまりに凄惨な姿に成り代わっている女学生や中学生たちが哀れで痛ましくて、松重はなかなかシャッターを切ることができなかった。最初のシャッターを落とすのに30分はかかったという。その心境を、中国新聞の西本記者は、「報道カメラマンの使命とはいえ、シャッターを切るにはためらいがあった。逃げてきた人たちを後ろから一枚、二枚と撮り、顔をアップでと回り込むと、あまりにむごくて…もう撮れなかった」と表現している。被写体は年端もいかない中学生や女学生だった。まだオトナになりきれていない幼い体のあちこちから、裂かれた皮膚が垂れ下がっている。痛みにも恐怖にも、神経が麻痺しているのか反応を示さない。そして、上述したようなコメントを、テレビドキュメンタリーでも、松重さんは語っているのだが、奇妙な言葉の断片が、映像を鋭く切り裂く。

あまりにひどい光景に息を呑んだという言葉の前に、「アメリカは・・」という松重さんの言葉が稲光のようにきらめいたのだ。その語は他の言葉と絡むことなく、すぐやみの中に消えてしまう。短い言葉だが、映像を見る者の脳天をがんと打つ。

松重は何を言いたかったか。〈アメリカは何とひどいことをやったものか。あまりに惨い仕打ちではないか。けっして許すことのできない、悪逆無道の行いだ。アメリカの罪は・・・・・〉というような言葉が続くはず、アメリカの加害を問う言葉だったのかもしれない。だが松重さんは途中で言葉を飲み込んでしまった。番組は、そんな言葉に拘泥せず、淡々と進行していったが、飲み込まれた言葉は時間が経つほどにだんだん大きくなってきた。

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by yamato-y | 2012-01-30 15:28 | Comments(0)

今年の冬は寒いとか

連嶺の夢想よ

4年以内に関東北部で大きな地震が来ると、今朝のアサイチで報じていた。
ああ、あの惨たらしい光景が再び起こるのかと思うと憂鬱だ。滅入ってくる。この地球のなかで、日本はかなり不運な区画にある。西ヨーロッパなんてほとんど地震がない。日本は四百年とか数十年とかの周期大きな地殻変動が起きるのだ。そのたびに、人のくらしはずたずたにされる。それでも、この国の人たちは不平をこぼさず黙って立ち上がってきた。

二十世紀の終わり、世紀末はそれほど大きな変動はなかったと見ていたら、こんな20年近く遅れて、苦難の時代が来てしまった。日本人の一人ひとりは勤勉に真面目に働いているものの、貧しい政治のために、この国は少しずつ沈下してきた、まもなく取り返しのつかないポイントまで後退するだろう。「曾根崎心中」の一節が聞こえてくる。
〈いつまで生きても同じこと・・・〉

  一月の川一月の谷の中
飯田龍太の句だ。実に清潔な心境。このような境地に戻りたい。
 伊東静雄とて呟く。
  わが死せむ美しき日のために
   連嶺の夢想よ! 汝が白雪を
  消さずあれ
それにしても、「わがひとに與ふる哀歌」とは何と美しい題か。

戯れに、映画「なごり雪」を観た。大林監督の作品だから、そこそこの仕上がりだろうと見込みで2時間。
麒麟も老いて駄馬となる。いつのまにか、大林の感受性は摩滅していた。悲しからずや道を説く君。戯れに映画は観るな。

一方。「SONGS」で由紀さおりを聴いた。彼女のアルバム1969が欧米でヒットしているという時宜にあわせた企画だろう。「マシュケナダ」と「ブルーライト横浜」がよかった。歌謡曲に一生を賭けるという由紀の心意気に感心する。願わくば、「手紙」か「初恋の丘」を歌ってほしかった。気まぐれに歌を聴けば。

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by yamato-y | 2012-01-26 15:26 | Comments(0)

