定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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なんでもない時間が流れていた頃

なんでもない時間が流れていた頃

 秋に茄子(なす)が出回るようになると「鰊なすび」が食べたくなる。身欠き鰊(にしん)の出汁で茄子を甘辛く煮た京都のおばんざいのひとつで、大津出身であった亡母が唯一得意とした料理だ。煮立てのほくほくした茄子も美味しいが、冷めた茄子を熱いごはんの上に乗せて食するのも悪くなかった。実家に帰ることを告げておくと、必ず其の夜の食卓には刺身と並んで出た。

 父が死んだのが1994年。母が亡くなる2009年までの15年間は敦賀の家で母は独りで暮らした。寂しいこともあっただろうが、ボケることもなく息災に生きることが出来たのは幸せであった。私が京都の大学へ教えに行くようになって、帰りに実家に寄ることになったこの5年ほどは母と本当によく話をするようになった。そのなんでもない時間が今になって実に貴重なものであったと後悔しきりだ。

 秋晴れの美しい朝の光が寝床まで差し込み、6時半に目が覚めた。太陽の位置がいつのまにか低くなっている。いったん秋になると、たけていくのが早い。今年も終わりのさまが見えてきた。完全定年の65歳まであと1年と少しになった。毎日、ぶつぶつこぼしながら仕事に向かい、ぐずぐずと健康の不安をもらしながら生きている。おまけに今年の大災害がどっかり心の上に覆いかぶさっている。こんな時間が後になって懐かしいものとなるのだろうか。

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by yamato-y | 2011-09-30 09:26 | Comments(0)

会津の殿様

会津の殿様

 サンダンス映画祭の審査員が来日しているので来ませんかと、パーティに声がかかった。少しでも審査に有利になるかなという下心もあって参加した。パーティには若手の映画監督やバイヤー、役者など映画関係者が集まっていた。準備した名刺を10枚ほど配って、「KIYOMOTO」の宣伝に勤めた。

 この会を主宰したのは、映画祭日本事務局。事務局長の松平さんは、画家小早川秋聲のときにお世話になった人物。この人の伯父さんは戦時中侍従長として活躍しており、小早川とも親しかった。その経緯を知って、身内を探したところ松平さんに行き当たったのだ。まさか同じ会社にそういう人物がいるとも知らず驚いた。

 松平さんは温厚柔和な人で、いつも笑みを絶やさない。気配りの人だ。昨夜も、パーティのホストとしてあちこちに顔を出して、会の円滑な進行をはかっていた。
 小早川のときにはお世話になりましたと礼を申し上げると、「御役に立つこともあまりなかったようで、申し訳在りません」と丁寧な返事。懐の深い大らかな人だなあと感心。
 隣にいた部下の女性が、松平さんはこの間のお祭りにお殿様の役で出場したんですよと打ち明ける。何の事かと聞くと、松平さんの先祖は会津若松藩の藩主だというではないか。考えてみれば、松平という名前は徳川ゆかりの名前だから、さもありなん。

 9月22日から24日まで会津まつりが開かれる。子どもたちが参加する「提灯行列」で幕を開け、メインイベントは中日の「会津藩公行列」。大名行列や白虎隊出陣行列が市内を練り歩く。その藩公の役として松平さんは今年参加したそうだ。

 目の前にいるこの人物の先祖が藩主で、あの白虎隊の悲劇を受け止めた松平容保かと思うとなんとも言えない感懐が湧いて来る。ところが、当の松平さんは会津祭の様子を聞かれても、「今年から父に代わってやるようになったのですよ」と照れるばかり。

 ケータイに会津祭の写真があるというので見せてもらった。鎧、陣羽織を着けて藩公に扮した松平さん。明治維新の元勲たちの写真集で見た、会津公松平容保そっくりではないか。
松平さんは照れ笑いを浮かべるだけでおっとりしたものだ。お殿様といっても、松平さんの声はしゃがれていて大道香具師のようで愛嬌がある。元はドラマのプロデューサーだから芸能番組にも通じている。なんだか、このお殿様が好きになった。 

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by yamato-y | 2011-09-29 09:10 | Comments(0)

ちょっとウゴキが

ちょっとウゴキが

「若き宗家と至高の三味線」の英語版が仕上がった。といってもナレーションとテロップが英語だということで、中のやりとりの日本語オリジナルはそのままである。
実は、この作品が外国の映画祭に出品されるということで、英語化を計ったのだ。番組のタイトルは、日本語名は長すぎるので、「KIYOMOTO」とした。ちょっと格好いい。
日本の古典芸能の世界を描いた作品が、どれだけ欧米の人に伝わるのか、不安と期待が半ばする。本音はおそらくこの物語は世界の人に通用すると思う。芸(テクネー)を磨きたい、親子の情愛を大切にしたい、仲間を守りたい、という主題は普遍だからだ。
もし、これが海外で受賞でもしたら快挙だなと、ひとりほくそ笑んでいる。

