定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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時間は進む

時間は進む

突然の訃報で、サッカーの余韻は吹っ飛んだ。
あのサンヒョクが急死した。どうやら自死らしい。詳細は分からないが、個人的な悩みが原因らしい。そのことはいい。死者に対して敬虔でありたい。冥福を祈る。

これで、冬のソナタの別の物語を紡ぐことはできなくなった。6年経ったとはいえ、冬のソナタへのファンの思いはけっして小さくない。私の知るソナチアンたちも、またこの物語の別バージョン――例えば、後日談だったり、パリへ留学したユジンの物語だったり――をいつか作ってほしいと淡く希望をもっていた。それが不可能になったのだ。

パク・ヨンハさんが演ずるサンヒョクは、冬ソナにとってきわめて重要な人物で、代役ということはありえない。また、別物語が生まれたとしても、たえず原物語が参照されることが前提となるから、そこに出てくる人物(キャラクター)と同一性がなければ、物語のリアリティが失われる。例えば、あの山小屋でのゲーム遊びや放送部での活動、バレーボールのライバル意識など高校時代からディレクターとして山小屋での生放送を企画したりするラジオ局時代まで、その「伝説」を土台にして、新しく生まれる物語は成立するのだから、このときの役者がなくなれば、その代わりの役者でしのぐということは、この冬のソナタにかぎってないだろう。
 こうして、冬のソナタは不朽の物語として神話化していくことになる。

 「春のワルツ」以来、沈黙したままのユン監督はどうしたのだろう。結婚した話題以外はとんと情報がない。時々、北海道に現れると噂では聞くが真相は知らない。監督は今回の悲報をどんなふうに受け止めるのだろうか。

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by yamato-y | 2010-06-30 12:12 | 冬のソナタの秘密 | Comments(0)

闇から転げ出たロール

闇から転げ出たロール

 日曜日のETV特集のあるシーンが気になっている。「よみがえる戦場の記憶 ~新発見 沖縄戦600本のフィルム~」、沖縄戦を記録した米軍のフィルムをめぐっての番組でのことだ。
昭和20年、アメリカ軍は沖縄上陸したときから、プロパガンダ(宣伝)の意図をもって沖縄戦の実像を撮影していた・・。捕虜となった老夫婦、若い母親とその子たち、日本軍の秘密兵器、など。
 1980年代には、このフィルムの存在は知られていて、返還というか、撮影した成果物の公開を求める沖縄1フィート運動が起きた。そして返還なって公開されることになったが、それは一部であって、さらに膨大な映像が残されていた。返還350本に対して、さらに600本あることが3年前に分かり、沖縄県公文書館が調査を行って来た。

沖縄放送局はそのフィルムの内容を明らかにするために島内で巡回の映画会を開いて、広く情報を集めた。その映像に描かれたものは何で、写された人たちの消息はどうなったかを追った。番組はその記録である。

米軍のそれは、プロパガンダフィルムだ。もとより、勝者である米軍が撮影したものは自国の利益に叶う素材を撮影しているだろうということは想像がつく。都合の悪いものは最初から撮影していないと思われた。ところが、そのフィルムのなかに、とんでもないものが紛れ込んでいた。

 数十巻のフィルムのなかに、あるロールだけは他のロールと違って脈絡もなく撮影した時間場所もまったく不明の謎の「ラッシュ」があった。キャプションも資料も何もない。
 その映像を再生すると、衝撃的な映像が写っていた。
戦死した日本兵の遺体に向かってアメリカ兵が短銃を発射する。明らかに日本兵は死んでいるにもかかわらず、米兵は引き金を引き続ける。弾丸をくらった死体は何度も跳ね転がる。残酷な仕打ちだ。

あるいは、死体の山から日本兵の一体をつまみあげてカメラに向かってさらしものにするショットもあった。まるでカジキマグロの大物を釣り上げたような表情で、戦果を誇示するアメリカの若い兵隊。死んでまで恥辱を受ける日本兵。その残酷な仕打ちはやりきれない。まさに戦争の非人道性を表す映像であった。
この映像は、アメリカ軍当局にとっては絶対に外部に出したくないであったろうことは想像がつく。

