定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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やはり本調子ではなかった

やはり本調子ではなかった

昨日書いた文章を読み返してあきれた。
《ところが、中盤を過ぎたあたりから、ヒュ-ズの異様な言動と、自らが呪縛されていく姿がデカプリオという人気役者を通してうまく描いていた。》としていた。本来なら「ヒュ-ズの異様な言動と、自らが呪縛されていく姿をデカプリオという人気役者を通してスコセッシはうまく描いていた。」とするか「ヒュ-ズの異様な言動と、自らが呪縛されていく姿がデカプリオという人気役者を通してうまく描かれていた。」にするべきだろう。こんな初歩的間違いをおかして気にならなかったというのは、体が本調子でなく、おまけに風邪をひき50肩も重なって、気持ちが萎えていたのだろう。

今朝、ベッドのなかで2つ実践した、自律訓練法という自己暗示で、両手両足に暖かさがあるかのように胃のあたりにぬくもりがあるかのように感じるべく自分の身体に暗示をかけること、これは20年ぐらい前に会社の研修で覚えていたが、それをやってみた。
もうひとつは「思い出の規制線」である。昭和46年、万博の余熱がまだ覆っていた大阪の町の思い出のことである。仕事に就いて2年目の私はこの大都会が珍しくてあちこち歩き回っていた。天満から梅田に出て、阪急5の洋服屋やレストランを冷やかして歩いた。休日は神戸三ノ宮に出てカポネというスペイン料理店にも行った。阪急ブレーブスのバルボン選手の店だと聞いた。40年も前の大阪のこと。明け方、この思い出がまざまざと甦ってきた。この思い出を散逸させないために、しっかりつないでおく作業を規制線とした。

昨日にくらべて体がやや楽になったか。しっかり寝汗をかいたのがよかったのかもしれない。立ち上がるときももの憂げにどっこいしょと声をかけなくてはならかった昨夜よりましのようだ。
雨が降っている。春の雨のような細い雨だ。
テレビはチリの地震による津波警報をさかんに流している。

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by yamato-y | 2010-02-28 10:46 | Comments(1)

濃い映画が見たくなって

濃い映画が見たくなって

一日、家にいて風邪対策にあたった。懐かしい友からコメントがあって、若松監督の最新作「キャタピラー」の意味は芋虫ではないかと教えてもらった。
なるほど、江戸川乱歩の同名の小説からヒントを得たのだろう。海外の人にも分かるように英語を使ったのだ。でも、英語が不得意な小生などはキャタピラというとブルドーザーか戦車の重装備を髣髴として、四肢切断の惨苦な情況ということが思い至らず、やや日本人には不親切かも。

ETV特集の旧作を見た。マーチン・スコセッシが語る今村昌平である。これがめっぽう面白い。今村は映画界全盛の松竹に入り、小津の助監督として「東京物語」にも関わったという華麗な経歴をもつのだが、この小津の役者の持ち味を殺すようなスタティックな様式美の映像に反逆して、松竹を飛び出して日活へ行く。そこには鬼才川島雄三がいた。互いに切磋琢磨して「重喜劇」というものに取り組む。かくして、「日本昆虫記」や「豚と軍艦」という庶民の底知れないエネルギーを引き出す名作を作り上げていく。この間のことを、スコセッシはよく見ているし、知っている。私はてっきり、黒澤映画の信奉者と思っていたが、どうも違ったみたいだ。

だんだん、映画が見たくなった。家人も留守だからちょっと渋谷のツタヤでも行ってDVDを数本借りることにしよう。黒いトレンチの下は普段着のセーターとチノパンで右手に傘、左手にとーとバッグを持って出た。
渋谷の駅を降りると、週末ということもあって、関東近在の高校生ぐらいの若者であふれかえっていた。そこを中年のオッサンがコートの襟を立てて、ツタヤに向かう姿は、言い過ぎかもしれないが、老年版「ライ麦畑でつかまえて」の図かなとほくそ笑む。
今日はレンタル4本で1000円サービスを利用するつもりだったから、選択は早かった。
マーチン・スコセッシの「アビエーター」、今村昌平の「女衒」、スティーブン・キング原作のホラー「キャリー」、その流れでトム・ハンクスの「グリーンマイル」。
帰宅後すぐ、「アビエーター」を見た。伝説の億万長者ハワード・ヒューズの伝記映画で、先年いくつも受賞して話題になった作品。ヒューズは金にあかして飛行機と映画に乗り出すという前半を見た時、「ハリウッドの巨費を投じた成金映画か」と軽く失望。ところが、中盤を過ぎたあたりから、ヒュ−ズの異様な言動と、自らが呪縛されていく姿がデカプリオという人気役者を通してうまく描いていた。後半、公聴会でパンナムの陰謀に対して、切り返す小気味よさは、スコセッシのサービス精神が見れて、今村と共通のものを感じる。

