定年再出発  


懐かしい空
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冬の森

冬の森
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目黒駅と地下鉄白金台駅のほぼ中間にある国立科学博物館付属自然教育園に行ってきた。
昨日より子寒い日となったが、日があったので森は紅葉で美しかった。室町時代には白金長者と呼ばれる豪族が住んでいたといわれるぐらい古い森である。
今年の春先にこの場所を見つけて以来、お気に入りの場所となった。久しぶりにカメラをもってのウォークとなった。
この園は自然を守るため入園者を同時に300名を超えないように制限されているから静かでいい。
下の木の実はまゆみ。冬空に美しく映えて咲いていた。
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by yamato-y | 2009-11-29 18:43 | Comments(3)

粗暴さ

粗暴さ

ギリシア的な存在論的哲学の世界――普遍とは何か、永遠や不変の存在とはと問うこと。
ということばかりの世界でもない、この世は。実際に私は隣の他者と話も交わすし共感することも反発することもある。永遠や普遍と無縁にしても日常は動いている。2007年に死んだアメリカの哲学者リチャード・ローティの伝記を読んでいて、下世話の生身の人生の意義のようなことを考え込んだ。

このところ、三谷隆正の『幸福論』でオーセンティックな考えに心が占められていたから、ローティのアカデミックな粗暴さが新鮮に思えたのだろう。

人生的な粗暴さに、最近次々と遭遇する。
昨日、私が関係していたラジオ番組が潰えた。年末特集の類例のない番組を作るべく動いていた人たちを私は支援していた。そのネタ自体この1年ほどあたためてきたものだから、大事に取り扱ってきた。一応、素材も準備が出来、出演者も決定し、対外広報の段取りも終えていた。いよいよ来週に本番収録となる手はずで進んでいた。
それが、あるお調子者のくだらない軽口で、あっと言う間に消えたのだ。その話を聞いたとき、一瞬耳を疑った。そんな馬鹿なことをやるものだろうか、表現なんてことに関わっているような人間がそんな不用意な発言をするものだろうか、と半信半疑だった。
だが、実際にそういう粗暴さがあったのだ。

話は飛躍するが、民主党の動きを見ていても、歴史の粗暴さを感じる。当初から分かっていたこととはいえ、首相の政治献金の問題噴出や普天間基地、核密約問題など、難問が船出して巡航に入ろうとするこの段階で起きてくるという事実。

このところ、先週放送された立花隆のNスペが話題となっている。自身の癌を見つめて、思索を深めていくこの物語は、大人たちに感動を与えた。
そこで語られていたことは、癌はヒトの存在そのものと深く結びついたものではないかという知見。癌をめぐる人間の粗暴的存在。

土曜日の朝、寝床で書いているこの記事は、ひょっとすると壮大な勘違いの上のことかもしれない。ローティの伝記の副題「リベラル・アイロニスト」という語に刺激されて書いたのだから。このアイロニーと粗暴とは別個のものかもしれないが、今朝の私にはどうしても分かつことができない衝動がある。

それにしてもローティという人物の少年時代は興味深い。両親がトロツキーの支援者であったというのだ。トロツキーの秘書を匿ってもいた。最初はアメリカ共産党の機関紙「ニューマッセズ」の愛読者であったがスターリンの「革命」に幻滅し、その後ネオ保守主義に転じていったというローティ一族の流れ。
だが、2007年に死去したローティは晩年にブッシュの愚かさを痛烈に批判している。

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by yamato-y | 2009-11-28 10:46 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

句会から離れて

句会から離れて

先週の22日に句会があったのだが参加できなかった。つい、母のことで足が重くなり投句することもままならない。
ときどき、書店で俳句の本を見つけると思わず手にとるのだが、作る衝動までいかない。
今朝は暖かい。田園都市線に揺られて、病院まで行った。朝早いこともあって、電車は混んでいた。

