定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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ロングテール、

ロングテール、

最近、私が昔書いた記事にコメントをしていただくことが相次いだ。3年も前に書いた記事でも、キイワードで逢着される方がいるらしい。コメントをいただいた方としては嬉しいのだが、かつ戸惑いもする。その記事を書いていた気分は、今の私からは他者であるのでそこまで私の意識を醇化させるのに一瞬戸惑いが起こるのだ。でもけっして嫌なことではない。
今回も、向田邦子のエピソードのスピンアウトでスタイリストの原由美子のことを記したことへの反応だった。あらためて原への関心が呼び起こってくる。
今、原はどうしているのだろう。デフレ状態で、いいものを着るというより安いものを着るというダラシナイ世の中に変わりいくことを、原はどう見ているだろう。
私の青春の頃は、洋服は着こなすだった。一つ下の世代になると、着くずすというスタイルが出てきた。もちろん、ジーンズやTシャツにも愛着をもつ我々はけっしてラフな格好を無視していたわけではないが、やつれるようなスタイルにはいささか抵抗感があった。そんな頃から流行には無関心となり、自分の好きなものだけを探すようになった。元来トラッドな好みであったが、パリのSCAPAなんてブランドが好きになった。8年前に買った辛色のコートは今もお気に入りだ。

向田もお洒落だった。特に20代の頃は貧しいなかにも精一杯の工夫があって素敵だ。盟友の久世光彦もギョーカイ人らしいお洒落を続けた人だ。晩年の久世と何度か酒を飲むことがあったが、いつも不思議に思っていたことがある。あれだけ洒落っ気のある人なのに歯がないのだ。抜歯したあとに義歯をはめておらず、いつもふがふがした状態だった。これが不思議でならない。あれほど、コートやシャツに気を配っておきながら、どうして顔の中心にある口元が老人なのか。

その久世が向田のエッセーのオチを高く評価している。ラストの一行の見事な幕切れということを追悼文で記している。
このブログの記事は迷走だ。話も落ちない。まったくもって自堕落な夜迷いごとで終始してしまう文章だ。当初は、ネットのもつ永遠持続性ともいうべきロングテール現象を称揚しようと書き始めたが、久世さんの話で終わった。

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by yamato-y | 2010-03-30 12:10 | Comments(0)

カメラマン

カメラマンの態度

ベトナム戦争に従軍した記録『キャパになれなかったカメラマン』で昨年の大宅賞を受賞した平敷安常のことは、会社の大先輩の飯田さんから聞いた。飯田さんは報道カメラマンで、あのベトナム戦争のとき大活躍した、私たちのなかでは伝説になっている人だ。馴染みの居酒屋「たつみ」でよく顔を合わせたことから部署は違っていたが私は飯田さんと“ともだち”になった。

飯田さんが凄い経歴をもった人であることは知っているのだが、どんな活躍をしたのか知らなかった。でも、今度平敷さんから教えていただいたエピソードから、飯田先輩の活躍ぶりを初めて知った。

1965年、NHKはサイゴンに支局を開設する。
平敷が飯田を見かけるようになるのは70年代に入ってからである。飯田はベトナムには駐在しておらず、東京からの特派員としてときどきサイゴンへ“出撃”していた。飯田と相棒の記者の印象を平敷は「親しみやすく、明るい人柄、そして勇敢、NHKらしからぬ雰囲気は、すぐに現場の仲間たちとも仲よくなった。修羅場に強い優れたチームだという印象があった。」

リタイアした現在の飯田さんは白髪の細身の紳士だが、当時は日焼けして色が黒く地元のベトナム人と余り違わない。平敷さんは、彼のことを「黒田さん」と記憶していたぐらいだ。
飯田カメラマンは1933年生まれで関西の出身。相棒の田中記者は彼のことを、「ニュース感覚、ここぞという時の判断力も優れている。勝負師だ。それに人間的にもやさしく義理人情の男だ。私は何度助けられたことか。独特の河内弁でまくし立てると大抵のものは納得させられる。妙な特技だ。」と記している。飯田さんの河内弁は独特の雰囲気を醸し出す。