 番組中、この映像を見た沖縄の研究者がインタビューを受けて、「こういう映像はこれまでも見たことがありません。本来撮影しないものでしょうし、撮っても残さないものです。それが何かの偶然で残ったのですね」と苦い表情。

 前回の返還運動が起きたときもアメリカ側はこれらの映像の返還には応じていない。というか、その存在すらも明かしなかった。それから20年ほど時間が流れて、アーカイブスの関係者もこのフィルムの存在について知るものもいなくなったのだろう。残ったフィルムの返還の要求が起きて、事情を知らない現在の担当者は一括返還に応じた、これが実態ではないか。
20年の間に、世代が交代してこのフィルムの意味を知らない者が担当者となったため、ノーチェックでこのフィルムが転がり出て来たと推測される。

 占領軍である米軍がこれまで公開に応じた映像は、ことごとく日本の軍国主義を非難し、住民を尊重するような事柄ばかりであった。孤児院を作って世話をしたり、日本人の捕虜同士の結婚を祝福したり。けっして悪辣なものではないということを強調してきた。そういう規準に合わない映像はすべて闇に葬ってきた(はずだ)。
 だが、ここに奇跡のようにして、一巻きのフィルムが残された。撮影者も撮影日時も分からないから、詳細は不明となろうが、こういう事実があったということだけはしっかり記録されていたフィルム。偶然とはいえ、真実というものは思いがけない形で歴史に姿を表すということ。数十秒にしかすぎないラッシュがもたらした意味はけっして小さくない。

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by yamato-y | 2010-06-29 14:27 | Comments(0)

2つの訪問

2つの訪問

今回の京都の旅で、珍しく寺院や美術館を訪ね歩いた。最初は、授業が始る前に一乗寺にある詩仙堂に行った。河原町から北白川行きのバスで大学の近くまで行って、そこから歩いた。20歳のときに曼殊院、詩仙堂、金福寺と回ったことがある。そのころは、一乗寺下がり松あたりは見渡すかぎり田んぼだったが、今ではすっかり住宅街となっていた。

42年前は、朝早く金沢を立って、日帰りで北白川通りの寺院を視て回った。女友達が2人いた。彼女らはその春進学が決まって、入学旅行のようなものを決行するということで、親御さんから用心棒代わりに同行することを頼まれたのだ。今から考えると私が用心棒だとは笑止だ。

静謐な曼殊院が心に残っていたが、少し離れているので今回は詩仙堂だけにした。店屋があちこちに出来て俗化が甚だしいが、入り口まで来ると、そこだけは別の時間が流れているような竹林の異空間があった。山門から玄関までの両脇は明るい竹林で美しい。梢を小鳥が渡っていく。
梅雨のせいか観光客は思いのほか少なく安堵した。詩仙の間に座って庭をぼんやり眺めた。ときどき有名なししおどしが音を立てるほかは水の流れしか聞こえない。この寺の敷地は斜面にあって、上から下まで8メートルほどの段差になっている。
庭下駄を履いて一番下まで降りたが、これといって何もなく最上段の座敷からの景色がいちばんよいと気づいた。これを建てたといわれる石川丈山という人物は、しおりを読む限り胡散臭い。徳川の譜代の臣で大坂夏の陣で功名をたてたが、京都で朱子学を学んで清貧に生きることを決意したとある。少し話が出来すぎている気がするのだが。建物もやや思わせぶりでわざとらしい。入り口の竹林だけがいい。

 詩仙堂や八大神社、狸谷不動のある丘を下った。蕪村ゆかりの金福寺の山門に立つ。ここはほとんど観光客がいない。以前、訪れたときは秋だった。蕪村が翁の遺徳を偲んで造成したという芭蕉庵は簡素で美しかったことを覚えている。寺内を視て回ると、昼からの授業には間に合わない。そこで、芭蕉庵の屋根だけ見て踵を返した。ふと芭蕉のあの句を思った。
やがて死ぬけしきも見えず蝉の声

