定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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大つごもり

大つごもり

つごもりは月隠りが変化したもの。月末。12月の月末を指す。
いよいよ2010年の最後。今、会社で編集の最後にたちあっている。手術から始まって、仕事で終わる。変な1年だ。
というか、結果オーライだから感謝するべきか。

出社の途中、渋谷駅前からセンター街を抜けて、神南のほうへ歩いてきたが、どこも人の群れでごったがえしていた。なんとなく、町も浮き浮きした気分だ。

現在、進行の「バチカン・シークレット」は、1月の衛星放送の看板シリーズ、イタリア7つの色の1本。システィーナ大聖堂の壁画に描かれたものの謎を解くというアートサスペンスと銘打っている。90分の長い尺だが、締め切りぎりぎりの本日に、ようやく編集完了となる予定。このあと、2時から、試写が始まる。
(ここで時が流れる)
2時から始まった試写およびチェックは夜半に入って終わった。ディレクターは予想以上に頑張って昨夜から仕上げていた。それにしても番組を作り上げるということは難しい。年々、そのことを痛感する。その理由の一つは、私自身の老化がある。明らかに、集中力が落ちている。画のモンタージュを試行錯誤すること。これを集中するのは、3時間が限度だ。それ以上になると、頭がぼーっとしてくる。

いよいよ、第2の定年をむかえることになる。来る2011年の誕生月の1月に、63歳になったときから、現在の身分が変化する。年金支給されるものとして、今のような雇用の形態ではなくなるのだ。いよいよ私は純粋の現役ではなくなる。なにか淋しいが、一方で体が言うことをきかないという現実もあり、その境遇を受け入れねばならない。まさに、来年以降は「定年再々出発」となっていくのだ。

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by yamato-y | 2010-12-31 13:43 | Comments(0)

ヒッチノート1

海外特派員

此の年末年始の休みはヒッチコックの映画三昧で行こうと考えていたのだが、今のところ目論みは失敗になっている。まさか、31日まで仕事が続くとは思っていなかったのだ。自分の立てた企画ならともかく、お仕着せの作品では意気も阻喪する。こんなことなら、映画三昧のほうがよかったのだが、後悔しても始まらない。
でも、その多忙な時間を縫って、気分転換にちょこちょことヒッチコックを見ている。今朝も未明に「海外特派員」を見た。1940年のスパイ映画だ。ものの本によると、反ナチのプロパガンダとして作られたというが、スパイスリラーとしてよく出来ていた。

欧州大戦が始まろうとする不穏な情勢のなか、アメリカから派遣された記者ジョン・ジョーンズ。ヨーロッパでの平和運動の大立者フィッシャーの本意を取材して時局の行方を探ろうとする。ところが、そのフィッシャーは敵のドイツ側によって拉致される。その行方を追うなかで、さまざまな陰謀策動に巻き込まれるという筋だ。筋(ストーリー)もさりながら、描き方がうまい。シーンからシーンへの転換とか繋ぎとかが実に鮮やかだ。小道具というかモノの扱いも巧みだ。あらためて、映像の勉強になる。やはり、ヒッチを系統的に学ぶことは大切と、トリフォーたちの慧眼に驚く。彼やシャブロル、ロメールらフランスヌーベルヴァーグの才人たちは、いち早くヒッチの重要性を見抜いていたのだから。

今年、私が発見した映画監督はエリック・ロメールだったが、彼の映画のエスプリはこのヒッチから発しているといっても過言でないかもしれない。一見、両者はまったく違う作風のように思われるが、なかなかどうして、通底するものは小さくない。ロメールはヒッチを研究するため、ベルギーにあるシネマテークでヒッチの無声映画まで含めて49本を見たという。羨ましい環境が、1960年のフランスにはあったのだ。だが、現在の私らもDVDという文明の利器のおかげで、それに近い恩恵に浴することができるのだ。実は、このロメールを真似て、年末年始のヒッチ三昧を思いついたのだ。

