定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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なぜ本を売れないのか

断捨離できない男


 会社の異動で、書類ロッカーを空けろという注文が庶務担当からきた。現役時代から溜め込んだ番組資料および書籍がデスク回りにかなり堆積している。実は、会社の倉庫に「冬のソナタ」のときに撮影して放送に使用しなかった映像も大量にある。それ以外の番組の映像資料はほとんど処分したのだが、冬ソナだけは再び必要なことがあるのではと考えると勿体なくて捨てられないのだ。この件はまだお目こぼししてもらえそうだが、マイデスクについては猶予なしとなってきた。

 明け渡しを要求されているロッカーには番組資料のファイル群が半分と書籍が半分だ。資料ファイルはともかく書籍などは売り払ったほうがいいと、頭では分かっているが心が頑なに拒んでいる。
まず、古書店へ持ち込むと想定した金額のおよそ10分の一しかならない。購入したときの50分の一ほどまで下がる。金額を聞いた途端に情けないやら、本が可哀相に思えたりやらでなかなか踏ん切りがつかないのだ。

 クボカクという人は書痴といいたいほど本を愛した。執筆のために購入するばかりか読書としても本を集めた。荻窪や阿佐ヶ谷、高円寺の古書店にいつも溜まっていて、貴重な書籍をなけなしの金をはたいてせっせと買っていた。全国の古書店のカタログを取り寄せていつもチェックしていた。そうして集めた書籍が借家の4分の3占めていた。花田清輝関係、ベンヤミン関係、現象学、メイエルホリド、ロシアフォルマリズム、マニエリスム、グラムシ関係、サーカス、演劇、と信じられない好奇心の塊だった。その膨大な書籍、まさに汗牛充棟もただならぬ書の山であった。それが、彼が急死して2年後に売らなくてはならないという話が出たとき、値踏みをしてもらったところ2,3百万しかならないということであった。買値は数千万、ひょっとするとそれ以上だったはずだ。その話を聞いたとき、あまりではないかと悲嘆にくれた。本も哀れだがクボカクはもっと可哀相に思えた。その書を手に入れるのに、どれほど情熱を傾けたかということが、まったく算定されないということが、とても不条理に思えた。

 自分の体験でも古本屋へ売却に行って落胆した経験があるから、なかなか売る気になれない。会社のデスクトップに60冊、デスクの下にも30冊。ロッカーに140冊。これをなんとかしなくてはならない。

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by yamato-y | 2011-06-30 17:27 | Comments(0)

まもなく放送

放送日がまもなく


来る7月3日(日)、夜10時からの放送。
「核をめぐる対話 大江健三郎 大石又七」がまもなく完成する。作家大江健三郎さんと第五福竜丸の元乗組み員大石又七さんの対話をベースとしたドキュメントだ。
昨日はナレーション録音だった。語りは名手広瀬修子。現在はフリーだが、往年は教育テレビのドキュメンタリーで女性の語りといえばこの人の名前がまず挙がった。久しぶりに私も顔を合わせることとなった。

 番組の内容は次のような章立てだ。
1、同時代に生まれて
2、ビキニで何があったのか
3、久保山さんの死
4、原発導入のシナリオ
5、大江さんの広島
6、沈黙を破るまで
7、ロンゲラップにて
8、福島原発事故をめぐって

日本の戦後の核をめぐる状況や言説が二人の対話を通して明らかになっている。ビキニ事件のときも原発導入のときも、いつも「安全だ」という言葉が繰り返されてきた。核政策というのは、冷戦という構図のなかで組み立てられてきた。ということを戦後60年のスパンで見ると、浮き彫りになってくる。
 大石さんがビキニのブラボー爆発のときに被曝したが、同じ爆弾で現地のロンゲラップ島の人々80人余が死の灰のなかで2日間置き去りされていた。その後、次々に島民の健康を蝕む病が出てくる。