ところで、今回の全米公聴会でのトヨタバッシングは、アメリカなら当然企んでやっただろうと思ってしまう。
あと3本残っている。今夜が楽しみだ。

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by yamato-y | 2010-02-27 20:46 | Comments(1)

2週間検診

2週間検診

大橋の病院へ2週間検診を受けてきた。8時過ぎに入ったのだが、終わって薬をもらって出てきたら11時を回っていた。採尿や血液検査は順調だったが、主治医問診のところで、私の二人まえのクライアントが1時間近く話し込んだことが、延伸の原因だ。待っているといらいらするが、病室から出てきたその人の顔を見ると、朱をふいたようなあから顔だ。想像するに、きっと胃癌の最悪の事態を指摘されたのではないだろうか。私とて、早期とはいえ手術を言い渡されたときは平静ではいられなかった。
もし症状が深刻なステージまで進行していたりすると、手術への注意事項も多くなる。診察時間が延びるのもやむをえまいと、勝手に前のクライアントの境遇と心境を作り上げて、待ち時間の無聊を慰めた。

どうも2,3日前に風邪にかかったらしい。朝のうちはいいが、昼過ぎになると、節々が重くなり、どことなくからだがだるい。
タケ先生が繰り返し風邪に注意しろと言っていたことを思い出す。胃の手術のあとは免疫力ががたっと落ちていることに気づかないで、無茶をする人がいるが、くれぐれも寒い間は身体に負担をかけてはいけない、とタケ先生から諭された。

といって風邪薬を飲むわけにはいかない。眠気が襲ってくるのだ。昼下がりに暖房の部屋で座りおれば、たちまちまどろむことにならむ。

病気の話が目に付く。今週の週刊新潮には立松和平の死因について書かれてある。彼を襲った解離性大動脈溜とは、中高年の男性に多い病で、高血圧などが原因で内臓にアナがあく病だとか。立松さんと同年で、血圧の高い私としては見過ごせない記事。
もうひとつ、知人の奥さんの話。年のころは50代半ば。最近物忘れが激しいという。私も忘れ物名人だから「おっと迂闊だった」ということはたびたびあるのだが、そういう粗忽さですまないぐらい物忘れが頻々と起きはじめたというのだ。当人はそら恐ろしいだろう。このまま若年性の認知症などを発していくことになったら・・・。

どっちも嫌だが、強いていえばワッペーさんの往生のほうがまだいいかな。瞬間の激痛は大変なものらしいが、そこを越えれば浄土。くらべて若年性は当人の主観は浄土かもしれないが、周囲は苦界。なんてことを言っているのはまだ関係ないとどこかでタカをくくっているとところがあるのかもしれない。

そして、ナガオ先生と面談になった。今朝の採血の結果で先生はやや眉をひそめる。
「鉄分が足らないですね。20ポイントしかない。通常ポイントは50以上です。元来少なかったのか、それとも術後に減ったのか、しばらく注意深く見ましょう」といって、4週間後の登院を促された。

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by yamato-y | 2010-02-26 12:44 | Comments(0)

昭和37年、懐かしい年からの手紙

昭和37年、懐かしい年からの手紙

中学校の同窓会の案内が届いた。37年卒業生の会で、今年の8月にふるさとで行われるという内容だ。発起人の名前のなかに同級生のものがあるから、たしかに私は37年春に卒業したのだろう。てっきり38年、豪雪の年だと思い込んでいた。あの頃は毎年のようにたくさん雪が降ったから勘違いしていたのだ。この年の春に高校へ入学して、6月に北陸トンネルが開通した。日本で一番長い隋道が近在に出来たということが嬉しかった。

