定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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別るる吾を哀れとみよ

別るる吾を哀れとみよ

今朝も晴れた。窓という窓はすべて開け放ち、布団を干し、枕を日向に出し、家周りを掃く。3日いたが一度もエアコンを使わなかった。せいぜい扇風機の風だけにした。だから体調もいい。

ダイニングテーブルを拭こうと思ったら、中央にカナブンが腹を見せてひっくり返っていた。壮烈な死である。買い置きしておいたバターロール3ケ口にする。冷蔵庫を確認すると、おにぎり一つ、プリン3個、バナナ1本が残っている。プリンは今度来たときにして残りはたいらげて帰ろう。

指差し確認していく。
まず風呂場を点検。操作盤の目盛りを高温から低温に下げた。湯船もきれいに洗い、窓も閉めた。洗濯機の電源は切った。台所のガステーブルの元栓も締めた。一階はおおむねよし。

裏の戸を閉める。青々とした無花果の木が隠れていく。小川の光る水が消えていく。

母の最後の短歌ノートから

母に寄り添ふごと 病室(へや)の窓に眺む 浮雲の後につづく小さな雲
主よ守り給へとひたすら祈る今日から始まる治療のことごと
横浜の病院に到着まもない、9月15日という日付だ。

さあ、帰ろう。

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by yamato-y | 2010-07-19 08:39 | ふるさとへ | Comments(0)

夏座敷

夏座敷

昼からビールを飲んでいる。あまりに暑いので昼飯はやめてビアのみの昼食とした。
庭に面した座敷に座り込み、明るい日を浴びている庭の苔の青さに目を奪われている。
田舎へ帰ってうれしいのは、畳に寝転がることだ。ごろごろしながら、時代小説か俳句の本を紐解いているときが、何も考えないでほっとする。

黙っていても、母がいたときは冷たいものやビアが出てきたが、今では自分で買い込んで用意もしなくてはならない。それでも、まだこの座敷があるからいいが、早晩取り壊されるようになったら、この夏座敷の快感は味わうこともなくなる。

変な気持ちだ。まだ在るにもかかわらず、不在のようにして考え感じている。床の間に残されたお茶の風呂も母の机も、壁に掛かっている大江さんの色紙も、写真立ても、衣紋掛けも。外の光があまりに激しいので座敷は薄暗がりのなかにある。

夏の座敷に座って、真昼の通りに耳をすませても物音ひとつしない。うだるような暑さを避けて人も犬も家中でひっそりと潜んでいる。

ダンボールの箱から大学時代のプリントが出てきた。文芸部の友人からもらった謄写版の詩集だ。伊東静雄の「わが人に与ふる哀歌」の抜き刷りだ。冒頭の「晴れた日に」の一連がずんと胸を突く。

とき偶(たま)に晴れ渡った日に
老いた私の母が
強いられて故郷に帰って行ったと
私の放浪する半身 愛される人
私はおまえに告げやらねばならぬ
誰もがその願ふところに
住むことが許されるのでない

放浪する半身――人の一生とは面白いもの。たいして意味がある人生と思えなくても、生きていくことから降りることもできず、さりとて大死一番大勝負に打って出ることもなく。願う場所には住むこともできず。
芭蕉の高野山での句を思い出した。
父母のしきりに恋し雉子の声

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by yamato-y | 2010-07-18 13:27 | Comments(0)

朝の掃除

朝の掃除

実家に戻って、朝から一階の部屋を掃除している。電気掃除機というものが見つからないから雑巾がけをすることにした。4つの部屋をすべて雑巾で拭くと、全身が汗まみれとなる。そこで、昨日からの汚れ物と合わせて着ていたシャツを洗濯機に入れて洗う。洗濯機が今にぎやかな音をたてている。

