定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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大磯からの旅

大磯からの旅

大磯発9時27分。品川到着10時10分。およそ1時間の車窓の人だ。
10年近く続けてきたが、あらためて遠距離通勤だと、本日、はるばるとたどり着いた品川のインテリジェンスビル群を見ながら思う。

京都の帰りに、敦賀まで足を伸ばすことがある。この大磯―品川とほぼ同じ所要時間となる。毎日私は小さな旅を続けてきたのだ。ふりかえればほっこりするが、当時はそれが当たり前と思った。この1時間で読書をし企画書を練り、単行本を執筆した。けっこう有意義な時間だった。
60代の坂を下っていくこれからは、どこまで可となるであろうか。

 昨夜、和辻哲郎論を3本読んだ。今年は彼が没して30年になる。なにかと批判されることが多かったこの人を私は長く遠ざけてきた。一度だけ、1973年にチロル地方を旅するとき、和辻の『古寺巡礼』を鞄に入れていたことがある。このことを、久保覚に告げたとき、大正教養主義ねと鼻で笑った。ちょっと傷ついた。
90年代に入り、現代思想がナショナリズム批判を盛んに行なわれるようになり、その流れのなかで和辻の「日本回帰」は徹底的に分析され批判された。
だから和辻のことは見ないふりをしてこれまできた。同時代人で、同じドイツに留学した三木清の生きかたこそ素晴らしく、保守的な教養人でしかないと和辻を切り捨ててきた。

 でも、彼の語る風土論は気になってしかたがない。ハイデガーの主張する時間論に触発されて描いた空間論という。かなり論証のあまい議論だという批判があることも知っている。だが、今日の旺盛なツーリズムを準備する議論であったような気がする。もう一つ気になる和辻の人間学的考察は、「個」としての主体性に疑念を挟んでいること。和辻は「間柄」という概念を持ち出しているということ。この議論が気になる。

彼のまわりに張り付いている「噂」におびえて近寄らなかったのだが、没後30年という節目を利用して思い切って取り組んでみようかと今迷っている。
 この見直しの視点は二人の論客から借りねばならない。東大の哲学の先生熊野純彦氏と一橋大学の平子友長氏だ。この2人の著作を懸命に読み込んでいる。難しい議論を出来るだけ噛み砕いて、教育テレビのドキュメンタリーに仕上げる。これを「入堀行為」と、私は密かに呼んでいる。

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by yamato-y | 2010-04-30 13:47 | Comments(0)

藤の花房

藤の花房

嵐の後の快晴。穏やかな日となった。
久しぶりにツヴァイク道を歩く。新緑が美しい。遠く、江ノ島が霞んでいる。春霞か。
九十九折の坂道の大きな曲がり角に藤の花びらが無数に落ちていた。見上げると、美しい薄紫の藤の花房が幾百と垂れていた。風もないから花房はまっすぐ地に向かって逆三角形になっている。
過日は、ふるさとの実家の庭を見て荒れていないことにほっとしたが、今日は大磯の自然が相変わらずたおやかなことに喜ぶ。
これからの黄金週間をできるだけ現代思想を勉強しようと思う。東京から数冊テキストを持ち帰ってきた。明日あたりには、京都から8冊ほど「戦争の記憶」関係の書籍が届くことになっている。昨年後半から、ぽつりぽつりと読んできたことを、あらためてまとめ読みして総括し、ノートをつけたい。

サブカルチャーにおいてもそうだ。3年来、手がけてきた少年週刊誌、フィギュア、日本のSF黎明史、などをそろそろカタチにしていこうと思う。それには、この大磯の光丘登羊亭が格好の場となる。

今朝、フィッツジェラルドの『冬の夢』を村上春樹の新訳で読んだ。美しい短編だった。まだ余韻がある。村上もこんな短編を生涯に一度書けたらどんなにいいかと思ったと書いているが、まさにそれに相応しい作品だった。フィッツジェラルドは40あまりで死去している。当方は、60を過ぎて馬齢を生きている。