説教を垂れた

説教を垂れた

久しぶりに、中堅社員に説教した。半年前に、私のプロデュースで美術番組を作って以来、これといった作品を手がけていない。毎日、資料読書。そのうちに、何か動き出すだろうと見ていたが、とうとう年を越した。田舎から帰ってきて、両親が心配していたと報告するから、当然だと叱った。番組制作を生業とする者が、番組を作らないということは職務怠慢でしかない。そんな奴はいらない。だって、そいつがいなくても会社に支障がないということは、いらないという証明じゃないか。33歳にもなって、そんなことも分からないのかと。

暢気坊主のそいつも、流石に慌てた。ドタバタとセンターのほうへ走って行った。どこへ行ったのだろう。思いついて、すぐに企画を採用してくれるほど、この世界はあまくない。
昔は、(広島の時代のことだ)よく説教を垂れた。取材が下手だから、編集が混乱しているから、コメントが幼稚だから叱るのでない。そんなことは、デスクやプロデューサーがいっしょに考えればいいのだ。自分の番組を愛していないこと、いい加減に作っているのを見ると、頭に来た。どっかーんと、雷を落としたものだ。

でも、こういう暑苦しい番組制作を嫌がる者もいたはずだ。当時は気がつかなかったが、今になって振り返ると、舌打ちしていた奴もいたかもしれない。そんなことにも気づかず、番組論を熱く語っていたあの頃が懐かしい。

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by yamato-y | 2012-01-25 17:41 | Comments(1)

日々の過ごし方

日々の過ごし方

リタイアした人たちは、毎日どうやって過ごしているのだろうか。
それまで仕事、仕事で日程を決めていた日々が突然なくなる。もはや予定もなければ、人と会う約束もない。会議もなければ他のセクションとの折衝もない。何もしなくていいし何もすることがない。
自分の仕事はテレビの番組を作ることだったから、テレビを視聴することも仕事のひとつであった。だから暇になったからテレビをぼーっと見るだけというのはありえない。つい仕事のモードに入ってしまうから、おそらく日々のテレビ視聴はリタイア後はやらないだろう。あと残るのは読書とスポーツぐらいだ。

読書も厄介だ。これまで純粋に読書を楽しむことは少なかった。たいてい、番組のネタ探しで本を読んできた。図書館で10冊の本を借りて来るときも、8冊はネタ本で残り2冊は俳句かミステリー。この個人的趣味の部分を拡大するべきであろうが、なかなかそうならない。

スポーツはほとんどない。せいぜい散歩かテレビ体操ぐらいだ。体操はほぼ毎日5分続けるようになっているが、これは楽しみというより健康維持のための義務のようなもの。ゴルフはやらないし園芸や畑もやらない。食べ歩きとて、胃がんの手術以来食欲は縮小した。

リタイアした先輩たちはどうやって日々を過ごしているのだろうか。お迎えが来るのを、ただ黙々と待っているのだろうか。もっとも積極的に生きているのは、私の周囲では京都山科に隠棲するジローさんだ。53歳で早期退職して、滋賀大学経済学部の大学院に入りなおした。数年遅れて、奥様も退職して神戸大学大学院に進学された。二人して、大学院生活を4、5年楽しむ。その後は、年に1回の海外旅行。やがて60過ぎから母上の介護となるが、特養ホームに入ってからは、それからも解放。ただいまの「仕事」は尊厳死協会の関西支部の役員。少し耳が遠くなったが、毎日を楽しそうに生きている。

先日、自由が丘で再会したカシクラさんはもっとも知的な生き方を実践していた。55歳で退職後、京都大学教授を5年ほど勤め、放送大学の副学長、付属図書館館長を数年はたしたうえ、執筆の生活に入った。この1年に400頁以上の書物を3冊も上梓している。声は相変わらず大きく、好奇心はとどまるところがない。

もっとも禁欲的な生き方は虎さんだ。府中の一戸建てにひとりで住んでいる。ほとんど誰とも会わない。一週間で口をきくのは、買い物に出たスーパーのレジ係だけ。午前中は近郊の野山を走り、夕方は市立体育館の道場で一人で空手の稽古を積む。これの繰り返しをもう数年続けている。

どの生き方も、私には合いそうもない。

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by yamato-y | 2012-01-25 08:26 | Comments(0)

