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懐かしい空
by yamato-y
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久しぶりの試写

久しぶりの試写

2時半から、本館の8階編集室で、試写がある。
今週金曜日の生放送の素材の試写だ。内容は、サッカーの武田さんの人生の岐路を回顧するものだ。ディレクターが昨日から編集に入っている。その一回目の粗編試写だ。
どんな出来になっているか予想もつかないが、まあ全体で20分の番組だから、そう大きな破綻も起きないだろうと見ている。

昔は、つまり15年ほど前は、毎日、いろいろな番組の試写に立ち会っていた。週に4本ほど番組を作っていたこともある。今から考えると、信じられない数だ。よく体がもったものだ。今は、まったく駄目。今日も朝からおなかの調子がよくない。この暑さ続きで、いい加減胃もうんざりしているのだと思うが。

2時半の試写のあと、夜7時から、今度は本社のデスクに見せる試写となる。それまでに直すものは直しておかなくてはいけない。それで、全部あがるのが、今夜は何時になるだろうか。まあ、無理しないようにやっていこう。
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by yamato-y | 2010-08-31 13:53 | Comments(0)

偶有性の渦

偶有性の渦

税金の申告漏れで「男」を落とした茂木健一郎。6年ほど前、『脳と仮想』であざやかに論壇にデビューしたときはおおいに期待し関心をもった。その後、人気番組のキャスターとなって売れっ子になると、なんでもかんでも脳の働きに帰する論法にいささか嫌気がさし、彼の続々と出すベストセラーには興味をもたなくなった。金儲けで本を書いているとしか思えなかった。だから所得税スキャンダルが噴出したと聞いて、さもありなんと高みの見物をしていた。

そのタイトルに惹かれて、茂木の最新の著『生命と偶有性』(新潮社8月25日発売)を手にした。この週末には、梶井基次郎評伝を読むつもりでいたのだが、少し読み始めると、茂木本がめっぽう面白く、つい昨夜も遅くまで読む耽ることになった。

偶有性なんて聞きなれない言葉を、最初に目にしたのは社会学者大澤真幸の岩波新書だったと思う。そのときは分かったような分からない言葉でしかなかった。その後、「被爆者」を考えるときにかなり重要になるのではと思いついてからは、この言葉に注意深くなっていた。そこへの茂木本出現である。

そもそも偶有性という言葉はcontingencyの訳語である。心理学では随伴性と訳されることもあるそうだ。乱暴にこの言葉を説明すると、世の中には偶然に満ちていながら、ある必然を感じられることもある、という考え方とでも言えるだろうか。茂木はこう言っている。《半ば規則的であり、そして半ば偶然であるというそのあわいの中にある。偶然と必然が有機的に絡み、その中で私たちの生は進行していく。》
このことを茂木は蝶の道を比喩として説明している。
蝶は陽のあたるところ陰のところ、どのあたりを飛ぶかはおおよそ予想がつくが、その瞬間の羽ばたきは予想もつかない。自由意志と必然のような関わりにも似た蝶の道。そして、偶有性。

 人生には偶然のようにして必然であること、その逆に必然のようにして偶然起こること、というものがあるのだと、私は雑駁にまとめて理解した。自分がディレクターになった経緯を考えると納得できる。たまたま歯科医院の待合室のテレビでアナウンサー募集のお知らせを見たことから、放送局に願書を出すことになった。そうやって偶然入社したものの、その業界に40年近く携わってくると、この仕事に就いたことは必然のように思えてくる。

さて、茂木はこの偶有性を考えることにしたのは、彼の長年のテーマであるクオリアにおおいに関わるからだと説いている。クオリアとは意識に伴う実感とでも言えばいいのだろう。感覚の質感と表現される。感動の“たしかなもの”とでも言ったらいいだろうか。このことを茂木が言い出して話題になった。さらに、この言葉を出動させたことで、学会から総すかんを食ったとも言われるが。その意識するときに立ち現れる“たしかなもの”クオリアもまた、偶有性に大きく縛られていると茂木は考えているようだ。

