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by yamato-y
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アマデウス

アマデウス

 番組を作るということは本当に難しいものだ。
昨夜、カラヴァッジョの番組がオンエアーされた。内容については結構いい線まで盛り上げたつもりだったが、思わぬ点で批判を受けた。
使用した音楽の趣味が悪いということだ。

天才と悪魔の2つの顔をもつカラヴァッジョのことを、イタリアの評論家はアマデウスのような存在と評していたこと。別の人はロックミュージシャンのような傾(かぶ)き者、バロックのヒッチコックと呼んでいた。その言葉に刺激を受けて、ディレクターは音響にアマデウス・モーツァルトの楽曲を多用した。これが音楽ファンからするといただけないと思われたらしい。

 番組の構成については、プロデューサーとして作品に仕上がるまであれこれ批評、忠言を与える。が、いったん番組の流れが決まると、そこからのポスト−プロダクション(仕上げ)については、ほぼディレクターの専権事項となる。つまり、音楽やテロップの字体などはそのディレクターの「感性・趣味」となる。そこについては、ディレクターの著作人格権のようなものがあって、周囲は手を出さないというような不文律がある。

 だから音響効果のことを批判されても、私としてはなんとも言いようがない。一応、担当者に伝えるとしか言えない。そこまでプロデューサーとして関わるべきと言われても、そういうハビット(習慣)が現場にはないのだ。

 私もディレクターの時代には、自分の嗜好で楽曲を選んでいた。正確にいえば、私自身はあまり音響に関心がないことと専門家を信頼していたので、自分の音楽を指示することなどあまりなかった。番組内で使われる音楽やサウンドイフェクト(SE)は、シーンの切り替えとか情緒付けとかの機能に関心があって、どんな曲を使うかは興味がなかった。私には信頼するサンペイちゃんという音響効果マンがいたので、ほとんど彼に任せていた。
 
 そういえば、私は番組で使用される楽曲についてこれまで大きな注意をはらって来なかった。こだわったのは、大江光さんの音楽を使用したときぐらいだ。1990年に制作した「世界はヒロシマを覚えているか」のなかで、当時無名だった光さんに「広島のレクイエム」という曲を作ってもらった。そのときに光さんの他の曲も2、3使用したが、その音楽の選択だけはこだわった。それ以外はほとんどサンペイちゃんの監督に従った。

 サンペイちゃんは本名だ。私より10歳ほど年少だが、25年ほど前からずっと付き合っている。番組の編集が終わると、彼に粗編集版を見せて、番組にこめた思いを伝える。それを聞いて、彼が音楽や効果音を付加してくれるのだ。長く付き合っているから、私の趣味・嗜好について知っていて、出来上がりはほとんど満足する。彼は既存の楽曲を使用するだけでなく、自分で作曲もする。
そのサンペイちゃんは10年前から難病にかかり、仕事もかなり制限するようになった。売れっ子だから他から声もかかるようになり、いきおい私のプロデュースする番組への関わりは減っている。ただし、私がディレクトするときは何が何でも関わってくれるのだが。
私は彼の結婚式にも出たことがある。今から20年も前だ。あの頃は彼も元気でまるまる太っていたが、今はインドの行者のような風貌だ。かく言う私も
体重は3年前から4キロ減少した。みんな少しずつ年をとっていく。

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by yamato-y | 2011-05-31 07:43 | Comments(1)

レゾンデートル(存在理由)

レゾンデートル(存在理由)

澁澤龍彦は59歳で死んでいる。友人の出口裕弘は「澁澤の死は立派ではあったけど、やはり,かぎりなくいたましい」と記している。出口の友情は分かるが、澁澤のような人物は果たしてどうだろうか。
若いときから、肉体はオブジェにほかならない(養老孟司)と考えているような人物だったから。澁澤にとってみればちょうどいい頃合だったのじゃないか。と、ファンとして贔屓の引き倒しを夢みてしまうが。
でも、なんでこの世に現れてきたんだ?そのレゾンデートルは何であったのだろう。