昨日は武蔵野を歩き、夕方には東銀座に出た。
歌舞伎座で行われていた忠臣蔵の千秋楽だった。清元延寿太夫さんが出演している。楽日だったが、番組決定の報告にあがった。
4時過ぎ、幕が下りて楽屋に延寿太夫さんがもどってきた。周りには御付の方がおおぜい取り巻いている。そこを分け入って御挨拶すると、丁寧に返礼していただいた。

夕方の銀座をぶらぶら。師走が近づいている。町を行く人たちがなんとなく足早だ。今年の御酉様は3だろうか4だろうか。歌舞伎座、築地、御酉様、と並べれば、なんとなく万太郎か真砂女を思い出す。

帰りの地下鉄では、柄にもなく経済学の新書を読む。『生きるための経済学~〈選択の自由〉からの脱却』。ついぞ、眼にしたことがない経済の術語に四苦八苦しながら、それでも2章読みきった。なにしろ、この本にはフロムの「自由からの逃走」が登場するのだ。懐かしい名前である。今から40年前、大学に入った頃話題になっていた本だ。40年隔てて、やっとフロムの言う自由からの逃走が分かったような気になる。

帰りついて、社のデスクの上に新刊が数冊届いていた。なかに、「思想地図」があり、今回のテーマは「想像力」となっている。面白そうだが、まず現在読んでいるものから片付けないと。この経済本の延長にマイケル・ジャクソンの企画が横たわっている、という触れ込みで読んでいるのだ。

他に届いていた本は、研究仲間の山口誠さんの『「地球の歩き方」の歩き方』。うまいタイトルだなあ。装丁も「地球の歩き方」の味わいたっぷり。もう一つは、『革命をプロデュースした日本人』。梅屋庄吉の孫である小坂文乃さんの労作だ。

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by yamato-y | 2009-11-26 13:17 | 登羊亭日乗 | Comments(1)

偶感、だらしなく

偶感、だらしなく

「となりの芝生」というドラマがリメイクされている。その中にこんなシーンが出てくる。亭主が同僚を家に連れて来てどんちゃん騒ぎをする。そのまま酔いつぶれて、一同宿泊。翌朝、亭主とその仲間はそろって朝飯を食べて、出社していく。
この光景が、今ではありえないと、評論家が書いている。こんな風景は昭和だというのだ。

私には当たり前の風景だったのだが、たしかに平成に入ってからは減った。まず、引き連れて歩く若い人がいなくなったし、一緒に飲みに行こうという仲間や部下も消えた。息子や娘に聞くと、会社の上役なんかと飲みに行きたくないという。飲むなら、気の置けない仲間うちで飲む。オヤジといっしょになればきっと自慢か説教であろう、そんな面倒くさいことは嫌だ、というのが若者の言い分らしい。

養老孟司さんは四六時中シゴトばかりしていて、定年退職した後ボケーっとした人生を送ることになった人を何人も見たという。そういうシゴトの仕方、させ方はある意味で犯罪的とまで思えると強い調子で語ったことが忘れられない。その対象にほぼ私はあたるだろう。
「定年再出発」、いまだ開幕ベルは鳴らず、ぐずぐずと愚痴三昧が続くこの身なれば。

ふっと、私はどこへ行くのだろうと思った。どこから来たのかも知らないが、もったいなくも忝くも何かに導かれてこの世に来たのらしい。たった一人しかいない私の遺伝子の集合体である私。
遺伝子の全ゲノムが解読されて、来年ぐらいから個人のゲノム情報を得ることも可能になるらしい。そうなればゲノムビジネスも盛んになろう。1000ドルで調べてくれる時代がそこまで来ている。ちょっと私も調べてみたい気がする。私のゲノムたちも、私をあの世からこの世へそして川を隔てた橋の向こうへと運搬していく。

・・・何かこの文章の論理はヘンだな。座りが悪い議論の気がするな。なぜなのか。

こぼれ松葉に火を放ち童のごとき我なるか。

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by yamato-y | 2009-11-25 08:00 | Comments(0)

残光

残光

大磯のパソコンのスクリーンは敦賀の夕景になっている。そのことに今朝気がついた。
3年ほど前の夏に帰郷したときに裏山を撮影したものだ。季節が変わろうと、年月が経とうと意に介さなかったのは、それだけ心に余裕を失くしていたことによるのだろう。

