定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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御池のそばで

御池のそばで

本日の宮崎・養老対談収録のために烏丸御池のホテルハートンに昨日から入っている。
対談の会場はマンガミュージアム。そのそばのホテルに投宿しているのだ。久しぶりに立派なホテルに泊まることになった。部屋も広いし少し贅沢な気分。
大学授業のレギュラーときは四条木屋町の一泊5000円の定宿だが、今回は10000円のいいホテルのダブル、シングルユースだ。朝食もついている。今朝、和食コーナーに行ったらおかゆ定食だった。
この後。10時から現場で作業を開始。といっても、会場は11時まで別のイベントが行われているため、廊下で機材の点検などを行う。カメラ4台活用する擬似中継スタイルの撮影だ。

昨夜は夜10時までセッティングにかかった。作業を終えて出てくると、雨がぽつぽつ来ていたが、今朝はなんとか降らないでもってくれそうだ。しかし、黒い雲が低く垂れ込めているのが不安。

マンガミュージアムは実に便利のいい場所にある。京都駅からまっすぐ伸びる烏丸通りを上がる御池という目抜きにあるのだ。それもそのはず。ここはかつての名門小学校のあった場所。大正の頃に建てられたという由緒あるコンクリート建築をそのまま利用している。この部屋の趣がまたいい。
昨日、午後4時ごろに到着すると、館内には2、300人ほどの観客がいた。日曜日とあって平日より多かった。みんなマンガを手にとって、好きな場所で読みふけっている。特に校庭であった庭には人工芝が敷き詰められ、入場者はそこで寝転がってマンガを読むことができる。たいてい、5冊ほどかかえて読んでいる。外国人の姿も少なくない。

たしか、ここは河合隼雄さんが文化庁長官のときに、河合さんの提言もあってこういうミュージアムが作られたはず。過疎化、少子化で廃校となった校舎を利用したこのミュージアムは、ある意味でこれからのハコモノ利用のお手本になるかもしれない。


ミュージアム会場入り口の掲示板を見て驚いた。3つのイベントのポスターが張ってある。今、開催中が「美少女フィギュア原型師ボーメの世界」。まもなく始るのが「少年サンデー・少年マガジン創刊50年展」。そして、本日のイベント「宮崎駿、養老孟司トーク」。すべて、私が関わった企画だ。


午後1時からのトーク。宮崎駿さん養老孟司さんからどんな話が飛び出すのだろうか。

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by yamato-y | 2009-09-28 09:57 | Comments(1)

太宰のつづき

太宰のつづき

 太宰は若い日精神病院に入れられたことが大きな傷になったという。放埒と自殺未遂を繰り返す彼を、周りが危ぶんで措置したと思われるが、当人にとっては心外だったらしい。今も、当時のカルテが残っているようだ。読んでみたいものだ。
はたしてこの措置は太宰が抗議するように不当なことであったのだろうか。”冤罪”とみなすことが正しいのだろうか。

病跡学というのがあって、病気の跡をたどる学問を指す。そこでは、太宰は分裂症、神経症の跡が明白だと扱われているそうだ。正確には自己愛性パーソナリティ障害を患っていたという。誤解を招くといけないから、一言加えると、これは断定でなく、そう見られているということ。病跡学の研究者は太宰を診断したわけではなく、彼の作品、行動からそう類推しているのだ。だから、実際の診断はどうであったか、カルテを見てみたい。
 精神科医の米倉育男によれば、この障害のなかでも太宰は「操縦型人格」ではないかとみられている。自己中心的で自己愛を満足させるためにのみ他人と付き合うというタイプだ。この人格は、他人に軽蔑感を抱いているが、表面的には親切で暖かみがあり、人の気をひいたり操縦したりする。つまり、周りを翻弄するのだ。