この番組は、実は受賞づいている。8月に新設された「衛星放送アワード」で、ドキュメンタリー部門の最優秀をいただいたことは、以前記した。
昨日、ある放送番組賞の優秀番組賞をいただくことが内定した。2つめの受賞となる。素直に嬉しい。ギョーカイではあまりに話題にならなかったが、ネットではずいぶん嬉しい言葉をたくさん頂いていたから、内心すこし期待していた。それが次々に実現する。

思えば、2007年ATP賞で、「闘う三味線」が総務大臣賞、最優秀賞をいただいたことから始まり、「若き宗家と至高の三味線」で2011年の賞に続く。この後に放送される「杉本文楽」も同じ系統の番組で、これも仕上がりがなかなかいい。あわよくば、これも受賞対象にならないかなあと夢想している。
ムシが良すぎるか。

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by yamato-y | 2011-09-28 16:10 | Comments(0)

秋風吹いて

秋風吹いて

[バニシングポイント]という映画があった。暴走を繰り返した挙げ句、警察の敷いた防御線にあえて突っ込んで爆死する物語だったと記憶する。
その消失する瞬間をバニシングポイントと呼んでいた。
今とりかかっている速水御舟の「炎舞」で、蛾が炎に焼かれるさまが描かれている。9羽の蛾が舞っているが、よく目を凝らすと羽根だけ宙空に浮いたものがある。ここを奥本大三郎さんはバニシングポイントと見た。焼かれた蛾が、この世からあの世へ移っていくまさに消失点にあると読み取ったのだ。

先日手がけた「曾根崎心中」でも、死は段階的であるという主題があった。死は一気に訪れるのでなく、徐々に進行するという。その最後の瞬間がバニシングポイントということになるのだろうか。

九州時代にお世話になった、福岡で芸能番組の統括として活躍したWさんが亡くなった。71歳だった。密葬だったので、かなり親しい人でも訃報を得たのは死後7日経っていた。敬愛する先輩のYさんはWさんと大学時代からの親友だったので、この知らされない死にいたく衝撃を受けることになった。
昨夜、Yさんと久しぶりに居酒屋で飲んだときに聞かされた。いつも穏やかなYさんであるが、さすがに親友の死はこたえていた。今どき、70代初頭で倒れるということが驚きでもあったようだ。

と思って、何気なく新聞の訃報欄を見たら、俳優の山内賢が67歳で病死という記事があった。ベンチャーズに魅了された私らの世代のシンボルのような役者だった。彼が歌ってヒットした「二人の銀座」はベンチャーズの作曲ではなかったろうか。子役で演じた「コタンの口笛」は学校が引率して見せた映画だったが、心に残ったことを思い出す。今、ウィキペディアを調べてびっくり。この映画はシナリオが橋本忍、監督は成瀬巳喜男だった。

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by yamato-y | 2011-09-27 10:23 | Comments(0)

炎の美

風はどこへ

お彼岸の連休3日のうち2日は編集作業に奪われた。
10月17日放送の「速水御舟」の仕上げに入っているのだ。彼の大正14年の名作「炎舞」にまつわるエピソードを紡いでいる。これは現在山種美術館に所蔵されていて人気の高い作品だ。紅蓮の炎が燃え上がり、その先端に5匹の蛾が群れているという幻想的な絵、「炎舞」。重文に指定されている。この絵が描かれた2年前の大正12年に、関東大震災が発生し大正ロマンはことごとく破壊され、人事はすべてが無に帰すことになる。この惨事の真っただ中に御舟はいた。

当日、上野の美術館にあって院展の見学に行っていた御舟は、遭難するや、自宅がある目黒を目指して同行の義兄と歩いた。彼はその2年前に電車事故で片足を切断し義足という身の上である。品川まで歩いて、そこで自宅に電話をかけて家族の無事を知るや、御舟はひとりスケッチブックをもって阿鼻叫喚の炎都に飛び込んでいく。どこを彷徨したか詳らかではない。一説には2,3日帰って来なかったという。大川でおびただしい焼死体も目にしたようだ。そして、目黒長者丸の家に現れたときには疲れ切ってぼろぼろになった状態になっていた。一息ついで家人に語った出来事はまさに往生要集の世界であったと孫の吉田氏が証言する。