焼き鯖をあぶって食べた。これにおにぎりとちょっぴりのへしこ。デザートはスイカにした。裏の川のほとりにある無花果の木の下でスイカを頬張って、種をペッと吐くのはなかなかいいものだ。朝風が気持ちいい。梅雨があがったばかりか、小川の水量も多い。
隣の坊やたちも起きてきて騒ぎはじめた。人声が聞こえるというのは懐かしいものだ。

母の短歌ノートは予想以上にある。読むと、折々の心情が見えて作業の手がとまってしまう。次のような光景を母はどこで見ていたのだろう。
夕やみに灯りともりて保育園影絵のごとし母待つ姿
いじらしい子供の姿を見ながら、遠い日の子育てを思い出していたと思われる。

私ら息子は3人いて、毎日泥だらけで遊びまわっていたから、食事にしろ洗濯にしろ一仕事だったはずだ。
夕昏れとなれば足音聞き分けて待ちゐし夕餉も遠き日となりて

外に出て洗濯物を干す。よく見ると庇にくもの巣がかなり巣くっている。憎らしいから、竹棒で蜘蛛の囲をはらう。蜘蛛はあわてて逃げ出す。そういえば、昨夜はゴキブリを見つけて大騒ぎした。どうやらダイニングテーブルに置いたバナナの房をかじろうとしたらしい。寝静まった台所でごそごそ音がするので、灯りをつけるとチョコレート色のてらてらしたゴキブリがいた。週刊誌の束をつかんでゴキブリを追いかけ、10分後に召捕った。
しばらくすると、今度は外からカナブンが入ってきた。そこらじゅうの壁にあたってうるさい。腹がたってまた起きだした。すっかり目が冴えて眠れなくなり、あさのあつこの新刊『火群のごとく』を読む。

9時を回って今日も暑くなりそうな気配となってきた。洗濯物はよく乾くかもしれないが、炎暑はいただけない。
そこへ、新潟に取材に入っているディレクターから業務連絡が入った。連休だから局にも人はいないはず。週明けの取材体勢をどうするかの相談だった。こんな暑い日でも撮影は続く。大変だ。自分の企画だから仕方がないにしても、そのディレクターもせっせとよく働く。

 そこへ行くと、私は古里にもどってスイカを食べて、寝転んで本を読んで、掃除をして、と後生楽なふるまいだ。昼から日本海でも見に行こうかな。

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by yamato-y | 2010-07-18 09:25 | Comments(0)

今頃になって

今頃になって

敦賀の実家に戻って、母の遺品を整理している。短歌のノートがいくつもあって、それをパソコンで転記もしている。機械的に作業しようと思うが、読み始めると、母の心情を思って手が止まることもしばしばとなる。

特にあの戦争のときのような話は濃い。ぽつんぽつんと語って聞かされた話を、私はつなぎながら短歌ノートを読み解くことになっている。戦争中、母は16歳から19歳の間である。勤労動員されていて、敗戦の報は疎開作業の最中に聞いたとか話していたことなどが、短歌となって残っている。
三里の道大八車押し行きて辿り着きれば戦終りていたり
あっけない幕切れとなって呆然とした心情は分かるが、詳細が掴めない。こんなことなら、元気なうちに聴いておけばよかったと後悔する。
 と考えていたら、母はこんな歌を詠んでいた。
平成13年5月9日
折にふれ伝へおきたく思ひあれど子はあわただしく帰りゆく

母はあのときもっと話したかったのだ。それを私は面倒くさがって、「また、今度」と言い捨てて私は東京へ帰って行った。

母のいない、父のいない家に深夜ひとりで手紙や日記、ノートを読んでいると、台所あたりから母がひょっこり出てきそうな気がする。「あんた、帰っとったん?裏の畑に居たから気がつかんかったわ」と呼びかけてきそうだ。「洗濯物があったら、全部洗濯機に放り込んでおいて。お風呂が沸いているからごはんより先に入る?」とかなんとかぶつぶつ言いそうな気がする。去年の今頃はまだ母も息災であった。まさか肺に癌細胞が増殖しているなんてことはけぶりにも気がつかなかった。祇園祭の山車の話をすると、楽しそうに聞いていた。

