定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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霊界の入り口で

霊界の入り口で

誰もいない実家で2晩過ごした。電気と水道、ガスは一応通じてはいるが、めったにしか使わない風呂を沸かし、ガスで魚を焼き、テレビ画面にDVDを再生して稼動させた。静まりかえった屋敷を揺さぶって、眠りから覚まさせようというのだ。そういうジタバタはかえってよくないようだ。夜が更けるにつれ不気味さは徐々に漂いはじめた。小暗い仏壇の金具が鈍く光りだし、床の間に安置された母と父の遺影がぼーっと浮かびあがる。

よせばいいのに、仏壇の扉を開けて、内部を整理することにした。上段の下手に大きな位牌、上手に繰り出し位牌が鎮座している。中央には阿弥陀如来像が架かる。
繰出し位牌の蓋を外して、中を調べる。白木の札板が数枚入っていた。
元来は三十三回忌を終えた古い位牌をひとつにまとめる為に繰り出し位牌は使用されるのだが、四十九日法要をもって直接木札にされるのもあるようだ。繰り出し位牌のいくつかの木札には享年が2歳、1歳という短いものがあった。

仏壇の引き出しを開けると、母のメモらしいものがある。どうやら、繰り出し木札8枚の説明書のようだ。8名中5名の人物の名前はいかなる血族か想像がつく。祖父と祖母の名前は知っている。さらに曽祖父と曾祖母、曽祖父の後妻の名前は判明したものの、残る3枚の消息は初めて知るものばかり。K子0歳、Y子1歳、T男1歳、みな乳児で死亡している。どうやら、父の弟妹らしいと見当がついた。
驚いた。父に2人の妹と一人の弟がいたなんてことは初めて知った。死亡年を見ると、大正14年、昭和2年、昭和6年とある。都会はともかく地方は不況であえいでいた時期の死である。生育環境も充分でない時期に乳児たちはその姿を一瞬垣間見せただけで、永遠の彼方へ旅立っていたのだ。何か、赤子の泣き声が闇のなかから聞こえてくるウィリアム・ブレイクの詩を思い浮かべる。ブレイクは夭折した赤子たちを天使として見立てる詩が多かったと覚えているが。

ひたすらに還りくる子を待ちまちし姑逝きて五十年共にここに眠る

母の短歌である。父の母つまり私の祖母は、49歳で昭和24年に逝った。寡婦の身で頑張って男の子2人育てて奮闘の末の脳溢血死だった。21年に長男が復員しやっと親子の暮らしができると思った矢先の死。無念であったにちがいない。不幸であった祖母の運命を、生前の父は密かに悲しんでいたと今になって知る。その母子が今同じ墓に眠ると歌った母も泉下の住人となってしまった。

かくして私は深夜物音一つしない静寂(しじま)のなかで、一人がさごそと動きまわり霊界と交通しようと思い立つも、途中で怖くなって引き返した。


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by yamato-y | 2010-05-31 17:59 | ふるさとへ | Comments(0)

未来から回顧

未来から回顧

本当に寒い。長袖のシャツだけでは日が暮れた後寒さがしみる。もう6月だというのに四月上旬並みの寒さが京都にある。おそらく全国でもそうだろう。今年のこの残る寒さというのはどうしたことか。

2日目の授業も終え、S先生と夕食をともにして、8時半過ぎにホテルに戻る。シャワーを浴びたままでベッドに寝転がっていたが、あまりに寒いので肌着を重ねることにした。
ワインを飲んだせいか、2時間ほどうとうした。

深夜、のそのそ起きて、このブログを書いている。
さっき見た夢は、京都で知り合った人たちがもう会えなくなっているというものだった。
この町に来る仕事も数年後にはなくなるだろう。年金暮らしの身には自弁でたびたび京都へ出向くこともあるまい。この町で5年かけて知り合った人たちと会う機会も減るにちがいない。それが寂しいなあと顎をなでる未来の私を夢に見ていたのだ。

