定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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春寒料峭

春寒料峭(しゅんかんりょうしょう) 

俳句の春の季語だ。春になって寒さがぶり返し、肌寒く感じられるさまを表す。料峭は主に風を指すそうだから、料峭たる春風というような用法になるのだろう。
それにしても今朝は寒い。昨日より10度以上気温が下がっている。冷たい雨が降っている。今日で2月も終わり、2月尽だというのに、春はまた少し先送りになった。

昨夜は、2本の特集番組を見た。ひとつはNスペの「日本人はなぜ戦争に向かったか~熱狂はこうして作られた~」。もうびとつは、E特の「死刑執行 法務大臣の苦悩」。見ごたえはE特のほうがはるかに大きかった。
この「死刑執行 法務大臣の苦悩」をネットで検索すると、タイトルは千葉元法相の苦悩とすべきであって、法相一般に話をカタチ作るのは偏っているという意見もあるようだ。なるほどそういう見方もありだが、昨今の司法のあり方が問われるなかで、死刑問題を考えていく一つの方途としてこのドキュメントはアリだと思った。
ただ、今回の主人公千葉氏と違う立場をとったと推測される鳩山元法相の意見を取り上げた番組が将来構想されてもいいかもしれない。単なる、機会平等というようなことでなく、議論がより深まると思われるからだ。
 本番組批判のなかに、罪人の人権を中心に議論は組み立てられており、被害者およびその関係者のことは言及されることが少なかったということには気になる。たしかに、光市の事件以来、被害者側のことを顧慮する意見が急速に高まっていることも事実だから。だが、そこまで含みこんだ内容にすると、尺も長くなるし、番組のねらいも薄まるだろう。だから、番組を改めて、被害者からの観点の死刑制度という主題を立ち上げるのもいいのではないか。
千葉さんの苦悩はよく伝わった。記者会見でてきぱきと答える表情とまったく違う口ごもる姿に、人間性を感じた。刑の断行を決めた理由について、「分からない・・・」と答えたことは月並みではない苦悩があったと、感じられた。
 タカ派と呼ばれ後にハト派と見られた後藤田元法相の決断の逸話、三ヶ月章元法相の苦悩は初めて知り、感銘した。

 Nスペ「日本人はなぜ戦争に向かったか~熱狂はこうして作られた~」で、あの戦争に庶民が熱狂していったのはなぜか、という問。メディアの先走ったはしゃぎが国民の躁状態を作り出し、軍部すらも引っ張られていったという趣旨。果たして、そんな物語(ストーリー)として歴史(ヒストリー)を語りうるのだろうか。熱狂という言い方が気になる。ヒトラーの扇動にのったドイツ国民のように、この国の人は熱狂したといえるのか。むろん、隣組や愛国婦人会のような草の根で煽った人たちがいなかったとは言わない。が、すべからく熱狂したとは思えないのだ。世間の流れに背を向けるということはしなかったにしろ、こぞって勇んで戦争協力したとは思えない。熱狂するわけでなく、だが、戦争の歯車にお互いにからめとられていくという、湿気を帯びたメカニズムがあったと思われるのだが。

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by yamato-y | 2011-02-28 11:21 | Comments(0)

太陽の塔

太陽の塔

 岡本太郎生誕100年を記念したドラマが流れた。3年前に、少年週刊誌の創刊時代をドキュメンタリードラマで描いたときのことを思い出した。実在の人物をドラマとドキュメントであぶり出すというのは、思った以上に苦労と手間がかかるものだった。だが、長年映像化したい、サブカルチャーの歴史だったからやりがいがあった。このときに集めた少年サンデー、少年マガジンの関係者の証言やブツは今も大切に保存してある。今度、京都に行ったときに、専門家である吉村先生(京都精華大)にでも相談してみようかしらむ。先生は漫画ミュージアムの有力な研究者でもある。
 それにしても、岡本太郎のドラマはよく出来ていた。登場する人物があまりに多彩でかつ深い。特に太郎の母かの子を演じた寺島しのぶは実に良い。物語は、太郎の幼少の時代と大阪万国博の時代がカットバックして進行する。第1話は、太郎が万博のプロデューサーに就任し、太陽の塔の原案を思いついたところで終わった。
来週は、その塔のイメージが豊かになって行く過程にスポットをあてるのだろう。
それを見てからのほうがいいかもしれないが、この塔にわが大伴昌司も少なからず関係しているということを、少し触れておこう。