1971年に起きたラオス侵攻作戦のときの飯田の動きを平敷は思い出す。南ベトナム政府軍はラオス国境を越えて侵攻作戦を開始した。約一か月、飯田カメラマンは記者とともにホーチミンルート入りすることを密かにねらっていた。やがて物資輸送用の米軍のヘリコプターに乗り込むことができた。ヘリの中ではベトナム人になりすました。低空飛行でジャングルを越えラオス領内へと入り、ヘリが荷物をおろしている間にヘリから飛び降りて、飯田カメラマンは夢中で伝説のホ・チー・ミンルートを短い時間で撮影する。当時の現地の情勢を詳しく知るわけではないが、この仕事はかなり危険かつ困難なことと思われる。たいていの取材者なら二の足を踏むような仕事だ。そこをこの二人のNHKチームは果敢に挑んでいったのだ。

サイゴン陥落のときも飯田カメラマンは大活躍する。平敷さんは次のような証言をする。
《陥落直後の1975年5月1日、飯田カメラマンはシクロ(人力車)に乗り、四方八方に移動し、陥落後のサイゴンの模様を撮しまくる。現代史に大きく残る歴史的な瞬間を在庫の16ミリフイルムが無くなるまで、森紀元カメラマンと共に廻し続け、記録し続けるのである。》飯田さんはサイゴン陥落と、新しい国の誕生という歴史的瞬間を記録したのだ。

普段、散髪屋で会う飯田さんはとてもこんな経歴の持ち主には見えない。かつて黒田さんといわれたというが、色白で銀髪、細身の風貌は上品な大学教授といったところ。が、一言口を開けば、あけすけな河内弁でまくしたてる。修羅場での飯田カメラマンが目の前に現れる。
能ある鷹の謂いではないが、飯田さんのような凄い人材が市井にはたくさん埋もれている。おそらく飯田さん自身はけっして自分のことを語らないだろう。だからこそ、評伝というジャンルをもっと有効なものにしたらいいのではないだろうか。

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by YAMATO-Y | 2010-03-26 14:22 | Comments(0)

被害者的ラジカル

被害者的ラジカル

大江健三郎という作家はおそろしく傷つきやすい。そして過剰な被害者意識こそ創作の駆動力になっているのではないかと私は推量する。
近作「水死」でも、父のことをめぐっての彼の被害者性がでてくる。以前、父のことを書きたいので父が残した資料を詰めたトランクを貸して欲しいと母に頼んだことがある。ところが、母からなかなか返事が来なかった。業を煮やして大江は父をモデルとして“フィクション”を著したところ、その作品は母の考えと合わずに3年ほど交渉を絶やすことになったと、「水死」のなかで大江は語っている。そのフィクションとは「みずから我が涙をぬぐいたまう日」である。この作品で父のことを貶めたことに対して母が怒ったのだというのだが、知るかぎりそんな「事実」は見当たらない。
おそらく実際に大江と母の没交渉はなかったのだが、大江のなかでは母の「みずから我が涙をぬぐいたまう日」に対する否定的なものがあったと、(勝手に)思い込んでいる。

「静かな生活」で、大江がモデルとなっている作家が“信仰をもたない者の祈り」という講演をしたことからカルトな信者から嫌がらせを受けるようになってピンチに陥るという設定がある。この講演は実際に東京女子大で行われ評判をとったものである。このとき、講演の後にそういう事件があったということはないはずだ。大江が信仰を持たないということを公言することによって、熱狂的な信者からストーカー行為を受けたという「事実」はなかったはずだ。ところが、大江はそういう攻撃を受けてしまうと思い込む。被害者意識である。
この過剰な被害者意識は、大江文学にとってきわめて重要である。これこそ、大江のなかでの危機への歯止めになっていると推測される。