話を広げてしまうが、木村敏の著に『偶然性の病理』というのがある。そこで、精神の病理として偶有性が顔を出している。分裂病の患者で、鏡を見ていると鏡像か実像かの区別がつかなくなるという。ここにある私はたまたま偶然にすぎないのであって、他人であることとは統計的な差でしかないという。その不安が病を引き起こすという症例を木村は紹介しているが、これはまさに偶有性問題だ。

広島と長崎で長く被爆者の取材を続けていると、いつも耳にしたのが、「なんで、私が生き残って、あの人が死んだのでしょうか」という呻きにも似たつぶやきだった。井上ひさしの「父と暮らせば」のなかでも重要な言葉として提出される。
偶有性という概念を持ち出して、被爆者に説明するとすればこうなるのだろう。――
「あのとき、あなたが死んで、その人が残ったということもあったかもしれない。でも、実際にはあなたが生き延びて、その人が死んだ」
妻や親族を原爆に奪われた永井隆は、「原爆は摂理だ、神のおぼしめしだ、犠牲者はいけにえの子羊」と発言して、強い批判にさらされる。が、神というおおいなる必然を信じる永井には、妻の死という偶然をいかに位置づけたらいいのか迷った挙句の言葉だったのかもしれない。このあたりは、うろ覚えで記しているから、他日、山田かんの永井批判をきちんと読んで考えないといけないだろう。だが、前から永井発言への政治的批判に対してなにか居心地の悪さを感じていたが、この偶有性を軸に考えてみると、新しい論点が現れてきそうな気がするのだが。

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by yamato-y | 2010-08-29 15:15 | Comments(1)

神楽坂

神楽坂

神楽坂の坂上。炭火亭で、講談社のIさんと焼肉を食べながら、あれこれ歓談した。
Iさんは青年漫画誌の副編集長。私より10歳下の51歳。もっとも脂の乗った時期を迎えている。ちばてつやさんの深い信頼を得ている人だ。

フランスやイタリアでは20年も前から日本の漫画に親しみをもっていた。ドイツやイギリスなど北方ヨーロッパでは、長く日本漫画をイエローカルチャーと呼んで馬鹿にしていましたねと、Iさんは語る。その偏見が溶けたと思われる画期的な作品が、ポケモンだった。この漫画が世界へ浸透していったときの勢いはすごかったと回想する。それまで、本の見本市などでは講談社の漫画のブースに顔も見せなかった北欧のバイヤーが続々と訪れるようになったそうだ。

ヨーロッパにも昔から漫画にあたる言葉があって、子供向けの絵物語としてそういうジャンルはあることはあった。だが、誌面が上下に分割されて、上段は絵、下段は文章というスタイルはまったく動きのない、流れもない、死んだ(STILL)絵物語でしかなかった。日本の漫画のような流れやスピード感はまったくない。吹き出しもないし、動線もなかった。

イタリアでは、早くから日本の漫画が翻訳もないままオリジナルで売られていた。日本の漫画は言葉が分からなくても、表現が丁寧だから、理解しやすいとイタリアの子弟は歓迎していた。「キャンディ・キャンディ」などは自国の作品と考えられたほどだ。これは日本の漫画だというと、不思議そうな顔をした。登場人物の名前からして西欧風で、髪も金髪で瞳もブルーなのにどうして日本なのか、と。フランスでは、「キャップテン翼」が少年の心を掴んでいた。

日本漫画の大きな特徴は、線の表現だとIさんは語る。色彩や面で表すハイカルチャーの絵画と違って、日本画の伝統のような微妙な線が他の国の追随を許さない。
これまでで、その線表現で凄いと思った漫画家は誰ですかと聞いてみた。「江口寿史」と即答。「彼は大変なものでしたよ。一本の線で、女の子のうなじの肌の具合まですべて描ききるのですよ。」私には意外な名前だった。慌ててメモをした。

Iさんは競馬漫画に力を入れている。中身は人情物語なのだが、当初、スポーツ漫画の一種と見られて低調だったのだが、売り込み方を変えてから人気があがってきたそうだ。この物語の映像化を、現在Iさんは構想している。
10時過ぎ、まだ暑さがぬけない神楽坂を二人でぶらぶら下った。この町には若者といっても20代以上のヤングアダルトばかりで、渋谷のような喧騒でない風情が実にいい。坂道の早稲田通りは道幅が狭く、その上両側の街路樹が亭々と聳えており、風が通り抜けて気持ちがいい。週末ということもあったのだろうか、人通りは絶えない。坂下の東京メトロが走っている飯田橋まで降りた。そこから南北線で、Iさんは本駒込、私は目黒へ帰った。