もう一つは最終日土砂降りの雨のなかを訪れた河井寛次郎記念館で、ホテルから程遠くない地五条坂にある。母の歌集の題が「五条坂」で、ここにあった教会で初めてキリスト教に出会ったという縁の場所にあるということで興味をもった。
ひどい雨で記念館の前までタクシーで行った。
京都の古い民家がそのまま博物館になっている。引き戸を開けて入ると、薄暗いたたきがあって、天井から日がぼんやりさし込んでいた。大正、昭和に活躍した陶芸家河井寛次郎の住まいとアトリエがそのまま保存されている。ここでの圧巻は奥の庭に建てられた5層の登り窯である。この大きな窯が気にいり、私はこの窯の室内で小半時も過ごした。外はうっとおしい雨が降っていたが、暗い窯のあちこちに窯変した陶土のかけらのようなものが張り付いていてキラッキラと光るのを見ているだけで時間が経った。

河井の陶芸作品は私の好みではない。プリミティブで派手な文様がわざとらしく感じられ、彼が崇敬するという朝鮮の無名陶のような味わいとは違うと思った。彼の残した書も同様のものを感じた。脱俗を売りにする俗のようなものがはなについた。
記念館を出て、傘を片手に五条坂を歩く。教会らしいものはないかと探したが見当たらなかった。雨はどんどん激しさを増し、ポロシャツもしとど濡れてきた。ひとまず京都駅に行った。北陸線サンダーバード号の2時に乗る。

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by yamato-y | 2010-06-28 14:09 | Comments(0)

雨のお墓参り

雨のお墓参り

土曜日、昼近くの電車で敦賀へ帰る。疋田あたりから雨脚が強まる。
敦賀駅に着いたときは本降りになっていた。

 3時過ぎ、実家の前に立つ。主はいなくても庭の木々は青々として美しい。紫陽花がいい具合に咲き零れている。ホタルブクロも花が少し赤みを帯びている。親父が丹精して作った庭は今も無事だ。玄関の鍵を開けて入った。家の匂いがした。母が元気だった頃は気がつかなかったが、無人となってみると家の匂いがぷんと鼻につく。おそらく前からあったにちがいないが、母が動いているときは母の動静に意識がいっていて、匂いは無意識下となっていたのだろう。これが我が家の匂いかといささか感に堪えない。玄関を上がって台所に入るとすぐに、窓という窓を開け放つ。網戸からいい風が入ってくる。冷蔵庫を開けると、ビールの1ケースがあった。

座敷の小机に飾ってある母の遺影と父の写真の前に出て、「ただいま帰りました」と報告をする。足を崩して一息いれると、どっと汗が出てきた。蒸し暑い。シャツの前を開け、そばにあった団扇でぱたぱた扇ぐ。
雨が小降りになってきた。西の空がわずかに明るい。お墓参りでも行こうかと、立ち上がる。父が眠っている教会の墓地は家から500㍍ほどにある。そのすぐそばに先日亡くなったことを知ったOさんのお墓もあるから、都合いい。

庭の紫陽花を数本切り取り、自転車の前籠に入れた。右手に傘を持ち左手でハンドルを操作し丘上の霊園を目指す。途中、国道8号線を走るのだが、片手ハンドルはさすがに恐い。そばを車がびゅんびゅん走り抜ける。桜ヶ丘の坂下までは小ぶりだった雨が、急に大粒の雨にかわる。

霊園に着くと、さすがに雨の墓地には誰もいない。備え付けのバケツに水を半分ほど入れ、ひしゃくを落とし込み、片手に紫陽花の花束をかかえて、まず父の墓に向かう。教会の墓は正面に聖書の一節が刻まれた大きなモニュメントがあり、その傍らに物故者の氏名を刻んだ銘板がある。そこに父の名前があった。信義と刻まれた文字を水でごしごし洗い、「もうじき、来るから待っていて」と母の納骨が近いことを父に伝えた。

一区画離れて、Oさんの眠る一家の墓がある。ここではお花だけ供えて手を合わせた。雨は依然として降っている。
霊園は小高い丘の上にあり、眼下には青々とした田んぼが広がり、真ん中をにバイパスの大きな道が貫いている。土砂降りの雨で遠くは霞んでいたが、誰もいない丘からの眺めは清々するものがあって、何か勇気が湧くような気がした。

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by yamato-y | 2010-06-27 19:31 | ふるさとへ | Comments(0)