実際、広島や長崎で知り合った人たちと出会う機会もめっきりなくなっている。同様に京都での知己との交わりも減るはずだ。その寂しさ侘しさが、じんわり沁みて、夢にみた。

 大学へ来るたび、出席簿に判を教務係のデスクで押してくる。そこに中年の女性事務員の方がいて、いつの頃からか挨拶を交わすようになった。キャンパス内でも会うと頭を下げる。向こうも覚えていてくれて声をかけてくれる。名前は知らないが、私には親しい人だ。でも、大学と縁が切れれば、その人と会うこともない。いつか、何年か経って、その人も死んだよという噂を聞くこともあるかもしれない。いや、名前も知らないのだから、そんな噂も届きようがない。

 敦賀のOさんもそういう付き合いというか関係だった。だから、7年前に亡くなったということも知らないままできたが、先月乳がんで50歳になるかならぬかで、他界していたのだ。そういう消息の元素のようなものが、今夜は寒気のなかに浮遊している。

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by yamato-y | 2010-05-29 01:38 | Comments(0)

京の青空

京の青空

5月末とは思えないほど寒さが続いている。夕べも木屋町の高瀬川沿いの赤提灯で一杯飲んだが、外に出ると川風が冷たく、思わずカーディガンの襟を立てたほどだ。

10時過ぎに、教え子のMくんがやって来て晩飯を兼ねてミンミンで呑んだ。海老のチリソースと鶏のから揚げをあてに、私は老酒、彼はハイサワー。Mくんは先斗町でバイトをしていて、仕事があがるのが10時。それから、木屋町の私の宿泊するところまでやって来て飲みながら、あれこれ話をした。

漫画家志望のMくんは現在休学中。この1年の間にいろいろなことを体験しようと、花街でバイトをしたり演劇をやったり、自主映画を製作したりしている。昨年、私の授業を受けて映像を作る楽しさを覚えたこともあって、今年の授業にも単位取得は関係なく出席している。彼が今年企画したネタは就職活動、シュウカツだった。

彼自身は漫画家になろうという決心は変わらないのだが、周りの友達を見ていると、かなりシュウカツにエネルギーを奪われていて、いったい仕事をするとは何だろうという根源的な問いが彼のなかに出てきたそうだ。そこで、大学のOB・OGたちをカメラを持って訪ね歩いて、それぞれの仕事観、職業観を聞きまわりたいという企画を提出してきたのだ。
 私はこのネタはとても面白いと考えている。だが、訪ね歩く対象はたいていが京都ではなく東京で活躍する人ばかり。となると、東京まで出かけて宿泊しながらの撮影となる。当然、経費がいる。大学の授業にそういう予算はついていない。では、どうしようかという相談が、昨夜の飲み会の趣旨であった。

 相談についての結論は先送りになったが、彼が今関わっているバイトや映画作りの話はとても面白く、かつ現在描いている漫画のことも、熱く語ってくれた。32ページの漫画は夏休み前に完成させる予定だとか。出来上がったら、見せてくれることになり、私は講談社の知人にも見てもらえるように頼んでみることを、彼に約束した。

 不況で、仕事が見つからないと焦る学生たちのなかにあって、Mくんの生き方は爽やかでもある。だが、暢気そうにみえるMくんも将来を考えると不安で立ち止まりそうになることもありますよと、呟いたのが少し気になった。

 本日は、授業で出てきたもう一つの企画、京大熊野寮のくらしという主題にとりかかる。いまや、全国でも珍しい存在となった、学生自治による寮のくらしぶりをルポしようというネタ。企画は3年のKさん。彼女のリサーチ結果を昨日聞き取ったが、今ひとつ実態がはっきりしないから、とりあえずみんなで現場に行ってみようということになった。
気温は10度しかない。外は寒そうだからセーターを持っていこう。あつい雲が切れて青空が見えている。


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by yamato-y | 2010-05-28 09:31 | Comments(0)

京都へ

和辻哲郎問題

 梅雨の晴れ間とでも呼びたい天候となった。半分雨雲のような群雲が空低く浮かんでいる。大井川を越えた。のぞみ213号で京都へ向かっている。今回の京都の滞在では講義の合間に新緑の古都を散策もしたい。この旅ではふたつほどやりたいことがある。一つは精神医学の大家で京大名誉教授の木村敏氏に会いたいこと。もうひとつは、姫路で行われている和辻哲郎展を見学することだ。