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by yamato-y | 2010-08-28 09:19 | Comments(0)

ジョーズのなかの広島/長崎

[ジョーズ]のなかの広島/長崎

 1975年に公開され大きな話題を呼んだ、あの「ジョーズ」を昨夜初めて見た。スピルバーグのなかでも名作と言われているものだが、当初からキワモノだと勝手に見なして、きちんと映画を見ることがなかった。だが、最近読んだ映画本で、この映画の価値を高く評価していた。どこがそうなのだろうかと興味がわいた。
 夜11時過ぎから見始めたので、終わったのが1時半。まったく眠りを忘れさせたのだからたいしたものだ。パニック映画の元祖と言われるだけの映画だと思った。

物語の舞台は、アメリカ東海岸の小さな島の海水浴場。そこに突然鮫が現われる。地元の警察署長ブロディは危険を感じて、海水浴禁止を発表しようとするのだが、市長を初めとする市当局は海水浴客こそ町の経済を支えるものとして、禁止に反対の態度をとる。そんなこんなで町の警備は怠っていくうちに、とうとう鮫による被害がでる。そこで、ブロディ署長は、海洋学者フーパーと鮫漁のベテラン漁師クイントともに、その巨大鮫退治に乗り出すという話。
このあと延々続く鮫との死闘が映画の醍醐味となる。たしかに、実物大の鮫を使うでなく、この迫力を演出したとすると、スピルバーグの腕はたいしたものだ。彼がまだ27歳のときのことだ(すぐ年齢が分かるのは私と同年だから)。あらためて、一時凋落したハリウッドを救ったと彼が賞賛される理由が分かる。

 漁師のクイントを演じたロバート・ショウは、その印象的な目の演技からすぐ、『007 ロシアより愛をこめて』の冷酷な殺し屋だと気がついた。彼はとてもいい役者だ。このジョーズのちょっと前に封切られた『スティング』でも暗黒街の怖いボスを演じて、印象に残った。
と、この役者は好きなのだが、彼の役どころに引っかかりをもった。
漁師クイントは、懸賞金目当てでこの鮫狩りに参加するのだが、その前身に鮫に対する遺恨があった。それは、太平洋戦争のときに乗り組んでいた戦艦インディアナポリスが、日本の潜水艦の攻撃で撃沈されたとき、海に放り出されて5日間さまようことになる。その際、1100名の乗員は鮫に襲われて、300名しか生存できなかったという体験をもっているのだ。

戦艦インディアナポリスの名を目にしたとき、すぐあの船だと気づいた。広島型、長崎型、両原爆の部品を米本土からテニアン島に運んだ船だ。投下計画にゴーが出た7月にこの作戦を決行したはず。その任務を終えて帰途についているとき、日本の潜水艦によって沈められたのだ。
映画のなかでも、その話をクイントが切り出す。そして、サメの犠牲になったおおぜいの戦友を悼みながら、つぶやく。「・・・ひどいめに会ったが、原爆移送の任務を果たすことができたからよかった」のようなことだった。画面を確認していないから正確なことはいえないが、そういう意味だったと思う。
たかが娯楽映画と看過できない言葉だ。おそらく、クイントにこう発言させた原作者はきっとパールハーバー史観をもった人物であろう。スピルバーグはそれをなぞったにすぎないのかもしれない。だが、「シンドラーのリスト」を作り、あれほどポグラムのことを力説するなら、こういう表現はいささか配慮がないのではと思ってしまう。
なぜ、この映画のこの発言はこれまでも問題にならなかったのだろう。いや、あったのかもしれないが、私の関心に「ジョーズ」が入っていなかったからだけなのかしらむ。
好きな役者、ロバート・ショウだからこそ口惜しい。

「ゲゲゲの女房」の向井理は好きな役者だが、8月15日に靖国参拝したと聞いて驚きを禁じえなかった。その気分と似ている。


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by yamato-y | 2010-08-27 10:33 | Comments(0)