河合隼雄との対話で、大江はこう語っている。「クライエントと心理療法家として関係をもっているうちに、自分が大きい危機に陥ってしまうということは本当に恐ろしいことだろうということです。小説家としては、小説を書く上で危機に向かいながら、本当にそれに陥ることを逃れるための安全操作みたいなことも自分はやっているんじゃないか、だからどうも小説がいいかげんに終わってしまうところがあるんじゃないかという気持ちをもってましてね。」
先に書いた危機というのは、小説を書くことで陥る大きな危機である。
実際には、大江は小説をいいかげんに終わらせることなく勇敢に危機へ入り込んでいく。ラジカルなといいたいほど果敢に飛び込んでいく。そうして小説を書き上げる。そのときの大江は狂気だ。
そうして書き上げておきながら、その後から、大江はぐちゅぐちゅと思い悩む。そこが大江らしい。思い切って書いたことに、あるときは否定的なあるときは悪意に満ちたまなざしが、自分に差し込んでいると、大江は事後的に被害者意識をもつ。
この意識はラジカルな作品を書き上げることに対する代償にあたる。
小説を書いているときのラジカルと、書き上げたあとの弱弱しい被害者意識との大きな落差に読者は惑わされてしまう。大江健三郎の魅力のひとつだ。

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by yamato-y | 2010-03-25 15:17 | Comments(0)

曇天のもとで

 繰り言

術後2ヶ月では無理かもしれないが、いたるところにガタが来ている。体は思うようにならない。
若い頃に無理をしたことがたたったのであろう。
考えてみれば、3日徹夜なんてことを当然のようにしてやっていた30代。日本中を走り回るどころか時には海外まで含めて、弾丸トラベラーを行っていた40代。だから、45歳のときに脳内出血を発症したのだ。
それでも懲りずにこの15年間走ってきた、そのツケが回って来ている。

 去年の今頃と比べても体力は落ちている。できるだけ筋肉をつけないとと運動をしたりするが、向上しない。先日、体重を計ったら6キロ減っていた。これだけ落ちればすぐ息がきれるはず。

金曜日は検診となる。今の状態を医師はどう見ているのか、聞いてみよう。
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by yamato-y | 2010-03-24 08:11 | Comments(2)

二人の巨匠

二人の巨匠

やっぱり映画史に残る監督というのは能力(ちから)をもっているものだ。エリック・ロメールとヴィム・ベンダースを見てそう思う。ロメール作品はレンタルビデオ屋にはなかなか手に入らない。紀伊国屋の作品集からでないと普段は見ることができない。たまたま、それを所有する人から借りて見た。「美しき結婚」。ベンダースはツタヤで借りた「さすらい」で、これは以前見たことがあるから2度視の作品となる。2晩で視たのだが、両方とも感服した。映画としての地力がある。

「美しき」はロメールにしては分かりやすい筋だ。フランス、ルマンに住む気のつよいいかにもフランス娘という女の恋話。桃色を主調とした画像の色味がよい。カメラはおそらく担(かつ)ぎだろう。ややタイトでいつも微動している画格が私小説っぽい物語にぴたりである。それでいてフランスのカントリーライフの緑したたる風景が、この物語を脇からそっと支えている。主役の女は、ロメールの定番の役者らしいがいかにもうまい。女友達もいい。
この映画とウッディ・アレンのものと共通する何かを感じた。ロメールはヌーベルバーグの作家と呼ばれるだけあって、トリフォーの匂いもした。とにかく、シーンの切れ目がないのかあるのか判らないぐらい無造作のようにみえてうまくつながっている技術に目をみはった。音楽もほとんど使わない。
色味のことだが、画面を支配する色(この映画であれば桃色)をつよく意識するロメール。ユン・ソクホ監督がロメールが好きだという理由が分かった。だいたい、両者とも四季4部作を作っていることからいっても、影響は歴然としているのだが。