 大伴の父、四至本八郎は戦前岡本一平と親交があった。八郎がサクラメントの日系新聞で記者だった頃、渡米した一平を親身になって世話したことから始まる。その友情の証のように、今も、四至本家の玄関には一平の「ポンチ絵」が架かっている。
 両家は家族そろって交流した。太郎の代になっても、八郎はよく付き合った。
 昭和30年代、まだ海外渡航が解禁になっていない頃、八郎と太郎はある団体の招待で、アメリカ西海岸を視察することになった。在米体験のある八郎を太郎は頼りにした。太郎はパリに長く住んだが、アメリカにはまったくの不案内だった。

 団体の決めてあったスケジュールに沿って旅はすすめられたが、あるとき、ぽっかり予定が空いた日があった。八郎は、昔の体験を生かして砂漠地帯にある先住民の部落へ案内することにした。インディアンの村である。そこで、大きなトーテムポールを太郎は目にし、感動するのだった。帰りのバスのなかで太郎は八郎にポールの迫力、感動について熱く語った。 
 アメリカから日本への帰って来る空路でも、太郎はトーテムポールのスケッチを何度も描き直していた。その姿が、八郎の心に残った。

 昭和45年、万国博が始まると、大伴昌司は頻繁に大阪へ取材に出かけた。息子が持ち帰った資料のなかに岡本太郎の太陽の塔があった。それを目にした八郎は、あのときのトーテムポールがこんな形で表されたのだと悟った。八郎の直感では、太陽の塔の原イメージはあの先住民の村に建っていたトーテムポールだった。

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by yamato-y | 2011-02-27 09:45 | 大伴昌司の遺産 | Comments(1)

記憶の正誤表

記憶の正誤表

その本は絶版になっているから、訂正することも叶わない。遅ればせながら、このブログで正しておこう。

先年、テレビの番組制作の手法について新書を書いたことがある。企画の立て方、取材の方法、編集の流れのようなことを現場の知を具体的に紹介した。
企画のところで、小さな新聞記事から企画を立てた体験を例として挙げた。原爆症の男性を追うドキュメンタリーを作った体験だった。広島に着任してそれほど日が経たないある日、ブロック紙の訃報欄に目を通していてある事実に気づいて、その企画を立てたと私は記憶していた。そのあと、中堅のOディレクターに東京へ行って調べてきたらと指示したと私は書いた。

 昨夜、そのディレクターO君(15年経って、今では立派なベテランとなっている)が、私が記憶していたことは間違いだと指摘した。このネタのはじまりは、彼が原爆小頭児に関心をもっていたことから始まったと言う。一瞬、何を言うのかと私は気色ばんだ。あの夏の朝、局のソファにあぐらをかいて新聞を広げたことを覚えている。そのことを言った。

すると、彼はその顛末を具体的に説明した。私は自分の記憶を探った。そして私の記憶に誤りがあったことを発見した。ショックだった。
記憶を自分なりに作り替えていたのだ。O君は、私がきっと悪意でなくそう思い込んでいるのだろうと寛容に見ていてくれたと知って、その友情に感謝した。

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by yamato-y | 2011-02-26 20:35 | Comments(0)

今夜もご覧いただき有難うございました

今夜もご覧いただき有難うございました

「今夜もご覧いただき有難うございました」
歴史番組のレギュラーを担当していたときの、松平定知アナの決めセリフだ。実に気持ちのいいコメントだが、まったく反対の視聴者の側からも番組に感謝したいときもあるものだ。
「今夜もいいドラマを見せていただき有難うございました」というセリフを捧げたいのが、冬ソナ。

1月末から見始めた冬ソナ再視聴。また今夜も、続きを見てしまった。第17話「障害」だ。最後の場面は、チュンサンとユジンの二人だけの結婚式を挙げようとする所で終わる。続きの18話を見たいが、一応今夜はもうストップ。

筋立て、流れはもう全部知っているのに、つい続きを見たくなる。残りは18、19、20と3話を残すのみとなった。ああ、終わりが近づくにつれて、だんだん見惜しみになってくる。すぐにエンドまでたどり着きたくなくなるのだ。

ところで、今回の視聴で気がついたというか、気になったこと。
韓国の冬は相当厳しいということ。室内に入っても外套を着たままだし、マフラーも外さない。日本で、応接間でそういう格好をしていたら咎められるだろうが、韓国ではそうならない。
実際、私もヨンピョンのスキー場に行ったときなど、半端でない寒さを経験した。
そうやってみると、雪のなかの戯れを演じたぺさんにしてもチェさんにしても、すごい役者根性だと感心する。