尊敬する先輩

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尊敬する先輩

 柏倉康夫氏はテレビの世界での私の大先輩にあたる。辣腕のディレクター、花形キャスターとして活躍し、定年後、京都大学文学部の教授となった。
その後、放送大学の副学長を勤めるなど、華々しい経歴を重ねてきた人物。だが、一方ではアカデミックな地道な活動も続けている。若い頃から「文学」への関心を持ち続け、生涯を通してその研究、批評にうちこんでもきている。驚いたのは、定年後に、文学博士の博士号を取得したことだ。

この8月、柏倉氏は新しい本を出した。『評伝 梶井基次郎』(左右社)、2段組で500ページにもおよぶ大部の著である。仏文を出た氏は若い頃からマラルメを研究し著を表していることは知っていたが、まさか、日本浪漫派に近い梶井基次郎をこれほどまでに熱く思っていたとは予想しなかった。
 短い一生を賭けて、瞬時白熱させたような文章を残した梶井基次郎。その生涯を見晴るかして、彼の「文学」がいかにして形成されていったかを、批評とともに書き綴った労作(トラヴァーユ)を、今回柏倉氏は世に問うた。あとがきを読むと、50年来の研究を重ねてきたとある。

昨夜、購入したばかりで、21ページしか読んでいないが、プロローグだけでたちまちその世界に引きずりこまれる。
結核という業病を抱えながら、いや抱えているからこそ、繊細で鋭敏な知覚が働き、それが練られて文学へ昇華されていったという梶井基次郎の人生。難しい批評言語を出来るだけ避けて、梶井の人生模様から文学を析出しようとするスタイルは、伝記を読むような楽しさも備えている。この週末に、読破しようと考えている。

 まだ出だしだけしか読んではいないが、その21ページの最後の文章に、今私は立ち止まった。
《この自己省察から文学の誕生まではあと一歩にすぎない。》
 柏倉氏がキイタームとして提出する「文学」。
ここで使われている文学とは、加藤典洋も使用する”旧来からの価値”としての文学を指すのであろう。
加藤の語る文学とは、「政治」と「文学」という枠組みにおける文学であり、「国家」と「個人」という枠組みであれば「個人」にあたる価値としての文学。「文学」とは、加藤にとって、物事の本質というべきもの。これと、同様の意味を、柏倉氏も使っていると思われる。

さて、このところ、私は加藤典洋の著作におおいに惹かれていて、彼の書いたものばかりか、彼の仕事に対する批評本も読み継いできた。そのひとつが、若い著者による『戦後論』(平凡社 伊東祐吏)である。その著のなかで、旧来の文学に対する観方への異義を取り上げているのを面白く読んだ。注で紹介されているのだが、大塚英志の「文学」への異義申し立てである。
大塚は、ちょうど当時吉本隆明が唱え始めた文学もサブカルも重層的な非決定ということを、裏切るような形で行われた「文学者の反戦署名の声明」に対して、そのことを問題化している。サブカルなどを下方に置く「文学」の特権性と、重層性を失った見方にである。

 話は逸れたが、柏倉氏もこの文学の特権性を前提として、この梶井論を展開しているのだろうか。そこが、今の私の此の書に対する最大の関心事である。
 それにしても、氏の一筋の道をずっと歩んでいることに敬意を抱く。

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by yamato-y | 2010-08-26 11:07 | Comments(0)

早い死

早い死

アニメ監督の今敏氏が46歳で死去した。報道によるとすい臓がんだという。
今朝のネットニュースで知って驚いた。
3年前に、日本のSF50年の番組を制作したとき、初期のSF作家たちの生き方を、後発世代はどう見るかという論議に、CMプランナー・澤本嘉光、少女漫画家の折原みとといっしょに、今氏にも参加してもらったことがある。司会は作家の小山薫堂と女優の栗山千明。日本SF作家クラブゆかりの中華料理店、新宿山珍居で行われた。