37年の2月。卒業がまもなくに迫ったある日、担任がいつになく神妙にホームルームを始めた。進学、就職の進路がだいたい決まったので、皆に報告するという。50人ほどの級友の行き先が黒板に向かって左側、下手側から順に告げられた。普通高校に進学するのは10人に満たない。工業高校へは5、6人、よその町の私立高校や定時制高校へ通うというのが3人ほど。残りの人は就職だった。県外の紡績工場や鉄工場に勤める人、家業を手伝う人だった。高校全入の今からみると、義務教育を終えて仕事に就く人の数が信じられないほど多かったのだ。

同窓会役員名簿を見ると、女子がほとんど括弧つきで旧姓と記してある。みんなお嫁に行き、いいお母さんになったのだと心がほころぶ。役員はどうやら各クラスから一人ずつ選ばれてあるらしい。当時は9組まであった。この数も隔世の感がする。さて、私は3年生のとき何組だったっけ。担任のバンバコの顔は思い浮かべられるが、クラスが思い出せない。5組だったか、8組だったか。
 
テレビに夢中だった。「シャボン玉ホリデー」「夢で逢いましょう」がお気に入りだったが、それ以外の「アベック歌合戦 」のようなオチャラケが大好きだった。思春期のとば口に立っていたから石原裕次郎の“恋”の映画に興味津々、でも学校からは映画は禁止されていた。ラジオで覚えた「紅いハンカチ」を鼻唄で歌った。クラスメートの増田くんが家に裕次郎のドーナツ盤があるから貸してあげようと言われて、冬の冷たい雨のなかを取りに行ったことを思い出す。曲名は「淡雪のワルツ」と「残雪」だったのは季節のせいだったろうか。月影に残雪冴えて 山は静かに眠る、なんて歌詞をどんなつもりで聴いたか思い出せない。が、歌詞はしっかり身についている。

 「ホイホイミュージック」のなかで、飯田久彦が歌った「ルイジアナ・ママ」が気に入った。が、歌詞がいまひとつ理解できない。
♪あの子はルイジアナ・ママ やって来たのはニューオリンズ
髪は金色、目は青く、本ものだよ ○○×× △△○○

最後が聞き取れなかった。当時からヒアリングは苦手だった。今調べたら、ディキシークィーンとなっていた。「本ものだよ」の意味が分からなかった。天然以外に贋物の髪や目の色があるなんて想像は当時できない。
この頃、クロサワは絶好調で、「椿三十郎」を放っているが、私の視野にはまったく入ってこない。大相撲で大鵬だらけのなかで、五島出身の佐田ノ山が頑張っているのがなぜか嬉しかった。
まだ、親の庇護のもとにあったのだ。

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by yamato-y | 2010-02-25 13:42 | ふるさとへ | Comments(1)

春のひざし

春のひざし

温度が上がったといってもうすら寒さがあった昨日と違って今朝のほうが暖かい。小鳥がさえずっている。
昨日、一昨日と2日にわたって、3本の企画をプレゼンすることが続いて、さすがに昨夕は気疲れした。夕方には体がぞくぞくしてやや風邪ぎみとなってしまった。早めに家に帰り、風邪薬を飲んで寝た。11時頃に目を覚まし、のそのそ起き出してDVDを見た。
ニコラス・ケイジの最新作。凡作。見る時間も無駄、こんな映画に巨費を投じるのも無駄、とえらそうに評価。

ベルリン映画祭で寺島しのぶが主演女優賞を受賞した。代理に監督の若松孝二がトロフィを受け取る映像が各局で流れている。
強面の若松さんが相好を崩すのは微笑ましい。監督賞も作品賞も獲ったわけではないが、なんとなくよかったよなあと思う。昨年制作した「全身漫画家〜真説・赤塚不二夫論」で、若松さんをクマさんとともにゴールデン街でインタビューしたことがある。こわい顔に似合わない優しいまなざしをもつ人だと感じた。
今回の授賞対象になった「キャタピラー」の前作「『実録・連合赤軍』の製作時に、役者たち関係者に向かって若松が語った言葉が忘れられない。
『マネージャーやお付きは連れてくるな。衣装もなし。メイクアップは自分で。もし何かスケジュールが入るかも知れないなら、今すぐ降りろ』と言い渡していた。」