「海外特派員」で、一番感心したのはラストの飛行機が不時着して、主人公たちが海に投げ出されたシーンだ。嵐で波立つ海面で飛行機の残骸にすがって、救助を待つ場面、本物の海を使っている(ように見えた)のは大変な努力であり、すぐれた演出だ。後に評判をとる「北北西に針路をとれ」などでも、痛快なアクションシーンでの背景が合成を使っていて興ざめしたのだが、本映画はきちんと実写化している。しかも、そこでの迫真の演技が自然なのだ。

それぞれの場面、シークエンスの終わりに、ヒッチはくすっと笑いたくなるような諧謔が仕込まれている。まさにスリラーとユーモアをモットーとする作家だ。

キャラクターの仕立て方がうまい。主人公の記者もいいが、そのライバルの記者の造形も見事だ。1940年の本作を皮切りにもう少しヒッチを見続けていこう。
次は、ケーリー・グラントの「泥棒成金」を見る予定。今夜でも見ることが出来れば嬉しいが。

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by yamato-y | 2010-12-30 10:18 | Comments(1)

2010年とはどんな年だったか

2010年とはどんな年だったか

前年12月22日に母が死んだが、その前の日に私は胃癌であることを告知される。
明けて1月4日に、T大学大橋病院に入院。胃癌の手術を受けることになった。
1月14日に手術。8時に手術室に入り終了したのは午後6時半を回っていた。予定より5時間長かった。
26日退院した。

2月3日、およそ一ヶ月ぶりに仕事場に出る。
2月5日、大江健三郎さんの「百年インタビュー」の本番に参加する。入院中から、アナウンサーの相談を受けていたので、どうしても収録には立ち会っていたいと願った。テーマは「後期の仕事から見た作家の魂」。7日のロケ撮影にも立ち会うことができた。
2月8日、ベトナム戦争企画のことで、米ABCの元カメラマン平敷安常さんと接触を始める。
2月下旬、体調を崩した。26日、T大学病院に出向き、主治医と面談になった。採血の結果がよくない。

3月に入っても具合が悪い。食が細まり、体がふらふらする日が続く。
老眼が急速にすすんだ。50肩のために左腕が上がらなくなった。トイレがやたら近くなった。あちこちで、体が壊れ始めた。

4月に入って、清元二派の合同演奏会について情報が流れて来る。ドキュメンタリー化する方途を構想する。
 京都の大学も例年どおり、毎月3日だけ半年間教えに行くことにした。その1回目が22日。帰りの週末、敦賀へ寄った。久しぶりに実家で寝る。
5月の出張講義の後も敦賀へ帰り、仏壇や母の机などを整理する。
順調だったが、夏に入って具合が悪くなった。
7月頃、T大学の泌尿器科に受診する。

8月8日、中学の同窓会が50年ぶりに開かれ、出席する。
24日、国立劇場で、清元合同演奏会が開かれる。

9月28日、「若き宗家と至高の三味線」オンエアーされる。内外から高い評価を得た。

10月3日、朝早く家を出て、山中温泉に向かう。父の墓所がある。そこへ私が保管していた母の遺骨を持って行き、父のそばに納めた。
10月26日から30日まで、S先生とタイ研究旅行。バンコックとチェンマイ。後半、食あたりをしてたいへんな思いをする。その後、血圧が不安定になった。
11月後半は、ベトナム戦争の編集試写が続く。
12月3日、衛星第1放送「戦場のジャーナリスト」オンエアーされた。これは60分の短いバージョンで、90分は年明けの22日に放送予定。
12月19日、新高輪プリンスで開かれたT看護学会で、患者体験者として証言する。
年が押し迫って、「バチカン・シークレット」の編集作業が大詰めとなる。これのアップが31日。最後にもっとも多忙な状態をむかえることになった。

病気が全体に覆う1年ではあったが、幾人かの人と新しい出会いをした。一方、幾人かの知り合いが昇天した。ある人は、数年前に亡くなっていることを今年になって知った。それでも目白の句会には4、5回出席できた。