また今夜も、冬ソナ視聴で12時を越えてしまった。夜更かしすると、次の朝がきついことは分かっているのに、やはりはまってしまう。


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by yamato-y | 2011-02-24 00:11 | Comments(0)

群青色の空があるわけでなく空が群青色になっているだけ

群青色の空があるわけでなく空が群青色になっているだけ


絵の具の性質や使い方を覚えることは大事だと、高山辰雄が最後のエッセー画集で書いている。そのあとに続く言葉に惹かれた。
「だが、それを知ったなら、次はその絵の具の名前を忘れたいのです」
あの空は群青色だと決め付けるのは絵描きとして欠点だという。空は群青でなく、空は空。それをどう表現するかは、決め付けたなかからは生まれてこないというのだ。
たしかに、葉っぱは緑かもしれないが、よく見ると街角の樹木の葉は埃で薄汚れていて、絵の具の緑とはいえない。その木にしかない色があるだけ。そういう先入観でモノを見ないようにしたいと高山は語る。「目は透明でなければと思う」

詩人の吉野弘は、シンとした青空を見て「静」という言葉を思い浮かべた。青が争っているという。たくさんの青が空一面にひしめき争いあっていて、それが空の色を形成していると見たのだ。なるほど、そういう目で見ると、冬の青空などは、まさに小さな青がたくさん重なり合いひしめき合って、あのシンとした凛とした青空になっているような気がしてくる。

画家と詩人のそれぞれの認識。タメニナルナー。

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by yamato-y | 2011-02-23 17:10 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

マルガリータの飲み方

マルガリータの飲み方

レベッカ・ブラウンの『若かった日々』を昨夜購入し、湘南ライナーの乗車中いっきに読んだ。以前、この人の『家庭の医学』というのを読んだときはそれほどとは思わなかったが、今回手にした作品は自伝的な要素もあるせいか、表現がきわめて微細で心を鷲づかみされてしまった。微細というのは詳しいということとデリケートということを合わせもっているという意味で。

迂闊にも著者は村上春樹や柴田元幸のような中年の男性だと思っていた。女性作家とは頭のなかになかった。レベッカという名前から、そんなことは自明のはずだが、馬鹿げたことに私はブラウンばかりに目を奪われ、アメリカの都会派の中年男性ライターと思い込んでいた。レベッカの幼年時代の思い出話は、まったく少年の物語として私は受け取っており、しかも違和感がまったくなかった。
で、『若かった日々』のなかの「ナンシー・ブース、あなたがどこにいるにせよ」を読むうち、ガートルード・スタインの名前が出てきたとき、ふと著者は女性でレスビアンだと気づいたのだ。ガートルードの名前はピカソの伝記を読んだとき女傑としての彼女の名前が鮮やかに残っていたからだ。 女性だと気づいて、作品が嫌だということではない。でも、あまりに爽やかな幼年期は、ガーリッシュというよりボーイッシュと呼びたい。これは私の偏見だろうか。
 母と離婚して出ていった父親の話がでてくる。彼から酒の造り方を習ったという話だ。ハイボール、スクリュードライバー、ピンクレディ、サイドカー、マルガリータ、ブラディアレクサンダーなどなど。

ここを読んでいて、バークレーのバーを思い出した。西海岸のUCバークレーのある町だ。樹齢千年以上のメタセコイアの木が何本もある町。かつてレジデンスライターとして、大江さんは半年間滞在したことがある。そこで広島について思索を重ねたことがあるということで、私は大江さんといっしょにロケに出かけた。今から20年も前のことだ。東海岸のロケを終えて、夜にサンフランシスコ空港に到着し、バークレーのホテルに入ったときは11時を回っていた。スタッフも疲れていたので、簡単なミーティングを終えて解散した。
 高ぶっていた私はすぐにベッドに入ることもできず、フロントの脇にあるバーに行った。カウンターに坐って何を注文しようかなと思っていると、大江さんも来た。にこにこ笑いながら、「一杯やりますか」と部屋の鍵をカウンターの上に置いた。
 この大作家とサシで酒を飲むことになるとはと、私は緊張した。
「この町の名物のお酒はね、マルガリータですよ」。昔、この町に住んでいるときに、大学の同僚から教えてもらったことがあると、大江さんは語る。メキシコが近いからじゃないかと推測もする。バーテンダーにマルガリータを2つ注文した。