会場に現れた今氏は武蔵野美大出身のアーチストというオーラを振りまいていた。泥鰌髭と長い髪を編んだ風体は、まさに東洋の怪人。ただ怪異な外観と違って、やさしい声で静かな話しぶりの紳士だったことが意外だった。今氏は日本のSF作家第一世代たちを高く評価していた。
その番組を作った折に、今氏の作品のいくつかを視聴したが、宮崎アニメと違って、大人向けの少しエロいニュアンスが新鮮に思えた。これからも、こういうコケテッィシュなアニメをたくさん作っていくだろう、そうすれば日本のアニメ界も違った局面が出てくるにちがいないと、おおいに期待した。

そして、この春から私がムサビに行くようになったら、そこの学科に客員教授としていることを知った。時間帯が合わなかったせいか、再会することはなかったが、そのうちに会えるだろうと思っていた。
そして、本日、すい臓がんで倒れたと聞いて、春ぐらいから悪化していてたのだと推測された。おそらく、新年度になって登校することはなかったのだろう。

それにしても、この時代に46歳というのはあまりに早い死である。

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by yamato-y | 2010-08-25 17:07 | Comments(0)

すっかり、ほっこり

すっかり、ほっこり

 張り切って、国立劇場に8時間詰めたら、さすがに疲れた。
昨日の清元の大舞台は盛況だった。4時45分開場とともに、観客がどっと入って来た。正味の満席というのはすごい迫力となる。この会の模様は、11月の古典芸能番組として放送される予定となっている。そのために、カメラが4台入り、その芸能番組のディレクターが中心になって中継収録されている。
 私のチームはドキュメンタリーなので、単体のカメラが2クルー入った。普段は1台だけだが、昨日は本番ということで、さまざまな動きが起きるので、1台だけでは到底カバーできない。メインのディレクターのクルーとサブのディレクターの「別カメ班」の2班体勢を組んだ。私はプロデューサーとして、全体の流れを把握しようと現場にアテンドした。

 浄瑠璃の清元延寿太夫は劇場に入る前に、深川にある一門の墓所に出向いて成功を祈願した。ここにはメイン班がはりつく。
そこからディレクターはお台場の三味線の清元梅吉の居宅に駆けつけて、梅吉師といっしょに劇場入りする。このお二人が4時過ぎに、次々に劇場に到着するのをサブ班がむかえ打つ。一方、会場では、舞台作りが進む。といった具合で、出来事が同時並行で起きるのだ。私はといえば、それぞれの班が滞ることないか目を配りながら後方でサポートする。時には、カメラの三脚をかついだり、やって来る車の搭乗者を確認したり、ともっぱらADのようなことばかり。つい早足、駆け足になる。そのときは気にならなかったが、今朝になったら体が重い。

 
 演奏の間、私は上手舞台袖にあって、そこから二人の宗匠、清元延寿太夫と清元梅吉をずっと見続けた。不乱に語りあげる太夫。内に秘めたものを指にだけ収斂させる三味線。間近に目撃する仕合せを感じた。「隅田川」の後半、班女の悲痛が心にしみた。舞台は成功裡に終わった。そのあと、楽屋前の廊下で感動的な場面が起きた。その詳細はまだ書けない。ぜひ、放送をごらんいただきたい。

 そうやって、素晴らしい感動を得て、劇場を後にしたのは9時半。帰局して、機材を返却し、映像の中身チェックを終えて、デスクにもどったのが10時半。渋谷駅にたどり着いたのが11時だった。少しだけ飲みたくなり、居酒屋へ入って、升酒とイカ刺しで一杯やった。やりながら、今期芥川賞の受賞作『乙女の密告』をぱらぱら読む。短い作品だから、そのあと帰宅して読み続け、午前1時半には読了。いささか期待外れの作品。直木賞の『小さいおうち』のほうが出来がいいと思う。
そんな夜更かしも重なって、今朝起きたら、体が重い。体の節々もいたい。 

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午後3時。開場前の静寂
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午後5時。人で溢れるロビー
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午後6時。開幕直前の緊張。
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by yamato-y | 2010-08-25 10:33 | Comments(1)