あさま山荘のゲリラ戦の映画だからきれい事にはならないにしても、ずいぶん思い切った指示だ。私自身、ドラマの現場を体験したとき、役者という人たちの側にいるマネージャーという存在がひっかかったことがあった。なぜ、こういう存在が現場にいなくてはならないのかと腹を立てることがあったから、この若松指示には溜飲を下げるものがあった。しかし、芸能界では評判悪いだろうなあと想像もする。

桃色映画出身で、70年代の闘争を映画で闘った人物。そんな人が今回主題にしたのが”傷痍軍人の妻”だったとか。タイトルの「キャタピラー」にはどんな意味があるのだろう。妻を演じた寺島しのぶも見たいが、夫の四肢切断された元軍人の演技も見てみたい。

ところで連合赤軍を描いた映画はこれまで3本あって、そのなかの一本『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002)が先日テレビ放送されていた、見てがっかりした。最初の30分を見て嫌になった。こんな映画に役所広司はふさわしくない。今村昌平の香りのするこの若松監督といっしょに組んで映画を作ってもらいたい。

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by yamato-y | 2010-02-24 09:27 | Comments(1)

身近なものからの呪縛

身近なものからの呪縛

人間は生まれてきて一人で生きられない。少なくとも、3歳から4歳までは親か保護者によって養われる。子牛のように誕生してすぐ立ち上がることもできない脆弱な存在、それが人間だ。
とすると、生まれてきた子はその養い手に支配、呪縛される危険性をいつもはらんでいる。「誰のおかげで学校へ行けると思っているのだ」「いい、悪いを教えることはお前を思ってのことだ」こういう言葉のもとで、人は長年にわたり洗脳され呪縛されてきた。
私自身も親からそうされてきたし、子に向かってそうしてきたと告白せざるをえない。家庭の”秩序”を維持するためには、ある程度小さな権力がはたらくことはやむをえまいと、自分の行動を肯定してきた。たとえ、家では暴君であっても、外にあっては世の不正を許さずという人生であればいいじゃないかと、考えて来た面がなかったとはいえない。
むろん、おしめを替えミルクを飲ませて来たこどもから、あなたは私の魂を植民地化し呪縛してきたと抗議されるとなれば、心穏やかではいられない。
なにい、誰のおかげでここまで・・・という台詞が喉まで出かかる。
親は子供を教育ししつけるのは当然ではないかという議論は、推し進めていくと子供の虐待につながっていく。この危険性を安冨歩は説いている。
昨日も3歳の幼女が虐待で死亡した。昨年から今年にかけて、こどもの虐待による「犯罪」は異常な伸びを示している。
パワーハラスメントや性的ハラスメントと違って親によるこどもへのモラルハラスメントの最悪の点は、虐待するその人に頼らざるを得ないという子供の置かれた立場である。ハラスメントのなかでももっとも悪質である。
人が人を支配し、その魂を植民地化する危険性のもっとも高いのは、身近な存在だと安冨は記していた。

コミュニティもコミュニケーションも語源は同じ。人が交わって共同体を作る。しかし、ハラスメントの場合人と人とつながる媒体である「言葉」が、凶器となる。

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by yamato-y | 2010-02-23 08:40 | Comments(0)

引退考

引退考

 スピードスケートの岡崎朋美選手の去就が注目されている。過去5回の五輪に出場し38歳になった。いくら才能があっても年齢という魔物には勝てない。そろそろ引退かという声もあがるが、今回の成績が不本意だっただけにもう少しやりたいという本人の思いもあろう。しかし、彼女が現役に止まることは、後輩にとっては席が一つふさがったままということになり、後身に道を譲り引退すべきだという声もある。他人(ひと)から引導を渡される前に自分で決めることが肝要と、引退を示唆する記事もちらほら見かける。

 昔、「私はあきらめない」という番組で岡崎選手を取材したことがある。今から8年前、彼女が30歳の頃だったろうか。当時、人一倍熱心な体力トレーニングを重ねていて、けっして20代前半の選手たちとひけをとらない体を作り上げていた。その努力、克己心に頭がさがった。すべてをスケートに捧げて生きる岡崎選手にある気高さを感じた。そうして、その努力は前回のオリンピックで4位という輝かしい成績をおさめた。だが、彼女にとってまだ不満だったのかもしれない。
彼女としてはあと少しでメダルという思いがあったのだろう。その後の4年間に必死で選手生命をかけてきたのだろう。そして、今回の成績は、彼女の年齢からすれば立派であるが、前回よりも低いランクとなって終えた。