御舟はスケッチブックにたくさんの惨状を描いたのだが、現在2枚しか作品は残っていない。昭和10年ごろ、御舟が亡くなる直前にかなり作品を処分したといわれ、おそらく震災のスケッチもそのときに消えたと推測される。なぜ、未曾有の体験を描いた作品を廃したのだろうか・・・・・。

残された2枚の絵は意外にも静謐な風景だ。鎮火したあとの廃墟を描いたもので、そこには人影も炎も旋風もない。燃え残ったビルの廃屋があるのみ。色鉛筆で着色したような淡い色合いだが、画家の松井冬子さんは筆の圧力に尋常でないものがあることを、見抜いた。

松井さんは現代日本画家を代表する若手のひとりだが、己を信じて独歩した御舟を長く尊敬、研究してきた。その縁もあって、今回の番組でもコメンテーターとして、茅ケ崎のアトリエ、「炎舞」を描いた軽井沢へと旅をしてもらった。

御舟が「炎舞」を描いた夏に合わせて、同じ場所で今回たき火をして、松井さんに立ち会ってもらった。そこで彼女は何を感じていくか、番組をご覧いただきたい。

それにしても、昭和初年に御舟が親しんだ画室が今も残っていることは驚きであった。

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by yamato-y | 2011-09-26 09:17 | Comments(1)

今朝の秋をかみしめて

今朝の秋をかみしめて

起きると部屋がひんやりしていた。とうとう秋が来たのだ。季語の「今朝の秋」はもっと早い時期に置かれているのだが、実感としての今年の秋は本日のような気がする。

読みかけていた、アン・タイラーの『ノアの羅針盤』は終わった。終章まぎわのクライマックスの波におおいに揺さぶられていたが、最後はあっけないほど平板な日常で物語は閉じられた。律儀なクェーカー教徒の精神を分け持ったタイラーらしい禁欲的な終わり方だった。60歳独り者の老後の生き方を追ったこの話は、文化の差はあれ、自分の身に置き換えて、身につまされて読んだ。
アン・タイラーの成熟した大人の目に惹かれ、敬意を抱いた。親がアルツハイマーに侵されているので69歳になったタイラー自身もその不安におびえることがある、とあとがきで知るとなんとなく近い存在に思える。

昨夜は遅くまで、大森一樹の映画「ヒポクラテスたち」を見ていた。1980年のATG映画でその題名だけは知っていたが、見たのは昨夜が初めて。「風の歌を聴け」で大森には幻滅していたので見る気がなかったのだが、あるエッセーでこの映画をつよく推奨していたので5本1200円のツタヤ商戦にのってレンタルして見ることにした。
 面白かった。80年の時代風俗が記録されていることに対するノスタルジーもさることながら、モラトリアムを続ける医大生の「甘ったれた」気分が実に爽快だった。むさくるしい男たちに交じって紅一点の伊藤蘭が素敵だった。一番最後のカット、彼女の肖像のフェイドアウトは心に沁みた。まるで、本物の伊藤蘭が死去したかのような悲しみを覚えた。医者になろうと志したにもかかわらず、その夢を果たせず退学したのち、自ら命を絶った「伊藤蘭」。

 私の学生時代にも、男とひけをとらないほど勉強が出来て頑張った女子がいた。だが時代はまだ彼女たちを遇することもないまま、定年を迎えることになった。上野千鶴子などはその世代だが、彼女だけは恵まれていたなと彼女の努力を無視して勝手に彼女の運の強さだけを評価する。

 あふれるような才能を他人に見せることもなく、現役の舞台から退いていったおおぜいの女たちのことを思い起こさせる「伊藤蘭」。金沢のお城の中の大学でいっしょに机を並べて学んだおおぜいの伊藤蘭たちも、その後能登や富山の教育界に散っていって、昨年あたりにリタイアしたはずだ。彼女たちはどんな人生を送ったのだろう。これからの老後をどんなふうにして生きていくのだろう。

映画の舞台は京都。鴨川に架かる荒神橋。その河原でデートする伊藤蘭の寂しい横顔。


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by yamato-y | 2011-09-25 09:30 | Comments(1)

投げ出されたものとして

投げ出されたものとして

1食(放送センター1階食堂)で、ツチヤカメラマンから声をかけられた。九州時代の仲間である。昭和57年の秋に長崎で「蝶々夫人」の物語をいっしょに作った仲だ。あれから30年の時が流れた。白皙の青年カメラマンだった人も頭頂部がすっかり薄くなり、自慢の髭にも白いものが交るようになった。
「今度、城西の専門学校へ行くことになりまして、長い間のお付き合い有難うございました」とツチヤさんは丁寧に頭を下げる。放送現場の職を辞して外部の専門学校で教鞭をとるという。意外な言葉に驚いた。