暖房をいっさい入れずに、休日の朝にリビングでこの記事を作成している。まぶしい朝の光が差し込むにもかかわらず、寒気が1階からしんしんと上がってくる。大磯の家は寒い。
6時過ぎに目を覚ましてから、ずっと小島信夫の『残光』と出雲路先生の『苦に賜る道』を読んでいた。
先生は私の習った哲学の師であり、真宗の僧侶でもあった。60半ばで早世された。その先生の著作集が今年発刊され、先ごろ手元に届き、大磯に帰るたびに読んでいる。今朝読んだ選集の冒頭に「苦悩を転ずるはたらき」という節が置かれてあるのを見て、ぎょっとする。《まず最初に苦悩が直接的にその解決に至るということは決してありえないということを、確認しておきたいと思います。》
苦悩する主体それ自体が転ぜられることがなければ、さらに深い混乱を生むと、師は記している。難しい言葉を何度も噛み締めながら、前に進む。

並行して、小島信夫の『残光』を読むのだが、こちらもその文章の無碍に頭を悩ます。
90歳を越える小島は目が不自由で、介添えを得ながら書いている身辺雑記というか私小説というか判別しがたい読物。韜晦しているのか呆けているのか分からない。だが、離れがたいものが行間から立ち上がってくること惹かれてしまう。若い作家保坂和志は小島のことを本当に大切に考えているのだなと感じ入る。

3連休は結局仕事となった。10月に収録した「宮崎駿VS養老孟司対話」を2本の番組に作り変えているのだ。一つは1月2日の総合テレビ用「あけおめトーク」。もうひとつは84分のハイビジョンの特集番組だ。両者とも対話が軸であるが、それ以外に二人の活動をビデオ映像で構成したものを付加してあるので、少しずつテイストが違うように作っている。
編集期間はわずか5日なので、ぬかりなくやらないとタイムオーバーになることもありうる。ややまなじりを決しながらやってきて、いよいよ今日が最終日。午後3時から、全体の通し試写をよる予定。

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by yamato-y | 2009-11-23 11:57 | Comments(0)

憩いなき波

憩いなき波

木枯らしが吹き冷たい雨の日がこのところ続いた。
いろいろ心痛める日々が続き、このブログになかなか向き合うことができなかった。

三谷隆正の『幸福論』をかたときも離さず、人の世について考えることが多かった。
「幸福とは何か」を問う優れた法哲学者である三谷は信仰篤いキリスト者でもある。
この文庫本を手にとり目次を目にして、すぐ購入した。その目次には――
第3章苦難と人生、第5章不幸の原因というのがあったのだ。
第3章の最初の節、「嫉む神」には深甚なものを感じた。
「神はその愛し給う者にたいして一層嫉みふかくありたまうようである」

パウロも苦しみ親鸞ももがくことになった不幸。その姿が人生の黄昏になった頃に見えてくるという、この愚かしさ。自分の不明を恥じるばかりだ。

一昨日若い友人に不幸が発生した。思ってもみない出来事で私も驚きで胸が衝かれた。案じたが、親切な別の友人の適切な忠告でいまのところやや心安らぐことができた。こんなふうに、次々といろいろなことが襲ってくるが、一方それなりの慰めも用意されてあったりして、その人生模様はまだらというか憩いなき波のようである。

昨夜、根津で作家のMさんと同僚のKくんと3人で食事をした。根津はMさんのフランチャイズである。はん亭という江戸以来の有名な料亭のそばにある居酒屋で、あぐらをかきながら銀だらの煮付けなどを口にしながら熱燗を飲んだ。
Mさんは晩年の須賀敦子と深く付き合うことが多かった。彼女が亡くなったとき、「世界わが心の旅」でイタリア、須賀敦子の旅をしませんかと、声をかけたことがあったのだ。その旅は叶わなかったが、カフカの恋人ミレナの足跡を追う旅をしていただいた。それが10年前のことである。以来、ずっとご無沙汰していた。