柳澤桂子の歌集「萩」を手にした。私より10歳上、現在73歳の科学者。若い頃から生命科学の研究者として活躍し、子供も得たが、45歳のとき発病して闘病生活に入る。難病ゆえ、解決法もなく苦しみを生き抜きながら、科学エッセイストとして人を励ましている。その人の短歌。
今生は病む身に耐えて生き抜こう後生は白い椿になりたい
今までが仮縫いならば来世はげに美しき一生(ひとよ)を生きん
かかえている苦難は、私などの想像のつかない。それでも柳澤は自分を諦めない。そのことが他者を励ます。
生きるという悲しいことをわれはする草木も虫も鳥もするなり

大雨のなか、目黒川沿いの図書館へ出かけた。川そばの桜並木は青々と美しく、目黒川に雨が降り注ぐ。
萩の茂みが雨に濡れてさみしげだった。柳澤も雨の萩を詠んでいる。
雨露に深くうなだれ萩の葉は自らに問う存在理由(レゾンデートル)

病と闘いながら柳澤さんはサイエンスライターとして、数々の名エッセイを残している。今、科学ライターとして、原発被害について生命の側から発言している。
病むほどに我が輪郭は濃くなると信じていたい意味はなくとも

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by yamato-y | 2011-05-29 23:42 | Comments(0)

ある輝き

ある輝き

ニューヨーク大学で南米映画を教えているロバート・スタム.彼の著作『転倒させる快楽』(2002年)はずいぶん前に買ってあったが、なかなか読み下すことができないまま、大磯の書斎の一角に置いてある。昨夜から、ぽつぽつと読みはじめた。
言語の権力という箇所で、突然、閃くものを感じた。

今出川通りに小さなケーキ屋がある。ミルフィーユやモンブランがめちゃ美味しい。S先生が4月に見つけて、5月28日にも小雨のなかを行った。2回目である。店頭のショーケースから好きなケーキを選んで、店内の喫茶コーナーで食す仕組みになっている。
店頭には大柄な笑顔の可愛い20代の女性が愛想よく注文を聞いている。彼女の背に厨房があってそこで数人の職人がケーキを作っている。私はモンブランを指して、紅茶をオーダーした。
店内に入ってテーブルにつくと、彼女が注文の再確認に来た。ケーキの種類に続いて、紅茶の銘柄を聞こうとした途端、大きく言葉がぶれた。発語しない。シシシ・・・と言葉にならない音しかない。吃音。かなり重度の障碍だった。
驚いて、彼女の顔を見ようとすると、彼女はかがんでいた姿勢から立ち上がって、一瞬だったが顔をそむけた。だがすぐ顔をもどすと、にっこり笑った。輝くような微笑だった。
心が震えた。

スタムの記述のなかに、バフチンの対話についての解説がある。バフチンは言語を中心にして社会実践をとらえている。日常政治のかなりの部分が、日々の言語交換というミクロ世界の形式のなかで動いているというのだ。抑圧は国家による統制とか経済による強制などではなく、顔を合わせての不定形の相互行為の微妙な形式のなかにしばしば起こる。
このスタムが書いていることが、ケーキ屋の女子店員の笑顔と重なった。
言語行為は権力と交差しているのだ。
例えば、ヒステリックな女性患者に対する優越な恩着せがましい男の医者、ホームレスに対する役所の難癖をつける役人、会社の女の子に対するおべっかを使いながら恩をきせる上司の口調。言葉による暴力は日常にあり、言語行為はいつも権力関係なのだ。

女子店員が注文の確認に来たとき、客である私はその地位に乗じて、上目線でモンブランを所望し、彼女はそれを下手に出てうかがうという権力関係にあった。好きなものをあなたに「要求」するのだと、私は彼女を追い詰めている。それに応じようとする彼女の言葉が出てこなかった。そこで大きな傷が生まれる。
が、にもかかわらず、傷ついたそのなかから、笑顔という身振り言語で彼女は立ち上がってきた。その恢復に、私は感動したのだ。

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by yamato-y | 2011-05-29 12:00 | Comments(1)