いくつになりましたかと問い返すと、55と答える。ちょうど区切りがつくので退職してゆくことにしたという。「それでいつまで専門学校には勤める予定ですか」と聞くと60と言うではないか。ちょっとため息が出た。現在63になった私には、あまりに短い第2の人生に思えたから。60を終わりの目途にしているようだがそこから先が長いのだぞと、泣き言をこぼしたい気分になった。でもにこやかに報告してくれるツチヤさんにそんなことは余計なことだ。内心の落胆など見せずに、お元気で頑張ってくださいと声をかけて別れた。

 アン・タイラーの最新作『ノアの羅針盤』にのめり込んでいる。3日ほど前購入したのだが、読み始めたら止まらない。主人公のリーアムの境遇に身につまされたのだ。60歳で勤めていた学校をリストラされて、それまで住んでいた家を出て、つましいアパートに住み替えたところから物語は始まる。アパート暮らしの1日目の夜に強盗に襲われ、気がついたときには病院のベッドにいたという意表をつく展開にまずまいった。次に、人生最後のステージである老年期の初頭に立って右往左往する主人公の境涯に関心をもった。

 仕事をなくしたリーアムがぽつねんと以前の職場のことを思い出す場面がある。ある会社の前に車を停めて、始業時間に合わせてやって来る人を探す場面だ。
《そして9時ちかく、人が到着しはじめた。スーツ姿の若い男たち、あらゆる年齢層の女たちが、2人3人とかたまって歩き、しゃべったり、笑ったり、肘をつつきあったりしながら建物のなかへ入っていった。リーアムは、いっしょに働く者同士の仲間意識が懐かしくて、少し胸がうずいた。》
胸がうずいたという言葉に、胸がうずいた。
 もし仕事を辞めたら、どんなに職場が恋しいと思うことか。いや場所ではなく人間関係の喪失に、胸がうずくことだろう。番組を作る現場に身を置いてから40年、ほとんど仕事中心で人生を設計してきたものとしてリーアムの心境は分かりすぎるぐらいわかる。

 リーアムの趣味は哲学書を読むこと。愛読する雑誌の名は「フィロソフィー・ナウ」。日本でいえば「現代思想」か「ユリイカ」か。だが、ちょっとフィロソフィー・ナウなんてネーミングは思いつかない。秀逸だ。リーアムは事件、出来事に対して、いつも内省的に対処するのも、哲学の教師として育んできた「人生の習慣」によるのだろう。そういう設定や初老のひがみっぽい根性にもおおいに惹かれてしまう。

 本棚に渡辺二郎の『自己をみつめる』があった。これこそ、「フィロソフィー・ナウ」。現代の日本におけるもっとも分かりやすい哲学書だ。ぱらぱらとページを繰ると、「被投」という言葉が目に飛び込んできた。ハイデッガーがよく使った言葉だ。
人間は親を選べない、生まれた国も時代も選べない。ましてやその運命も選べない。与えられた状況を受け止めて、それを生き抜くことが人間としてよく生きることである。人間とは投げ出された被投的存在。

――私といえば。まもなく65歳になり、仕事から切り離される時期がやって来る。そういう状況に投げ出されたとき、私はいかに生きることが、よりよく生きることにつながるのだろうか。さわやかな笑顔で去って行ったツチヤさんのように生きることができるのだろうか。

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by yamato-y | 2011-09-24 08:56 | Comments(0)

葉っぱのゴブリン

葉っぱのゴブリン

ゴブリン(goblin)は、ヨーロッパの民間伝承に出てくる邪悪な精霊を指す。主にファンタジーに登場することが多い、伝説の生物である。おふざけが好きで意地の悪い(だが邪悪とは限らない)妖精である。 大江健三郎の『取替え子』のなかで初めて知った。

  昨日の台風15号によって、お山の森の木々は久しぶりに荒々しい顔を見せた。小枝はバシバシ軋み、葉っぱはブツブツぶっちぎれて飛び回る。葉は一枚で暴れるのでなく、それが2分3分された干しわかめのような破片になって飛び回るのだ。黒い邪悪な風体は、普段の可憐な葉っぱとは全く違う悪魔の顔だ。
 ベランダのガラス窓から外をのぞいていると、まるで特攻さながらにその葉っぱのゴブリンはガラスに体当たりしてくる。窓の下には見る見るゴブリンの残骸の山となる。大木惇夫の「戦友別盃の歌」を思い出す。
わが征(ゆ)くはバタビヤの街(まち)、
 君はよくバンドンを突け、