一昨年、「闘う三味線」が総務大臣賞を受賞した。そのときの選考委員にMさんがいた。後で聞いたのだが、この番組を過分なまでに褒めていただいたということである。

20年前に私の部下であったKくんがMさんと親しい仲であることを知ったのは、最近のことだ。Mさんの著作のあとがきに彼の名前が出てきたのだ。そこでKくんに仲介してもらって、久闊を叙すことになったのだ。

Mさんは近年難病と闘う身となったのだが、それにもめげず女性史の研究、地域の活動を精力的に続けている。そういう話題やKくんが関わっている派遣村のことなど。話題は尽きることがなかった。会がお開きになったのは10時近かった。最近、こんな遅くまで酒を飲むことがなかった。車で東大前まで同乗し、そこで別れた。
地下鉄南北線に揺られて帰った。

夜中に、目覚めてまた『幸福論』を読んだ。一語一語が心に響いた。あとがきで、武田清子が三谷の人生を紹介していて、彼の苦難に満ちた人生を知れば、さらに彼が刻んだ言葉の重さは千鈞となった。

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by yamato-y | 2009-11-21 09:23 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

晩秋古都

そうだ、京都だ

「お寒うなりましたな」
店の奥から出てきたうどんやのおばちゃんがお愛想を言った。
京極アーケードの入り口にある立ち食いのうどん屋での昨夜の出来事。夜中に小腹が空いたので四条木屋町下ルのホテルを抜け出してきたのだ。店じまいの直前だったらしく客は誰もおらず主も姿がない。そこで大きな声で「お願いします」と言うと、60半ば過ぎのおばちゃんが出てきた。こぶうどん、きつねうどん、てんぷらうどん、きざみうどん、どれにしようか迷う。久しぶりに関西風の薄味のうどんはどれも食べたい。

15日の日曜日、京大で研究会の例会が開かれたので出席した。午後1時開始であったので、朝早く家を出て会場に向かった。「戦争の記憶」という研究会で、関西の諸大学の先生たちや院生が参加している。今回は、沖縄イメージの論考で、3人の力のある人たちの発表だったので聞きがいがあった。

会が終わったあと、私がお世話になっているS先生と百万遍の焼き鳥屋でいっしょに夕食をとる。先生は下戸でかつ自家用車で来ていたので呑まない。この研究会のこれからについてや来年度のシラバスなどについて意見を交換しながら、学生街の焼き鳥を堪能した。8時過ぎ、先生の車で四条の定宿まで送っていただいた。
ホテルに帰って一眠りして、眼が覚めるとすこしおなかが空いたので、のそのそとホテルを這い出て来た。夜になって、京都の町はしんしんと冷え込んでいた。セーターにハーフコートだけの私にはやや寒い。が、きざみうどんをふうふうしながら食べると体がほくほくしてきた。

そのまま腹ごなしを兼ねて夜の散歩。八坂を越えて石塀小路、高台寺あたりまでぶらぶらした。深夜の京の町屋は静かで美しい。路地をぼーっと照らす灯りに誘われて、八坂の塔を越え五条坂まで歩いた。ここには、母ゆかりの教会がある。病と闘う母を思った。帰りは祇園の御茶屋の軒先をとぼとぼ歩き南座まで。年末恒例の「顔見世」の大きな看板が架かっていた。「もうすぐ師走か・・・」

 それにしても紅葉の季節の京都は混んでいる。バスは満員、ホテルも予約はとれない、お寺はどこも観光客でいっぱいと大賑わい。ところが、うどん屋のおばちゃんの言では、「去年に比べて、お客さんは少ない。やっぱり不景気なんどすなあ」。
四条大橋を渡ると、鴨川の水が白く光っていた。

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by yamato-y | 2009-11-16 16:06 | Comments(0)

黄色い涙

黄色い涙

幻といわれた腐朽の青春テレビドラマ「黄色い涙」19巻の映像を入手。昨夜、6回分を連続視聴した。
漫画家永島慎二。彼の貧乏時代を描いた同名の自伝漫画「若者たち」が原作である。たしか、「ガロ」に連載されていた作品だったと思う。