一筋の道

一筋の道

芭蕉が29歳で故郷の伊賀を離れて上京したとき、並々ならぬ決意であったにちがいない。
武士を捨て、俳諧師としてやっていくつもりだったのだから、中途半端な決意でない。富山奏によれば、芭蕉の生まれた時代は伊賀、藤堂藩の窮乏がもっとも激しいときで、農民百姓のなかから自害するものも続出したとある。けっして楽な時代でなかったのだ。そのなかで、鍛えられた芭蕉は幼い頃から胆力があったのだろう。ひとたび決めればその道をまっしぐらに行くとした。一筋の道である。

学問の道も厳しく激しいものだと、昨日大学で院ゼミに参加して感じた。大学院の修士課程、博士課程のメンバーたちのゼミで、毎回、それぞれの発表がある。学部のゼミなどとはレベルが違うゼミだ。主任の教授、準教授の列席するなかで、およそ40分ほど自分の研究内容を報告し、質疑を受けるものだ。
昨日は、戦後の核・原子力学者たちが、核の平和利用ということをどんなふうに捉えていたかという研究発表で、発表者は博士課程のY君だった。9ページにおよぶレジメを片手にY君は奮闘したが、報告後の質疑では厳しい評価を受ける。「このリポートを通して、何をいいたいのか分からない。そのスタンスを決めないと論文にはならない」と教授は言い放つ。「下世話にいえば、私らは税金というお金をもらって研究しているのなら、それに見合う成果を上げなくてならない。この報告にはどんな成果が出てくるのかというと、このままではそれは危うい」。厳しい。
 驚いた。象牙の塔で世間とは無縁の好き勝手な研究をするところが大学、なんて勝手な想像をしていたが、まったく違う。文系であろうと、社会への還元を念頭においた姿勢がまず問われるのだ。むろん、それはすぐに実業に結びつくような成果を期待されているわけではない。その基盤となるようなものも含まれるのであろうが、少なくとも趣味道楽の研究はありえないのだ。しかも、それを研究とすると決めれば命がけの、芭蕉の言う「一筋の道」とならなくてはならないことを、教授は言外に語っている。

 教授のびしびし入ってくる太刀先にY君は意外にも蒟蒻問答に近い受け応えで防戦する。のらりくらりとというわけではないが、叱責されてもめげていない。この勁さに感心した。現代の若者は打たれ弱いという定評とはまったく違う“強情ぶり”に、思わず内心頑張れと声をかけたくなった。
 たしかに、Y君の理路はあまいところが諸所に見られる。教授の筋論は見事に言い当てている。だが、こういう激しい打ち込みにたじたじとなりつつ切り返すなかで、Y君は活路を見出し、学者としての胆力を鍛えられていくのだろう。
ゼミが終了したとき、まるで剣道の勝負を終えたような心地よい疲れが、私にはあった。(別に私が発表したわけではないのだが)

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by yamato-y | 2010-06-26 10:12 | Comments(0)

夜更けにくちなし

夜更けにくちなし

 初夏の鱧(はも)。京料理はやはり繊細だ。小骨の多い鱧が端正な料理に仕上がって出てくる。
四条木屋町のこていな割烹でたっぷりいただいた。S先生と杯を交わしながらと書きたいところだが、先生は下戸。私はビールで先生はお茶。その組み合わせで、鱧料理を堪能した。

西陣生まれで生粋の京男のS先生は京都のうまいものやをよく知っている。丸田町、今出川から四条までのエリアでこれまでにいくつ食べ歩いたことか。
先生と話しながら食べていると、話題が面白くどんどん変化して時間があっと言う間に過ぎる。今夜も9時近くまで話し込み、美味しい鱧と胡瓜のあえもの、鱧天、鱧寿司などをしっかり食べた。
この最後の寿司が少し余分だったか。胃にやや負担になった。先生と別れてホテルに戻ったものの、おなかがぱんぱんに張っている。このままでは眠れない。少し運動でもしなくてはと、小雨降る四条通りに出た。まっすぐ行けば八坂神社。四条大橋をわたり南座の前を通って八坂さんへ。境内には大祓式の看板が立っており、老舗の小田原提灯が幾百もぶら下がっていた。作家の家田荘子の名前もある。提灯の灯りが雨に滲んで美しい。