 グラスの縁にうっすらと付いた塩を指でそっとはがして大江さんは舐めた。それからマルガリータ酒をくいっと飲んだ。「これが地元の人の飲み方だそうですよ」と、私に薀蓄を披露した。
あのとき、私はマルガリータ2杯で酔った。何を話したかはっきりと覚えていない。ただ、このときとばかりにサインを書いてもらった。紙がないからということで、マルガリータを載せたコースターの裏側に大江さんはサインとともに小さな文章を記してくれた。これは、今大磯の私の部屋の書棚にある。

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by yamato-y | 2011-02-23 12:08 | Comments(0)

風荒き町を過ぎて

風荒き町を過ぎて

痛みを感じるということは生きている証拠、というような言葉を今朝のアサイチで知った。おばあちゃんの知恵袋という先人の知恵の言葉。なにげない通俗的な言葉だが、今の私には沁みる。
一昨年の大病をして以来、急激に健康に不安を抱くようになり、痛みに対しても敏感になっているからだ。

先週、関西で、研究会に出たり日本画研究家を訪ねたりで、いろいろ動き回ったせいか、体の芯に鈍い疲れが残っている。だが、週明けはロケの現場からのクレイムや新しい企画の推敲などがめじろ押しで一息つく暇もない。バタバタして月曜の夜をむかえた。7時半には仕事を「切って」、渋谷駅まで。途中、居酒屋に寄って寒ぶりを肴にして熱燗2合を飲む。体が温まる。最近はもっぱら一人酒。おもむろに図書新聞を取り出し、一面の特集記事「保田與重郎の『近代の否定』とは何か」を読む。話者は、フランス現代思想の前田英樹。なぜ彼が保田を語るのか、興味半分で活字を追う。彼によれば、保田は民族主義者(国粋主義者というニュアンス)というクリシェでばかりで、その真意が伝わっていないという。そのなかで面白かったのは、70年代半ば、全共闘たちが保田を読むことが格好いいと思っていた時期があったということ。そういえば、「日本の橋」という彼の著作を購入したのも私の場合も74年だった。あの時期、彼の名前が突然浮上したことがあったことを思い出す。たしかに、70年に三島が自決して以来、若者の間で日本の伝統とは何か、のような議論がベトナム戦争反対の声と並行して行われた。

もう一つの記事は、先日手にした『フレンチセオリー』の書評だ。東経大の桜井哲夫氏が書いていた。この人の文章は分かりやすい。フランス現代思想が、いかにしてアメリカに広がっていったかをこの書は解き明かしている。だが、少し欲張って、波及を南米から日本まで広げているぶん散漫になっているのではないかと、桜井が指摘していたが、同意する。この書で気になったのが翻訳の晦渋なこと。悪訳と言いたいぐらいだ。でも、この桜井書評に触発されて、『フレンチセオリー』を再読しようかなという気になった。

8時に店を出る。冷たい風のなか家に向かう。井伏鱒二が「荻窪風土記」のなかで、荻窪を風の荒い町と書いていたことを思い出す。
夕飯をとった後、太田治子の新刊『時こそ今は』を読む。主人公が私と同世代を設定されているので感情移入が早い。すぐ作品世界にのめりこむ。半分ほど読んだところで、10時となり、「プロフェショナル」が始まったのでそれを視聴する。渋谷のデバートの食品売り場を変革しようとする熱血サラリーマンを描いている。頑張って取材していることは分かるが、もう少し人物像を大胆に切り出してほしい。今ひとつ、主人公の熱血ぶりが伝わってこない。ワイドニュースの特集「デパ地下戦争」の現象紹介との差異が見えなかった。この番組の前身である「プロジェクトX」からの呪縛は解けつつあるが、この「プロフェショナル」ならではの切り口の鮮やかさを私は要求したい。むろん、限られた時間とお金のなかで、制作担当者は必死で戦っていることを認めたうえでの、やや過度な要求であるということを知っててのことではあるが。
 他人様の番組を批評するのはたやすいが、いざ自分でやってみると、どれほど多くの困難に遭遇することか。取材に合意して、撮影を始めたものの、途中で気が変わる出演者とか、アポイントを取っておいたにもかかわらず、実際にデバって行くと取材を拒む人とか。泣きたくなるようなトラブルが続出する。それを一つ一つ整理して、少しずつ歩を前に進めていく。それがドキュメンタリーのやり方。

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by yamato-y | 2011-02-22 17:08 | Comments(0)