太宰が太田静子と結ばれて1ヶ月、ふらりと静子の山荘に現れた太宰は、静子から妊娠したことを告げられる。いいことをしたといって静子を抱きしめるが、一方、「これで静子とはいっしょに死ねなくなった」と淋しく笑う太宰。
このあと、太宰から静子への連絡がぷっつり切れた。
それから3ヶ月後、静子は堪えきれず三鷹の太宰を訪ねる。ところが太宰はよそよそしかった。彼女のほうをほとんど見ないで、仲間と酒を呑んでばかりいた。最後に、三鷹の知人宅によって、太宰は静子の肖像画を早描きしてみせる。画に残された静子は泣き顔だった。太宰は静子の気持ちを知りながら邪慳にしていた。このとき、静子のおなかは大きくなっていたはずだ。

太田治子さんは、この太宰の最後にとった態度は判るという。『斜陽』を書き上げた太宰にとって、静子とのことは終わったのだからだとみなす。そして、静子への決別のメッセージは、斜陽の最終場面、主人公かず子の手紙というかたちで、太宰は書いた。そこにすべてがあると治子さんは見る。そうやって、かず子の手紙を読むと、なるほど太宰が静子とそのこどもに宛てた思いがなんとなく判る気がするものの、しかし、勝手な言い分だなと思う。これが無頼派と呼ばれる文学者の所業だと文学史は語って来たが、しかし太宰が障害をもっているとなると、評価もまた違ってくるのではないか。否、そういう形而下の問題ではないのだろうか。

ところで。『女学生』然り、『キリギリス』然り、一人称文体のこれらの作品群は私小説の範疇に入るのだろうか。先日死去した庄野潤三なんて作家は私小説作家といえるのだろうか。私小説なんて、小林秀雄の批判で終わったというが、なかなかしぶといぞ。私は、太宰は花袋、岩野泡鳴、藤村につながる私小説系と見ているのだが。
などということを、昨夜からつらつら考えて来た。

明けて、日曜日。今朝も蒸し暑い。昼から、京都のマンガミュージアムに向かう。明日の本番に向けての準備が今夜から始まるのだ。そろそろ、頭を切り替えて、宮崎駿、養老孟司両氏のことを考えなくてはなるまい。このお二人は今保育園ということにいたく関心があるそうだ。なぜ今保育所なんだろう。その疑問をかかえて、昼からの新幹線に乗る。

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by yamato-y | 2009-09-27 10:33 | 斜陽を考える | Comments(0)

銭湯の効果

銭湯の効果

気候もいいので、日の高い3時から中延の八幡湯に行った。ここには天然の黒湯の温泉がある。この店のお湯の温度は高め。とにかく暖まる。いささか風邪気味なので、ここはひとつ体をリフレッシュさせておかないと、明日からのロケに体がついていかない。エンカレッジ(元気付けなんて勝手な用語にしている)させようと出かけた。
タオルとバスタオル、石鹸、シャンプー、をビニール袋に入れて、足元はサンダル。簡単なイデタチ。
料金は450円。とにかく1時間入ろうと、計画を立てる。まず、一番大きな湯舟のバブルバスに15分漬かって体を馴らす。次に洗い場で簡単に頭を洗い、体を洗う。その間10分。
そして、ガラスで間仕切りされている黒湯に15分。これは全身浴5分、下半身10分。
この湯に漬かっていると、鼻汁がずるずると出てくる。新陳代謝が活発になるのだ。さすが天然温泉。体のあたたまり具合が違う。
いったん、脱衣場の扇風機の前に行ってクールダウン。血圧が普段高いのだから、この配慮は大切。およそ3分。再び頭がすっきりしたところで洗い場へ。ここで、今度は懇切に体を洗い、洗髪する。ただし、リンスは嫌いだからしない。およそ5分、ここまでで合計48分。
2番目に大きな湯船に入り、床からの沸いてくるバブルに足裏を当てながら肩までつかること8分。次に冷水プールに1分入って、最後の黒湯に5分漬かる。

風呂から上がって、鏡の前で扇風機にあたって、体を乾かし、下着だけつけて、マッサージ機に100円玉を投入。7分の強度マッサージを受ける。この段階で、すでに体はぐにゃぐにゃ。思わずよだれがこぼれそうになる。