永島とおぼしき主人公村岡栄介に森本レオ、その周りにうろつく売れない画家下条アトム、冴えない小説家志望岸部シロー、歌手を夢見るバーテンダー長澄修が扮している。制作は名古屋局のドラマ班であろう。脇の役者は、名古屋人が多い。「中学生日記」に出ていた顔だと記憶が甦る。シナリオはまだ売れていない市川森一だ。

 このドラマは昭和49年頃に放送されて、1、2回は見たと思うが、全部はない。当時はそれほど評判にならなかったが、近年、「トキワ荘」など漫画文化が注目されるようになって、ファンのなかでは評価が高まっていた。加えて、近年この主題が映画化され、嵐が出演するなど話題になる。だが、映画はいわゆるアイドル路線の作品だろうから、あまり見たいとも思わない。第一、二宮和也とか桜井なにがしが貧乏暮らしを演じても嘘くさい。最初に映像化された、テレビ連続ドラマを見たいとかねがね思っていた。
見たいと思っても、40年代の番組はほとんど残っていない。2インチのビデオを使用していた時期で、高価なビデオは繰り返しダビングして使い回されたため、ほとんど幻となっている。私が見たのは、普及する前のオープンリールの家庭用民生機で収録されたもので、奇跡的に19巻があった。おそらく出演の関係者が高価なビデオレコーダーを所有していて録画したと思われる。

物語の時代は、新幹線の営業が始まった昭和38年。オリンピックの前年であり、少年サンデー、マガジンの発行されて4、5年経った時代である。舞台は阿佐ヶ谷の裏通りにある森本のアパート、喫茶店のシップ、一膳飯屋のさかえ。まるでトキワ荘と近所のラーメン屋松葉とそっくりの設定だ。

コーヒーの80円、牛丼の100円にも事欠く主人公たちの貧乏で悲しい友情の物語だ。番組の作られた時期が物語の時代から10年も経っていないせいか時代考証や風俗、家具がよく出来ている。スタジオセットのちゃっちさはあるもののリアリティに目を奪われ、ストーリーがなかなか頭に入ってこないのが、ちょっと厄介だった。6畳一間のアパートといいブルーマウンテンを飲ませる喫茶店シップといい、そこに出て来る光景は、昭和48年から52年まで暮らした私の荻窪時代を髣髴とさせ、ディテールに見入ってしまった。ここに出て来るさかえの店員の児島美ゆきがとてもいい。あの頃、たしかにこんな女の子がいた。

今年の5月に放送した「ザ・ライバル~少年サンデー少年マガジン物語」でもドラマを作ってみたが、あの時代の「懐かし感」がとてつもなく心地よかった。もう一度、ああいうドラマを作ってみたいと、この「黄色い涙」を参考視聴しようという気になったのだ。今、やってみたくて仕方がない主題は、藤子不二雄Aの名作「愛・・・しりそめし頃に・・・」だ。
とにかく、銀河ドラマ「黄色い涙」全19巻をすべて見ようと思う。

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by yamato-y | 2009-11-14 11:24 | Comments(1)

秘めたもの

秘めたもの

明日、午後9時30分から衛星第2放送で「向田邦子が秘めたもの」が放送される。
10年前に向田さんの没後20年を期して作った作品だ。今年は没後30年か。早いものだ。

この作品を作ったとき番組のタイトルをどうするか思案した。「向田邦子の秘めたもの」とするか「向田邦子が秘めたこと」とするか・・・。
彼女が秘めたのは、恋であり、父への思いであった。それらはモノなのだろうか。コトなのだろうか。迷うところであった。
制作したときは手紙の存在は世に知られていない。こういうものがあると、遺族から提示され、その背景を探っていくと、これは恋人からの手紙と恋人への手紙、つまり恋文だと感じた。そういうふうに読むべきだと私は判断した。以来、恋文という表現が定着した。その意味でも、この番組は私にとって忘れられないものとなった。