 そうしてバンクーバーも終わり、次のオリンピックへの関心が高まるなか、岡崎選手の動向が取りざたされるようになった。現役を続けるか引退するか、この決定は彼女ほどの選手になればきっと自分で決めるにちがいない。きっと揺れているにちがいない。

 華やかな経歴をもつ選手ほど、その引け際は難しい。イチローはともかく松井にはほどなくやってくるだろう。膝に爆弾をかかえている松井の大リーグでの活動は残り少ないと思われる。そこを辞めても日本ではまだ現役を続けるかもしれない。それとも、すっぱり大リーグで現役人生を断ち切るのだろうか。興味深い。
 監督業にしてもそうだ。星野や野村は、なんども引退を口にしながら恋々としている。まわりから見ると、あれだけの栄光を浴びたのだからもういいではないかと言いたくなるが、当人はそう思わない。まだまだやれる、やりたい、という執炎はなかなか収まりそうもないのだろう。

 他人事ともいえない。今年の1月で62歳になった私。第一次の定年から再出発したものの、やがて第2の定年が来る。65歳になれば国からの年金が支給されるから、そのあたりで職を退いてほしいと周囲は思っている。ここで会社から引導を渡されるのか、自分から自発的に身を退くのか、生き方の美学に関わってくる。

 しかし、美意識のために好きな番組作りをやめることができるだろうか。時代の流れを読みながら、新しいスタイルの番組をいつまでも作っていたいという情熱だけは決して減衰しない。だからいつまでも作り続けたい。だが、そう思っているのも当人だけで、周りから見ればはた迷惑なことかもしれぬ。

 それにしてもサラリーマンに比べれば、野球選手たちの選手生命はなんと短いことだろう。現役時代は年俸2億だ3億だといっても、35歳を過ぎれば引退の声があがってくる。コーチや評論家になれた人はいい。なんにもないと、元野球選手ということでどうやって社会に居場所をみつけるのだろう。先日、訃報が伝えられた小林繁選手だって、あれほど世間の耳目を集めたにもかかわらず、晩年は淋しいものだったという。なにより50代で死ぬというのは、人生としてはあまりに早い。

 一方。作家という職業は長い。23歳で文壇デビューした大江さんは、サラリーマンの入社年齢と同じスタートをきった。そして、59歳で文学の最高栄誉ノーベル文学賞を受賞。その直前には、小説はもう書かないだろうと口にしていたが、60代に入ってますます執筆は旺盛になり、後期5部作を74歳でなしとげる。近作『水死』は長編の最後の小説になるかもしれないとは本人の弁だが、私はそうならないと見ている。まだまだ、大江さんのなかには創作への意欲が衰えていない。しかも、文学のスタイルや主題が古くなるどころか、若い作家よりはるかにラジカルな表現をいつも試みている。つまり、精神はまったく老化していない。
たしかに、大岡昇平、中野重治、加藤周一、など大江さんが敬愛する作家たちはかなりの年齢まで筆を執った。作家という人種には引退とか定年とかいう言葉はないのだと羨ましくも思う。

 漫画家はどうだろう。手塚治虫は50代で死んだ。多忙のあまりではなかったろうか。石ノ森章太郎、藤子F不二雄、寺田ヒロオもみな早かった。短命と思われた赤塚不二夫でも70まで生きたが、それ以外の漫画家は引退まで長らえたケースがほとんどない。なかで例外は藤子不二雄Aとちばてつや。二人はまだ作品を発表している。ちばさんは数年まえから目を悪くして、ペン入れの鋭さが描けなくなったと本数は減らしものの、引退はしていない。劇画の巨匠さいとうたかをはプロダクションシステムをとっているせいもあって、まったく製作力は落ちていない。この人は当分引退などしないだろう。