こんな歌も母は残している。
真夏日の暑き日差しを避けてゆく路地に白き十字のどくだみの花

15年におよぶ独り暮らしのなかで、さみしさのなかにも安らぐものがあったらしい。

ところで、母がこの家を去ったとき、インターネットの回線も撤去したはずと思っていたが、無線ランが有効のようで、急遽、ブログの記事をアップすることにした。

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by yamato-y | 2010-07-17 23:00 | Comments(0)

祇園囃子を聞きながら

2010年夏の始まり、出会いと別れ

すっかり晴れた。京都祇園祭、山鉾巡行のクライマックスの日は最高の日和となった。
朝から祇園囃子が鳴り続けている。宿泊している場所が四条木屋町という最も繁華なところだから、通りを次々に山鉾が過ぎていく。

京都の2010年前期授業も昨日で終了。今年も2本のビデオ作品が出来た。1月に手術をしたときから、体調に不安をかかえて、出張授業も危ぶんでいたが、何とか前期を終えることができた。この7月の前期最終授業では思いがけない出会いと別れがあった。

 3ヶ月ほど前に感想を書いた「無国籍」のドキュメントの主人公のハウさんにお会いすることができた。この番組を目にしたときから聡明な彼女に会って話しを聞きたいと思っていたが、彼女はなんと私の通う大学の大学院に在席していたから、私から連絡をとるとこころよく応じてくれた。そして、1日目、2日目と2度にわたって彼女の今研究しているテーマについて詳しく聞いた。
 ベトナムの難民たちのグループホームあかつきの村での活動と出会いがハウさんの研究のモチーフになっていた。そのことを、彼女は『ホリスティック・ケア』という専門書に書いていた。題は「弱さの交差点で」。絶妙の表現である。彼女の文才を感じる。副題というか巻頭辞に「それでもなお意味がある」というマルティン・ブーバーの言葉が掲げられている。彼女はブーバーの研究者になっていた。
 ベトナムからの難民として生きてきた家族の歴史、少数の他者として生きてきた個人の精神史など深い話を延べ4時間ほど聞くことが出来たのは幸いであった。久しぶりに生きる意味というものと向かい合うことが出来た時間だった。

 面白かったのは、彼女と会っている間、外は雷が鳴り土砂降りの大雨になっていたことだ。しのつくような雨は彼女がこれまで抱えてきたものの激しさを表すようであり、洗い流すようであったりするものと、私は受け取った。献本していただいた『ホリスティック・ケア』は専門書にもかかわらずケアの全体性(ホールネス)、ケアの聖性(ホーリネス)、シュタイナー、神谷美恵子、など興味深い言葉が並んでいる。週末、これから熟読しようと考えている。

 別れは教え子のK君が留学するために退学したことだ。5年前の学部生の頃からの付き合いとなる彼は大学院に進学し研究者の道を目指していたが、前から念願していた映像作家の道を実現するために米国の大学へ進むことにしたのだ。昨日づけで退学届を出し、9月から西海岸の大学で映画論を学ぶことになる。そこで、技術と人脈を培って、ゆくゆくは映画を監督するというのが彼の大志だ。

 この人生のギアチェンジに、私の行っている映像メディア論が大きく関わっているから、私としてもいささかの責任を感じる。彼の進路についてはこれまでも相談にのることがあった。私の授業はドキュメンタリーだが、そのなかで彼は「ドラマ」を制作した。梶井基次郎の「檸檬」を映像化したのだ。みずみずしい映像に才能を感じた。以来、彼はドラマとしての映画を撮りたいと願い、その思いは年々つよくなっていた。そして、いよいよ船出することになったのだ。
 昨夜、前期授業の打ち上げが百万遍交差点そばのおむろ家で行われた。チューターとし前期授業に参加してくれた彼も出席。この打ち上げは別れの宴も兼ねることとなった。
 新しい出会いもあれば別れもある。私の周辺で少し時間の流れが速くなってきた気がする。私も若い人たちに負けないようダイナミックに人生をギアシフトしてみるか。