 哲学者・和辻哲郎が世を去ってから今年で50年になる。節目の年だ。彼の著作『風土』、『古寺巡礼』などは未だに根強い人気を持ち古典として高い評価も受けている。その一方で、和辻は「日本回帰」の天皇礼賛者として批判もされてきた。

 和辻の名著『風土』。そこで、風土が人間に影響するということを論じた。流麗な文章に魅了されるも、これは悪しき環境決定論であると批評されたりするのも故なしとしない。どこかに独善の匂いがするのだ。80年代に入って、高橋哲哉や酒井直樹らから批判されていったことはなんとなく理解できる。東西文明に通じた文化史家として知られた和辻は晩年に至り東アジアのモンスーン地帯への思いが過度となり、ナショナリズムへ接近していったとかなり厳しく批判されることも分かる。
私のような世代の者には保守的文化人として長く敬遠するような存在であった。

 とはいうものの、「古寺巡礼」などで著された美意識などにはおおいに心揺さぶられることもまた事実だ。夏目漱石や西田幾多郎らと交友してきた和辻が育んだ「心の風土」に惹かれてしまうのだ。このもやもやするものをはっきりさせたいと、和辻問題を番組化できないかと、没後五十年を節目として構想した。その手始めに、和辻のふるさと姫路で開かれている回顧展をのぞいてみたくなったのだ。

 11時、列車は関が原付近を走行。それまで晴れていた空がどよんと曇ってきた。伊吹山の山頂は霧がかかっていて姿が見えない。山向こうの北陸路はどうやら雨らしい。近江の水田は田植えが終わったばかりで、早苗がはかなげに揺れている。

 和辻は藤沢に住んでいた。妻の実家の一角にいたという。照夫人との熱愛は知られている。愛妻と婚約時代に交わした恋文では、和辻は自らを「おんみの哲」と記すほどで、「早くてるに逢ひたい」などという情熱的な文言が散見されるのだ。肖像写真などを見ると、気難しそうな御仁だが、ウチに熱いものをもっていたのだろうか。

 「人間とは『世の中』であると共にその世の中に於ける『人』である。だからそれは単なる『人』でないと共にまた単なる『社会』でもない。ここに人間の二重性格の弁証法的統一が見られる」
と、人間の間柄ということにこだわった和辻の人間学を少しのぞいてみたいと最近思った。

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by yamato-y | 2010-05-27 18:36 | Comments(0)

いつからここにいるのだろう

いつからここにいるのだろう

 書きたいことがなくなり、でも何か表したいと願い、漫然と自動書記として手を動かし、パソコンのキイを敲いている。
 今朝、読んだ田中冬二の詩について書こうか、昨夜の打ち合わせで出たサブカルチャービジネスについてまとめようか、机に座りパソコンの前にあっても書く事の腰が定まらない。

 だんだんブログの記事が書けなくなってきたのは、母の死の前後からだ。母がだんだん死んでいくとき、弟の体の具合もよくなく、加えて私自身の健康も損なわれいくということがあってからだ。煩瑣なことがどっと押し寄せて来た。実行しなくても、どう遂行していくのか予定を立たねばならない羽目におちいった。家のことをどうする、埋葬のことをどうする。その手続きのことを考えていると、いっそこの体が飛散してしまえと呪詛したくなった。そういう気分に襲われれば、何かを書きたいという意欲もいよいよ減退するのであった。

 藤原定家が明け方に見た横雲。田中冬二が歩いた青い夜道。中野重治が「歌のわかれ」で語った”歌”そのものであろうか。その歌を歌いたいと願いつつ歌えなくなっている私。62歳だ。還暦も越え、老年の時代に移行しつつ私が、まだ歌に恋々としているなどとは。20年前には予想もしなかった。

 ヘルマン・ヘッセを読みたい、コナン・ドイルとスティーブン・キングを読みたい。でも、今夜書店で探したがなかった。
見たい映画はない。スコセッシもアルトマンも黒澤もそれほど見たいとは思わない。