 山の峰の上空には、無数のゴブリンが風に舞って漂う。その量たるや信じがたい。まるで森が全葉っぱのゴブリンを中空に向かって吐き出しているかのようだ。
 停電になって、暗がりのなかで酒を飲み始めると、ゴブリンは邪悪な精霊となって襲ってきた。「おい、お前もジジイになって、だんだん昔が恋しいのだろう」「弱虫、泣き虫」。悪口雑言がわんわん響く。嵐の夜は、不思議な軽躁感が呼び覚まされる。

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by yamato-y | 2011-09-22 17:08 | Comments(0)



とうとう昨日は休むことになった。大きな台風が来るからということで、心配で大磯に戻ることにしたのが午前7時。いったん家の戸締り用心をしたうえで、渋谷の勤め先に出社しようと考えていた。小田原方面行きの電車は空いていた。9時過ぎに大磯到着、ツヴァイク道に入るとびゅうびゅうと風が吹き荒れている。無数の木の葉があちこちに舞い、まるでゴブリンのよう。いやな予感がした。
 もみぢ山の家は荒天のなか心細そうに立っていた。2階、3階の戸締りをし、最小電源の措置をして、家周りをチェック。ベランダのガラス扉がゆるくなっているのだけ気になる。シンバリの軸をしっかり落としてロックする。何やかにやと片付けをして居たら11時になっていた。

 12時前、最後に玄関の鍵をかけて駅に向かう。駅に着くと、ダイヤが乱れていて、おおぜいの高校生がホームに立っている。次の電車はおよそ35分遅れで到着の予定という。
それを待って乗り込む。幸運にも席に坐ることができた。が、電車は平塚どまりで、乗り換えとなる。20分待って来た電車は時速20キロのノロノロ運転になっていた。強風注意報が出ているためで、東京までこの運転が続くと車内放送が伝える。たしかに注意報は当たって居て、相模川の鉄橋に出ると、強い風が吹き付けてきて電車はぐらぐら揺れた。

 茅ヶ崎―藤沢間が運転を中止すると、案内が流れた。どうやら東京まで行けそうもない。出勤することを諦めて、元来た大磯へ戻ることにする。ところが平塚まで来ると、電車が全面ストップとなった。振り替え輸送で平塚から国府津へ行くバスがあった。20分待って乗る。雨脚はだんだんひどくなってきた。花水橋を渡る頃には、横殴りの雨風で満員のバスがゆらゆらする。
大磯山王町で降りて、お山に向かう。
もどってみると、我が家は台風と健気に闘っていた。裏山の峰越えの突風がベランダドアに刺さる。周囲の大木がわらわら揺れる。切り裂く風の音のなかから、間の抜けたカラスの鳴き声がする。
風呂を立てることも湯を沸かすこともできない。なんだか火を扱うことが危ぶまれるほど状況は切迫していた。
午後5時過ぎ、テレビの画面が消えた。停電になったようだ。急いで、近所の家々を見回すと、全山夕暮れの薄闇に沈んでいた。結局、この停電は一晩続き、私は暗闇のなかで、日本酒を冷で呷るだけとなる。

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by yamato-y | 2011-09-22 15:55 | Comments(0)

さよなら原発

さよなら原発


19日、原発依存からの脱却を訴える「さようなら原発5万人集会」が東京都新宿区の明治公園で開かれた。集会やパレードには主催者発表で約6万人が参加。原発事故後では、最大規模とみられる。呼びかけ人に大江さんがいたことが話題になった。集会で、大江さんが語った言葉「原子力のエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴う」は、参加した人の胸に響いた。句友のかすみさんは集会の盛況もさりながら、大江さんの言葉に感動したと、わざわざ私に電話をくれた。

 市民レベルの行動としては最大規模だ。いよいよ草の根でも脱原発のウゴキが活発になっていくと予想される。今回の呼びかけのなかに原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が入っていたことは看過できない。地球の温暖化阻止と脱原発をどう調整していくか、困難な道だが、日本人はその険阻な道を歩いていこうと決意したと思われる。

 当然、産業界には反発があるにちがいない。もし脱原発策をとればエネルギーコストが高くなり国際競争力が衰えていくという声が再燃化するにちがいない。春先にそんな意見が出たもののその後消えたように、今回の市民行動は脱原発の勢いを増すことになるだろう。甚大な被害の状況が明らかになっていくフクシマ。少なくとも東日本の人たちは「ノー」の態度をつよくしていくだろう。

 今回のウゴキの根っこに、7月3日放送した「核をめぐる対話」が少しでも貢献していたとすれば嬉しい。

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by yamato-y | 2011-09-20 08:02 | Comments(0)


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