 土曜日、祇園祭の山鉾を見学したあと、昼過ぎの列車で敦賀へ帰省する。母の家に残された品々の後片付けを今日、明日とやるつもり。
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by yamato-y | 2010-07-17 09:18 | Comments(0)

雨の宵山

祇園囃子が流れる

東京を離れて西下すると雨雲はたしかに大きくなった。この2,3日、京都には大雨が降ったそうだ。出町柳の鴨川では堤のすれすれまで水位が上がったと、聞いた。

祇園祭の宵山が始っていた。雨の都大路に祇園囃子が流れる。
四条通りは車規制で歩行者天国となっていた。土砂降りにもかかわらず、いつも車で渋滞している大通りにはおおぜいが闊歩している。色とりどりの浴衣姿の若い女たち。外国人観光客。そして家族連れ。8万の人だというが、雨のせいで去年より6万少ないとか。

100年続く新京極の老舗でうなぎを食べた。東京のうなぎより少し甘みをおさえたさっぱりした蒲焼は悪くない。先付けに出た稚鮎の塩焼きが絶品だった。頭からがぶりといくと、鮎独特の苦味が口に広がる。なにより、京都の温野菜は味が繊細で美味しい。おまかせのコースを2時間かけてゆったり食べた。日本酒は一合だけにした。

夜9時、店を出ると雨が上がっていた。濡れた路面に道行く人の影が映って幻想的だ。四条大橋のたもとまで行くと、おおぜいの観光客が暗い川面を眺めていた。瀬音が大きい。東山は雨雲で霞んでいる。

第一次定年をむかえた58歳の頃からこの5年ほど京都に通うことになり、帰りにはかならず敦賀に寄って、おふくろと一晩過ごすことを続けた。行くと、母は喜んでくれた。祇園祭の時期になると大津生まれの母はいつも恋しがったものだ。京都の町の様子を話すと喜んで聞いてくれた。
今から考えると、私が定年になって故郷に戻ることを、母は期待していたのかもしれない。だが、そんなつもりはないと何かの折に言ったことがあったが、母は内心落胆していたのかもしれない。そんなことも気遣わず、祇園祭の惣菜を買ってきたぞと、折り詰めをダイニングのテーブルに放り出していたことを、今になって悔やむ。

コンコンチキチンの囃子が物悲しい。母はクリスチャンだったから考えたことがなかったが、今年は母の初盆になるのだということに今気づいた。
明後日の土曜日にはいよいよ山鉾巡行となり、梅雨があけて夏が来る。


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by yamato-y | 2010-07-16 10:12 | Comments(0)

降るかなあ

どんよりした空を見上げて

6時起床。トイレへ行って帰って来ただけで汗をかいた。湿度が高い。むしむしする。
今はくもっているだけだが、雨になりそうな気配。
昨夜聞いた久保田利伸の歌が耳朶に残っている。あらためて、彼の歌のうまさに感じ入った。
ラップというのも初めていいものだと思った。
なんだか、世の中と私の間にあるずれは、大きく広がっていることを実感する。

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by yamato-y | 2010-07-15 07:31 | Comments(0)

老人ホームに入る日

老人ホームに入る日

 昨夜から虫歯が痛む。歯を磨いてベッドに入ったらすぐ眠ってしまった。
6時過ぎに目が覚めた。最近、朝早く目覚めることが多い。これも老人化のひとつだろうか。
 買ったばかりの黒井千次の中編『高く手を振る日』を手にとった。136ページの長くない小説だ。「新潮」の2009年12月号が初出と在るから、文芸誌に掲載された一回読み切りの作品だろう。これぐらいなら1時間かと読み始めた。
案の定、7時前には読了。