 昨夜、佐々木昭一郎の「さすらい」を見た。テレビドラマの枠をはみ出したテレビドラマだ。カメラは葛城哲郎だった。非物語の物語はたいして関心がなかったが、葛城の映像には惹かれた。ずっと長い間、彼の映像はタルコフスキーのような超絶なものと思い込んでいたが、「さすらい」を見て、ヘタウマの滲むような表象だという印象をもった。ワンカットが次のワンカットまで浸出してくる。ぐざぐざとかしぐような画。こんな凄まじい才能をかつてテレビは持っていたのに今はほとんどない。その才能を周辺のものしか認識しておらず、視聴する人たちはほとんど記憶していない。テレビは才能の垂れ流しの装置でもある。

 そして、今夜はタルコフスキーの「ストーカー」を購入して見ることにした。紀伊国屋で20%割引で売っていたので買った。
10時から見始めて40分。気がついたら私は眠っていた。タルコフスキーは能のように入眠状態に陥りやすいことは知っているが、それでも今夜は持続して見る気にならず、DVD再生を止めた。思わせぶりな「ストーカー」の気取った映像より、昨夜の葛城のブリキ細工のような画のほうがよほど心に残る。

 シーバスリーガルをコップに少しいれて、ちびちびなめながら、この記事を打ち始めている。悪酔いしそうだ。
明日から京都へ行く。2日間の講義と1日の研究会。新緑の雨の京都はいいにきまっているが心震えない。
終えて、敦賀に帰り、母の家にもどることにしている。あと、いつまで在るか分からない実家の、その姿を思えば、酒の量も少し増える。

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by yamato-y | 2010-05-27 00:35 | Comments(0)

立って洗う/座って洗う

立って洗う/座って洗う

中国からの留学生Rさんが、日本へ来ていちばん不思議におもったのは、お風呂で座って洗うことでしたと語る。そんなこと当たり前でしょと言いかけたが思い直した。たしかにその通りかもしれない。日本人はみな洗い場で座って洗う。Rさんが見た光景は銭湯だったからだが、内風呂でも日本人は体を曲げて、座って洗っている。近年増えている狭いユニットバスなら湯船の外で洗うことはなくなっているかもしれないが、湯槽と洗い場が併存する日本式であれば、みんな座って体を洗う。日本独特のスタイルだなんてこれまで思ってもみなかった。

Rさんはパリで生まれ育って、7歳のときに香港へ移住し、アメリカにも数年いたというコスモポリタン。東西の文化にも詳しい。その人がいうのだから、座って洗う方式は日本独特の風習なのだろう。
まず、日本以外の国では風呂にみんなで入るということはほとんどしないそうだ。お風呂はトイレと同じ個室のようなもので、誰かといっしょに入るなんて習慣はありませんと、Rさんは主張。しかも体を洗うときはシャワーを使いながらだから立って洗うことになる。

なによりも、お風呂に入る回数が日本人に比べて香港もパリもきわめて少ない。毎日入浴するなんて習慣はない。熱いお風呂に肩まで体を沈めて、お湯がざあざあこぼれて「ああいい気持ち」といって悦に入るなんてことはよその国ではなさそうだ。

 昨日の美大の学生の授業でのやりとりで飛び出た話だ。今回は放送局見学をしたあとの授業ということで、食堂でうどんを食べながらドキュメンタリーの企画について全員で考えた。そこで、面白いネタとして飛び出たのが、お風呂の習慣、ウォッシュレットのトイレ、ラブホテルのノート、人見知り、などであった。

 メンバーの黒一点のKくんは、ラブホテルのベッドの側に置いてあるノートが面白いということを開陳した。ネタとして書いているのかもしれないが、そこにはホテル利用者の人生や趣向がほのみえて、ついつい読んでしまうという。(おいおい、そんな発言をしていいのか。あんたもそこにいるということなんだけど)屈託なく、Kくんは話を続ける。

 最近読んだなかで面白かったのは、47歳の埼玉の主婦と23歳のたっくんの関係について書かれた文章だった。埼玉の主婦は熱く記していた。家に帰れば旦那と子供の食事の世話が待っていて、考えるとさびしいが、ここにいるときだけはたっくんが命。と記していたそうだ。しかも、ご丁寧にその記事には別の利用者の「コメント」まで付いていたそうだ。たっくんの意見も知りたいものだねえと、水を向けると、「今度、調べておきます」と律儀に答えるKくん。