その島へ大石さんは2004年に訪問している。ちょうどビキニ事件から50年目だった。そのときの映像が残されていて、今回の番組のなかで紹介されるのだが、実験を行った米軍は治療をすることなく、彼らの健康追跡調査だけをやっているというような惨い事実が分かってくる。

対話の終盤に、フクシマについての言及がある。「責任」という言葉と「曖昧」という言葉が重大な意味をもってくる。

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by yamato-y | 2011-06-30 12:16 | Comments(0)

西行の山越え

中山越え

 出家というのは文字通り家を出て仏門に入ることだが、そのときに家族と葛藤が起こるぐらいのことは想像がつく。現代なら仕事を放りだしてホームレスにでもなって毎日を送りたいなあと願望するようなもので、ラジカルにすべてを振り捨てていくことにリスペクトを覚えるが、私にはできない。家族の総スカンを食らうにきまっている。

西行という人の話は物語化されていることが多いので、どこまで本当か知らないが、彼の出家はまことにすさまじいものであったようだ。絵巻によれば、発心した武士佐野義清はすがってくる可愛い4歳の娘を蹴落として煩悩の絆を断ち切ったと描かれてある。縁側で仰向けにひっくりかえる少女を後ろに義清が去っていくさまはすさまじい。

還暦を迎える少し前から芭蕉を読み始めてきたが、その芭蕉が心の師とした西行のことが気になりはじめてきて、最近「山家集」や「西行物語」などをちょくちょく読む。

出家した西行が30歳のころに修行のため奥州をめざして長い旅に出た。その途中で、静岡県にある佐夜の中山という峠を越えた。それから40年、69歳のときに同じ峠を越えていくとき西行は歌を詠んでいる。
 年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけりさやの中山
 69歳で東海道を歩きとおして、中山峠を越えたときに西行はつくづくよく生きてこられたものだと感慨があったのだろう。63歳の私ですら、先日の鞍馬道を歩いただけで未だに肩が凝り腰が張って首が回らぬ状態が続いている。いわんや、70近い年齢で遠路を歩きとおすことができた西行は、十分命に感謝したにちがいない。

この感慨を芭蕉も深甚にうけとめた。
命なりわづかの笠の下涼み
芭蕉32歳のとき、同じ中山峠を越えて故郷へ帰ったときに作った句で、季節は夏だ。うだるような暑い日、峠には遮るものはない。わずかにかぶった笠の影だけが涼しい。こう感じることも生きているおかげ。芭蕉はそう詠んで、西行に思いを馳せた。芭蕉の「読み」の深さに驚く。

芭蕉にはこの中山越えの西行の出来事はいつも心にあったらしい。後年、奥の細道の旅で、敦賀近傍の木の芽峠でも同様の感慨をもらしている。
中山や越路も月はまた命
これは秋の句となる。名月の頃であろう。木の芽峠で見る月もまた命を感じさせてくれるものだとツィートしている。

月の歌では、西行も素晴らしい。

山ふかみ真木の葉分くる月影ははげしきもののすごきなりけり

深山の真木の葉っぱから洩れてくる月光はどれほどすごいものか。うっとりとする。エクスタシーの和歌だ。ものの本によれば、この凄しという言葉は、背筋に戦慄が走る感じ、一瞬息をのむとある。それほどの感動を西行はこの光景で感じたのだ。余談だが、大江さんがノーベル賞を受賞する頃によく色紙に書いていたのが、この西行の歌だった。西行と大江という取り合わせが不思議で、この和歌の意味を知ろうと研究したが、すさまじの言葉のほかに気づくものはなかった。この光景の美しさを表す言葉の響きを大江さんは愛したのだと思う。

さきの中山越えをしてから4年後に西行は入滅する。死ぬ日はできれば花の咲く頃と念じたとおり、きさらぎの望月の頃に西行は死んだ。73歳。芭蕉は51歳で永眠している。
今、私はそのちょうど中ほどにいる。
西行と芭蕉のなかの命かな(無季)