作者とおぼしき主人公嶺村浩平は70半ばの一人暮らしの老人。妻に先年先立たれて、近くに娘夫婦が住むという境遇にある。
ある日、大学時代の同級生だった瀬戸重子に再会する。彼女は50代のときに夫をなくし、友人の出版社で仕事を手伝いながらこどもを育てたと浩平が噂で聞いている。長く会っていなかったが、最近死んだ友人の葬式で再会したのだ。

浩平が大学生だった時代には女子学生は数えるほどしかいなかった。妻の芳江もそのひとりで、重子とは仲がよかった。
浩平と重子は別々の結婚をしたが、学生時代に一度だけ口づけを交わしたことがある。浩平のなかに鈍い思い出となってある。

 70代半ばの”老人”たちが再会して、心を少し乱しながら近づく。やがて、女性の息子の海外転勤が持ち上がり波紋が広がる。一人暮らしとなる女は東京を離れて遠くの老人ホームに入るために別れ別れになっていく物語だ。
老人である浩平の日々の暮らしの描写がリアルである。さもありなむとひとつひとつ染み通る。浩平と同じ境遇では今はむろんないが、周りにはよく似た人がいるから、実感をともなうのだ。

 おそらく、この主人公たちは、バスに乗ると、シルバーシートに座って老人パスで乗り降りするあの人たちであろう。それなりに服装にも気をつかっているが、年齢の衰えは外にこぼれているあの人たち。バスが停車しないうちに立ち上がるとよろけるあの人たちだ。
 今の私とは違うと言いたいあの人たちは、実はあまり遠くないところにいる。じいさんとばあさん。その先はもうない、行き止まりが見えて来ている。

 そんな男女が最後に唇を重ね合う。重子が老人ホームに入ることが決まって、衝動的に浩平を訪ねてきた日のことだ。
ただそれだけの事件を、老いのゆっくりとした日々のなかで描かれた小説だった。
人物造形も設定も運びもうまいから、すっすっと読むことができた。久しぶりに読んだ黒井さんの小説だが、元気だった20年前と、あまり力は落ちていないと安心もし感心もする。だが、この境涯に心をあまり寄せない。寄せたくないというか。読むにつれて、しだいに身につまされてきた。
一人暮らし、娘からぶつぶつ言われ、友が老人ホームに入り、思い出の品々の処分に優柔する。遠からずやってくるのかもしれない出来事が、あまりに真に迫るから、感情を移入したくないと思ったのだ。

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by yamato-y | 2010-07-14 07:53 | Comments(0)

世代の責任

ロングインタビューに打ちのめされて

季刊誌「考える人」の2010年夏号が出て、特集「村上春樹ロングインタビュー」というタイトルを見たときから気になっていて、買うか買わないか迷った挙げ句、昨日買った。その記事は3日間にわたるインタビューなので膨大な量がある。一気に読みとおすのがもったいない気がして、昨夜は第一日目だけ読んだ。
読みながら、あれこれ考え、考えながら目は次の文章を読むという忙しくも高揚する読書を久しぶりにもった。そして今朝、2日目の前半を読んだ。

だから、このロングインタビューから得たアイディアや共感などネタはたくさんあって、一つのまとまりでブログに書こうとすると、さらさらと指の間からこぼれていくような気がする、と思えてならない。おいしいところだけ、とりあえずつまみ食いしておく。

村上は私の1年年下だ。神戸と北陸というかなりの地域差があるところで成長したのだが、同じ世代であること、時代精神から脱けることができないこと、の同時代性をつよく感じる。

「戦争から帰って来た父親たちが結婚して、戦後すぐに僕の世代が生まれた」という世代に、私もいる。60年代に20代をむかえた当時の青年はおおむね未来を信じていた。そして、次の村上の言葉がある。
《いまの大人はばかで貪欲で、意識が低く、何も考えていないから、愚かしいことがいっぱい行われているけれど、われわれのような理想主義的で先進的な決意をもった世代が大人になったら、世の中がよくならないわけがないと考えていた。》