 それにしても47歳主婦と23歳の組み合わせはどうなのだろうと、私は挑発。それまで黙って聞いていたTさんが口を開いた。
「今、二人は夢中になっているときだから、こんな心境を主婦は書いているけど、いざ離婚したら、お互い白けるのじゃないでしょうか」と鋭い指摘のTさん。彼女は将来作家を志望するだけあって、人間心理の洞察が深い。

 「ラブホテルで分からないのが、備え付けられたカラオケだ。誰がどんなときに使うのだろう」と、性懲りもなく私は再び挑発した。
ホテル評論家のKくんは「それはフリータイムを利用するのですよ。その時間帯であれば料金は高くないし。この間もオヤジの声ががんがん響いていました」とすかさず論評。現代のラブホテルは大人のアミューズメントパークらしい。

此の話題の間、1年生のNさんは黙って(興味津々で)耳を傾けていた。

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by yamato-y | 2010-05-23 12:25 | Comments(0)

少し緊張しながら

異動の予感

 本日は休日出勤となる。午後1時から放送センターで1時間講演することになっている。聴衆はなんとアナウンサーのデスクたちである。
全国の主要な地方局のアナウンサーデスクたち20人ほどが集まって企画会議が行われるのだが、それに先立って、私がディレクター、プロデューサー側の視点に立って企画論について話せと、K副部長から要請があった。最初は気軽に引き受けたのだが、出席者の顔ぶれを見て、顔がひきつった。なんと、現在全国の拠点放送局でばりばり仕事をしている40前後のベテランアナウンサーばかりだ。つまり、話のプロ中のプロだ。ここで、いくら番組のこととはいえ1時間も話をするというのは無謀というか無知というか。

 この4、5日、その講演のための原稿作りに追われた。昨夜、やっと全体構成が出来た。今朝、それを見直してチェックしている。

 講演の話がひょんなことからもう一つ起こった。昨日、1ヶ月検診で病院に行った。主治医が診察を終えたあと、「ちょっとお願いがありますが」ときりだした。一瞬ぎょっとした。何か特別な治療でも始めたいというのだろうか。不安がよぎった。

第3外科の医長であり副学長でもあるN先生は微笑しながら、12月に看護師さんたちに話をしてくれませんかと要請。大学病院の看護師さんたちの総会があるときに、患者から見た看護師の仕事ということを話してほしいというのだ。なぜ、私なのかとあっけにとられた。先生はにこにこ笑っている。「患者さんからはどんなふうに見えているのですかね、忌憚のないご意見を伺いたいのですよ」
 断る理由もない。というか、1月に入院していたとき、もっとも感動したのは夜の当直で奮闘する看護師たちだった。消灯された部屋を懐中電灯片手にひとりひとり気遣う様子は、まさにナイチンゲールだと感じた。あの人たちのことをきちんと自分でも受け止めたいと思っていたから、この講演依頼は喜んで受けることにした。

 病院からもどって、自席で「企画の立て方」を整理していると、まもなく人事異動が始まるという話がでた。私も異動の対象になっているようだ。といっても転勤するわけでもなく、部間異動だが。現在の部には3年前に来た。元いた番組制作の現場と少し違ったのは、番組だけでなくイベントや他のメディアの仕事もする部署だった。今年の異動で、また元の古巣に戻ることになるらしい。私にとってはそのほうが楽しい。

 さて、講演まであと3時間か。なんだか緊張するな。いつも画面でみているキャスターや司会者たちの前で話をするのだ。とちったらどうするのか。

 ―-実は開き直った話をするつもり。題して、「come come everybody」。みんなカミカミしましょう。噛んで何が悪いのということから、話を始めようと考えている。前から気になっていたテレビ界の常識というのを話の俎上にあげてみようと、原稿を作ってみた。どんな反応があるか。講演後の質疑応答が楽しみだ。

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by yamato-y | 2010-05-22 09:42 | Comments(0)

本日も雨

本日も雨

[もう、本気で仕事はしないと決意する。
私はこれまで何度も「もう仕事しない宣言」をしているが、そのたびにいつのまにか気がつくとまた馬車馬のように働いていた。そういうのはもうやめにしたい。]