いよいよ大本番

いよいよ大本番
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23日、国立劇場で行われた「芸の真髄」第4回公演「清元」のゲネプロに立ち会った。
本日、24日、午後6時から本番が行われる。
正式タイトルは「『清元』~清き流れひと元に~」。語り、清元延寿太夫、三味線、清元梅吉。
演目は、1、四季三葉草、2、隅田川、3、お祭り。1,2は清元演奏のみ。3は歌舞伎の片岡仁左衛門も加わって、演奏と舞踊の舞台となる。
ハイライトは2の隅田川。能から題材をとったものだが、今では清元の代表的な作品となっている。子を失くした班女が狂えるまま、隅田川までたどり着き、そこでわが子梅若の死を知るという悲劇。繊細にして豪放な梅吉の三味線にうち乗って、延寿太夫がどこまで飛翔するか、おおいに期待される。

23日の舞台稽古は本番さながらに羽織袴で舞台にあがって、3曲おさらいが行われた。
1の四季三葉草は、それぞれの清元社中が総出演での大演奏。50名ほどの語りと三味線がそろえば、ものすごい迫力となる。
このゲネプロで印象に残ったのは、清元延寿太夫の風格だった。半年前のおずおずとした語りはもはや完全に脱却し、堂々と語りあげる姿。さすが家元。
しかし、この快挙の裏に、清元梅吉の並々ならない深謀遠慮があることを、私は知っている。それらの思いを含みこんだドキュメンタリーを私は作り上げようと、逸る思いを抑えて、本日の晴れの舞台に臨む。

さて、清元は今から88年前に2つの派に分かれた。延寿太夫の曽祖父と梅吉の祖父の代のことである。以来、両派はそれぞれ別個に活動してきた。それがひとつになっての演奏会となる。当人たちだけでなく、周りの期待もきわめて高い。
延寿太夫は、本日、劇場に入る前に、深川の菩提寺へ出向き今夜の成功を祈願するという。その様子も撮影し、半蔵門の楽屋に入るのは、おそらく4時。閉幕の9時まで、長い本番撮影となる。

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by yamato-y | 2010-08-24 12:08 | Comments(1)

沖に白波が立つ日となりて

沖に白波が立つ日となりて

今年初めて海に入った。夕刻だ。土用の日を越えて、さすがに波は荒くなっていた。
沖に白波が立っている。4時を過ぎて、浜辺には人影がめっきり減っていた。
今日しか、泳ぐ機会はないと勇んでこゆるぎの浜にきた。年初にばっさり開腹手術をしたから、まさか今年中に泳ぐことが可能とは、春先には思いもしなかった。が、夏になって、食欲も増し、体調もよくなってきたので、泳ぎたいという気持ちはあった。

だが、家人に言えばきっと止められるに決まっている。還暦を過ぎて、おまけに手術までやって、いつまで若いつもりかと小言を食らうに決まっている。だから、ずっと水泳計画は腹のなかに収めておいた。
先週の休日は、美大の学生たちが来ていたので機会を失った。おそらく、今週を逃せば、今年は泳ぐことはあるまいと思われたので、決行することにした。

海水パンツを探したが、いつもの戸棚の引き出しから消えていた。家人が処分したのだろう。
駅前のコンビニで購入することにした。これまでブリーフ式だったが、今はやりのショーツにした。ハワイ柄の派手なやつだが、まあ今年はこれきりだからいいだろう。2900円のコバルトブルーのショーツに駅のトイレで穿き替えて、海まで行った。

用心深く、遊泳監視の塔の前に荷物を置き、その前で海に入る。水はぬるい。肩までつかると沐浴の気分となり、あらためて泳ぐことが出来たことをなにものかに感謝する。
大磯は名前どおり波の荒い浜だから、あまり沖には出ず、浜と平行して平泳ぎで20メートルほど行く。試しにクロールに変えると、すぐに息が切れた。

波に揺られながら、還暦のわが身を振り返る。まもなく、本当の定年が来る。この数年は、仕事にあってもあまり感情的にならないように勤めてきた。人間が穏やかになったと周りからも言われるようになり、昔のような攻撃性は引っ込めた。企画の提案にしても、現役時代のような唯我独尊でなく、後輩であれ担当する者の意見を出来るだけ取り入れるように勤めてきた。