ローザ 

ローザ 

1985年に制作された独映画「ローザ・ルクセンブルク」を見た。監督は女性のマルガレーテ・フォン・ロッタ。素晴らしい才能だ。ジャーマンシネマの旗手のひとりとかつて評価されたのだが、近年、その名前を見かけないのはなぜだろう。そろそろ新しい作品を見たいものだが。

主人公のローザとは、ポーランド生まれの革命家でドイツ社会民主党から独立社会民主党を経て、ドイツ共産党(スパルタクスブント)を結成した伝説的な女性。

第一次世界大戦末期ドイツ帝国は革命によって崩壊。ドイツ共和国(ワイマール共和国)が誕生する。ローザたちは更なる革命を進めるべく蜂起するが、やがて殲滅される。敵対するファシストによって虐殺され、運河へ投げ込まれてしまう。この数奇な運命を力強く生きた女性を描いたのが、本映画だ。

1907年、ロシア革命が起きた。そこに居合わせたローザは祖国ポーランドにまでその火を広げようと活動し逮捕され、ワルシャワ監獄に投獄される。(彼女は短い生涯のなかで9回も投獄されることになる)
その頃、ドイツ社会民主党は新しい時代のなかで躍進途上にあった。ドイツに帰国したローザは、議会民主主義路線をとる党のあり方を批判し、ゼネストの戦術を主張する。革命を徹底させようとするのだ。
第1次大戦で敗北したドイツは、莫大な賠償をかかえ逼迫しており、国民のなかでその不満は新しく台頭してきたファシストの勢力に吸収されていく。新しい戦争の危機が迫っていた。それに対して、ローザは反戦をつよく主張する。一時、袂を分かった急進派のカール・リープクネヒトと再び手を結ぶ。だが、二人は反対勢力の憎悪をさらに掻き立ててもいく。二人への追求が厳しくなった。そして――
1919年1月15日、逃走をはかったローザとリープクネヒトは、彼らを憎む軍人たちにつかまり、射殺される。映画では、この場面がリアルに描かれている。
拉致された車のなかで、ローザは小銃で射殺される寸前、一言発する。「撃たないで」

このセリフの翻訳が気になった。原文はそうなっているのだろうか。撃たないでというと、まるでローザが下手人たちに哀願するような屈伏したようなニュアンスがある。果たしてそうだろうか。ローザは信念の人であり、この拉致されたときにはもはや覚悟していたのではないか。死を恐れずに自分の存在を誇示したはずだ。だから、軍人がピストルを向けたときには怯むこともなく、彼女は毅然と対手を制したと、私は想像する。「撃つな」と。下手人たちを憐れみ見下ろすような精神で言ったにちがいない。

血だらけのローザと敵からでっち上げられた彼女は、実際には子供好きの愛情深い女性だったとして、この映画では描かれている。そのことに私は好感をもった。が、それだけにあのセリフの訳だけが気にいらない。

先日、永田洋子が死んだ。鬼畜のような女と喧伝されたが、果たしてどうなのだろう。
まぼろしはすみれいろかや反逆者(テロリスト)

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by yamato-y | 2011-02-20 20:50 | Comments(2)

普通に生きて、死んでゆく

中庸に生きる

 亡父がよく言っていた。なんでも中庸が大事だ、行き過ぎてはいけない。すべてほどほどにと。
それを聞かされて、20代の私は反発した。
もっと自分の意見をはっきり弁じて、自己を主張するべきだ。内心は違うくせに、表向きは対手に合わせて破綻のないように繕うなんてフェアじゃない。卑怯者だと思っていた。すべて微温的にやり過ごそうとする、事なかれ主義の「奴隷根性」だと難詰した。

50を過ぎてからは、親父の言うことも一理あるかなと思うようになった。論理として正しいということがどれだけ妥当性があるかは、実人生をみれば分かってくる。現実はきわめて曖昧に処断されることも知るようになる。親父が死んで5年も経った頃だ。私はいつも遅れて理解する。

 大阪まで出向いたので、昔の仲間Oさんを訪ねた。57歳の第1次定年をむかえたというから、私より5歳ほど年少か。穏やかで沈着なOさんは、私と対照的な人生を送ってきた。けっして自分を主張せず、大勢には逆らわず、流れのままに生きる、ということがOさんのモットーだろうと私は勝手に想像していた。傍で見ていて歯がゆいと思うことはあったが、その生き方を否定したいとは思わなかった。どこか、生き方に威厳を感じていたからだ。今から考えると、彼の生き方は、まさに親父の言う「中庸を生きる」であった。