それにしても、木村敏の主張するように、私らは「生命」によって、私らを生きられているのだと痛感する。その余得として、今日の藤の花と出会うようなこともあるのか。
眼福。眼福。

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by yamato-y | 2010-04-29 15:30 | Comments(0)

あらためて夢のなか

映画「少年時代」

先週末、久しぶりに訪れた京都は寒かった。前日の気温より15度下がって7度。吐く息が白い。
大学の講義室に入ると、今年のクラスは正規メンバーが昨年比べて減った。いささかがっかり。非常勤で来る以上は、もう少し張り合いのある授業にしたいと思うが、少数精鋭が学科の方針だから仕方がない。

所属する20世紀学研究室とは現代文化を研究するセクション。研究対象は映画やテレビの番組、漫画、アニメである。だからS教授の部屋には資料としての映画のDVDが半端でないぐらい収蔵されている。S先生の研究は、戦争の記憶ということで、日本、外国の戦争を主題とした映画のDVDがおよそ200本が、その研究の対象となる。そのなかに、篠田正浩監督作品「少年時代」があった。以前に一度見たことがあって、映画の舞台となる田舎の長い一本道が心に残っている。ただ、この映画では都会からの疎開者が地元の腕白によって苛めにあい、その苛めっ子がまた陰湿にいじめに遭うという暗い話であったと印象が強く、後味が悪かった。その後繰り返し見ることはなかった。

授業を終えて、ホテルに戻ってからこの映画を視聴した。1990年の作品だが、まだ古き良き日本映画の匂いが残っていて、あらためてみた「少年時代」はよかった。篠田は後に「梟の城」や「ゾルゲ」をCG過剰で作り上げるようになり、奥行きの乏しい安い映像には辟易したが、この「少年時代」の頃はアコースティックな画像作りで好感をもつ。脚本の山田太一もオリジナルでよくある説教臭さがなくいい。美術の木村威夫は「長い一本道」の風景を3年かけて造ったというだけあって見事な仕上がりだ。撮影の鈴木達夫も正統な視座を確保していて安心して見ることができた。いただけないのは音楽の池部晋一郎。現代音楽ということで、機知に富んだ作曲ということかもしれないが、軽くてテレビの音楽にしか聞こえない。正統なクラシックか、どうせならたっぷりセンチメンタルな曲想にしてほしいと思った。

 さて、このDVDの解説で評論家の木全公彦は、この映画を「映像のテクニックや劇的な大きな物語のうねりよりも」キャラクタリゼーションでまとめてあると指摘している。これはどういう意味であろうか。原作の柏原兵三が紡いだ物語の筋よりも、登場人物の造形(キャラクター)のほうに力点を置かれて映画が仕上げられた、という意味であろうか。
今流行りのキャラクター論をふまえての意見かもしれないが、木全は誤解しているのではないだろうか。キャラクター小説ならぬキャラクター映画という考えは実体にあっていないのではないだろうか。脚本の山田太一もそういうスタイルをとっているとは思えない。仮に都会ものと田舎者という“個性”の相克相愛であっても、その出来事を主体にしているのであって、人物像の性格(キャラクター)描写に主眼を置いていないと、私には思える。

ここでこんなことを持ち出すのは、S教授から薦められた新書『キャラクターとは何か』(小田切博)を読んでいるからだ。小田切は、日本で発達したキャラクター小説とは漫画やアニメで形成されたキャラクターコンテンツを模倣するかたちで書かれたものだとする大塚英志の説に依拠している。そのデンでいけば、キャラクター映画とは漫画原作で造形されたキャラクターを映像化したことになる。この「少年時代」は柏原の小説をもとに藤子不二雄Aが一度漫画として描いているが、だからといって篠田はその造形をモデルにしているとは思えない。むろん、山田太一もそうであって、小説「長い道」には依拠するものの、藤子漫画にはたよっていない。だから、木全がいうキャラクタリゼーションは映画ではない、と私は思う。
監督の篠田はあくまで戦時下の少年の友情を描くというストーリーラインを中心に置き、その配役の演出に工夫をこらしたと考えるべきではなかろうか。
しかし、篠田正浩が映画を撮ることをやめて、もう何年になるのだろう。若い監督は次々に輩出するが、彼のような志をつよくもった監督は絶えて久しい。