ところで、なぜ、恋人同士の2種類の手紙が、向田さんの手元にあるのかというのが一番大きな疑問だった。Nさんからの手紙は分かるとしても、なぜ向田邦子の手紙も向田さんの下に残されたのか。
リサーチをしていくうちに、Nさんは死亡していることが分かった。どうやら、その際に遺品として、Nさんに書いた手紙を向田さんは回収したと思われる。
この番組を制作したとき、私は51歳。向田の恋人への思いに共感していたのだが、61歳になった今の私には、向田の父への思いのほうに引かれる。という変化も年齢(とし)のせいだろうか。



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by yamato-y | 2009-11-13 15:59 | Comments(1)

別れ盃

別れ盃

大木惇夫の「戦友別盃の歌」という詩を森繁久彌は折りに触れて嘆賞した。

「言うなかれ 君よ別れを 世の常を また生き死にを
海原の はるけき果てに 今やはた 何をか言はむ・・・」
戦時下の勇猛を賛美した詩として大木は戦後その責任を問われることになるので、長く世に出て来ることはなかったが、森繁がたしか亡くなった向田邦子を偲んでこの詩を贈ったことから、私の目にふれることになったと記憶している。

ついに森繁が逝った。96歳で老衰だそうだ。天寿を全うしたといえる。が、晩年親しい年少が先に死んでいくのを嘆いた森繁にとって、この天寿は幸せだったかどうかは判別が難しい。

その嘆きの始まりは30年前の向田邦子の急死であっただろう。時に彼女は51歳だった。森繁66歳。
二人が出会ったのは1962年から始まったラジオ放送の「森繁の重役読本」からだ。ちょうど向田が出版社に勤めながら、放送の内職原稿を書き始めた時期である。
試しに書かせた向田の原稿を見て、森繁はすぐ才能を見抜いた。座付き作家として起用する。この頃、向田は恋人Nと交際していた。その気配を森繁はなんとなく知っていて、ときどきからかった。東京オリンピックが近づいていて、世は高度成長の波に勢いづきはじめた頃である。。

「森繁の重役読本」はデイリーの番組だから全部で2448回放送されたことになる。1000本を越えるあたりから、森繁によって向田にテレビ脚本執筆の話がもちこまれる。1964年からTBSで始まった『七人の孫』第1シリーズである。そのドラマがはじまって、まもなく恋人のNが死んだ。

この時期の10日だけ、「森繁の重役読本」の担当を向田は降りていて、代筆が立っている。当然、森繁は向田に異変があったことは分かったはずだ。だが森繁は向田に何もいわない。

この恋人の死とテレビドラマ執筆開始の事情がからんで、向田は実家を出ることになる。家を探して、千駄ヶ谷のあたりにアパートをみつけた。

10月10日、荷物を運び入れて、ふと近くの国立競技場のどよめきに向田は気がついた。東京オリンピックの開催式だったのだ。最終ランナーが聖火台を駆け上っていく姿を見た時、向田はこらえていた涙をこぼした。
このことを向田はエッセーに記している。この涙の意味を知っていたのはほんの数人であろう。その一人に森繁久彌がいた。
向田が早世したとき、若い「戦友」を失ったと、先の大木淳夫の「別盃の歌」を森繁は噛みしめたに違いない。

多摩の墓地にある向田邦子の墓碑銘「花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る」は森繁の作だ。
そういえば、森繁はあの成島柳北の子孫だと聞いたことがあるが、文芸もよくする人だった。その森繁も逝き、いよいよ向田のことを知る人も少なくなった。

今週の土曜日、11月14日の午後4時から、「向田邦子が秘めたもの」が再放送される。数年前に制作して総務大臣賞を得た作品だが、久しぶりにBS20年を記念して放送されることになったのだ。ごらんいただきたい。

「この夕べ 相離るとも 輝やかし 南十字星を いつの夜か また共に見ん
言うなかれ 君よ別れを
見よ空と 水うつところ 黙々と 雲は行き雲は行けるを」

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by yamato-y | 2009-11-12 05:20 | シリーズ作品回顧 | Comments(2)


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