コンマキ

コンマキ

朝の10時に木屋町のホテルをチェックアウトして、京極のうどん屋に寄った。きざみうどん350円を食し満足。今朝読んだ水内鬼灯の文章に誘われて、京都市内のお寺の石庭でも見物しようと、タウン誌を調べたがいずこも土曜日は開園が12時以降で諦めた。河原町通りから烏丸通りまでキャリーカートを引っ張って歩いた。錦小路の市場をぶらぶらしながら通りぬけようと考えた。

午前中にもかかわらず、人が出ている。半分は観光客だが残り半分は地元のおばあさんだ。車椅子を押しながら鮎の甘露煮や若狭鯖の浜焼きを買う人もあれば、杖を突きながらうずら豆の甘煮をたしかめるおばあさんもいた。
錦市場のなかほどで惣菜屋をみつけた。へしこやなま節と呼ばれるカツオの燻製など京都のおばんざいが並んでいる。大津の母の実家では夏になると、このなま節を生姜で甘辛く煮たのを昼ごはんに出していた。冷や飯といっしょに食べると美味しい。これは調理するのが難しいらしく、料理の苦手な母はあまり作ったことがない。祖母が元気な頃は食べる機会もあったが、寝付いた昭和60年ごろからは口にする機会もめっきり減った。そのなま節を目にしたが、私とて調理もできず、ただ見るだけ。いつか食べたい。
その隣に身欠きにしんをくるんだ昆布巻きがあった。関東では昆布巻きといっても親指大のこぶりだが、関西では手のひらほどの大きさとなる。これが私の子供時代に親しんだ昆布巻きと一致する。昆布の衣は黒光りしてぬめぬめとして、いかにも美味そう。さくさく昆布を食い破ると中に煮たにしんのかけらがある。このにしんと昆布が合わさったとろとろしたあま味がなんともいえず美味い。

ふるさと敦賀は港町だから、魚介類の行商はよく来た。四季折々の旬の魚売りから保存食のへしこ売り、豆腐屋を兼ねた小魚売りまで、我が家のある路地にやって来た。冬になればせいこ蟹の売り声が街に響いた。
昼ごろに――今考えると昼食前の11時半ごろ、か――昆布巻きつまり地元言葉で言えばコンマキを売りに来た。70過ぎの小柄なおばあさんだった。可愛らしい面立ちだったが、足を引きずっていた。頭にはいつも姉さんかぶりした日本手ぬぐいがあった。よちよち足で小型のリアカーのようなものを押しながら、「コンマキはよろしオスケーノ」と声をかけて歩いていた。3日に一度ぐらいは我が家でも買った。母から買っておいでといわれると、そのおばあさんに大きな声で、「ちょっとコンマキをおくれ」と呼び止めた。おばあさんは耳も少し不自由だったので、大きな声で呼んだのだ。
コンマキが昆布巻きだと知るのはずっと後のことだ。

なつかしいコンマキを京都錦市場で見つけた私は、新幹線に持ち込んで、東京までの車中で食した。むろんアルコール付き。サントリーの角のハイボールをぐびぐびやりながら、コンマキを丸かじりした。磯の香りがして美味かった。ビニール袋の底にコンマキのお汁が溜まった。幼い頃、行商のおばあさんに大皿を出すと、コンマキを4,5個のせたあと、必ずシャモジでおつゆをたっぷりかけてくれた。このおつゆがあったかいご飯の上にかけるととてつもなくうまかったことを思い出す。

いつもなら京都の帰りには敦賀の実家に寄るのだが、東京へ早く帰ってやらなくてはならないことがあるから今回は行かない。伊吹山のふもとを抜けるとき、北国街道がちらりと見えた(気がした)。帰りたい。ふるさとのあの町に。魚の行商が練り歩いていた、昭和のあの敦賀へ。あの頃はまだ立石にも陸路がなく、白木にもバスは日に数回しか通わなかった。海も空も安全だった。蒼い海と青い空があった。

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by yamato-y | 2011-05-28 17:09 | Comments(0)