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by yamato-y | 2011-06-29 09:48 | Comments(0)

夾竹桃

夾竹桃

線路脇の夾竹桃が花盛りとなっている。広島ではこの花は転勤花と呼ばれていた。ちょうど花が咲く頃に、人事異動が行われる。町はトウカサンで賑わい、浴衣姿が目につく季節でもあった。単身赴任の者にとっては赦免花だった。一方、瀬戸内の夕凪ともお別れかという寂しさもあって、太田川の土手を名残りをこめて歩いたものだ。土手にはたくさんの夾竹桃の木が並んでいて、8月6日の記憶を宿していた。夾竹桃の花には毒があって、口にするとおなかを壊すと教えられたことがあったが本当だったのだろうか。

美空ひばりの歌に「夾竹桃の咲く頃」というのがあった。作詞は中村メイ子だったのでその才能に感心したことがあるが、作曲は夫君の神津善行だった。去っていった男を思う歌で、洒落たバラードだったはず。
時期が来ると至るところに花をつけて見せるのだがいまひとつ存在感の薄い木だ。めったに詩心など生まれないから、この歌謡曲が気になった。
ーーこの花が咲くと、もう夏なのだと実感する。

昨夜は雨がなかったので、麓の渓流まで降りて蛍を探しに行った。一匹も見当たらなかったのは時期が過ぎたのだろう。帰り道、雲間から夏の星が光っているのを見つけて嬉しかった。気のせいかお山の家々の明かりが以前より薄暗くなったように思われる。節電のせいかもしれないが、風情があって悪くない。山が大きなシルエットになって不気味さを増していよいよ風流だ。夜はぬばたまがいい。

帰ってテレビをつけると、菅が記者会見をやっていた。空しい言葉が羅列となって彷徨う。こんな総理大臣しか持てない国を60年かけてわれわれは作ってきたのか。占領終結、オリンピック、万博、70年安保、沖縄返還、公害、バブル、阪神淡路大震災、そして「原発事故」。戦後60余年の後半は暗く惨めなことばかり続いていた。ひばりが死んだのは日本が峠の下りに入ったときだった。今考えると、52歳とは早すぎる死ではあるが、ある意味でいいときに退場できたのではないか。

 山本五十六が死んだときもこんな気分ではなかったか。勝つ見込みもない戦争に突入しながら、いち早く散華した山本を羨ましく思ったのは軍人ばかりではなかったはず。小林勇の目を通して見る三木清などはそう思えてならない。

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by yamato-y | 2011-06-28 11:47 | Comments(0)

鞍馬道

鞍馬道

昨日は夕方に帰京して、家にたどり着くやたちまち疲れがどっと出て、夕食もそこそこに風呂へ入るとすぐベッドへ。倒れこむようにして眠りについた。途中、夜中に目が覚めてトイレに向かうが、腰のあたりがぱんぱんに張っていて、ぎっくり腰でもなったら大変と大事をとった。明け方にはかなり気温が下がってタオルケットだけでは涼しいような気候、梅雨冷えか。それにしても京都最後の日はハードな日程となった。

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京都の日曜日は晴れて暑い日となった。
朝9時に河原町のホテルを出て、出町柳へ向かう。ここで叡山電車に乗って鞍馬まで行った。所要時間25分。展望車のある「きらら」で向かう。
京都精華大、京都産業大などおなじみの大学名のある駅を通過すると、いよいよ丹波に続く山波のなかを電車が行く。感動したのは鞍馬の一つ手前駅貴船では、車窓に青もみじが触れてきたことだ。よほど電車が疎らなのか、植物の成長力が著しいのか。下方には清流があって小気味のいい瀬音を響かせている。実に豊かな自然が京都市内から30分足らずにあることに感動。とにかく森が深い。青葉が美しい。一度観ておくといいですよと、主任教授のS先生に薦められたので、日曜の朝からハイキングを覚悟でやって来た。
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鞍馬で降りて、鞍馬寺の仁王門を潜ると、日本一短い鉄道のケーブルカーが運行している。乗車時間2分半。一気に300メートルの標高に上がる。意外に楽な山寺だと思ったのは早計で、そのあと勾配のある山道をだらだらと歩く。道の切れたところから石段が九十九折に続く。周りには中高年の団体が三三五五歩いていたが、皆口ぐちに「しんどい」を連発。「不整脈が出たらどうしよう」という深刻な声も聞こえてくる。たしかに貸切バスの観光客には厳しい旅程だ。