 しかし、この映画の大エンディングで、井上陽水の「少年時代」が流れてくるのは感動的だ。映画とは夢のなか、ということをあらためて思う。

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by YAMATO-Y | 2010-04-27 17:54 | Comments(1)

病院の待合室で

病院の待合室で

 検診のために病院へ行く。予約で待ち合いに入るが、いつもより患者の数が多い。どうやら外来担当医のチーフに所用があって、9時開始が遅れているらしい。私のかかる第3外科はほとんど老人で若者は一人か二人しかいない。みな疲れた顔で黙して座っている。陰鬱な風景。
 第3外科の反対側には小児科があって、こちらは賑やかだ。1歳前後の子供をかかえた母親たちが数組いる。愛らしい子供たちが注射の痛みで泣きじゃくっていたり、母親に抱かれて眠っていたりしている。その泣き声が邪魔にならないばかりか、可愛い叫びについ相好が崩れる。泣きじゃくる子を抱き上げたくなる。
それにしても、世の中にはなんと多くの人が病んでいるのだろうかと、病院へ来るたびに思う。(自分もそのひとりのくせに)

 人間には2万5千ほどの遺伝子があって、実際に働いているのはその一部だという。その働きがじょじょに解明されつつあるのだが、その仕組みを調べると遺伝子すべてが働いているわけでないということが分かってきた。普段働いていない遺伝子の存在が大切なこともしだいに分かってきた。もしもそういう眠っている存在がなかったら、稼働する遺伝子だけでは現在のような働きにはならないと見られている。眠った遺伝子。この説話は意味深い。
 ミツバチの世界でもせっせと働く兵隊蜂は3割で、残りの7割は役に立っていない。では、この役立たずがなくて働き者だけでミツバチ社会が成立するかというとそうはならない。働かないで、働いているようなフリをしている存在が7割いてこそ、社会はうまくいく。病人や幼児は社会のなかでは役立たずのようにみえるが、この存在が「働き蜂」の底支えをしている。そんなふうに考えられないかと、待合室でふと思ったりして。

 病院からの帰途、出版されたばかりの『精神医学から臨床哲学へ』という本を渋谷のパルコリブロで偶然手にした。日本の精神医学の泰斗、木村敏の自伝である。フロイトやユング、ラカンという名前が頻出するものと思っていたら、ハイデガー、フッサール、西田幾多郎ら哲学者の名前がぽんぽん出て来る。哲学というものを思弁でなく実際の精神を病んだ人のなかから、人間存在を考えぬこうとしてきた木村の姿勢に共感し、読み進むにつれて感動が深まる。まだ読み切っていないが、この本は生きるということに迷う私に大きな示唆を与えてくれそうな気がしてならない。
こんな言葉があった。
《精神分裂病という病気を表面的な妄想や幻覚、あるいは興奮や人格荒廃といった症状面からではなく、その背後にある自己存在の脆さ、自己を自己として成立させる経験の連続性の喪失といった基本構造から考えて行こうとする私自身の姿勢》
類的存在から私という個別が生成されていくとき、自己を自己として成立させる経験の連続性という”自然な自明性の喪失”がともなえば、大きな障害となって顕われてくる。
―-人間存在の秘密が垣間見えている気がした。

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by yamato-y | 2010-04-27 09:21 | Comments(0)

山桜、れんげ草

山桜、れんげ草

敦賀から琵琶湖へ抜けるまでの深い北陸の山並み。高さはないが山がいくつも重なりねばりがある。今年の寒い春のせいか、奥山には桜がまだ残っていた。
疋田あたりの深山にはたくさんの山桜の木があって、新緑のなかに桃色の花の塊があちこちに散在していた。平地の桜より花が薄く淡い山桜の姿は慎ましくおくゆかしい。誰に見せるわけでもないのにひっそりと着飾っている山桜。
越路の山桜を目にして高揚するものを感じた。ハイマートロス―故郷喪失。そういう思いを抱くような事情が徐々に深まっている。