番台には昼の光が差し込んでいる。日がまだ高いのだ。こういう時間帯の銭湯は実に気持ちがいい。定番のコーヒー牛乳を飲もうと思ったが、その横に青梅が入ったソーダがおいしそうだったので、それにする。130円。なんだ、梅酒じゃないのか。

この八幡湯は先日閉鎖になったと聞いていて残念に思っていたのだが、住民の要望が強いので再開したらしい。この閉鎖騒ぎで御迷惑をお客さまに与えたので、来る28日は終日無料デーにするという張り紙が風呂屋の玄関にあった。とにかく、この銭湯が存続されて嬉しい。とても銭湯ではすまない、贅沢なお湯感覚がここにはある。
風邪をひきはじめたかなと思ったら、八幡湯へ。

再開したということで住民たちも待ち望んでいたのだろう。開店と同時に男女40名ほどがぞろぞろ入った。銭湯に止まること1時間。客はジジイばかりで、青年は一人。子供は一人もいなかった。はしゃいで騒ぐ子供がいない銭湯は淋しい。バタバタ走り回る餓鬼を叱る楽しみがないじゃない。カンバック!キッズ

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by yamato-y | 2009-09-26 23:08 | Comments(0)

アハレ ワガイノチ

アハレ ワガイノチ

太宰の『斜陽』が単行本として出版されたのは昭和23年。私の生まれた年だ。戦争が終わって3年。社会はまだ不安定だった。
当然、敗戦の混乱は続いていた。民主化という言葉が太平洋の向こうからやって来たけれど、実感としておおぜいの人たちは掴めなかった。労働組合の声が大きくなったり、戦犯追放とか農地改革などが推し進められたが、人の生き方としての民主化まではまだまだ実現化することはできなかった、ようだ。

たしか、黒澤明の「わが青春に悔いなし」が封切られたのも23年だったはず。そこで描かれた原節子の演ずるヒロインは、”封建的”な社会、地域に抗って生きて行く姿を描いている。今の私たちの目から見れば、これほどのことがなぜ問題になるのだろうかと思うが、女性が発言したり行動を起こしたりすることは、当時の情勢ではかなり厳しかったにちがいない。

そんな時代に、旧華族の娘が妻子ある男と関係をし、未婚で子供を作ったという物語は、とても大胆で新鮮にみえたにちがいない。「斜陽」の造形は、太田静子というモデルがあってこそ生まれた小説だ。この静子という女性の人生がこれまであまりにも過小に評価されてきた。今回、私たちは彼女の生き方に注目し、太宰と静子の子である太田治子さんが、二人の生き方を批評的に見つめる。

10月4日の放送をごらんいただければ、二人の生き方の詳細は判ると思う。太田静子は戦時中下曽我の山荘にこもって、貴婦人である母と浮き世離れした生活を送っていた。その日常を日記に綴っていた。それが、後年、『斜陽日記』として発刊されるものだが、この日記を下敷きにして、太宰は『斜陽』を描いた。『斜陽』の第一章、二章は、日記のほとんど引き写しに近い。それほど、静子の日記は魅力的だったのだ。文学を愛し、ローザ・ルグゼンブルグの革命理論に萌える静子。前衛短歌を詠み、チャイコフスキーを愛ずる静子。銀座を闊歩しフランス語を学ぶ自由人だった。ある意味では、太宰よりよほど過激な精神の持ち主ともいえる。

二人は文通していた。あるとき、静子は自分の将来について太宰に尋ねる。1つは若い文学者といっしょになるくらし、2つは堅気の男に再婚するくらし、3つめは妻子ある作家の愛人となって生きるくらし、このどれを選べばいいでしょうかと、静子は太宰に言葉の刃を突きつける。

それを読んだ太宰は、すぐ電報をうってくる。「アハレ ワガイノチ」

今回の番組では、この事実経過は押さえているがこの太宰の電報の意味については深入りしていない。私はずっとこの文面が気になっている。静子のまっすぐな求愛に対して、はぐらかすような文面。だが、もし静子をなだめるだけなら「アハレ イノチ」でいいではないか。なぜワガイノチとしたのだろうか。大好きな家族もありながら、別の女性とも交情をもとうとする自分を、感傷的に哀れんだのであろうか。もしくはイノチとは静子のことで、字義どおり、思い詰めている静子のことをアワレと思ったのだろうか。
いや、ひょっとすると、思いつきで気のきいたセリフとして、若い女の気を惹こうとした台詞なのか。