ベンダースの映画はジム・ジャーミッシュの匂いがする。白白した画面は乾いていて、アメリカ中西部を思わせる。東西ドイツの国境あたりを舞台にしているのだが、まるで大恐慌時代のアメリカのような風景。とにかく驚くのは主人公がカメラの前でウンコを垂れることだ。映画的感興以前に、凝視されているなかで、ウンチを垂れるという役者のくそ度胸にまず呆れるやら度肝を抜かれるやら。ベンダースの企みに絡めとられていることと分かっていても術中にはまっていく。

主人公は映写技師をなりわいとしながら、田舎の小さな町の映画館を自家用バスで回っていく。そこに自殺未遂の男が同乗してくるという筋だ。男二人という設定で、ゲイシネマかと見まがえそうになるがそうではない。屈託する二人の30代の男が居合わせるだけ。いわゆるロードムービーだが、何も進展しない。その都度、猛スピードであったり急流であったり廃屋であったりと映像的関心が中心の挿話が並ぶだけ。それがよい。説明的なカットはほとんどないけどストーリーが勝手にじんわりと動いている。

 私らのテレビの映像、特にドキュメンタリーの映像というのはきわめて説明的な画が多い。画だけでは足らなくてナレーションまでつけて説明する。その説明を重ねて、事態の面白さを語ろうとする傾向があるが、映画(劇映画はいうべきか、フィクションの世界)は物語を特権化して説明を飛ばす。否、プログラム・ピクチャーは違うか。プログラム・ピクチャーはありきたりの演出で万人に分かるような説明的物語作りを目指す。二人の監督はそんなものを目指さない。目指しているのかもしれないが、目指さないふりをしている。
ということは、ロメールもベンダースも興行よりもまず自分の作りたいものを作っている。
ロメールのエンドロールを見ると、テレビのドキュメンタリーぐらいのスタッフの数しかいないことが分かる。こんなスケールで、でも観客をぐいぐい引き込む作品を作るなんて、とんでもない人だ。

ベンダースの冒頭の臭い場面は羨ましかった。オペ以降、私の胃と腸はいうことをきかなくなっていて、慢性的な便秘に突入している。それまで、快眠快便のタイプだったから、苦しい。4日を越えると、汚物が溢れあがって来そうな気がする。
そこへ行くと、「さすらい」のノーテンキな主人公のいかにも気持ち良さそうな排便。

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by yamato-y | 2010-03-23 08:31 | Comments(0)

少女誌の若き編集者

ノンポリ

 ベトナムで従軍カメラマンとなった平敷安常はノンポリと自称する。

 平敷安常さんは自分は主役になることをできるだけ避けようとしている。ベトナム反戦運動が日本でも盛り上がったのに、自分はノンポリでアメリカのテレビ局の仕事をしていたという負い目にでもなるのだろうか。たしかに、70年代当時はそういう決めつけ方が横行した。解放戦線派かアメ帝支持派か。はたまたノンポリか。だが、あれだけの壮絶な体験をして大事な仕事をしてきた人がそういう通り一遍のラベルで片付けられるのはむろん納得いかない。第一、そういうレッテル張りをやった者たちは、疾うに戦線から離脱してバブルを謳歌していったではないか。

 当方は平敷さんの歩んだ道を注目しつづける。平敷さんの体験の本質を知りたい、本音を問いたい。そう考えてここ数日、幾度かアメリカの平敷さんに連絡をいれた。ニュージャージーに在住しているから時差があって、連絡はもっぱらメールとファックスだ。平敷さんのパソコンは旧式らしく文字化けが多いので、メールだけとはいかずファックスと併用となっている。

 平敷さんの話をするつもりではなかった。彼の著で、「ノンポリ」という言葉を目にして新鮮だったのだ。で、今朝、高田宏を読んでいたら、また出てきた。京大で高橋和己らと交わっていた頃のことを書いていて、破防法反対ストなどがあったときなど消極的に参加はしたものの、「まったくのノンポリで」という言葉を高田が使っていた。このあたりの含羞というかニュアンスは、50代以下の人にはなかなか分かるまい。