そうこうするうちに本殿金堂へ。古い柱に新しい建材が混じり、コンクリート土台の味気ない建物。興ざめの境内。見るべきものもこれと言ってない。わざわざ来た甲斐がないから奥の院まで足を伸ばすかという気になる。奥まで600メートルほどと案内にはある。山道といっても歩いて15分ほどだろう。まあ行ってみるか。
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これがあまかった。蜿蜒と木の根道が続きすっかり汗まみれとなった。タオルを2本持ってきたがすぐに両方ともぐっしょり。息つぎの水という史跡で足を休める。牛若丸が奥の院まで出かけて剣術の稽古に向かう途中、この清水で喉の渇きを潤したという。この寺には至るところに義経伝説がある。
さらに歩を進めると、奥州に下るとき義経が名残を惜しんだと言われる背比べ石 も柵のなかに立っていた。真偽のほどは分からないが、なんとなくおくゆかしい。
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尾根まで上がると、鳥の声が聞こえて来て一息つく。熊ゲラの木をつつく音が聞こえてきた。この森の深さが分かろうというもの。やがて大杉が鬱蒼と林立する窪地に出た。僧正ガ谷不動堂である。ここで牛若丸は天狗から兵法を教わったというが、いかにもそれらしい。この山は寺院だけでなく山岳信仰の修業場でもあったことをも想起する。
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牛若丸が修行した不動堂

そこから西へ100メートルほど尾根を歩くと、奥の院魔王殿の小さなお堂があった。パワースポットとして近年若い女性の人気を集めている。魔王尊を祀った祠の前で幾人かの女性たちが瞑想していた。私もベンチに腰掛けてしばし休憩。

ここまで来ると、元の鞍馬へ戻るより隣の貴船に抜けるほうが近い。山越えをすることにして歩き出す。さすがに、その頃になって疲れが出たのか腰が張る。気をつけないと下りの道のほうが事故を起こしやすい。手すりに触れながらそろそろと降りた。
鞍馬寺西門と呼ばれる貴船側山麓に着いたのは11時半となっていた。
バスで貴船駅まで出て再び叡山鉄道で出町柳へ。そこでコインロッカーからキャリーバッグを回収して、京都駅へバスで向かった。
13時過ぎ、のぞみに乗車。一路品川を目指した。西は晴れていたが、静岡、神奈川と東京に近づくにつれて雲行きが怪しくなり、品川に着いたときは細い雨が降っていた。

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by yamato-y | 2011-06-27 11:37 | Comments(0)

この町が好きさ

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この町が好きさ

暑かった一日が終わっていく。
忙しい日が終わり、文学部7階の大窓から貴船、鞍馬の山系を望む。手前の山並みに後ろの山並みが幾重にも重なり、夕暮れの明かりがさらに段差をつけて、墨絵のような風景が広がる。つい見惚れてしまう。知る人ぞ知る京都の美しさだと、見るたびにため息が出る。

第3校時は京都芸術大学で行われていた実際のロケの見学にした。ちょうど小早川秋聲の絵の再現をチームが東京から来て撮影するということが昨日判明したので、プロのロケの仕方を見学しようということになったのだ。百万遍のキャンパスから桂にある芸大のキャンパスまで電車とバスを乗り継げば1時間半かかるところを、10人乗りの大型車が確保できたので、それで行った。9人の学生たちはまるで遠足気分。街角には濃アジサイが美しい姿を見せていた。梅雨の晴れ間の気持ちのいい日。