今回番組を制作しながら、あらためて太宰の言語感覚の秀抜に目をみはる。静子への「ラブレター」に出て来る文言。好きな女に向かって、あなたは私の「憩いの草原」だと記すのだ。こういう用例はない。同時代の横光利一や織田作、中原中也らとシノギを削っているなかから生まれてきたのだろうか。

カタカナ使用で、私が一番好きなのは「右大臣実朝」の一節。
アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。



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by yamato-y | 2009-09-26 13:18 | 斜陽を考える | Comments(0)

つかのま

つかのま

太宰企画が終わったと思ったら、すぐジブリ企画だ。
来週の月曜日に京都マンガミュージアムで収録される企画のことだ。館長の養老孟司さんがホストとになって、宮崎駿監督をゲストに迎えて、トークが行われる。これを収録するのだ。先週末から別班が準備を進めてきていて、昨日総合打ち合わせをもった。
太宰のプレス試写はうまくいったと安心したのも束の間、次の仕事が待っている。

体が大儀い。病気にならないように注意しておこう。タケ先生によれば、腰と膝を冷やすことは禁物だという。なにより、くよくよしていることが体に一番悪いと思われる。
この苦境から逃れることを考えなくては。

今朝、久しぶりにツヴァイク道の朝の光を浴びた。森に朝日が幾条もさしこみ、秋の草原が光に照り映えて息を呑んだ。最近詩情を忘れていた。鞄に「鈴木しづ子」があった。ある人からいただいた本だが、表紙に書かれた「夏みかん酢つぱしいまさら純潔など」というふてぶてしさが気になって、ページを繰っていなかったが、開いてみることにした。
この人は「娼婦俳人」と異称をとるそうだ。敗戦後の巷で、男を引いたことがあるのではないかと、俳壇では噂になったとか。
娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ
なんて、挑発的な句を作れば、その伝説も生まれるかも。
霙けり人よりもらふ銭の額
この代価とは身を売ったものと、あさましき読者の妄想を呼ぶ句。

しかし、この人も、『斜陽』のモデル太田静子のように、ある道徳革命を起こそうとした人物ではないかと、書を読み進めながら感想をもった。
この女性の造語感は恐ろしいまでに鋭い。
実石榴のかつと割れたる情痴かな
これにくらべれば西東三鬼の「桃」の句などは可愛い。

昭和20年春の東京大空襲を詠んだ句
東京と生死をちかふ盛夏かな
欝たる気分のときに、こういうひりひりした句と出会うのも悪くはない。鈴木しづ子、あるときから行方が不明になったそうだ。伝説の女性俳人。今も生きていれば90歳。

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by yamato-y | 2009-09-25 17:52 | Comments(0)

雀の声さえ

雀の声さえ

長いロードが終わった。14日から5日間の集中講義、土曜日の科学研究、と連続学問を終え、日曜日から23日までがETV特集の編集、仕上げの作成作業となった。ようやく一本の番組になった。今回は苦戦というより、放送日の予定が延長されたため、ポストプロダクションにも時間を念入りに時間をかけたためこういう長丁場の仕事となった。
といっても仕事の合間には苦しいことを想起しながらで、低空飛行でやっとたどり着いたというのが本音だ。

番組は悪くない。ディレクターの情熱がたっぷりこもった熱い作品になっている。生誕100年という節目の太宰ドキュメンタリーとしての風格と内容を備えた作品となった。本日、午後からマスコミ各社への広報が行われる。

しかし、8月末に予定していたものが消えたり変更してもらったりしてよかったとしか言いようがない。9月11日に品川のインテリジェントビルでオープンしたあるオフィスの記念セレモニーの取材、編集がなくなったことは、結果としてかなり楽になった。さらに、11月放送予定としていた企画も来年度に延期してもらったことも大きい。