 高田は1932年生まれだから今年78歳になる。私より16歳も年長であるが、同時代の人という意識がつよい。高橋和己や小松左京らと同年輩だと知って意外だった。もっと若いと勝手に思っていた。彼が育ったのは石川県大聖寺(現在、加賀市)。だから、大聖寺や近郊の山中温泉、九谷のことによく言及する。私の父の家系はそのあたりから発生していたから、読んでいると懐かしい気がしてくる。因みに、父は山中にある墓地に眠っている。

高田の「古九谷の里」というエッセーは私の出自の歴史を教えてくれる。山中温泉を流れる大聖寺川の上流に九谷という村があって、江戸期には有名な九谷焼きを産出していた。数年前にダムが建設されて廃村となっている。つまり、白山山系の山奥から川に沿って九谷、山中温泉、大聖寺と並ぶのだ。わが祖先はその九谷から出てきたと、父から聞かされたことがある。九谷、9つの谷を経ての村というから相当山深い地であったろう。そこに九谷焼というそれまでの焼き物とは少し違う斬新なものが生まれたというから愉快ではないか。高田は、この出来事を「雪古九谷」という小説にしているそうだ。一度読みたい。

 そんな親しみを高田に私はもつが、それ以外にも交わる線がいくつかある。まず、高橋和己と親友であったことは私らの世代にとっては重大なことだ。「わが解体」「悲の器」「邪宗門」などを表して、我らを揺さぶったあの作家とともに生きていたということ。そのつながりの先に小松実こと小松左京もいたということは、SFや大伴昌司を研究してきた私にとってかなり興味深い。

 この人の名前を最初に聞いたのは大江健三郎さんからだった。高田宏さんの木に関するエッセーに惹かれますと大江さんが語ったことが耳朶に残っている。たしかに、ナチュラリストと呼びたいほど自然や旅を愛する高田。彼の樹木に対する愛着はひとしおである。南方の島や山陰の離島などで、高田が木と出会う文章は読む者の心を鷲掴みにする。彼が郷土の先輩でもある深田久弥を尊敬することもよく分かる。深田の名は「日本百名山」で知られている。
 大江さんから名前を聞いた直後だったか、高田は私が担当する番組「ETV8/文化情報」のキャスターになった。高田の、エッセイストとして名前が揚がっていただけでなく、前身の編集者としての明敏さもかわれてだったと、先輩ディレクターから聞いたことがある。


 こうして高田と私の交わる線をいくつか感じていたが、今回、意外な面でも出会いがあった。彼は、京大文学部を昭和30年に卒業して、光文社に入り、「少女」の編集者となっていたのだ。漫画の歴史では黎明期の重要な時代だ。高田は漫画ではなく物語の担当らしかったが、此の時期に、少年少女誌に身を置いていたということは見逃せない。世の中はまだ貧しかった。高田が相手にした読者や取材した少女たちもさまざまな境遇にあった。電気も水道もないバラックに住んで弟妹たちを育てていた少女、脳腫瘍の手術が間に合わなかった少女、酒乱の父と暮らしていた少女、寝たきりのカリエスの女の子・・・。
 若くて繊細な編集者は、この時代をどう生きていたのか、知りたい気がする。


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by yamato-y | 2010-03-22 14:02 | Comments(0)