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by yamato-y | 2010-12-29 12:13 | Comments(0)

面影の変わらで

面影の変わらで

年の残りも少なくなった。ここに来て仕事がいっぱい入ってきて嬉しいやら苦しいやら。毎日、深夜まで編集が続いて帰りが遅い。久しぶりに昨夜は早く帰ることができ、おまけに故郷(くに)から越前蟹が届いていたので、1はい食べた。腹がくちると眠くなり、10時過ぎには寝た。
明け方に目が覚めた。枕元にあった『蕪村句集講義』を拾い読みする。冬の句で立ち止まって熟読する。

としひとつ積もるや雪の小町寺

きれいな句だ。としと雪をひっかけてあるのだが、また歳をとっていくのだという哀れさと若い日のことを忘れられない淋しさが入り交じっている。この句の発想になった和歌。
面影のかわらで歳のつもれかしたとひ命は限りありとも 小町

たとえ歳をくっていくとしても、昔日のおもかげよ変わることなく。というぐらいの意味だろうか。作者は小野小町で、卒塔婆小町の心境か。深夜にこの歌と句に出会って、つくづく共感をする。書を横に置いて、遠い日のことを思ってしまう。

先日幼なじみから歳暮が届いた。敦賀の蒲鉾だ。歯触りのいい蒲鉾を思い出したら、幼なじみの数人が現れた。みな中学生の顔だ。私もそこにいた。教会の門の前で記念写真を撮っている。私はセーターを着て、学生帽をかぶっている。蒲鉾を送ってくれた友は自転車に乗っている。所在も知れなくなった女の子が聖書を胸にかかえて微笑している。他の友らもみな笑っている。異性を意識しはじめた頃の風景だ。

あの頃は早く大人になりたいと願った。大人になったら、好きなものをいっぱい食べて、行きたいところへ行って、やりたいことをやるのだと野心をもやしていた。なんで、あんなに早く時間が経つことを願ったのだろう。なんで、あの頃にもっと止まっていなかったのだろう。あの頃の私に呼びかけてやりたい。「おーい、まだ来るな。おまえの居るところをもっと沢山覚えておけよ」あの風景の背後にはいちじくの木が茂っていた。そよ風が吹いていた。

聖書を胸にかかえていた少女は、親が夜逃げをしたということで親戚に引き取られ、その後行方が知れなくなった。どこへ行ったのだろう。会って中学生だった時代のことを話し合ってみたい。
ー―遠い日のことを、蕪村の句を目にしながら思った。

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by yamato-y | 2010-12-28 09:33 | Comments(0)

昭和サブカルチャー

昭和サブカルチャー

大阪万博ガイドブックの復刻本を手にした。平凡社から出た昭和サブカルチャーのシリーズのひとつらしい。
昭和45年、1970年の3月にオープンしたこのイベントは、私にとっても忘れがたいものだ。22歳、ちょうど大学卒業にあたり、初めて社会人として転勤した地大阪で開かれていたのだ。半年の会期で私は3回ほど入場したが、あまりの人ごみと待ち時間の長さにうんざりしたことを思い出す。だから、人気のパビリオンを避けて、インドネシア館とかスイス館とかへ脚を運んだ。シシカバブーなどという食べ物に初めて遭遇した。だが、今となって考えると、もっと時間をかけてアメリカ館の「月の石」を見るとか三菱未来館の円谷映像展示とかフジパンロボット館の手塚ワールドとかを見ておけばよかったと後悔する。
動く歩道に驚き、モノレールに未来を感じた。
だが、この会場に行くことになんとなくわだかまりというか後ろめたさを感じていた。というのは、これは国民の意識をたぶらかす策動だという批判に共感する立場をとっていたのだ。この万博にはベトナム戦争や公害から目をそらそうとする意図があるもので、そういうものに乗ってはいけないというプロパガンダに多分に影響されていた。「万博粉砕」というスローガンはあちこちで耳にし目にした。同僚の新人ディレクターが「今日のパビリオン」などというデイリー番組に走り回っているのを苦々しく見ていたことも事実だ。