 梅田の曽根崎通りの居酒屋で、土手焼きとおでんと鰯の煮付けを肴に飲んだ。近況を聞くと、クリント・イーストウッドの映画に惹かれて、それを見ることが楽しみだと語る。有線放送に加入するようになって日本映画チャンネルを見ていると、なかなかいい映画に出会うのですよと呟く。カウンターに坐って、Oさんの肩先だけを眺めながら熱燗の杯を重ねた。一人暮らしの身の上だからさびしいのではないかと、半畳を入れようかとも思ったが止めた。その呟きの穏やかさ、平静さがあまりに堂に入っていたからだ。

 そのOさんが、最近ときどきこらえ性がなくなって、本音を言ってしまうことがあるのですよと照れくさそうに語る。どういうことって聞き返すと、年のせいだと思うが、怒鳴ることもあるのですよ。言ってしまったあとに、自分でも驚くのです、と言う。
 少し嬉しくなった。家人から、あなたはいつも自分勝手で、自己主張ばかりして怒鳴っている。少し直したほうがいいのではないかと批判されている私にとって、Oさんの老人性短気は、歓迎するところだ。穏やかなOさんでもそういうことがあるのだ。

 老年期に脚を踏み入れたOさんは、少し短気になりながら、それでも自分のペースを大きく崩すこともなく、しっかり自分の人生を最後まで否定せずに歩いていくだろう。どれほど才能があるかということを周りに誇示することもなく、野の草の花のように生きていくのだろう。そういう人生も悪くはないのじゃないかと思う。

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by yamato-y | 2011-02-19 17:08 | Comments(0)

素敵な漫画家

素敵な漫画家

昨日は休暇をとって京都の大学に来た。科学研究「戦争の記憶」の2月の研究会に出席するためだ。今回は、ゲストを迎えてのインタビューである。漫画家のこうの史代さんだ。2004年、『夕凪の町・桜の国』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞と手塚治虫文化賞新生賞のダブル受賞をはたした人物。メディア論的戦争の記憶研究する私たちにとってきわめて重要な人だ。今回、東京からお呼びしてメンバー12人で、こうのさんを囲んで、話をあれこれ2時間にわたって聞いた。

午後3時、京大正門、時計台の前でこうのさんと合流。この大学は初めてということでキャンパスを少しだけ案内する。高校生の頃、吉川幸次郎が好きで、この大学へ行こうと考えたこともあったそうだ。だが、女の子は地元の公立しかやらないという親の方針で、こうのさんは広島大学の理学部に進学する。なぜ、理学部の地学?という疑問に答えるかのように、キャンパスグッズの売店でこうのさんが求めたのは、元素の周期律表だった。「これが一枚あると便利ですからね。一家に一枚、周期律表」とにこやかなこうのさん。寒い京都を警戒して、長いコートをまとい帽子にマフラーで完全武装。帽子の下のまなざしが優しい。

4時から、特別研究室の狭い部屋に13人がぎゅうづめになりながら、こうのさんの言葉に熱心に耳を傾けた。前半のこうのさんの半生については、私がインタビュイーで、後半の代表作『夕凪の町・桜の国』や『この世界の片隅で』のマンガについては、京都精華大の吉村和真先生が中心になって、こうのさんから創作の「秘密」や戦争の記憶に向き合う「姿勢」などについて聴くことになった。明晰で明快なこうのさんの話は面白く、2時間があっという間に過ぎた。


6時15分、研究会を終了。場所を百万遍の「門」という小料理屋へ移す。全員で大学を出て、小雨のなかわいわい言いながら移動。そこで、こうのさんを囲んでの懇親会となった。関西の有名な大学の教授や准教授たちは、口角泡を飛ばして、戦争の記憶論を弁ずる。こうのさんはにこにこ笑って、それに応ずる。ここでも楽しい2時間は、あっと言うまに過ぎた。
会のお開きの前に、「こうのさんのサインタイム」と私が声をかけると、『夕凪の町・桜の国』の単行本をもってメンバーが並ぶ。サインだけでいいですよと、私は言ったが、こうのさんは一々可愛い小鳥を描いてサインしていた。むろん、私もいただいた。

その後、宿泊先のブライトンホテルまで送り、そこのバーでまたこうのさんと話し込んだ。
聴けば聴くほど、『夕凪の町・桜の国』の作品の深さに驚く。

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by yamato-y | 2011-02-18 10:00 | Comments(0)


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