南風吹いて

春の連休のなかで

 久しぶりに銭湯に入った。都内の鉱泉だ。だだっ広い浴場はひさしぶりだが、湯殿に入っていくとみんながじろじろ私の腹を見た。当然だ。臍の上3センチあたりにへの字形で20センチほどのおおきな傷口があるのだから。小学生のこどもなどは目を丸くして見ている。湯船で騒いでいた中学生5人組も、私が腹を誇示して向かっていくと、そそくさと出て行った。何か、モンモンを入れたヤーサンになった気分。つい肩を揺すって歩いてしまう。
思い立って銭湯に行ってみようと、荏原町を目指したのは夕方。胃の手術後一度も行っていないし、新たな病の徴候も出て来たから、行けるうちに大きな風呂に入りたいと考えたのだ。
銭湯に行く前に、アーケードの額縁屋へ行って一枚の写真の額装をしてもらった。先日、大江家でロケをしたとき、大江さんが昔の思い出だよとくれた二人の写っている写真だ。万年筆で大江さんの署名もある。おそらく広島時代の写真だから、15年前のものだ。原爆資料館で資料に見入っている大江さんと、背後で撮影の段取りでやきもきしている私が写っている。ロケに入るといつもテンパる私のことを大江さんはよく知っている。「早く移動しないと、次に間に合わないと思ってイライラしている姿ですね」にやにやしながら写真をプレゼントしてくれた大江さん。その貴重な写真を額装にしたのだ。その包みをかかえたまま、銭湯に向かった。

 「元気であれば、何でもできる」というのはアントニオ猪木の造語だと思っていたら、高橋是清が語ったものだと知って驚いた。猪木は誰から教わったのだろうか。この言葉はしみじみ実感する。胃が悪かったり、下腹部が痛んだり、歯がぼろぼろになったり、次々に災厄が出て来ると、退屈だなあとぼやいていた昔の自分が懐かしいというか、傲慢なものだったと後悔したりする。

 夜来風雨だった。途中で目が覚めて外を見ると、バルコン前のポプラの木がごうごうとしなっていた。陽がのぼると、風も雨もやんでいい日和になった。
 寝床で、長倉萬治の『アルマジロの日々』を読む。私と同い年で、先年脳出血で逝った作家だ。からっとした、都会的センスの長倉の文章は前から好きで、コラムなどはよく読んできたが、長いまとまりのあるものはあまりない。この作品は私小説のおもむきがあって、彼の暮らしが垣間見えて面白い。午前中、夢中で読んだ。心臓に持病をもつ妻のことをいわたりながら、随分女性の出入りが激しい。すべて事実とは言わないが、すべて嘘とも思えない。こんなことを書いて大丈夫なのだろうか。といっても死んでしまったのだから、もはや妻から怒られることもないか。圭角ある人だが、おそらくみんなから愛されたにちがいない。でも70、80まで生きたら、きっと面倒くさがられるぞ。早く死んでよかったじゃない。と、羨ましいような淋しいような気持ちで読破する。

 長倉がフリーライターとして、横暴な編集者との関係に悩むのだ。なかで、ぶっ飛ばしたくなる嫌みな奴が出て来る。この像が、私も先年裏切られた男とそっくりなのだ。つい、長倉の言い分に感情移入してしまう。たいした作品も作れないくせに口先だけで誇示する男。外部に向かってはへこへこしながら、内部には威張り散らし嘘ばかりつきまくった男。こんな奴はやはりどこにでもいるのだと、独りごちたり。と、だんだん下降していく意識が情けない。もっと高く志しをもって、この文章を軌道修正しなくては―−。

 萬治がこどもたちの頭をシャンプーしてやる場面がある。嫌がるこどもらの頭を洗うのに、シャンプーハットを用いるのだが、彼はこのハットを「画期的発明だ」と賞賛する。本当にそうだったかと家人に聞くと、「駄目、勢いよく上からすすぎ水かけると、ハットの隙間から石鹼がだらだらこぼれてきて目にしみた」という。ふうむ。長倉はイノセントなふりをして本当らしく書いているが、意外とワルかもしれない。とすればますますいい。
《茶の間から「笑点」のテーマソングが流れて来た。これを聞くと、僕は日曜日も終わりだなと心がほんの少し沈んでいくのを感じる。》
いい文章だな。

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by yamato-y | 2010-03-21 14:46 | Comments(1)