でも、ワンダーランドは一度は味わってもみたいと思っていたから、人知れないように平日の夕方などに千里まで出かけていくこともあった。

このイベントを、少年マガジンでは巻頭図解でたびたび特集を組んで紹介していた。図解されたパビリオンは魅力的で、未来を解説されているようでわくわくした。振り返ってみると、そのディレクター・デザイナーは大伴昌司であることを今になって知る。今回の復刻本と大伴の図解と比べると、圧倒的に大伴のほうがよく出来ていて面白い。やはり、大伴は天才だ。

懐かしく読みながら気がついたことがある。このイベントの花形はコンパニオという女性のパビリオン案内人だった。コンパニオンは私と同世代の女子たちだった。選ばれることは才色兼備のあかしのようだったから、たくさんの人が応募した。
会場に行ってみると、羨望とねたみの交差するなかに、彼女たちはにこやかに立っていた。当時の女子大生の憧れの職業はコンパニオンとスチュワーデス(キャビン・アテンダントとはいわない)だった。美形でスタイルも抜群の女性ばかりと、思いこんでいた。
が、今当時の写真を見ると違う。けっこう太目の体つき、ぺったりしたアジア顔、垢抜けない制服、着こなしだということに気づく。
意外だった。あれほど美しく思えたコンパニオンは幻想だった。加えて、20代の彼女たちの顔に、加齢した老け顔が重なって見えた。当時は、まったく見えていなかったはずだが、今振り返って見ると、老年化した顔が彼女たちの顔に浮き上がっている。
むろん、他人のことを言えたわけがなく、自分だってその運命を辿っていると知ってはいるものの。

今年開かれた上海万博にその記録は破られたとはいえ、当時、6400万の人がこのイベントに向かったのだ。テーマは、「人類の進歩と調和」だった。大阪万博のことは高度成長期の伝説になっていくのだろう。それにしても、あの頃の大阪は活気があったし、いろいろな意味で面白い場所(トポス)だったよ。

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by yamato-y | 2010-12-26 13:12 | Comments(0)

聖誕節

聖誕節

朝の日が軒先深くまで差し込んでいる。穏やかで暖かい日と、今年のクリスマスはなった。だが、それは関東だけのようで、北陸では1メートルに近い積雪があり、今も降っている。
ちょうど1年前の今日、敦賀の教会で母の葬儀を行った。前夜から会堂に泊まって通夜したが、それはそれは寒い日であった。明けたの朝も雨混じりの肌寒い日となった。祭壇に安置された母の棺、飾られた遺影がくっきりと思い出される。気を張りつめていたから、そのときは気がつかなかったが、すべての葬儀を終えて列車に乗ったときはさすがに疲れがでた。綿のように疲れ切ったからだを鈍重な精神で東京まで運んだ。

今年のクリスマスは、仕事の慌ただしさで過ぎ去っていく気がしている。23日の祝日、25日の土曜日、26日の日曜日と飛び石で休みが続いているが、今の私には無縁だ。連日のように深夜まで編集作業がある。半月後に放送される予定の「バチカン・シークレット」の作成で、苦戦が続いている。なかなか物語が編めない。話があまりに多岐にわたり、どう収拾していいのやら戸惑うばかりだ。あらためて番組を作ることは難しいと思う。

本日は句会がある。余裕があれば参加したいのだがそれどころではない。この一月に少しだけ詠み溜めておいた句があり、投句だけでもしたかったのだが、清記してファックスする時間がまったくとることが出来ず、ついに24日深夜の締め切りにも間に合わなかった。この記事は、25日の早朝書いている。目が覚めて、トイレに立ったのをきっかけに、久しぶりにパソコンに向かったのだが、文字を並べているうちに句会のことを思い出した。今年最後の会だから行きたかったのだ。句友のみなさんの楽しそうな顔が今の私の慰めのひとつだから。