見学を1時間で終えて、再び大学へ。やりかけになっている編集作業を続行してもらう。3つのチームのひとつひとつを試写しながら、最後の仕上げ調整した。

5時過ぎ、昨年の教え子のK君とその仲間7人たちを相手にミニ授業。K君は法学部の学生で去年の授業にもぐりで参加していた。放送局志望でミニ番組作りにも熱心だった。大学院に進んで、そこでジャーナリズム就職を考えている仲間と出会って、現在自主的に映像を制作している。その企画について相談にのってほしいということだったので、1時間レクチャーをしたのだ。しかし、驚くほど勤勉な学生たち。

6時半。教授会を終えたS先生といっしょに大学を出て、出町柳へ向かう。鴨川の合流点では夕日が落ちかかっていて糺すの森や下賀茂神社の森が影絵になっている。大きな空には巻雲が東の空に流れていた。枡形商店街の外れにある「西角」という京都料理の店に入って初夏の味覚を堪能した。

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by yamato-y | 2011-06-25 07:35 | Comments(0)

青葉若葉のキャンパス

真夏日の京都

梅雨の晴れ間の京都。プラタナスの並木が青々として美しい。鴨川の水量も多い。晴れてすっかり夏の装いとなった京都。百万遍の交差点まで来ると、吉田キャンパスが萌える緑のなかにあった。

6月は制作実習の「編集」段階。3つのグループのロケはだいたい終えていて、そろそろ編集作業に入っている。第1グループは名物教授の比叡山ピクニック。第2グループは学食のハラール料理の実態。第3グループは乗馬クラブの奮闘。それぞれ編集室があって、そこにこもって作り上げている。私はその3か所をぐるぐる回って、学生たちの相談にのったり、編集作業のポイントを教えたりする。これが結構な運動量で、夕方にはほっこりし、ついうとうととした。

それぞれのネタは大学独特のもので面白い。第1の話は、鎌田東二教授の不思議な行動を描いている。宗教学の権威でもある教授は、ときどきパワースポットの比叡山に登って修行をする。その登山を軸に話が組み立てられている。山伏と同じように、ほら貝を吹き、呪文を唱え、最後に比叡山の頂上でバク転を二回行うのだ。驚いたのは深山でほら貝を吹いていると野生の鹿が寄ってくる。京都の町からほど遠くない地で鹿の親子が出没する光景にはたまげた。同時に、真剣に山伏スタイルの修行をする鎌田教授の情熱にもうたれた。

第2は学生食堂、学食のイスラム料理の話題だ。留学生が増えて、イスラム食しか食べれない人が増えている。そこで大学当局はイスラムセンターの力を借りて、豚肉を使用しないハラールメニューを実施するコーナーを設置した。そのいきさつをインタビュー中心で構成している。

第3は体育会の乗馬クラブのリポート。三〇頭の馬を養い、三〇人以上のメンバーを有する京大乗馬クラブの「情熱」を描いている。馬の飼料代や維持費など、年間1千万円の経費のほとんどをクラブ員のバイトでまかなっている。その情熱の根源は何かを探る。しかしキャンパスのなかを馬が悠々と散歩する姿は、それだけで画になる。うまいところに目をつけたものだ。

5時過ぎ、各チームの試写をすべて終えた後、二人の3回生のシューカツの相談を受ける。二人とも真面目な好青年で、将来映像関係できれば放送業界に行きたいと考えている。現在のメディアをとりまく環境についての私の見解を述べたうえで、それぞれどんなことをやりたいのか話を聞いた。

編集室は文学部の本棟とは別の研究棟にあって、出入りする人も少なく静かだ。そこで1時間ゆっくり話した。穏やかな夕暮れに、若い学生と話し合っていると、こちらまで気持ちがゆったりとしてくる。日が長くいつまでも暮れない。