日本映画の高さ

日本映画の高さ

無茶苦茶、映画でも見て気分をすかっとさせたいと思った。渋谷ツタヤで準新作3本借りた。夕食後の8時過ぎから見始めた。退廃した男が、突然30年前の殺人事件を思い出すことから始まるという触れ込みの「フラッシュバック」。主演は新しい007のダニエル・クレイグ。テンポのあるミステリーかと期待したらこれが大外れ。思わせぶりな情況説明が延々と続く。頭の20分を見て放棄。次はヨーロッパの映画でどうやらイギリス製らしいミステリー、「プリテンド」。コペンハーゲン、シチリア、プラハ,間に数年がはさまる連続殺人事件という設定で、監督や役者のことなどまったく知らずにこのDVDを借り出したのだが、話の運びがなんともだるくイライラする。殺人事件のメインの話とは別の捜査する女性刑事の身の上話が思わせぶりだが、いっこうに前に進まない。シナリオが下手なのだ。これも10分で放棄。

最後に日本映画で「ぐるりのこと」を見た。2年ほど前に主演の木村多江がブルーリボン賞の主演女優賞を獲った作品で、リリー・フランキーが共演しているということで興味をもった。これが面白かった。夜更かししてつい最後まで見てしまった。
10年の夫婦の歩みを描いている。年代が分かるのは、夫のフランキーが法廷画家で彼が関与する裁判が、93年から日本で起きた代表的な事件の流れになっているから。むろん、ストレートに事件は出てこないが、宮崎勤、オウム地下鉄、大阪教育大学児童殺傷、などがそれらしく描かれている。まあ、監督のサービスだろうが、結構ワイドショーのノリで見て行ける。これが時間の流れを示すのに巧みな仕掛けだ。

妻の木村多江が子供を身ごもるが嬰児で失う。理由はさだかでないが、生まれてまもなく死んだ子を思い、多江は次第に正気でなくなる。それをフランキーがそばで緩やかに見守っている。露悪的と思えるほど、男女の性愛を具体的に描くが、これは正直言っていただけない。だってストレートな男女は、監督の資質から言って想像的としか思えず、やりすぎの感じになっていてくどい。ただ、そこでの体当たり演技が木村の演技として評価されたのかも。なにより、テレビ的ドラマの枠組みをざくっと超越している作品のカラーには敬意をもつ。

この病んだ妻が恢復するにつれ、日本画を描き始める。やがて、懇意にしているお寺から天井画として所望される。その絵は立松和平の娘が描いたものだということを川本三郎の追悼エッセーで知っていたので興味深かった。いい絵だった。
川本は立松の死を悼んで書いた文章だが、この天井画を見に行ったとき偶然立松の娘と会ったことを記している。彼女は幼い子供を連れていた。立松和平の孫である。孫までいる立松の死を悼みながら、一方子供をもたない川本は羨んでいた。昨年、妻をなくした川本の淋しさを見た気がした。このエピソードが、映画「ぐるりのこと」と絡み合って、私は映画の世界にすっかり引き込まれてしまった。橋口亮輔という監督は繊細でかつアナーキーだ。現代の日本映画のレベルの高さを感じた。

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by yamato-y | 2010-03-19 09:18 | Comments(0)

春のおとずれ

春のおとずれ

彼岸がせまっている。やっと寒さから解放されることになるのだろうか。今年の冬は本当に厳しかった。元来、暑さより寒さに強い早生まれの私なのだが、めっきり寒さに弱くなった。
春のおとずれが待ち遠しい。
もう5年前になるのか、春川を訪ねたのは。早春のちょうど今頃だった。「冬のソナタ」の日本での大ブーム前夜のことだ。ナミソムの公園は人気もなく静かだった。噂に聞いていた韓国の寒さはそのとおりで、早朝のロケは身を切られるようななかで行われたことを思い出す。

このところの寒暖の差にはなかなかついていけない。20度まで上がった翌日が最低気温4度などという乱高下は、病を癒えたばかりの身にはつらい。
世の中が不景気の真っ最中だということは知っているが、そこには耳をかさない、かしたくない。

今朝、洗ったズボンのポケットから千円札が出てきて、得した気分になった。だが考えてみると粗忽なことだ。
ここ3日間は、ニュージャージーに住む人と長いメールの交換をしている。72歳になる人だが精神は若々しい。沖縄の出身の方で、ふるさとを思う気持ちにほだされることが多い。この人と、新しいプロジェクトを立ち上げようとしている。春のおとずれが待ち遠しい。