だが、我慢することはないのじゃないかと、ふと思った。嫌なものは嫌だ。番組のことも分からない輩や基本的な知識も持ち合わせていないものに媚びてまですることはない。作り手にしても、安易な選抜はやめよう。教養や素養をもたないものに合わせてレベルを落とすのは止めよう。今、取り組んでいるベトナムのディレクターなどは本気で喧嘩が出来る実力をもっている。もう、人材の育成などのようなことに、いつまでも関わっているほど、私には時間が残っているわけではない。あと何年出来るかもしれない海水浴より、もっと番組を作る時間は短いのだ。

2度海に入り、3度甲羅干しをして、今年の海水浴を終える。ちょうど5時。夕焼チャイムが鳴っていた。
最後に大波に体を預けて、潜水行をする。砕ける寸前の大波に乗った。からだが岸に引っ張られるようにして、体を水中に潜らす。8秒ほど潜り、終わりのほうで目を開けると無数の水泡が水面で割れているのが見えた。そこに向かって父母の名前を呼んだら、なにか手ごたえを感じた。気のせいだろうか・・・。
初盆の母のことを少し気にしたのだ。

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by yamato-y | 2010-08-22 22:19 | Comments(0)

夏の終わりのかほり①

夏のかほり


昨夜の「夏の紅白 思い出のメロディ」はよかったな。まず、司会が三宅裕司とあの松下奈緒という組み合わせがいい。三宅は昭和25年生まれで団塊のしっぽだし、松下は「ゲゲゲの女房」のヒロインと、実に時代を読んだ旬のキャスティングだった。松下へのオマージュもあったのだろう、熊倉一雄が出て「ゲゲゲの鬼太郎」を熱唱するなんざぁ、公共放送にしてはサービスも行き届いていた。一人一曲なんて不文律なんかに捉われず、いい曲を持っている人には2度3度歌わせたというのもいい。森進一の「港町ブルース」と「襟裳岬」。八代亜紀の「なみだ恋」と「舟唄」。アダモの「サン・トワ・マミー」と「雪が降る」。そして小椋佳の3曲だ。
中村雅俊とデュオで「夢の坂道」、布施明単体で「シクラメンのかほり」、最後に小椋のソロで「愛燦燦」。この構成は実に適切で、小気味のいいものであった。

「シクラメンのかほり」という曲が登場した頃、かほり論争というのがあったことを思い出す。歴史的仮名遣では「かをり」が正しいとされるため、タイトルの「かほり」は誤りだという国文学者が出たりして、小うるさい輩もいるものだと、その学者を私ナンゾは軽侮いたしやした。

7年ほど前になるだろうか、ちょうど小椋佳さんが胃癌の手術を受けて激痩せした時期、その小椋佳さんと一緒に福島県の裏磐梯地方に出かけたことがある。
「ETVスペシャル」の枠で放送したもので、「美しく生きたい~小椋佳 還暦からの出発」と題した伝記ドキュメンタリーだった。デビュー40年を期して、それまでの個人史を振り返るという趣旨のETV特集を制作するために、福島県まで遠出したのだ。その地には、小椋さんの青春の思い出がつまっているということで、インタビュアーの渡邉アナウンサーも同行するという普段のロケとは一風変わった旅となった。

大学3年の頃の小椋佳。弁護士になろうと国家試験を受けることを決めたものの、かなりの受験勉強が必要となった。ちょうどその頃、付き合っていた女性が役者になるため文学座に入ることになり、小椋に別れを告げた。その悲傷を振り切ることを兼ねて、勉強のため彼は福島の檜原湖畔早稲沢の学生村にひと夏こもることにした。朝のうちは勉強、昼から村の仕事を手伝うという日課を繰り返しながら、小椋佳ことカンダコージ青年は鬱々と楽しまない日が続いた。その女性のことを諦めることができなかったのだ。
そうしたある日、夏の終りのこと。白い帽子をかぶった、スーツケースを持った女性がその村に現れた。別れたはずのあの女性だった。その人は後に妻となる「佳穂里(かほり)」さんだ。この話を、現地で聞いたときはまるでドラマを見るようで感激した。聞き手の渡邉さんが実にうまかった。小椋さんも気持ちよさそうに、病み上がりと思えない明るさで語ってくれた。

(つづく)
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by yamato-y | 2010-08-22 12:36 | シリーズ作品回顧 | Comments(0)


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