右手に折れて、石塀小路のほうへ向かう。夜10時近い時分で、小雨が降っているから人影はほとんどない。石畳に響く靴音は私のものだけ。心地よい。傘をたたんで、顔を天に向ける。小さな雨粒がぱちぱちあたって気持ちがいい。路地を抜けると高台寺下に立っていた。

 誰もいない。公園の街灯に雨の膜が出来てぼんやりと浮かんでいる。雨空を見上げると、高いところのお月様に雲がかかっていた。なんだ、雨月夜だったのか。
 かすかにあまい匂いがしてくる。きょろきょろ見回すと、あった。白いくちなしの花だ。顔を寄せるとあまさがさらにきつくなる。夜更けにくちなし、か。井伏みたい。

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by yamato-y | 2010-06-25 23:50 | Comments(0)

バスのなかの出会い

バスのなかの出会い

京都駅からは百万遍経由錦林車庫行きのバスに乗った。一昨日まで小寒い日が続いていたという京都も、すっかり空が晴れて気持ちのいい日となった。
バスの車窓からも通りの紫陽花が美しい。
河原町を北上して、四条の駅で客がどっと降りてどっと乗ってくる。赤ちゃんをおなかにのせた若い母親がしゃきしゃきと入ってきた。そこへバスの後ろの席にいた中年女性が「××ちゃん」と声をかけた。
母親は振り向いて、声の主を捜す。見つけてにっこり。「まあ、お久しぶりですね」とそちらのほうへ寄っていき、抱いている赤ちゃんの顔をそのおばさんのほうへ向けた。20代と40代の女たちは楽しそうにおしゃべりを始めた。

バスの車中で知り合いに出会うなんて光景は、今や京都ぐらいではないか。東京では町があまりに巨大なので知人と会うことなどめったにないが、地方都市でも別の事情でない。金沢の町がそうだ。
今から40年前は、香林坊の日銀前のバス停に立っていれば誰かに会ったものだ。まだ走っていた路面電車のなかでも挨拶を交わす光景はよく見られた。
だが、その後電車は廃止、道路の拡張で、町屋が区画整理にあって間引かれ、車社会になっていくと、住民は郊外に住むようになり、出歩くのもマイカーになっていく。いきおい知人と出会う機会がめっきり減った。

 京都は市内バスが発達していて、市民はどこに行くのもこれを利用する。なまじマイカーで移動するより便利だ。車であれば駐車スペースを捜すのが厄介になるが、身ひとつのバス利用であればどこでもほいほい出歩けるのだ。こうして市内は人と車がほどよく混みあう。こういう「懐かしさ」が京都の良さのひとつと思うが、町の店舗風景が悪化しているのはいただけない。四条河原町などは地元の老舗がなくなり、ほとんど東京資本のチェーン店ばかりとなっている。何処の町でもあるコーヒーショップやコンビニだらけの町になりつつある。そんななか、BALビルはまだあった。が、往年の賑わいがなくなり沈んでいるのが気になった。

 昔三条河原町にあった中華料理の店「飛雲」によく通ったものだが、この店も20年ほど前に消えた。今でもときどき行くのはイノダのコーヒーショップとフランソワぐらいか。

 百万遍で降りた。大学の生協ルネに向かう。ここの食堂のこぶうどんを食べてから授業に向かうとゲンがいいのだ。朝からサークルの練習が始っている。応援団の太鼓の音がずしんと腹に響く。

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by yamato-y | 2010-06-25 09:47 | Comments(0)

西へ

西へ

朝から暑くなった。8時半の電車で京都に向かう。
今日から休暇をとって大学へ向かう。そのあと、敦賀に戻って実家の整理にあたる。
今年の梅雨は去年より気温が低い気がするが、気のせいか。

 小鳥が鳴いている。生い茂った葉のなかから優しい声が聞こえて来る。
 7時半になった。この続きは今夜木屋町のホテルで書こう。一旦擱筆。

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by yamato-y | 2010-06-24 07:22 | ふるさとへ | Comments(0)

変な天気

変な天気


「人生のモデルになってください」と7つ年下の友人から言われた。
好きな番組作りを最後まで全うしてくださいとも。先輩のような人生は羨ましい人生ですよと追い討ちをかけられるに及んで、(そんなはずはなかろう)と腹のなかの自分が呟いた。