この言葉を読んでぼくはすっかり思い出した。まったくそのとおりだった。こんなひどい政治でも、意識のあるぼくらの世代が多数になったらきっと変わるだろうと期待していたのだ。ところが、30年経って、時代のまんなかに立ったと思われる今頃になってふりかえってみると、何も変わっていない。それどころか、右肩上がりにのっかってバブル経済を作っただけと、村上は指摘する。それに対して、ぼくらの世代は責任をとっているだろうか。ここで語る村上の言葉にぼくは本格的にうちのめされたのだ。
「僕らの世代は、それに対する責任をとっていないじゃないかという思いがあります。世代責任というのがどういうものかはわからないけれど、でもやはりそういうのを感じます。」

 昨日からの選挙に関する報道には耳を傾けない。どうせ、悪口だらけにきまっている。が、どうも納得できない。今問題になっているこの国の大きな負債の元凶は、前の保守党だったはずなのに、それをほうかむりして、この半年ほどの政治を蝶々する輩に腹を立ててしまうから、耳を傾けない。それにしても鳩山さんは私と同年菅さんは2年上とみな同世代だ。せっかく、時代をつかむところまで来たのに、少しも世の中が変わらない。それどころか悪くなる一方。このことに、村上の言葉を重ねてみると、自分たち世代の「空回り」が浮かび上がってきて、やりきれない。

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by yamato-y | 2010-07-13 09:21 | Comments(2)

腐女子の研究

腐女子の研究

 週が改まって7月12日、昨日の選挙のことが喧しい。が、紅旗征戎吾が事に非ず。それよりも同年のつかこうへいが死んだということのほうが私には大きい。
 そんなこんなを考えて東海道線に揺られながら、土曜日の美大の最終授業を思い出した・・・。

美大の授業で、このところBLが話題になっている。中国からの留学生のRさんがこれを主題にしたドキュメントを撮りたいと言い出したことから、他のメンバーからいろいろな面白い意見が出て私自身も関心をもつに至った。BLとはボーイズラブの略で少女マンガから生まれたジャンルを指す。
少女マンガへの私の関心といえば、40年前に読んだ「ぺスよ尾をふれ」という「母をたずねて3千里」のような物語で感動したことは覚えているが、それ以外の継子いじめや嫉妬と友情がねじくれたようなバレエ物語などはうんざりして読むのをやめた。ところが、私が離れた後の70年代半ばから新しい流れが少女マンガに起きていた。私と同年代の女性作家たちが男性間の同性愛という新しい物語を掘り起こしていたのだ。当時、その情報は聞き知っていたが、どうせ宝塚趣味の延長だろうぐらいにしか私は思っていない。ただ、そういう女性漫画家たちの活躍が話題になっていたので、ラジオの番組として話を聞きに行ったことはある。池田理代子、竹宮恵子氏たちに15分のラジオ番組を4回にわたって話してもらった。まだ20代だったその人たちの歴史観や深い教養に驚いたことを覚えている。ただ漫画一般の話を中心に話してもらうだけで、ボーイズラブにまで踏み込むことがなかった。というか、そういうジャンルはまだ成立していなかったと思われる。

 そうして昭和が終り、20世紀も終わっていく。漫画は進化して巨大なメディアになった21世紀。その直前の90年代頃から女子の漫画ががぜん勢いづいてきた。やおいという、やまなし、おちなし、いみなし、という少女マンガ。とりわけ、男子同性愛を主題とした世界が盛り上がっているという噂をちょくちょく耳にするようになった。