敦賀から近江路に入ると、余呉の湖がみえてくる。五十年も前になるか、叔父に連れられて従妹たちと余呉の山から尾根伝いに賤ケ岳まで縦走したことがある。ハイキング程度の山歩きだったが登山が趣味の叔父貴が自分の娘二人といっしょに私たち兄弟も連れ出してくれたのだ。その歩いた山並にもうっすら霞がたなびき桜が咲いていた。叔父も亡くなって10年になる。従妹も昨年現役を退いたと葉書を寄越した。少年の頃のことが次々に思い出されてならない。

賤ケ岳のある木本を越え、高月、虎姫と湖北の平野を走ると、琵琶湖が行くての右側にちらりと現れ長浜となる。ここまで来ると、東海道と北陸道を分けるようにして聳える伊吹山が目につく。標高1300メートルのこの山は滋賀県と岐阜県の境にある。芭蕉はこの麓を迂回しながら敦賀から大垣へ抜けて、奥の細道の旅を終えたはず。
高校に入学した年の夏休みに広島の親友と二人で登ったことがある。その友は中学まで敦賀にいたが、父上の転勤で広島へ移っていた。彼と友情を深めようと、その夏伊吹山登山を計画した。夕方から登山して、明け方に頂上に立つのだが、8月というのに頂きはめっぽう寒かった。朝焼けを見ながらいつまでも友達でいようと誓った。その後、広島の友は関西の大学へ進学し映画監督になった。ときどきテレビの時代劇で名前を見つけると、あの深夜登山のことが懐かしく思い起される。 

岐阜県境を越えると、田んぼが一面れんげ草畑になっていた。岐阜県の花はれんげ草だけあって至るところに広がっている。揖斐川、長良川の流域はれんげの莚が広がり、いかにも春である。
♪ひらいた ひらいた れんげの花が開いた、という童謡がある。昔、学校放送の音楽番組でこの歌を春の歌として取り上げたことがある。音楽に合わせて、画像に、れんげ草の花畑で遊ぶ子どもたちのフィルムを使用したところ、放送終了後間違いであるという指摘を学校関係者から受けた。頭を後ろから殴られたような気がした。

童謡のれんげはれんげ草でなく蓮華つまりはすの花だった。言われてなるほどと合点がいく。れんげ草の小さな花では開いたとか閉じたとかは目立たない。はすの花であれば開花時にぽんと音をたてて開くといわれるほどその姿は大きい。自分の迂闊さを恥じた。それでもれんげ畑を眺めると、つい「ひらいた ひらいた れんげの花が開いた」と口ずさんでしまう。
列車が揖斐川を渡る。雪解け水がりゅうりゅうと流れていた。この川の上流に高山の町がある。そこには大学時代の友が暮らしている。心優しい彼は良き教育者として慕われていると、風の噂で聞いた。彼は3年前に現役を退き、民間の教育委員として今も子どもたちの相談にのっているそうだ。
山河を見て、これほど懐かしさが募り、友を思うとは思いもよらなかった。今年の春は寒い日がいつまでも続くが、その寒さはいつまでも続けと言いたい。桜よ散るな春よ去るな。

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by yamato-y | 2010-04-26 12:18 | Comments(0)

故郷の廃家

故郷の廃家

5ヶ月ぶりに敦賀の実家に戻った。京都の大学の帰りである。京都駅を出発するときから怖かった。母が亡くなり誰も住んでいない実家に帰ること。年末以来、悲しみといえるような感情は不思議なことに湧かない日が続いていた。だから、この帰郷でその感情が堰を切ったようにあふれ出るのではないかと怖れたのだ。