ラストイヤー

雪の日は

昨夜はかなり雪が降った。夜中に外をのぞくと、道が真っ白になっていた。雪が降るとなぜか嬉しい。東京では1月15日前後に降ることが多い。金沢は昔から国立一期校の試験日となる3月2,3,4日は大雪になることが多いというジンクスがあった。

現在、休止中。年末来作成してきた「論文」執筆に失敗したことのショックが大きく、なかなか立ち直れない。せっかく始めたことなので、放送文化研究所などで取材を重ねて、もう一度論を立て直そうと考えている。
平行して、新年度の番組作りが始まっている。4月放送の特番で、2月5日から穂高へ登山する予定。といっても私は危機管理のために山麓まで出張るだけだが。その山のトレーニングが本日奥多摩で行われている。午後にはその様子が報告されるはず。

2012年を「ラストイヤー」と位置づけて、悔いのない1年にしたい。当面、夏までの番組制作の予定を立てること、4月から始まる京都の大学の授業計画をきちんと練り直すこと。ぶれないためにも、日に最低1度は瞑想をしっかり30分行うこと。

懸案の構想をメモしておく。
○古美術の世界もしくは古道具から見る戦争の記憶
○歌舞伎役者のパフォーマンス イン 東大寺
○宮本二天の人生、古文書の解読

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by yamato-y | 2012-01-24 11:47 | Comments(0)

新年会

今年はひとつ実現させましょう

昨夜もよく冷えた。雪にはならなかったが、時折落ちてくるものがみぞれのようにみえた。
6時過ぎ、自由が丘の駅前で森島さんと会った。二人だけの新年会である。氏は昨年大きな病気を体験したが、すっかり寛解している。だが線路端の馴染みの居酒屋に入ったら分かったのだが、酒量も制限しているし、必ず酒を飲む前にコップ一杯の真水を飲むようにしていた。脳梗塞などの予防である。こういう冷え込んだ夜こそ気をつけなくてはいけないと慎重だった。

森島さんが円谷プロの社長だった頃、六本木ヒルズの森美術館でウルトラマン展をご一緒して以来の交流を重ねている。元は故内田勝の紹介で会ったのだが、国際的な仕事を長年にわたってやって来られた氏の高い見識に惹かれて、お付き合いを願っている。私より2,3歳年長だが、あの名作「南極物語」をプロデュースするなど、映画作りでも大変な実績がある。2年前には東大でサブカルチャーの講座ももっていた。

森島さんはハリウッドで長く仕事をしたり、初期の香港映画の立ち上げに力を貸したりするなど国際的な仕事が多い。日本のアニメがまだ幼年期だった頃に、作品を欧米に売り込みに行った仕事もあったと、懐かしそうに語る。
「去年でしたか、ワールドカップでヨーロッパの名選手が語った言葉が忘れられませんよ」と氏はにこにこしながら語った。
その選手がサッカーを始めた動機は、「「キャプテン翼」を見たことからだと会見で答えていたのだ。まだ、アニメの魅力が浸透していない時期に、森島さんはひとりヨーロッパにわたって各国の放送局の調達部門と渉りあって、この作品を売り込むことに奮闘していたのだ。当時は、日本国内でもアニメは子供風情の娯楽という認識でしかなかった。それが、最近では文化庁の役人ですら「アニメは文化」なんてことを言うのだから、森島さんにとっては隔世の感があることだろう。

この酒席で森島さんは興味深い表を見せてくれた。日本のアニメの発生史だ。40年以上にわたってアニメの仕事に携わってきた氏が、あらゆる資料を駆使して、10数枚の表に仕上げていた。一読してその資料の貴重がすぐ分かった。新しい番組の企画にもふさわしい。「今年はいっしょに何かしましょうよ」と声をかけると、森島さんも大きくうなづいた。

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by yamato-y | 2012-01-21 11:56 | Comments(0)