 当代の売れっ子内田樹氏のブログでみつけた言葉だ。こんな台詞を目にすると、心境は複雑だ。嫌みにしか思えない。上の言葉に続いて次のように話が流れれば、さらに当方のひがみ根性を刺激し、内田大人へ複雑な思いを抱く。

[朝起きて「ああ、今日も何もすることがないなあ・・・」とぼんやり空の雲を見上げて、朝風の中を散歩し、ふと足を止めて道ばたのレンゲを見つめるような人生を過ごしたい。ほんとに。]

 ほんとにそんなことを思っているか。売れっ子だからそう思うのであって、ヒマで毎日が日曜日になってもそんなことを思えるのだろうか。

 伝説になっている不良の達人の話を昨日聞いた。あるスタアの用心棒だった人だ。百戦錬磨、修羅場を幾度とくぐった人に、争いで一番怖いものは何かと聞いたら、即座に「ジェラシー」と答えたという。
分かるなあ。男のやきもちほど始末におえないものはないから。スポーツでも芸能の世界でも、やくざも政治家も、おまわりも教員も、みんなそうだ。

ドラマを作ったとき、最後の出演者のロールテロップの順番で、へとへとになるほど頭をいためた。○さんは×さんより格上だが、△さんより下。その根拠は何か。視点を変えたらどうなるか。ああだ、こうだとリストを何度も作り変えた。たかだか1分ほどの名前の番付だけに1週間ほど時間をかけたことを思い出す。

 梅雨間近の天候が続くと、気が滅入ってくる。

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by yamato-y | 2010-05-20 10:06 | Comments(0)

生の重荷

生の重荷

 清元の「隅田川」を文章で読んで、よく出来た詩だと感心していると、これは元々能の演目のひとつだったことに気がついた。
これまで能についてきちんと向き合ったこともなく、白洲正子のエピソード程度しか知らない。能は難しそうな古文で書かれた面倒くさいテキストだと敬遠してきた。たまたま新刊の漫画「まんが能百番」というのが手元にあったので手に取って読む。能の人気演目100のあらすじがまんがで描かれてある。これなら読めると昨夜寝床にもちこんだ。

 「道成寺」や「安宅」はなんとなく話を知っていたが、他ははじめて知ることばかり。その筋の面白さもさりながらタイトルの美しい言葉に少し驚く。「通小町(かよいこまち)」「七騎落(しちきおち)」「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」「菊慈童(きくじどう)」。うまいものだ。そのなかに「恋重荷(こいのおもに)」というのがある。

 御所の庭仕事をする身分のいやしい老人が、天皇の第3夫人に恋をするという話。身分違いの恋だが、まわりがはやし立てた。錦で覆われたある包みがあり、それを持ち上げて庭を幾度も廻れば、それを聞きつけて夫人が現われるだろうと老人をそそのかした。その気になって老人は錦の荷物を持ち上げようとするが、重くて持ち上がらない。中に仕掛けがあったのだ。老人は必死で試みる。重荷はあがらない。やがて計られたことを知って老人は自死する。ここまでの話は今でもいじめにありそうな話。
 やがて亡くなった老人の霊は、たたり神となって夫人に憑く。怨みを述べ、夫人を責め、もし私を弔ってくれるなら怨みを忘れるぞといって消える・・・。
 祟りっぱなしでなく救済があるところがいかにも古典。おそらく夢幻能のお約束なのだろう。だが、十分物語りとして堪能できる。この話のキモは、年寄りがすさまじい恋をしたのが重荷となり、その重荷のために死んだということ。粗筋を読むうち、この実物の能を見たくなる。こういう物語なら現代人の感覚でも十分ついていける気がする。第一、恋重荷という題のつけかた。まるで奥村チヨではないか。しかも作者はあの世阿弥。

 ネットでこの能の言葉を探した。老人が恋をする心境の一節があった。

 過ぎ去りし 時は戻らず
 すれ違ひし こころ戻らず
 きざまれし おこなひ消えず
 投げつけし 言の葉枯れず
 ふりしぼる ちから及ばず
 課せられし 重荷になへず
 かへり来ぬ むかしの日々の
 かがやきは いまだ 消えざり