 引退という通過儀礼は侮れない。いい加減に時間切れですよと引退なり定年なりすると、亡霊が甦ってくる。不完全燃焼のまま引退することは危険なのだ。朝青龍のようにスキャンダルで引退すると、相撲においては燃え尽きていないから、形を変えて「土俵」や「リング」に上がりたくなるのではないか。大相撲はかつて引退の美しい見本だった。王者は新しい力によって倒され引退した。大鵬しかり北の湖しかり千代の富士しかり。新しい若い力が実力でその座を奪い取った。取られた王者は未練なく土俵を降りることができた。その伝統は貴乃花あたりで消えたように思える。

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by yamato-y | 2010-02-20 09:24 | Comments(0)

お弁当

お弁当

 食が細くなったので弁当を持って行っている。小さなお握り、卵焼き、昆布の煮染めたもの、カツコロッケ2切れ、野菜などである。
12時過ぎに弁当を取り出し、デスクでパソコンのメールを覗きながら、およそ30分かけてゆっくり食べる。と、自分に言い聞かせているものの15分から20分で終わる。夕飯の食欲はかなり出てきたが、昼はまだない。ただし、ちょこちょこ食いが赦されているから、午後3時過ぎにコンビニで板チョコを購入して食べることが多くなった。なぜか、チョコが無性に食べたくなる。

 広島時代の仲間二人と昨夜おでんやに行った。私の快気祝いということだ。ありがたいことだと感謝する。
だが、あまりに食べられない飲めない私に気をつかったのか、仲間もあまり飲まず、3人で一合のお銚子が3本しか並ばなかった。おつまみは湯豆腐と湯葉と、これまたさっぱりしたもの。

 胃の半分を切り取ったからといって、食べてはいけないものというのは原則ない。ただ、脂っこいものは当分控えるようにとは注意されたが。
生もの、刺身もほどほどならいいということで、家では鮪を食することもある。が、外ではほとんど食べなくなったいる。

 最近、匂いというものに関心がある。食欲はむろんだが排便も匂いによる促進が大きいということを知って、つくづく人間の体の精妙さを知る。
 今一番食べたいものは何だ。特にない。せいぜい、ヱビスメの塩昆布で御茶漬けが食べたいぐらい。術前とずいぶん変わった。
以前なら、焼き肉、寿司、ラーメン、焼きそば、だったのだが、今やまったく興味がない。
 だから少し痩せたか。セオリーの黒のパンツを穿いたら、腰まで落ちてきた。昔の体型にやや戻ったかと思うと、なんとなく嬉しい。太って着れなくなったスーツの上下をノータイで、春になったら着れるかもしれない。そうなったら靴のいいものが欲しい。

 家の者には痩せたことは評判が悪い。貧相な印象になるから、できるだけ食べろと奨励されるのだが、自分としてはこのままがいいと思っている。でも、朝顔を洗ったあと、鏡を見たら、首のあたりに縮緬皺があった。痩せて出来た皺かな。たしかに爺臭い。

最近、謎掛け芸人が流行っています。
春三月とかけて、下剤と解きます。その心は。「腸(蝶)が動き出します」

 
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by yamato-y | 2010-02-19 08:34 | Comments(0)

いい戦争 悪い戦争

いい戦争 悪い戦争

1960年の暮れ、南ベトナム解放戦線が結成された。南北ベトナムの内戦にアメリカが本格的な介入が始る契機となる出来事だ。今年は50年目にあたる。
そのベトナム戦争とは何であったかというドキュメントを作ろうと、現在リサーチしている。私が関心をもつのは、アメリカABCのカメラマンとして活躍した平敷安常さんだ。
去年、著作『キャパになれなかったカメラマン』で大宅賞を受賞している。授賞式で来日したときに一度名刺を交換した。沖縄出身の朴訥な人柄が印象に残った。

平敷さんは現在ニューヨークに住んでいる。ベトナムの女性と結婚し、ベトナム戦後もカメラマンとして世界を駆け回った。あの9.11も撮影している。歴戦のツワモノである。

その彼の著作を熟読している。昨夜もテイクノートして深夜3時まで及んだ。1965年春に、戦火のベトナムに平敷さんは入った。最初はABCの契約カメラマンだったが、半年足らずでその力が見込まれ本雇いになる。ヒラシキ・ヤスツネという名前が呼びづらいと、トニイという愛称で呼ばれるようになる。