あとは、年末の番組だ。これが28日に本番をむかえる。この打ち合わせが今夕ある。なんとか、体調を崩さないようにしていかなければいけない。年々、体力、健康が落ちている。
誰かが言っていたが、老化は徐々にではなく,階段を下るようにドスンドスンとある一定の期間で来る。

昨日、三好達治のエッセーを読んだ。そこにある雅量がつくづく羨ましいと思った。

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by yamato-y | 2009-09-24 07:43 | Comments(1)

タイガー・モスキトンのこと

タイガー・モスキトンのこと

ちばさんが「紫電改のタカ」を発表した1963年頃、少年たちの間では戦記ブームがあった。
戦記雑誌「丸」や少年誌でもグラビアで、軍艦や戦闘機の詳しい解説が施され、少年たちはゼロ戦や隼といった人口に膾炙した情報だけでなく、疾風や彗星、雪風や古鷹などのディープな兵器の性能に熱中した。だから、一般に知られていない紫電改などという戦闘機を登場させる物語「紫電改のタカ」は、戦記少年たちの心を掴んだ。あの当時の少年心理はプチナショナリズムではないかと近年みられている。そういう側面はあることはあるが、一概にそうとは言えない部分もあるのではないだろうか。

太平洋戦争にあって日本はたしかに物量においてアメリカに劣り、その点において敗北したが、技術とか一人ひとりの戦士の力量においてはアメリカを凌駕するものがあった、それが功を奏していれば日本はきっと勝利を得たかもしれないという「幻想」は60年代の少年たちをつよく捉えた。幻の兵器として高速偵察機彗星、長距離爆撃機富岳、ロケット飛行機秋水、などと並んで紫電改という高性能戦闘機があった。そこに乗務する滝城太郎が「紫電改のタカ」の主人公である。

ちばさんは当時の戦記ブームをいささか苦々しく思っていた。まるでスポーツのように性能や技術を書きたてる戦争記事に違和を感じていた。自身、6歳のときに旧満州から命からがら引き揚げてきた体験もあって、戦争の悲惨、みじめさは身にしみていた。あの戦争の歴史的記録、記憶などには関心をもっていた。「きけ、わだつみの声」などを読んで自分の体験のほかにもさまざまな戦争体験があることを、ちばさんは知っていたし、こどもたちにも知ってほしいと願っていた。特攻で逝った飛行機乗りは、体力も知力も優秀な若者だったはずだ。その有為な若者が国のためにと言って、命を落とさざるを得なかった状況。ちばさんは派手な空中戦よりそのことを描きたいと思った。

 戦争の不条理は日本人の側だけではないということも、24歳のちば青年は感じていた。
先日のちばさんを囲む会で、京都精華大のY先生は「紫電改のタカ」についておもしろい指摘をした。この戦記漫画のなかで、空襲、空中戦、交戦などの戦いはいくつもあるが、非戦闘員の死が描かれた場面は一箇所しかないという。それは、真珠湾攻撃で巻き添えをくったアメリカの可愛いこどもたちの死の場面。空爆のため命を奪われた金髪の男の子や女の子・・・。
このこどもたちの兄であるモスキトンが復讐を誓って、後にタイガーとして恐れられる空中戦の鬼となる。こういう敵の個人的な事情が描かれ、その境遇にまでまなざしを注いだ漫画というのは、それまでなかったものだとY先生は評価した。

この発想はどこから来たのかという質問に、ちばさんは語った。
「真珠湾が攻撃された日というのは休日だったと思います。あの爆撃を受けたあと炎上沈没する軍艦たちの有名なフィルムを見るたびに、こういう戦闘員だけでなく、あの日犠牲になったハワイの人たちもいるのではないかということが、いつも気になっていたのです。」ここからモスキトンという存在が生まれていくのだ。