午後1時過ぎ、実家に着いた。玄関に落ち葉がかなり溜まっていた。いかにも無人の家だ。引き戸を開けて玄関の式台に荷物を置いたまま、私は掃除を始めた。玄関まわりをきれいにしたかった。庭を見渡したところ雑草はない。庭木も雪折れはないようだ。思った以上に家は傷んでいない。

家に入り、母がいつもいた台所に入る。空気がよどんでいる。窓という窓をすべて開け放って風を通す。小寒いが、そんなことも言っておられない。座敷に行くと、小さな机の上に母の遺影が飾ってある。京都で買ってきただし巻き玉子を墓前に供える。母の写真のそばに父のスナップもあるので並べる。「今、もどりました」と二人向かって手を合わせる。

 再びダイニングキッチンに戻る。壁に去年のカレンダーがかかっている。2009年12月の日付のままになっている。母は12月22日に死んだのだ。テーブルの上には母の使っていた茶碗や急須がそのままある。水道も蛇口をひねれば出るし、ガスも点く。なにもかも母のいたときと変わらない。母がいないだけだ。お湯を沸かした。

 床の間に母の大事にしていた品物が積まれてある。アルバムだ。お茶を飲んでから、アルバムを点検することにした。アルバムに整理された写真以外にも小箱のいくつかにぎっしり古い写真が入っている。父親の兵隊時代の写真、母の女学生時代の写真、孫の幼い頃の写真。数百枚の記念写真やスナップがある。いよいよ、この家が整理されるとなると処分の対象になるだろうから、私に関する写真だけえり分けておく。

私の大学生時代の写真が出てきた。ほとんど写真は残さないのだが、海水浴に出かけた22歳の私がいる。いや、もっと古いものもアルバムのなかにはさまっている。小学校4年生のときの作文まである。一つ一つみたり読んだりしていると、あっという間に時間が経つ。ふと気がつくと、部屋は薄暗くなっていた。午後6時に近い。慌てて、近くのスーパーへ買出しに行く。とんかつ弁当と即席スープを買い込む。帰って風呂をたてた。湯船は汚れていない。15分で沸いた。

 熱いお湯にざぶりと漬かる。縁までいっぱいのお湯がざざーっとこぼれる。こぼれた瞬間、どっとこらえていた熱いものがこみあげてきた。

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by yamato-y | 2010-04-25 17:01 | センチメンタルな気分で | Comments(0)

匂いガラス

匂いガラス

 あれは何だったのか分からない。ガラスの破片のようなもので、消しゴムぐらいの大きさだった。こすって匂いを嗅ぐといい香りがした。ガラスというより強化プラスティックのような手触りだった。
クラスの友だちが家から持ってきたものだと称していたから、その破片の元が何であったかは知らない。授業の始まる前の少し長い休み時間に大騒ぎしてその匂いガラスをあちこちにこすっては匂いを嗅いだ。小学4年生の頃の話だ。

 ずっと後になって唐十郎脚本のテレビドラマで、匂いガラスは戦闘機の風防の破片だと語られていた。墜落した戦闘機のガラスの破片ということになっていた。その着想に驚いた。たしかにガラスのようでガラスでないその破片は特殊な、つまり戦闘用の器具と考えるにふさわしいような気がした。でも、この戦闘機説はきっと嘘だ。唐独特の語りだろう。いや、騙りにちがいない。
あの頃、昭和30年代前半には貧しい文房具しかなかった。筆箱だってプラスティックのものだけでなく鉄製のものを使っていた友もいた。私の筆箱の中にはとんぼ鉛筆のHBが3本ほど入っていた。濃く柔らかい4Bが好きだったが、芯が減るのが早いからといって買ってはもらえなかった。高校受験のとき、三菱ユニという高級な鉛筆を買ってもらうことになるが、それまではずっとちびた鉛筆ばかりだった。