苔時雨

苔時雨

例年より早く5月に梅雨入りした京都では、明日あたりに台風も来るという。町はぐっしょりと濡れそぼっている。
うろ覚えだがにわか雨を指す時雨(しぐれ)は冬の季語ではなかったか。寒い頃の京都には小雨がよく降るという記憶があるから、冬だったと思うが。だが、雨季に入ればしばしば時雨と遭うことも。だから他の言葉をつけて冬以外の季語に変わることもあったはず。苔時雨もそのひとつではないだろうか。苔清水が梅雨の頃に苔のなかに水が湧いたようになるさまだったから、苔時雨も梅雨どきに苔が青々となる時雨を指すと思うのだが。旅先の宿でこれを書いているから手元に資料もなく詳しいことはいえないが、私の記憶ではそうなっている。

百万遍の知恩寺そばの古書の吉岡書店で『苔時雨』という句文集をみつけ、2000円とちと値がはったが購入した。作者は水内鬼灯。昭和31年に出版された古いものだ。巻頭の扉に大仙院書院の庭の写真が飾られており、目次には京都市内の20ほどの庭園の名前が挙がっている。どうやら庭めぐりの俳句と文章の構成だと覚った。序文に水原秋桜子が書いている。これは本物らしいと思って詳しく中身を確かめずに買った。

ホテルのベッドで読みふけっている。鬼灯の句も庭に対する情熱も素晴らしい。飽くことがない。秋桜子に言わせれば、庭好きの秋桜子でもせいぜい1時間眺めるぐらいだが、鬼灯といると3時間はざらで半日を覚悟しなくてはならないことがしばしばあったとある。こよなく京都の庭園を愛した鬼灯。彼は昭和24年に43歳の若さでなくなっている。「苔時雨」はその9回忌に刊行されたと、未亡人が記している。
年譜を読むと、明治40年に京都に生まれ、同志社大学経済学部に入学し、3年生の頃より句作をはじめ、31歳で馬酔木賞を受賞して活躍とある。信じられない若さでの句力の持ち主であることは、2,3の句を読めば分かる。
石縁を結びても露の身空かな
石とゐて梅雨尽日を遊びけり

とにかく鬼灯は石と話すことが好きであったらしい。石語とでも呼びたい。
春蘭や手ふれば石にあるいのち
あとがきで鬼灯は書いている。「人間の思惑を他所にして、天地の声を聞き侘びてゐるのが石であるから」
津波をもたらした荒々しい自然とは違う、愛でるがしかし厳しい自然がここにある。

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by yamato-y | 2011-05-28 09:10 | Comments(0)

はも(鱧)

はも(鱧)

入梅した京都で、昨夜は鱧を食べた。
このところよく通うようになった京料理の店三栄でのことだ。河原町四条下の路地を2筋ほど入ったこていな店で、板前さん二人とおかみさんだけの静かな店だ。4月には竹の子料理だったが、月があらたまって鱧がメインになっていた。S先生と歓談しながら鱧を賞味した。胃の手術以来、めっきり食べる量が減ったからコース料理は普段は口にしないが、鱧だけは特別だ。
最初に鱧おとしが出てきて、目からまず食欲が湧いた。骨切りを施したハモを湯引きした真っ白な鱧おとしを、梅肉味噌で食すとなんともいえない上品な味が口のなかに広がる。胡瓜・みょうがの酢のものの鱧ざく、お吸い物、寿司、天ぷら、骨せんべいなどさまざまなかたちで鱧料理が運ばれてきた。

満腹して、店を出ると小雨が降っていた。河原町交差点傍のコーヒーショップで食休みのお茶を飲んで、先生と別れた。大阪にご自宅のあるS先生は、こうして遅くなったときは鷹峯にあるご実家に帰られるそうだ。
私の定宿は四条木屋町の入り口というまことに便利なところにある。ビジネスホテルで建物の作りは古いし部屋も狭いが、交通が便利なことと値段が安いということで5年ぐらい通っている。会員にもなっているので1泊5000円を下回る。部屋はいつもの211号室。建物の中央にあって窓がなく狭いが安くて静かが気にいっている。