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by yamato-y | 2011-06-24 06:42 | Comments(0)

銭湯の出来事

父のこと

1993年春に田舎の父が倒れ、9月に死んだ。当時、私は広島に単身赴任していたので、家族のいる東京と父母が住む敦賀と、広島の3か所をぐるぐる回っていた。といっても敦賀へ父を見舞いに行くことは、他の兄弟たちに比べると少なかった。おそらく一生のなかでもっとも多忙な時期を私はむかえていた。中国地方の放送局の番組を統括する立場にあったから、広島だけでなく山陰山陽を飛び回っていた。
 父の死去したあと、私が忙しさにかまけて父の最期をよく看取らなかったと責められた。だが、あのとき離れた地で仕事をする、人生で最も多忙な私にどうやって看護することができたであろうか。父が死んだとき悲しみはすぐに湧いてこなかったが、残された母のことだけが気になった。

父は癇癪持ちだったから幼い頃はよくひっぱたかれた。封建的で圭角の多い父には、思春期に数回苦い思いを味わされてきた。一度は義絶をはかったこともある。仲がよかったわけでもないが、かといって勘当が長く続いてもいいとも思ってはいなかった。憎たらしいと思う気持ちと苦労してきてねじくれた根性になっている父への同情が複雑に絡み合っていた。父の家族思い子供思いは分かってはいたが、その過剰が鬱陶しいと思うほうが先にたった。

 家に風呂などなく、町内の銭湯に通っていた頃のことだ。幼稚園へ入学したときだったと思う。珍しく父と風呂屋へ行った。頭を洗ってもらった。せっかちな父は石鹸でごしごし洗ったあと、冷水をざあざあかけた。左耳に水が入った。そのことを父に告げた。
父の顔色が変わった。立てと怒鳴った。
右足をあげて体を左に傾けて、とんとんと跳べと言った。回りにいた近所の知り合いや悪童たちが父の大きな声に、好奇のまなざしを私に向けてくる。赤面した。
下を俯いた私に、父は苛立ってさらに大きな声を出した。
「早くしろ。水を出さんといかん」
 私はますます頑なになって、黙って唇を噛んだ。突っ立っていた。
父は私の手を引いて、風呂場から脱衣場へ出た。そこでもう一度同じことを命じた。
「右足を上げて、とんとんと跳べ。早くしろ」
 私は口をへの字にして足元をみつめているばかり。父のゲンコツが飛んでくるかもと緊張した。が、それはなかった。
見上げると、心配そうな父の顔があった。
「じゃ勝手にしろ。」父は不機嫌そうに言った。

 そのあと、家に帰ってどうしたかはっきりしない。ただ、父が母にあいつは頑固な奴だとこぼしていたことを覚えている。
それから、私は中耳炎を患うことになる。小学校3年生ぐらいまで3年間にわたって病院へ通う。

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by yamato-y | 2011-06-23 23:44 | Comments(0)

もんぺ

もんぺ

野沢節子といえば病がちではあるが、雪を愛で着物を愛した豪奢な俳人というイメージがある。

帯かたき和服一生粉雪ふる

そんな俳人が雪の山形へ黒川能を見に行ったときのことを、同行した馬場あき子が書いていた。
《なにしろ積雪2メートルが常識の、大雪のなかの迎春の祭だ。寒くないよう、動きやすいよう、いろいろ注文しながら、実は野澤さんがどんな服装で現われるかが楽しみだった。》
 そして現れた野澤は、着物にもんぺ、雪草履という古典的身支度だった。彼女の実利的でいさぎよい覚悟に馬場は感心している。