アメリカ軍に従軍して戦場を行くトニイ。信じられないほどの激戦に飛び込んでいく。戦闘場面を撮影するニュースはバンバンものと言われて、他のカメラマンからも尊敬されるのだが、そのスタイルに彼はすぐ熟達した。結果として彼に命があったのは幸運としかいいようがないのだが、怯んだりおびえたりしなかったことが死神から彼を守ったのではないか。だが、自分で書いているように、けっして勇敢な精神の持ち主だったわけではない。ただ、カメラマンという職業に忠実であっただけだ。

彼は、幾人ものアメリカ人記者とコンビを組む。そのなかには、後に花形キャスターとなるテッド・コッペルもいた。タカ派、ハト派のさまざまなタイプがあったが、思想で仕事を選ぶようなことを、トニイはしない。記者とは親友になる必要はない、理解しあえればいいのだ、と書いている。

当初から、アメリカ人のジャーナリストの間では、この戦争は「わるい戦争」という言葉がささやかれていたようだ。戦争にいいとか悪いとか評価するのは納得いかないと、トニイは書いているが、第2次大戦はいい戦争、ベトナム戦争は悪い戦争ということだった。このデンでいけば、その後のイラク戦争もアフガニスタン戦争もみな悪い戦争になるのではないだろうか。

ベトナムから遠く離れた日本で知る戦争は、解放戦線は正しくアメリカは帝国主義の悪と考えられていたが、トニイが見た兵士たちはみな祖国の正義を信じて闘っていた。875高地で戦った空挺旅団は同士討ちのような形でかなりの犠牲が出た。生き残った兵士のインタビューをしていて、トニイは泪を流したと告白している。

さて、トニイは膨大な記録を残し、かなりの分量を保存していたからこそ、克明な手記を表すことができたのだが、私が番組のストーリーとして何を捕まえればいいか、現在迷っている。この切り口を見つけて、企画書にまとめる期限があと4日しかない。いささか焦る。他に書き上げなくてはならないものが2つあるのだ。こんなブログを書いている暇などないはずだが、逆にこうして離れてみるのも大事なことである。と、勝手に合理化している。

 
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by yamato-y | 2010-02-18 11:46 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

撮影所システムがあった時代

撮影所システムがあった時代

 井上梅次映画監督が死去したとテレビが伝えている。日活全盛の頃の監督だ。「鷲と鷹」などを作り、「嵐を呼ぶ男)で石原裕次郎を一躍スタアに押し上げた功績をもつ人物だ。日本映画が衰退した後、香港で作っているという話を聞いたことがあったが、まだ存命とは思わなかった。映画会社がスタジオ(映画人はステージと呼ぶ)をもっていて、撮影所という場が映画製作に大きな力をもっていた時代だ。監督もスタッフも映画会社の専属で、その人事のなかで映画が作られていた。ロケ撮影は天候に左右されるから、出来るだけ無駄が出ないように撮影に入るなんてことは、撮影所システム時代には当たり前のことだった。今は、そういう撮影所所属でないフリーランスの監督たちが参加してくると、天候などにとらわれないブルーバックのはめ込み映像ばかりになっていると、OBの映画人が嘆いていた。

 映画作りにはいろいろなシステムがある。スタアシステム、ディレクターシステム、プロデューサーシステム、撮影所システムなどである。映画スタア中心であったり、監督が中心であったり(小津や山本嘉次郎ら)、城戸四郎や藤本真澄のような映画会社の幹部であったりしたのだ。プロデューサーシステムの代表はハリウッドのザナックだろう。ジョン・フォードの作品をいくつも手がけている。有名な「トラ・トラ・トラ」も彼が仕切っていたと思うが。

 そういえば。松竹の大船撮影所が閉鎖となったときに特番を作った。今から5、6年前になるか。最後の作品は、山田洋次監督の「学校Ⅲ」だった。撮影所で働く守衛さんや大道具さん、デザイナーのそれぞれの思いを語ってもらった。
 テレビ屋の私には、映画の衰退を対岸の火事のように見ていたが、昨今の動きを見ていると、テレビも同じ運命を辿っていると思えてならない。

 
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by yamato-y | 2010-02-16 23:14 | Comments(0)


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