 ――夢をみた。匂いガラスの塊のなかに閉じ込められた夢だ。松脂に閉じ込められた昆虫のように、私は匂いガラスのなかに封じられている。窒息しそうで苦しい。突然マツダユーサクが現れて、その塊をぶっ壊してくれる。外へ出ると、ユーサクの二人の息子たちが憤然とした顔で立っている。もたもたするなと言わんばかりにシッシッと追い払われる。親の七光のガキのくせに、生意気な、と腹をたてるが、気がつくと誰もいない。

 夢から覚めて、「匂いガラス」のキイワードでネット検索。すると、こんな記事が出てきた。
〈それは、ずばり!当時アクリルガラスと呼ばれていたものです。そして別名、匂いガラスです。当時の子供達はよくこれを拾って匂いをかいでよろこんでいたようです。御推察のとうり、航空機の風防に使用されていたものです。(中略)それから、匂いの原因ですが、溶剤の匂いだと思います、博物館実習で、標本をアクリル樹脂で作りましたが、いい匂いでした。〉
 唐十郎が書いていたことは本当だったのだ。私らが匂いガラスに興じていた頃はまだ戦争の記憶や傷跡が日常に浸出していたのだ。
 ところで、級友はあの匂いガラスをどこで手に入れたのだろう。敦賀の町は空襲にあったが、墜落した爆撃機はなかったし戦後破懐した戦闘機もなかったはずだ。名古屋あたりの軍需工場からでも持って帰った工員の仕業だろうか。そこに動員された父が息子に渡したものだろうか。
クラスにはロシアのルーブル紙幣を持っている者もいた。彼の祖父が、戦前ウラジオストックで商売をやっていて敗戦後紙切れ同然の高額ルーブルを持って帰還したのだと、その級友は語っていた。軍港ではないが、日本海交通の要衝として、敦賀はいろいろな戦争の傷をもっていた。

 評論家の関川夏央は私より1つ下で新潟生まれだ。日本海育ちの彼が書く少年時代はなんとなく私と同じ色、匂いがすると常々感じている。彼がたびたび言及するローカル鉄道への思いいれは、私にも鉄道への特別な思いがあって共感する。だが、彼が進学して上京したあたりから、だんだん違和を私は感じるようになるが・・・。

 それでも同世代の記録を読むと、同じ遊びをやっているなとか同じ映画に関心をもっているなと同調することが多いが、私の住む町では映画は小学生だけで行ってはならないと決められていたから駅前シリーズも日活もほとんど同時代鑑賞はできていない。関川や高平哲郎らは羨ましいぐらい映画を見ている。でも、なんとなく同時代人という気分になる。こじつけだが、蕪村の句をしみじみ思う。
わが帰る路いく筋ぞ春の草

こうして7時過ぎ退社して、渋谷駅に向かって東急本店通りを歩いて行くと、前からどこかで見た顔がやって来る。なんと、関川夏央氏だった。

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by yamato-y | 2010-04-21 17:49 | Comments(0)

清元という文化

清元という文化

詳細は記せないが、秋に清元のドキュメンタリーを世に出すつもりで取材を始めている。
清元2派の合同演奏ということが眼目なのだが、一方で清元という繊細な文化を世に紹介したいという意欲もある。
といっても、当方はまったくのど素人。手探りで、この文化を調べ鑑賞して、その良さ凄みのようなものを発見しようと意気込んでいる。
で、世の清元ファンにいろいろ教えていただきたいことがある。前に、文楽三味線を主題にした「闘う三味線・人間国宝に挑む」を製作したときは、有吉佐和子の『一の糸』をずいぶん参照させてもらった。今度の清元はなかなか参照するものがなくて、いささか困っている。どうか、心ある方がおられたら、このブログの非公開コメントの欄でいいですから教えてほしい。出来れば連絡先も込みで。ミスター晃、よろしく。

 詳細を記せないのは、以前、取材しているネタを記したところ、放送前に書いていいのかという問い合わせがあった。内容について書いているわけでなく、むしろ番組の宣伝になると思って、たまたま知った主題とは別のエピソードなどを書いているつもりだったが、まあそういうふうに誤解されることもあるかと思い、以降自粛するようになっている。