RさんもBL漫画が好きで、よく読んでいる。大学においてはセクハラ、パワハラ、アカハラは大問題になるから、普段軽率な私も慎重に言葉を選んで、Rさんに尋ねてみた。「あなたは異性愛には関心がないのか」。やんわりと、セクシャルマイノリティですかと聞いてみたのである。
にこにこ笑ってRさんは首を振る。自分は異性が好きだけど、BL漫画の妄想の世界が好きなのですと答えた。分かったような分からない理屈だ。さらに、その漫画の何が面白いのかと聞く。
「男同士のそういう関係性にひかれるのです。ちょっと腕をつつくとか、目配せするとか、そういう仕草を男同士で行うということに“萌え”るのです。」
 なぜ、そんなことに興奮するのか。このあたりから私の理解を超えることになり、さっそく私は斉藤環の新書『関係する女 所有する男』をひもとく。なるほど、斎藤は女子の特性として性においても精神においても関係性が重要と力説している。ちなみに男は所有という業を背負った性らしい。ただ、この新書は性差なんてものがあるかどうかを疑うということから出発しているのは忘れてはならないが。
という理論的な議論は他日に譲るとして、わがムサビのクラスのBL問題の続きはどうなったかと言うと――

あのRさんが言い出した授業の翌週、Rさんは、秋葉原で最近BLバーが開店したという情報を得て、一人でリサーチに行った。そのネタが面白そうであれば撮影して、ドキュメンタリーにしようと考えたのだ。そのバーは一見普通だが、従業員たちがボーイズラブの行為、仕草を客の前で見せてくれるのが特別サービスになっている。客のほとんどは若い女性だという。
Rさんはいささか落胆して帰ってきた。「店内での撮影はダメだと断られました」
でも、と言葉を続ける。「何か変です。腑に落ちません。あれはBLというよりホストクラブでしかないのでは」と首をかしげている。そこで、もう少しBLについて知見を集めようということになり、日本人の娘でBL好きに話を聞いてみることにした。驚いたことに、美大にはBL好きの女子というのは少なくないのだ。
そこでやって来たのが、3年生のHさん。どこにでもいる普通の若い女性。彼女は素敵なボーイフレンドがいるが、それとは別にBLが大好きだという。彼女を交えて、秋葉原の出来事を検討した。その結果、このHさんが同行して再度Rさんが秋葉原のBLバーを視察、リサーチして、実態を確かめてみようということになった。

そして、その報告を、1昨日、前期の授業の最後の日にRさんから受けた。それによると、秋葉原のBLバーはBLを商売に使っている贋物で、本ものではないと2人の意見は一致。それを撮影してもBLの本質は表現できないと、Rさんはこの素材を放棄することにした。
そして、その後仰天するような新しい企画を私にRさんは提案したのだ。
秋葉原の帰途、HさんとRさんは、あんな贋物が横行するのは許せない。自分たちが見たいと思えるようなBLの「映画」を作ってみようと盛り上がったのだ。
「映画学科の人たちといっしょに、私たちが感じるBLドラマを作ろうと思います。フィクションです。役者はこの大学の同級生たちを起用します。候補者は心当たりが何人かいます。そして、このBL映画を作っていく過程を撮影して、メイキングという形で私のドキュメンタリー作品を作ってみたいと考えました。センセー、どうですか?」

 と言われてセンセービックリ。たしかに、この大学では演習として映画製作もやっているから出来ないわけではない。が、ボーイズラブを主題にした映画なんかを撮れるだろうか。なにより、そういう恋人関係を演ずる男子が役者としているのか。そこを確認した。
「ボーイズラブをどの程度表現するのか」
「まあ、基本的にじゃれあうぐらいで、ぎりぎりキス程度だと思います。」Rさんは自信たっぷりに答える。少し映画プロデューサーの風格が出てきた。

 やってみようということになった。ドラマ本編の撮影は、8月の夏休み中にキャンパスを舞台に3日ほどでやろうということになった。ドラマ作りの製作委員会を作って、若干の資金を集めてやり遂げようと、関係者は張り切っている。
 関係者とは、RさんとHさん、それにもうひとりHIさんの三人。みな女性である。なんだか、不思議な世界に入りこんだ気がしてきた。
「8月のいつ頃クランクインするの?」と私は聞いた。暇があったら覗いてみたい。だんだん私も悪乗りしてきた。

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by yamato-y | 2010-07-12 13:21 | Comments(1)


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