土曜日といえば、美大の授業が終了したことは大きい。毎週、小平まで1時間半かけて通ってドキュメンタリー論を教えていたが、その授業も先週で終わり、その負担がなくなったことは有り難い。おかげで、今回の「バチカン・シークレット」にも専念ができる。

来年の仕事のことも気になっている。特集の企画の締め切りがもうすぐだ。このところ飛び回ってリサーチしてきたものをまとめなくてはならないと、自分では分かっているのだが、その作業をする暇もないほど今多忙なのだ。不思議なことにあまりの忙しさで、体の不調がどこかへ行ったようだ。過労の体の重さはあるが、病の気配は今のところない。

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by yamato-y | 2010-12-25 08:46 | Comments(0)

1年経った

1年経った

ちょうど去年の”今日”。母が亡くなった。83歳だった。
病気が発覚して半年の死。あれよあれよと病は重篤化していった。
この直前に、私の胃癌が発見されるなど、当時の私はジェットコースター的展開に翻弄された。
なにせ、母の葬儀は25日のクリスマス。クリスチャンであった母には本望だったかもしれないが、まだ早すぎるという思いは遺族に残った。

昨年の12月22日の未明、危篤の報が入って、車を飛ばして横浜まで行ったことを思い出した。寒い朝だった。病院の玄関で震えながら立っていたことが甦って来る。
そんなことを考えていたせいか、明け方に夢をみて、目が覚めた。

今、ちょっと忙しい日が続いている。悪くはない。無理をしすぎないようにして仕事と向き合いながら、今構想している番組論をまとめたいと思っている。
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by yamato-y | 2010-12-22 09:54 | Comments(1)

患者の代表

患者の代表

日曜日、高輪の大きなホテルの会場で、看護学会が開かれた。主題は、「未来にはばたく看護―新しい価値の創造」。全国から数百人の看護師が集った。そこで開かれるシンポジウム「社会が求める看護実践力とは」に私は患者の代表としてパネリストとして参加した。

これへの参加を仰せつかったのは半年前だ。胃がんの手術を受けて、その主治医から年末に開かれる看護学会で、患者の代表として意見を言ってくれませんかと、誘いを受けた。たしかに、その話があった頃、私は看護師たちに対して深い感謝の念があった(むろん、今もあるが、当時は本当に感謝していた)。癌の手術と聞かされて、いささか落ち込むことがあった私に、ナースたちはカラッと対応してくれて、おまけに体の回復まで面倒みてもらった。その恩義が忘れられなかったから、パネリストでも何でもやりたいと、私は思ったのだ。

いったん、パネリストの役目を引き受けたものの、私が患者、クライアントの代表として経験を語るにふさわしい人間なのだろうか。その点で迷いが出た。2ヶ月ほど悩んだ。

 そして、昨日の本番。予想していた以上に盛大なもので、会場に入ったときから気後れした。シンポジストは、他に医師の栄養治療センター部長、医療ジャーナリスト、看護師長の3人。みなプロばかり。そこで、語られるのは栄養治療の絶大な効果であったり、欧米の終末医療のノウハウだったりして、内容が深い。
 患者体験者としての私は何を語ったらいいのだろう。3人の間に挟まって、一度か二度ほど発言すればいいだろうぐらいに思っていた私があまかったことを、会場に行って知る。
 司会者から、各シンポジストはシンポジウムの冒頭に一人ずつ15分ぐらいの問題提起スピーチを行うようにと指示された。その文脈で、大会の冊子に書かれた各シンポジストたちの主張を読んでみると、きちんと論点が表出されている。私のだけが、手術をして数日間の悶々とした体験を語っているにすぎない。論文でもなければノートでもない。エセーだ。そんな私にスピーチの課題が出されて青ざめた。しかし、私だけ報告しないというわけにもいかない。何か、気のきいたことを言わなくてはならない。
何がいいか。時計を見ると、開始まで30分しかない。慌てて脳裏のポケットを探る。病気を、私自身の仕事と結びつけるエピソードはないか。必死で考えた。
 挙句、大江さんの広島体験から学んだ出来事を紹介することにした。「病気という物語」という副題で話をすることにした。大急ぎで、ネタの事実関係を頭のなかで洗いなおす。