10時に寝たから今朝は6時前に目がさめた。外が白みはじめると、とんびの声が騒がしい。鴨川の川原にでも獲物を見つけたのだろう。京都では、空高く飛ぶとんびに出会えるのは嬉しい。今では大磯でもほとんど見なくなっているから。
寝床で、S先生から借りた『万葉集の発明』を読む。副題が「国民国家と文化装置としての古典」とある。以前、ブログにも書いたと思うが、万葉集というものが日本人の心のふるさとという言説は、明治時代以降に作られたものだという面白い論文だ。夢中で読んでいたらすぐ8時半になった。ダイニングへ行って朝食をとることにする。

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by yamato-y | 2011-05-27 08:27 | Comments(0)

梅雨入りの京都

梅雨入りの京都

ひと月ぶりに京都へ来た。雨もよいでやや寒い。百万遍まで来るとぽつぽつ落ちてきた。
京都をはじめ西日本は今日から梅雨入りしたと、テレビが伝えている。
生協のルネに入って、書店をひやかす。大学の書店は一般書店では見られないような本がいくつもある。興奮する。
12時を回ったところで、主任教授のS先生の部屋をのぞくと、昔の同僚がいた。彼女は40歳ぐらいまでディレクターをやっていたが、その後大学に戻り留学をして、今では関西の私大の助教授だ。すごいのは、二人の子供を育てながらのキャリアの形成であるということ。いっしょに机を並べたなかだから、話は弾んだ。

 13時になり講義室に向かう。ミニ番組を制作する授業。今年は3つの企画を採用した。
1つは、馬術部の主将の最後の試合、2つめはK名物教授の山登り、3つめは学食に出店したケバブのトルコ人従業員。どれも面白そうなネタだ。
 授業にあたり、最近の私の仕事を紹介することから始めた。来週放送の美術番組「極上美の饗宴」の作業のこぼれ話から始めた。

一昨日行った音録りのこと。
吹き替え作業のとき愉快なことがあった。イタリア人学者の声を葺き替えてもらった声優さんがスタッフからサンデルと呼ばれていた。理由を聞くと、ハーバード白熱教室で話題を集めたあのサンデル教授の声を担当した人だった。あまりにあの役にはまったので、最近みんなからひやかされるのですよと照れている。
当のサンデル教授本人も、日本で制作された番組を見て、自分の声の吹き替え者がとてもはまっているので関心をもった。年齢はいくつぐらいか、どんな性格なのかと担当のディレクターに尋ねたそうだ。どうやらスマートに描かれ、ダンディな声で吹き替えられていることにご満悦だったようだ。
先月、最新版の白熱教室が総合テレビで放送された。中継スタイルで、大震災についての講義だった。
 その番組のなかで、前回放送された日本語版が紹介された。それを見たあと、教授は自分の声の吹き替えをやっている声優の卓越した技術を褒めた。それを、また吹き替えで声優は語るのだが、語りながら自分のことを自分で褒めるなんてと複雑な気持ちになったと苦笑していた。

 ところで、仕上がった番組は予想以上に面白いものになった。数日前までかなり“出来”を心配していたのだが、構成も大胆に変更し、表現も平易にして、分かりやすくなり、メッセージもはっきりしていい番組になった。午後8時過ぎ、作業が終わったとき思わず大きな吐息がもれた。安堵したのだ。

 5月30日放送 BSプレミアム 極上美の饗宴
「追跡!カラヴァッジョの幻の名画 深い闇と激しい光の謎」

カラヴァッジョは1600年ごろローマで活躍した人物。それまでの画とまったく違う光と影の強いコントラストにドラマチックな群像を描いて、当時の民衆の心を掴んだ。一方、激しい性格の彼は仕事を終えると紅灯の巷を徘徊し、喧嘩と漁色に明け暮れた。ついには決闘から人を殺し追われる身となる。ローマ教皇にも届く盛名と殺人者、カラヴァッジョという人は複雑。一筋縄ではいかない。