 だから清元ファンのみなさんには物足りない記事かもしれない。放送が終わったらちょっといい話や泣ける話をたっぷりと・・・・。

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by yamato-y | 2010-04-19 17:21 | 新しい番組を構想して | Comments(1)

親業をめぐって

親業をめぐって

いまどきの親はなっていないという論調が喧しい。今週の「週刊新潮」にも「ニッポンを滅ぼす『バカ親』に関する一考察」という特集があり、キャッチコピーとして、〈校長室殴りこみ、窓から使用済みオムツ、万引きは店のせい〉とある。ずいぶん扇情的な語り口だ。誌面を読まなくてもおおよその見当はつく。

子どもが犯罪に関わっても責任を取らず被害者のせいにするバカ親。理不尽な要求をつきつけるバカ親。子どもの言うことだけ信じて教員や他の大人の言うことに耳をかさないバカ親。バカ親の枚挙に遑がない。
こういう記事というのは、子育てが終わった団塊世代などにとっては耳に心地よい。まずこのバカ親という範疇から逃れられる。他人事だよとして、「ほんと、バカが多いからね」とせせら笑う立場にいることができる。からである。

30代の若い親ばかりではない。大学生をもつ40、50代の親たちも揶揄の対象だ。
大学の事務方がこぼしていた。新入生のオリエンテーションでの質問ですよと、うんざりした顔で打ち明けてくれた。「パソコンを買ってあげたいのですが、マックがいいでしょうかそれともウィンドウー?」「シラバスを読んでも単位の修得の仕方がよく分からないので、どうしましょう」
これはすべて学生本人でなく、付き添ってきた親の声だという。でも非常識は親だけでもない。

 目を疑うような非常識な光景に出会うことが近年増えた。でも、それは若い親たちだけではない。家庭ごみをコンビニのゴミ箱に放り込んでいくオバサン。平積みされた売り本の上に雨で濡れたバッグをどさっと載せるオジサン。まあそれぞれいる。世の中の“臭いもの”をある世代に押し付けるのはあまりいい傾向じゃないだろう。いつの時代にもどんな世代にもバカはいるんだから。と、一応、道学者的に呟いてみる。

非常識が目につくようになった嚆矢は、電車のなかの化粧だろう。今から5年ほど前になるかな、東海道線に乗っていて、若い女性がアカンベーのような目の状態でつけまつげを付けているのを見たときは魂消た。彼女は堂々とバカ面を見せていた。彼女よりも私が何か恥ずかしいことを見られたという気分に襲われた。恥じ知らずなんて言葉はどこへ行ったのかと思ったのも束の間、その次の日、地下鉄の車内でスカートを穿き替える女子高生を見たときは唖然とした。この頃から、モラルが倒錯しはじめた気がする。衆人環視のなかでも、他人であれば恥知らずのことができる人が、身近な関係の人の前ではやたらに気をつかって、「KY」なんて言葉を尊重するような傾向が起きはじめたのだ。ウチとソトとか公と私とかなんて線引きは意味なくなったのかと思った。

だが不思議なもので、非常識なマナーでも見慣れると違和感が消えていく。最近では車内化粧や車内通話などは気にならなくなった。ときどき電車が揺れたときにはどんなふうになるのだろうという好奇心のほうが強くなった。非常識だなんて、目くじらを立てることもへった。

と、お気楽な議論に解消しても、最近気になるのが児童虐待、ネグレクトだ。ニュースになる事件が相次いでいる。増加の傾向にあるのか、メディアが煽っているのかはっきりしないが、もし小さな子どもたちが苦しむ情況が増えているのなら辛い。なんとか、解決というか支援していける方法を考えるというキャンペーンを張っていきたい。そんなことを考えさせてくれたのが、先週土曜に放送された「追跡A~Z 虐待の傷を超えて」。虐待された子どもたちの姿を500日以上追いかけている記録の一部だが、見ごたえがあった。