話の流れはこうなった。自己紹介→大江さんとの出会い→「ヒロシマノート」の出来事→物語とは→冬のソナタから学んだ物語→私の胃がんの物語。所要時間、およそ12分。声がうわずるのが自分でも分かった。なにせ、ほとんど女性ばかり。しかもツワモノばかり。
内心、こんな俗な話をしたら笑われるだろうなあと自己卑小しながら語った。

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by yamato-y | 2010-12-20 17:44 | Comments(0)

四季を通じて

四季を通じて

 春、桜が美しい頃から武蔵野に通うようになった。西武国分寺線で、国分寺から2つめの鷹の台駅で下車。そこから玉川上水に沿って北上。玉川上水緑道と呼ばれる美しい道だ。アスファルトの舗装もない、裸の土の道。小川の土手の道で両脇は美しい林となっている。およそ20分歩くと、講師を勤める美大に到着するのだが、その界隈には小平カルチェラタンと異名をとるほど、朝鮮大学校、武蔵野美術大学、白梅学園、創価学園のキャンパスが並ぶ。大学部だけでなく、高校や中等部もあるから、この道はまるで「学び舎の道」だ。セーラー服もあればブレザーもありで、さまざまなスタイルの女子中高生、それに美大の奇天烈なスタイルの女子大生が混じり、下校時はなかなかの壮観だ。私が登校するのは土曜日の午後の一限目だから、ちょうど下校する学生とすれ違うことが多かった。

 春の桜の散り初めから歩きはじめた。すぐに花吹雪の季節となりやがて新緑が覆うようになった。夏が近づくと木陰が濃くなり、汗ばみながら早足で歩く事が気持ちよかった。
そして、昨日だ。銀杏やケヤキがすっかり葉を落とし、明るくなった道を歩いた。来週で、私の授業も終わり。もう歩くこともなくなるかと思うと少し淋しい。

 道の脇に清冽な流れがある。段差のある所では音をたてて流れている。淀みには落ち葉が沈み込んでいる。これが遥か東京湾まで注ぐことになる玉川上水か。

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by yamato-y | 2010-12-12 17:26 | Comments(0)

デカダンスに溺れるか それを超えるか

デカダンスに溺れるか それを超えるか

 多忙な土曜日を終えて、深夜から未明にかけて自堕落な時間を過ごした。
江国香織原作の映画「落下する夕方」のDVDを見て、そのまま江國の最新作『抱擁、あるいはライスに塩を』の続きを読んで、最後まで読み通して。ふんと少し感心して、「だから、どうなんだ」と憎まれ口を江國にききながら・・・。

清岡卓行のエッセー「郊外の小さな駅」を手にとる。鮎川信夫の死にまつわる挿話と清岡の感懐を眼にしたときから、猛烈に清岡の小説を読みたくなる。「アカシアの大連」でなく『マロニエの花が言った』を。晩年の10年間に書かれたという。83歳で死去しているから70歳を過ぎて、ため息が出るような美しい小説を書いたことになる。

清岡の大連というイメージから、戦前の植民地、白系ロシア、ライスに塩、とぐるぐる酩酊が起こったらしい。
「郊外の小さな駅」のなかに、辻征夫の名前を見つける。この人が唯一出演したテレビ番組を私は作った。ねじめ正一がキャスターをした『未来潮流』。辻は下町のそば屋で朴訥とインタビューに答えていた。そのと引用された、彼の詩がとてつもなく美しいことに驚いた。辻はそれから数年しないうちに死んだ。四十代であったはずだ。

清岡卓行の最晩年に口述筆記された詩、「ある日のボレロ」。
その一節ー―デカダンスに溺れるか それを超えるか
旧制高校生の匂いを残した言葉、デカダンス。

この文言に惑わされて、気がついたら白々と夜は明けていた。

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by yamato-y | 2010-12-12 11:42 | Comments(0)


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