四百年間行方不明だった、カラヴァッジョの「キリストの捕縛」が1992年アイルランドで発見された。この作品は彼の全盛の頃に描かれたと伝説があったものの、その行方は知れなかった。存在そのものも疑われた。なぜ行方が消えたのか、どうやって再発見され、存在が確認されたのか、その謎を解いていくうちにカラヴァッジョの画の魅力が浮き彫りになってくる。ヒントは自画像。詳しくは番組をご覧いただきたい。

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by yamato-y | 2011-05-26 22:31 | Comments(1)

償いきれないもの

償いきれないもの

「目には目を、歯には歯を」という記述は、バビロニアのハンムラビ法典にある。旧約聖書にもよく似た記述があるが、ハンムラビのほうが自由民だけに通用する理屈で、奴隷はその例から外されている。それに対して聖書はすべての人にと倫理的になっている。

そもそもバビロニアは多民族の同居する帝国であったから、利害の調整を図るためには、法典が必要であったのだろう。現代では、「やられたらやりかえせ」の意味で使われるが、元来の意味は、復讐を認めるわけでなく、過剰な報復を禁じるためのものであったらしい。

4人の死にひとりの死で報いるという基準が法曹界にはある。死刑制度の現実に立ってみると、現代の日本では4人以上の殺人を犯すと死刑になる確率が高い。永山判決のときの尺度がその基準になった。永山基準というものさし―その問題点や課題を浮き彫りにした、すぐれたドキュメンタリーがETV特集で放送されたことがある。2年ほど前になるか。ちょうど、太宰治の「斜陽」のドキュメンタリーを作っていて、その隣の編集室で密度の高い編集作業を行っているのを、見ている。

この死刑制度のことを考えると、被害者(不在となっているが)の怒り、被害者家族の苦悩と悲しみ、加害者の人権、世論への影響などがぐるぐる巡り、いかなる罰がふさわしいか、分からなくなってくる。死刑廃止論もふくめて難しい問題だ。

だが、殺される者の死が1万人とか10万人という規模になったら、この「基準」はほとんど意味をもたなくなってしまう。10万人の死に対して一人では釣り合いがとれない。

大勲位をもらったという宰相が、週末テレビでとくとくと原発導入の功績を語っていた。もし原発を推進させなかったら、日本は三流の農業国に成り下がっていたと、その活動を正当化していた。日本はその転落を免れたとして、40年後に「想定外の事故」によって、贖うことのできない莫大な犠牲と損失を招くことになったのだが、これを、その宰相はどう考えているのだろうか。

万死に値するという成句があるが、まさに今回の事故を起こすようになった関係者は万死に値するのでは。どうやって、その宰相は償いをするのだろうか。償うことなどできない。
人類がコントロールできない核を保有するということは、償うなどということができない絶対問題をかかえこむことになるのだ。それほど深遠にして深刻な問題にもかかわらず、元宰相はまだ懲りずに原発推進の政策を進めるべきと声をあげている・・・。

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by yamato-y | 2011-05-23 16:30 | Comments(0)

5月の句会で感じたこと

5月の句会で感じたこと

朝まで暑かったのが、午後2時過ぎにぽつぽつ来て、3時には土砂降りとなった。
急激に気温がさがった。まさに若葉冷えだ。目白のお屋敷町を歩いて、め組の句会に参加した。とはいうものの前日の締め切りまでに応募した句は不十分なものだったから、すっきりとした気分でもない。当季雑永4句、兼題(川、音、母)4句。期待がもてない句になったなあと後悔があった。
予想どおり、なかなか評価を得られなかった。予想していたことだからべつにそれに落ち込んだわけでもない。
川の変格で、運河で作ってみた句。
アンネの夏運河のビルの壁深く
アンネ・フランクが潜んだアムステルダムの運河そばの建物にあった青春を詠んだ。あたりまえ過ぎるという評価。やはりなあと思いつつ、今朝になって語順を入れ替えてみた。
アンネの壁運河のビルの夏深く
こうやると、前に比べて少し捻りが出てくる。夏深いという表現は悪くないかもと、自問自答。
まんまるさんの母の句に感心した。
母ゴジラ首廻(めぐ)らせて夏の雲
雄大さを感じる。ユーモアもある。
もうひとつ母の句で、私の気にいった作品。上五の字あまりはかなりのものであることは分かってはいたが、私は選んだ。
高峰秀子似の母は青葉に吸い込まれ
亡くなった母の面影が青葉のなかに立つ光景は美しいと思ったが、座の評価は12文字にのぼる上五はあまりの長さだという声。かといって、秀子似のでは意味は不明になる。どう処理すればいいか分からないが、母は青葉にすいこまれ、という中七、下五は魅力的だ。