 戦争の不条理を描くと、漫画の人気は落ち、担当編集者から「4位に落ちた」とこぼされることが多くなり、ついつい「逆タカ落とし」などの空中戦シーンを多くことになった。本当に言いたいことがいつも後退していて、あの作品については自分でも不本意なものになったと長く思っていましたよと、ちばさんはぼそりと言った。
「だけど、最近になって、当時この漫画に夢中になっていた少年たち、今では中年のおじさんだけど、そういう人たちから一番心に残った作品と評価される機会が増えてきました。私もそうかなあと思うことが多くなりましたね」

 ちばてつやさんという偉大な漫画家の知られざる面をもっと掘り下げたいと思った。

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by yamato-y | 2009-09-19 09:34 | Comments(1)

ちばさんの人柄

ちばさんの人柄

昨日の12時29分、のぞみに乗ってちばてつやさんがやってきた。誰もお供はいない。一人でバッグを肩にかけてぶらっと来たといった雰囲気。新幹線のホームまで出迎えた私はさっそく遠路ありがとうとございますと挨拶をすると、にこっと笑顔のちばさん。

駅から大学までタクシーで40分とみていたが、道が空いていて、1時には到着した。
教室にはおよそ70人ほどの受講生がちばさんを待っていた。
教壇をとっぱらった場所に椅子を二つ置き、ちばさんと私が並んで、公開授業となった。一応、私が司会と聞き手を兼ねてちばさんに質問をぶつけ、それにちばさんが応えるという方式で、ちばさんのデビュー時代からの「漫画論」をうかがった。
1956年に千葉さんは貸本漫画デビューするのだが、そのときまで、ちばさんは漫画の印刷するための原稿がどんなものか知らなかった。神田の日昇館(この表記は違うかもしれない)という小さな出版社に初めて原稿を持ち込んだ。用紙の裏表に画を鉛筆で描いた原稿だった。そこで、日昇館の編集者から、漫画の原稿というものはペンと墨汁を使って描くもので、修正はポスターカラーを使用するもの、ペン先はGペンがいいことなどを逐一教わったのだ。
それでも才能があったのだろう。その編集者は何か20枚ほど描いてごらんと指示した。半月ほどかけて描いて、その原稿をもっていったところ、さらに20枚描いてと言われた。家族6人が一間で暮らすちば一家では、画を描くスペースなどなく、いつも押入れにこもって描いた。こうして、5回ほど原稿を届けたら、次は14枚にしてお話を終りにしてごらんと編集者は言った。急に終われといわれて、不器用なちばさんは四苦八苦して原稿を描いた。この間、ちばさんはずっと漫画の修業を行っていると考えていた。当時、日大一高の2年生である。

14枚を編集者に渡したところ、その人は引き出しからお札をごそごそと取り出し、コインを数えて12601円にしてちば少年に「はい」と渡した。ちばさんは一瞬そのお金が何か分からなかった。まさか、これが本になるとは思わなかったし、稿料がもらえるとも思っていなかったのだ。その年1956年に1円玉が発行されたばかりだから、端数の1円のことをよく覚えている。それからちばさんはどうやって家に帰ったか覚えていない。興奮していっしょに行った漫画仲間から、むき出しで握ったお金をポケットにしまえよと注意されるまで、どんなふうに歩いたか記憶がない。

こんな、ちば少年のエピソードからあしたのジョーで梶原一騎さんとの一騎打ちまでのエピソードをうかがっていたら、あっと言う間に1時間半経った。まだ、聞くべき話がたくさんあったが、残念ながら時間切れとなった。
この後、教室から演習室に移動。そこで、戦争の記憶研究会のメンバーによる、ちばさんの戦争体験聞き取りが行われた。ちばさんは2歳で満州に渡り、6歳で現地で敗戦をむかえ、1年かけて内地に帰還するという過酷な体験をしている。その話を紐解いていただきながら、ちばさんの代表作「紫電改のタカ」の創造のエピソードをあれこれ聞くことになった。

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by yamato-y | 2009-09-18 08:47 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

漫画家志望

漫画家志望

今回の集中講義に出席している3回生のMくんは漫画家を志望している。前期の映像制作実習でも積極的に参加していたのだが、その真意を聞くと、将来漫画を描くための参考になればと思って映像実習をとったという。この大学で漫画家を志望するということ自体が珍しいが、なにより表現ということにこだわる姿勢に好感をもつ。