冷たい雨の朝に

冷たい雨の朝に

誕生日を過ぎて、いよいよサラリーマン定年まであと1年となった。これから残された時間で、どんな番組を作ることができるのだろうか。いや、そんな短い人生時間だけでいいのだろうか。死にゆく時間までを見晴るかした晩年期の設計を立てるべきであろうか。寒い朝の寝床のなかでじっと考えている。うまい考えが浮かんでくるわけではない。
窓の外を見ると、久しぶりの雨が降っている。冷たそうな雨だ。東京では30日ぶりのお湿りだとか。週末は雪に変わるかもしれない。東京は1月下旬に雪となることが多い。この大寒を超えると春。

今年の春はと思うと、不安が渦巻く。去年3月11日の悪夢はまだ消えず、それどころか昨夜も2回ほど関東地方に地震があって、3月には再び大きな地震津波が襲って来るのではないかという疑心がなくならず不安が消えない。

自然災害の荒々しさを知らされたあとでは、なかなか「四時」と古人が呼んできた自然を愛でる心も起きないものだ。いつもなら冬の夕焼けや流れる雲に心を奪われるのが、今年は自然の彩が鮮やかであればあるほど地震の予兆ではないかと疑りたくなる。

時間の物差しが変わった。2010年以前は、歴史を考えるにしろ戦後60年か明治からの140年ぐらいしか意識が及ばなかった。が、大津波を体験したあとは貞観の時代であるとか、もっとそれ以前の、つまり有史以前の大破壊の時代にまで時間軸は広がっている。もはや人類が文字で書き残すような事象だけでは、私たちの生きている基盤を認識したことにはならなくなっている。

それにしても、福島原発事故の爪痕は深い。阪神淡路大震災の一〇年とは比べ物にならない。これから何十年いや数百年と被害の跡がありつづける。これから生きていく世代こそ自らの歴史を決定する権利があるはずだ。政治はその世代に決定権を渡すべきではあるが、システム的にはそうならない。依然、昭和の政治家が牛耳っている。
・・・だんだん悲観的なことを考えてしまう。

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by yamato-y | 2012-01-20 08:44 | Comments(0)

64歳の春

64歳の春

「杉本文楽」が海外コンクールに提出されるので、その英語版作りで資料、文献を翻訳家に渡すことで、今朝も一騒動あった。やっと一息ついたので、パソコンの前に坐った。

デスクに、長崎からの大きな花束があるのを見て、自分の誕生日であることを思い出した。めでたさも中位かな。まさか64歳になっても番組のことでシャカリキになって走っているとは、二十歳の頃には思いもよらなかった。
昭和23年の1月19日生まれ、山羊座。64歳である。たしか大江さんも山羊座だったと思うが。日本が敗戦の憂き目のさなか。貧しさはひとしなみあった時代に生まれた。母方の祖父は、私の産湯のための盥(たらい)を闇市で購入して、その底に「為初孫」と記したそうだ。残念ながら、三島と違って、私は産湯のお湯が光で煌くことなど覚えていない。

先日見た、杉本博司の映画で、彼がはじまりに見た記憶のことを語っていた。眼鏡トンネルに見え隠れする大きな海だったそうだ。おそらく4,5歳の頃に親に連れられて超えた伊豆か小田原の海岸であろう。

私はどうであろう。吹雪のなかを幼稚園へ向かって体を倒して、一歩一歩長靴を進めていたことは覚えている。5歳の冬だ。よこなぐりの雪が嫌だなあと感じたことは今も覚えている。それ以前は思い出せない。たとえ記憶らしいものがあっても、親から聞かされて事後的に構成した記憶でしかない。

これまでで、一番時間が経つのが遅く感じたのは、小学校3年の夏休みに夏風邪をひいたときだ。一日が何と長いのか、夏休みが明けるまでの期間が何と長いのか、退屈でやりきれなかった。現在の時間は当時の10~20倍ぐらい早くなっている。いや30~50倍に加速されたかもしれない。兎に角、1年の経つのが早い。春が来たと思ったらもう秋も終わりに近づく。12ヶ月を4ヶ月ぐらいのスピードで時間が過ぎてゆく。

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by yamato-y | 2012-01-19 15:41 | Comments(0)


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