 と、ここまで読んで、10年前の出来事がさーっと甦った。
今思えば赤面するが、当時、50代に入ったばかりの生意気ざかりだった私は、番組作りに一家言も二家言ももっていた。
「世界わが心の旅」という紀行ドキュメンタリーを担当していて、外部の制作会社の企画をあれこれ注文する立場にあった。
あるプロダクションから、作家の宮尾登美子氏の旧満州紀行をやりたいという提案があった。彼女は戦前その地で教師をやっていて、敗戦と同時に命からがら逃避行した体験をもつ。その現場に行きたいという企画だった。

 それまで宮尾の作品を読んだことがなかった私は、いつも高そうな着物を着ている女性作家としか認識していない。だからこう指示を出した。「そんな過酷な体験をした場所に行くのだから、当然礼装で出かけるわけにはいきません。それなりの身支度をしていただくことが前提です」思えば、傲慢な言い方をしたものだ。だが当時番組に「命」をかけていたから、あとさき構わず注文を出したのだ。

 そして、ロケが行われ、撮影したラッシュを見ることになった。
試写室で見た宮尾氏の姿にいささかうたれた。たしかにお洒落な氏は綸子かなにかの高そうな着物を着ていた。ただし下半身はもんぺをまとい、足元はズックであった。彼女の中国行きは本気だったのだ。

 実際、彼女が敗戦時に体験したことは筆舌に表しがたいものであったことが、その映像のあちこちに記録されていた。

十七歳で結婚した宮尾登美子。開拓団の教師の妻として生後五十日の娘を抱えて旧満州に渡る。新京近くの飲馬河村(いんばほうむら)で子供たちを教えていたが、敗戦後の満州で、中国人による襲撃の中をくぐり抜けることになる。かまどの中に潜んで難を逃れることもあった。何度も死と直面していた。

 数々の名作を残した「世界わが心の旅」も終了して、5年ほどになる。

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by yamato-y | 2011-06-23 07:24 | Comments(0)

夏至、いちばん昼が長い日

夏至、いちばん昼が長い日

2011年の夏至は、今日6月22日。朝から気温がぐんぐん上がっている。天気予報では日中には30度を越えるとか。今年一番の暑さとなるだろう。山手線も冷房が入っていた。いよいよ節電が試される時期に入ってきた。

オフィスに入って、ひんやりと感じる。なんとなく、室内の気温が全体に低く感じるのは、ここ数日、涼しい日が続いたからだと楽観したいが、そうでもなくうっすらと効いているエアコンのせいだろう。

 明日から京都行きになるので、本来業務の「極上美の饗宴」の企画をなんとか本日中に目処を立てたい。
2本の企画を育てているのだが、一本がなかなかいい切り口が見つからない。が、もう一本は一昨日ぐらいから曙光が見えてきた。さらに新しい情報を加えて、最終バージョンを仕上げたい。

 関西に出かけるということで、千里在住で長いことご無沙汰している先輩のXさんに連絡をとった。入社したときの3年上の敬愛する人で、若い頃ずいぶん世話になった。優秀な人だが病気がちで、定年前には車椅子の生活となっていた。5年前にXさんを見舞ったことがある。その後どうしただろうと気になり、さきほど連絡をとった。声は元気であったが、総合病院に入院していてそろそろ店仕舞いの準備に入っていると言った。そんなまだまだでしょうと声をかけると、「俺の人生はおまけと言ってきたけど、そろそろおまけも終わりだよ」と言い切った。

 返す言葉を失くした。なんと慰めていいのか一瞬分からなかった。お為ごかしのことも言えない。「君にも会いたいなあ。けど、こんな体やしな」と、やんわり面会を拒否された。
 通俗だけど五木の『親鸞』を読んで納得するところが大きいよと、Sさんは悟ったような口ぶり。驚いた。明晰でマックス・ウェーバーなどを読みこなしていた人が、そんな言葉を発するとは思わなかった。

 電話を切った後も、Sさんの声が耳朶に残った。こんなにも空は青く、草花は青々とし、30度以上の真夏日なのに、それと背くように終わっていくものがある。

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by yamato-y | 2011-06-22 12:42 | Comments(0)


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