明日、特別講義でちばてつやさんが来学されることを、Mくんは楽しみにしている。その日のためにこの半月徹夜して漫画を20ページ描いたという。ちば先生に見てもらいたいと思っていると私に告げた。夕方のことだ。
「そりゃあ無理だよ。明日はスケジュールがいっぱいで、かつちば先生は日帰りで、そういう時間はとれないよ」と私が言うと、Mくんは泣きそうな顔になる。

ということで、彼がなぜ漫画家を志望するかという話を聞きながら、夕方ビールを飲むこととなった。
三河の岡崎出身のMくんは高校2年のときに友人の影響で、自分の人生は漫画を描くことと決めたそうだ。以来、漫画を描くために文学部で歴史を学んでいる。「どういう漫画を描こうと思っているのか。」
サルバドール・ダリの超現実的な世界、フロイトの説く夢の世界、そういうものを彷彿とさせるような不思議を描きたいという。変なことを考える漫画家の卵だ。
だが漫画に対する情熱は人一倍強い。よい漫画を描くために、来年は休学して演劇に1年間打ち込もうと考えていると、目をきらきらさせながらMくんは語る。
「きみは、今いくつだったっけ」
「ハタチです」きらきら。
「恋人はいるの」
「遠距離恋愛。東京に3歳年上の彼女がいます」きらきら。
「彼女は何やってんの」
「東大でイタリアの国語論をやっています。地方語でしかなかったフィレンツェの言葉がなぜ標準語になったのかを学んでいます。将来研究者をめざしています」きらきら。
「ふうん」
「研究者と漫画家では、ぼくたち金持ちになれないねって、彼女と言っています。でも、そんなこといいのです」きらきら。
「あのさ、明日、ちば先生の迎えに京都駅までぼくと一緒に行ってくれる」
「よろこんで」きらきら。
Mくんはなかなかハンサムでもある。

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by yamato-y | 2009-09-16 23:25 | 登羊亭日乗 | Comments(2)

京の夕焼け

京の夕焼け

連続講義で京都に来ている。今朝は百万遍の知恩寺で開かれている手作り市で、句友の葱男さんと会った。このお寺は大学のまん前にあって、月に一度フリーマーケットのようにして手作り製品が売られる大きな市が立つのだ。私は映像メディア論を今回論じている。主にテレビドキュメンタリーの特性について語っている。このフリーマーケットもある意味でメディアではないかと私は考えていて、それを学生諸君に実地検分してもらおうと、2コマ目の後半から現場へ出向いた。

雨もよいもあって、人の出は少なめだったが、お昼が近ずくに連れて会場は賑わいだした。中高年の女性が多いのだが、若い人もけっして少なくない。京都の街中にこういう市が立つというのは、うらやましい気がする。単に物の売り買いだけでなく、人情も交換しているような気がしてくる。葱男さんは今回手作りTシャツの店は出さず、奥さんのフェルト製品だけを陳列していた。雨で品物が濡れるのを避けたそうだ。葱男さん夫婦の楽しそうな生き方にちょっぴり感動。しばらく話して、17日のちばてつやさんの授業に来るように呼びかけて、葱男さんの店を離れた。

集中講義は朝10時から17時過ぎまでぶっ通しだから、夕方になるとけっこう草臥れる。
授業を終えて、外に出ると、西の空が紅く焼けていた。空が高いから夕焼けも美しい。朝方の雨はすっかりあがっていたのだ。
大学正門前からバスに乗って東山三条まで行く。そこから河原町に向かって歩く。日がとっぷり暮れた。家々に灯りがともる。京都の町屋の灯は懐かしさをさそう。
こうやって、大学に来るようになって六年になる。いつのまにか、京都の町にもすっかり馴染んだ。久しぶりに、心が穏やかな夕暮れとなる。
葱男さんが最近作った句を思いだした。
いわし雲誰を遠くへつれてゆこ  葱男

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by yamato-y | 2009-09-15 21:01 | Comments(2)


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