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by yamato-y | 2010-03-18 11:47 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

グェンティ・ホンハウさん

ハウちゃん

ハウちゃんは京都大学の大学院で学んでいる、ベトナム難民の2世だ。彼女は父母たちが逃げてきたこの日本で生まれた。国籍がない。
彼女が学ぶキャンパスで、カメラは不躾に「ハウちゃんは何人ですか」と問う。イタズラっぽく彼女は「えーっ」と驚きながら、その質問は受け付けないですと拒絶する。なぜと重ねて問うと「自分自身にそれを問うことを止めたから、意味ないと思う」と答える。20代のどこにでもいる女性の真意を見せないはぐらかした言い方だ。
だが、ぽろっと一言もらす。「無国籍を共有してくれる人がいなくて、ずっと孤独でした」

彼女の両親が住む栃木県那須烏山。ハウちゃんは帰省していく。一戸建ての立派な家に父と母は住んでいた。12年ほど前に中古を購入。そうするために爪に灯をともして必死で働いたと母は証言する。だが、不況のため、父は突然リストラされ、母も仕事がない。厳しい情況にあっても、父母は笑みを絶やさない。
ベトナムをなぜ出たかと、父に問うことをハウちゃんは好まない。父は、「こどもの将来と自由のため」と答えるに決まっている。父の自由という言葉がハウちゃんにはひっかかる。その自由は、今どこにあるのか。ベトナムを出てやってきたこの日本にその自由はあったのか――

前橋にあるベトナム難民の有志が住むあかつきの村。元は100人ほどの難民が住んでいたがそれぞれ独立して出て行った。その後、日本社会のなかで傷ついた人たちが舞い戻って住んでいる。言葉の問題、重労働、人間関係などで心を病むに至った人たちだ。ハウちゃんは18歳のときからここに通って、村人たちとも顔なじみだ。そのひとりドクさんは新潟の鉄工場で自動車部品を作っていたが、心を病んで村に帰ってきた。病んだ人たちはもの静かで、心優しい人たちだということが画面のうえからも伝わってくる。その人たちとハウちゃんは久闊を叙しながら、ハウちゃんはその人たちを思いやる。その人たちを見るハウちゃんの眼差しは悲しくも優しい。

このリポートの最後に、カメラは再びハウちゃんに質問する。「あなたにとって無国籍って何ですか」質問に直接ハウちゃんは答えず、「これからも、今までどおり生きていきます」口調が強い。
「無国籍のままで?どうして」「国籍が与えられなかったから」カメラを見据えるようにしてハウちゃんは言葉を発する。「今私にあるものが大事。この村もそのひとつ」
そのインタビューの最中に、ドクさんがそっとやって来て苺を差し入れする。ハウちゃんは逆にカメラに「この施設へ来てどう思いましたか」と問い返す。「苺をくれる優しい人たち」とカメラの傍のディレクターは答えた。
「なぜ、そういう(優しい)人たちに社会に居場所がないのですか。なんで社会が受け入れてくれないのか腹が立ちます」と振り絞るようにハウちゃんは語りながら、大粒の泪をぽろっとこぼす。それを振り切るように、ハウちゃんは「でもここが私の居場所。だから国籍などなくっていい。大切な居場所がいっぱいあるから」
華奢で穏やかなハウちゃんが、悲しみに顔を歪める。その怒りのような悲しみが、私の胸深く刺さった。

 海老坂武の文章を立ち読み。モンテーニュは30代40代とずっと死にこだわっていた。だが50代になってからは、死のことを考えるのでなく、今生きていることを考えたほうがいいと考えるようになったというエピソードを海老坂は記している。このエピソードがハウちゃんの悲しみの怒りと私のなかで響きあう。

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by yamato-y | 2010-03-17 14:15 | 魂のこと | Comments(0)


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