今回は、私だけでなく全体に不調だったと、宗匠の弁。
だが、次の句にはたまげた。
甲イカの眼に宿りたる哲学
イカの眼に哲学を感じるとは、いったいどんな感性なのか。作者不在のため、真意が聞けなかったが、いろんな見方感じ方があるものだと感心した(半ば呆れながら)。

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by yamato-y | 2011-05-23 10:34 | Comments(0)

明け方のなゐに驚く

明け方のなゐに驚く

日曜の朝寝ときめこんでいたら、7時過ぎに地震(なゐ)がきた。千葉沖で震度3。このところ減っていたから嫌な感じ。出来るだけ東南海地震や福島原発のことから目をそらしたいと思いつつそうはいかない。忘れ去ろうとしても怖さは後ろから付いてきて、ついにはかぶさってくる。

昨夜、ジャン・ルノワールの「南部の人」を見た。名作の誉れ高いが、これまで見たことが無かった。役者もほとんど知らない名前ばかりだが、自然で少しユーモアが加味されたシリアスな演技に感心した。物語はコットンフィールドの続く南部の土地に入植した若夫婦の苦闘。
荒蕪地で井戸がなく畑もろくにない。牛も飼えないからミルクも手に入らず、野菜も食べられず、幼い息子は脚気になる。隣人との関係もうまくいかない。そこへ大嵐が襲ってきて、生活の基盤が根こそぎ破壊される。それでも逞しく生きていこうとする農民一家の話だ。「大草原の小さな家」とか「北の国から」などの貧しいユートピア物語の祖形にもなった作品で1946年のアカデミー賞監督賞を受賞している。監督のジャンは、あの印象派のルノワールの息子だが、親の七光りということもなく優れた能力を発揮している。嵐の翌日、川が氾濫して樹木がなぎ倒され家畜が流される。主人公が決死の救出にかかる場面などは迫力満点だ。かつ、貧しいながらも家族が気持ちを合わせて生きていこうとするけなげな姿がまぶしい。見事な演出である。

偉大な父をもった息子というのは苦しいものだ。何をやっても父と比較される。とくに画家ともなれば、莫大な資産財産が残されるから、仕事に就くというのも難しい。ピカソにしろシャガールにしろ、それぞれの子孫はほとんど遺産でなんの不自由もなくくらしていて、自分の人生ということを確立するのは難しいと思われる。
そんななかで、ジャン・ルノワールの生き方は光る。むろん、彼だって、最初の映画作りでは父ピエールの遺作を資金にしてとりかかるという面があるのだが、それでも映画人としての道をしっかり自分の手で築いた人といえる。

画家と子孫という主題で番組を作りたいと前から思っている。というか、身内は巨匠をどう見ていたかということを描いてみたい。日本の場合、なかなか興味深いケースがある。
洋画家の寺田政明の息子は役者の寺田農、奈良岡正夫の娘は奈良岡朋子。先日死去した彫刻家佐藤忠良の娘は佐藤オリエ。佐藤と親友だった舟越保武の息子は同じ彫刻家の舟越桂。みな、けっして親の盛名に溺れることもなく、芸術の道を歩んでいる。この人たちの目を通して芸術家の生涯を刻んでみたら、面白いのではないかと思ってもみたりして。

今気がついたのだが、「南部の人」は1945年に撮影され、46年に公開されている。
45年といえば、日本が戦争に負けた年。毎日といっていいぐらい空襲の続いていた時代だ。アメリカでは、仏から亡命していたジャンを起用して、こういう映画を作っていたのかと思うと、感慨は深い。

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by yamato-y | 2011-05-22 10:33 | Comments(0)


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