この記録の主人公は虐待を受けた17歳の少女だが、私は画面には登場しない親、特に暴力をふるったという父親に関心をもった。
なぜ、自分の子どもを虐待するような情況に陥ったのか。その子が成長していき、社会人にまで達するとなったとき、どんなふうに向かいあうのだろうか。画面には不在の父が、私には泣き叫んでいるように見えた、というのは言いすぎだろうか。

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by yamato-y | 2010-04-19 14:39 | Comments(0)

春の泥

春の泥

 一昨日は本当に冷えこんだ。桜が散ったあとの寒さとは考えられないものだった。東京でも山間部には雪が降ったということを小平の残雪を見て知った。武蔵野にある美大へ教えに行った昨日、玉川上水の遊歩道を行くと土手の日陰に雪が残っていたのだ。
  上水の土手の道は見事に泥濘となっていた。どろどろである。どんなにゆっくり気をつけて歩いても泥のはねがあがる。なにせ道は舗装されていない、関東ローム層の土むきだしの道だ。晴れた日はくろぐろとしたよく肥えた地盤で気持ちがいい散歩道だが、降水があればたちまち泥の道となる。そばを流れる玉川上水もここ数日続いた雨で増水して大きな音をたてている。

 久しぶりに泥の道を体験して歩くことが楽しい。あちこちに水たまりが出来ていてそこをよけて端を歩こうとすると草むらがすべりやすくなっている。私の故郷(くに)の泥とは違って土の粒子が細かい。
 故郷の泥はもっと小石が混じっていて泥濘は深くなかった。関東の黒土だけの泥水はお汁粉のように細かい粒子で水分が多くよくはねる。ズボンの後ろに泥がとぶのが分かる。40年も前の高校通学時代の苦労を思い出す。当時はまだ未舗装の道が残っていた。扇状地敦賀の町を貫く笙ノ川。その土手を自転車で行くのだが、雨がふるとでこぼこの泥道はタイヤが滑りやすく往生した。片手に傘をもってハンドルをとると時々水たまりにつかまり重心が揺れた。大きな水たまりはわざと真ん中をスピードを出し両足をあげて突っ切った。水を切るという感覚がここちよかった。そんなことは忘れていた。

昨日の武蔵野は泥濘といい桜の終わりといい、春の風情があちこちにあった。玉川上水の土手道を延々歩いているうちに、泥道を気にしながら歩くのがだんだん面倒くさくなる。わざと水たまりを踏んづけたり泥のたまった汀を靴でこねたりして歩く。泥や泥水を見るとこねたくなったり跳ねたくなったりするものだ。
春の泥という芝居がクボマン(久保田万太郎)にあったことを思う。これまで汚いだけと思っていた春泥がにわかに風流にみえてきた。

 美大の講義は1コマ90分だが土曜日で学生が少ないのを幸いに、延長して3時間ほど話した。さすが美大らしく学生たちはこれまでにも映像を制作した体験をもっているから、撮影の用語や編集の流れなどはよく理解している。そのうえで、プロの企画の立て方を私はみっちり話した。映画の話もした。意外に見ていないことを知り、最低500本は見なさいよと説教を垂れる。でもやみくもに見るのでなく先人が名作としたものを見るがいい。参考として『外国映画ぼくの500本』『日本映画ぼくの300本』(双葉十三郎)の2冊の文春新書を挙げておいた。それとドキュメンタリー映画もベンダースの「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は絶対見逃しちゃ駄目さ、もったいないよと挑発しておいた。

 夕方、バスで国分寺まで出る。そこから特別快速に乗れば新宿までわずか20分で到着する。夕暮れの中央線から見る風景は好きだ。夕焼けが大きく美しいのだ。80年代初頭、立川で仕事をしていた頃によく見ていた。外気は冷たいのだろうよく澄んで暮れなずむ空が美しかった。車窓からの風景に飽きることがなかった。なんだか昔にかえったような一日となった。

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半月前の乾いた土手の道
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by yamato-y | 2010-04-18 15:30 | Comments(0)


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