 「かへり来ぬ むかしの日々のかがやきは いまだ 消えざり」とはなんと響く言葉か。

 ところでこの物語。白河院の菊の手入れをする山科荘司という年寄りが若く美しい貴婦人女御に恋をするという設定。
 仕事をしていて老人というのは、定年間際の分際。ちょうど私のような年頃のものを指すのではと思い当たる。そうか、この年になって恋をするというのは、傍目から見れば滑稽にしかみえないのか。そういう年代に足を踏み入れたということを思い知る。
いまや、恋どころか生きるということすらなかなかの重荷と感じるのだから当然にはちがいないのだが――。

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by yamato-y | 2010-05-18 08:58 | Comments(0)

へしこの話

先週の週末の出来事

澁谷の地下にあるブックファーストの帰り、地上への階段を上っているとき、急にへしこが食べたくなった。香りがしたのだ。
週末の金曜、澁谷センター街は若者と外国人で大賑わい。傍若無人の輩があちこちにいて、旧人類の私などは腹を立てどおしの帰路、そこへいずこともなくへしこの香りが漂ってきた。
こんな大都会の真ん中でへしこが臭うなんてありえない。あのアンモニア臭のへしこが大澁谷の真ん中で漂うなんて、きっと幻臭だろう。そうに決まっている。だが、なぜ、大都会の週末にそんなふるさと北陸の食材を思い浮かべたのだろう。

へしこというのは魚の糠漬けのことだ。福井、石川あたりにある郷土料理で、鰯やさば、ふぐなどを糠に塩をまぶして漬け込んで発酵させたもので、塩分の濃度が高くめっぽうショッパイ。典型的な雪国の保存食で、昔から高血圧の素といわれるほど塩分の塊である。福井ではへしこ、石川では小糠漬けと呼ばれる。炊きたての熱いごはんと最高に合う。しょっぱいへしこの身をほぐして銀シャリにのせてかき回す。はふはふしながら塩辛いへしことご飯を喉元に押し込む。しょっぱさがうま味に変わる瞬間である。このうえない多幸感が湧き起こる。

それにしても、へしこという言葉は何に由来するのだろう。なんとなく朝鮮半島から渡来したのではないかと推測をするのだが。幼い頃から、この言葉の響きは下品で貧しいと感じてきた。屁という連想のうえに「こ」には猥語のにおいがする。へ・し・こ、と並べて発音するとなんだか貧乏たらしく思えた。だから、へしこを話題にするのもなんとなく憚られた。
そのへしこが近年名産品に格上げされるようになり、駅の売店やデパートの物産展にも展示されるようになった。へしこは出世するにつれてスマートになり、塩分もかなり減少した。しかし、私は昔の魚まるごとへしこが好きである。食べ終わると、汗をかくほど塩辛いへしこがいいのだ。

こういう塩辛いものを幼いときから食べ続けてきたせいで、私はいつのまにか高血圧症になっていた。と家人は推論する。確かに塩分が好きで、何でも醤油をじゃぶじゃぶかけてしまう習性は幼児期から醸成されたものであろう。事実、若い頃から血圧は高めで、47歳のとき脳内出血を発症して倒れた。倒れたときの最高血圧は200を越えていた。
以来、我が家の食卓では塩分控えめの食生活に変わり、味噌も醤油も減塩化された。へしこなどはもっとも忌み嫌われる食材となりはて、食卓で見ることはなくなった。
 倒れて10年はその食生活を守った。私だって命が惜しいから、減塩傾向の食事に馴れるように努力した。かつ降圧剤を常用するようになった。

数年前から、京都の大学で講義をしたあと、ふるさとの母の家に寄るようになった。秋の初めになれば蔵出しのへしこが母の食卓にあった。「食べたいなあ」とつぶやくと、母は「誰にも言わないで内緒にしておくから、ちょっとだけ食べてみたら」と誘惑する。一切れ食べるとこれがたまらなく美味。
いつのまにか帰郷するたびにこっそりへしこを食するようになった。

澁谷駅前のスクランブル交差点を渡りながら、母とそんな共犯意識をもったことを思い出した。母のいない今年はもうへしこを口にすることもない。じゅつないことだ。

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by yamato-y | 2010-05-17 09:24 | Comments(0)


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