 その呟きを気にしながら、前に座った50代半ばの精力に満ち満ちた男の顔をじっと見る。自分で、人生に悔いがいっぱいありますというほど、顔も声も衰えてはいない。これから世に問うような作品をもっともっと作ってみたいという野心に溢れた表情していた。20年振りに彼と会ったが、当時の精悍な顔つきと少しも変わっていない。

 君が居る今の場所で、それなりに番組作りが出来るならそれはそれでいいじゃないか。今の62歳の私などは、せいぜい年に2,3本しか番組を作る機会がないのだよ。それがそんなに称揚されるようなディレクター人生だとは思わないけれど。と、私は彼に冷水を浴びせるようなセリフを吐いてみる。皮肉でも嫌味でもなく本当に自分の人生に悔いはないなんてことはとてもいえないほど悔いの多い人生なのだから。

「でもですね。」と彼はすぐに反論。「制作の本数が少なくても全国に放送できるだけいいじゃないですか。放送後の反響だってあるでしょうし、職場の仲間うちでも番組の議論ができるでしょう。ぼくの場合、BSの深夜帯の誰も見ていないような場での放送です。反響なんてほとんどありません。何を作ろうとも僕の周囲は関心をもってくれません。やりたいならやってもいいけど、日常業務のほうに支障がないようにやってねという反応しかありません。ネグレクト--無視されるということはきついですよ」と、おそらく憤懣がたまっていたのだろう、一気に彼はしゃべった。

 彼の言い分はなんとなく分かる。無反応でも作ればいいじゃないかとはならないだろう。他人(ひと)がどう見ようとも、わが道を行けばいい。とはならないとも思う。表現したことは他者に伝えて意味をもつ。他者から悪評も含めて評価されることが大切なのだ。
でも、彼が置かれた今の場所では、作品を作ろうと作るまいと誰も関心をもたないという「不毛の地」で仕事をしているのだ。 つまり、私らは番組を作って終りという閉じた回路ではなく、作り上げた番組を媒介にして、「他者」とコミニュケーションを交わす。そこにやりがいというか喜びを感じて仕事をしているのだ。それがあるから作る喜びがあり、伝わる快楽があるのだ。彼はその喜びを味わう場所を奪われている。

 彼と渋谷駅前のフルーツパーラー西村で話しをしていたときは土砂降りだったのだが、夕方になって空は美しい夕焼けとなった。変な天気だけど、終りよければすべて良しといえるのじゃないだろうか。
彼も今55歳の岐路に立っている。人生の前半は困難なこと不本意なことが多かったかもしれないが、これからの10年で一踏ん張りすれば実りがあるかもしれない。
と、他者には勇気付けることは出来ても、自分を奮い立たせることは難しいものだ。

人生の天気。変なものだ。

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by yamato-y | 2010-06-23 22:18 | Comments(0)

風を感じながら

風を感じながら

園芸の番組を見ていて心に残る言葉と出会った。
育てていた植物が元気を失くし萎れ始めているのでどうしたらいいかという、視聴者の質問に答えるコーナーでのことだった。園芸研究家のその人は水やりや肥料の与え方などを説明した後、こう言った。
「室内で育てると風を受けることがないので、時々葉っぱを持ち上げて触ってあげてください。そうやって葉っぱに刺激を与えると生き生きしてきますよ。」
驚いた。風は植物にとって単に吹いているだけではないのだ。おしべとめしべを接触交合させるための媒介としての風だけじゃないのだ。風は花や草に触って、その命を賦活していたのだ。
風に揺れている野菊なんて、風情だけのことではなかったのだ。
 遠い山から 吹いて来る
  小寒い風に ゆれながら
  けだかくきよく 匂う花
  きれいな野菊 うすむらさきよ
野菊がけだかくきよく匂うのは、風が触ってあげているからなのだ。花びらを葉っぱを、さわさわと風が触ってあげるから、野の花特に野菊はやさしい。『野菊の墓』の民子が野菊に惹かれたのも当然だ。

季節違いかもしれないが、風と野菊の関係がどんどん気になっていく。
原石鼎の名作
頂上や殊に野菊は吹かれ居り
ずっと気がつかなかったが、字句には表れなかった風こそ、この句の主人公だったのだ。

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by yamato-y | 2010-06-23 15:26 | わが心のシーン | Comments(0)


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