定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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日にちぐすり

日にちぐすり

昨日の読売新聞の人生相談で、「日にちぐすり」という言葉を知った。月日が辛さを和らげるという意味だ。相談者は、親友が最愛の夫を失って悲しんでいることに何をしたらいいかと問い合わせている。これに対する答えのなかに眉村卓さんが日にちぐすりという言葉を使って答えていた。

日本SFの草分けであり大御所である眉村さんは、いかつい風貌と違って愛妻家である。奥様が病で倒れて車椅子で不随のくらしを送るようになってから、甲斐甲斐しく身の回りの世話をやくばかりか、奥様のために毎日ショートストーリーを書き続けた人でもある。その数は千に及んだ。このときの作品を集めて作った私家版の冊子を私はじかに眉村さんから、2年前にいただいた。

眉村さんの最愛の糟糠の妻は、介護の甲斐なく亡くなられるが、眉村さんのなかでは精一杯やることをやったという自負があったにちがいない。といっても、妻を亡くして一人となった眉村さんの人生は辛く厳しいものがあった。その苦衷を内に秘めて、現在の老いの日々に至っている。

その眉村さんが、喪失の悲しみにうちひしがれる人に対する慰めは、「日にちぐすり」しかないと発言している。重い言葉だと思う。

そうわかったうえでも、やはり歳月という薬が効かない悲しみを背負う人がいるものだ。
以前にも書いたが、私のよく通った居酒屋の女将だ。5年ほど前に最愛の夫を亡くして以来、その心は凍ったままでいる。私は半年に一度ぐらい、酔っ払って電話をするが、「いつもありがとう」といって、その後は泣いてばかりの日々を送っている。

いつの頃からだろう。人生という言葉をしみじみ考えるようになったのは。五十の坂を下り始めた頃だったろう。それまでは、「人生劇場」とか「ばら色の人生」とかの用法でしか考えが及ばなかったが、老年期に入り始めたときから、人生ということを考えるようになった。この考えに影響を与えたのは、神谷美恵子だった。

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by yamato-y | 2009-06-30 14:42 | 登羊亭日乗 | Comments(1)

NINJA/ 忍者

NINJA/ 忍者

アメリカでは、ここ数年、映画や小説を中心に忍者がちょっとしたブームになっている。フランスのニース大学には“忍者部”というサークルまである。忍者の名は日本国内にとどまらず、世界的にもよく知られている。でも、その関心は東洋の神秘のようなオリエンタル趣味で、その実態がインテリジェンスのエキスパートであるという見方はほとんどない。いや、外国人だけではなく、今の日本人もそういう認識に近いかもしれない。

私の小学生の頃は忍術使いといったと思うが、昔から、忍者が好きだった。「忍者のふるさと」と言えば、伊賀、甲賀だ。今の三重県と滋賀県にまたがる区域である。先日、太宰の取材で、滋賀県の愛知川へ行ったとき、遠くに鈴鹿山脈が連なるのを見た。古来より忍びの技術を磨き作り上げた地域である。あの山のなかに、伊賀、甲賀があるかと思うとわくわくした。

そもそも忍者(にんじゃ)とは、鎌倉時代から江戸時代にかけての武士の時代に現れた存在で、大名や領主に仕え諜報活動や暗殺を仕事としていたとされる。現在、放映中の大河ドラマ「天地人」でも、その存在が描かれている。呼び方はいろいろある。忍、透波(すっぱ)、斥候(うかみ)など。すっぱ抜くなどという言葉が今も残っている。忍者を雇う武将によっても違う呼び名を使ったようだ。武田信玄なら乱波(らっぱ)、秀吉なら木陰衆(こかげしゅう)、信長なら饗談(きょうだん)、上杉謙信なら軒猿(のきざる)。上杉勢力にあった山形を舞台とする藤沢周平の小説では軒猿という呼称を使っていた。そのなかで甲賀や伊賀を本拠としていた忍者集団は有名である。いくつもの忍者屋敷があり、日々の訓練が行われていたと伝えられている。
このように忍者は実在したとはいえ、かなりのフィクションが混じっている。その虚実のあわいが、私にとっての忍者の魅力。あわいの例として忍術がある。どこまで本当か分からないが、さもありなんと思わせるものがある。

忍術とは、忍者が追っ手からの逃走に用いる術である。その一つに五車の術というのがあって、相手と話をしていてとりこむものがある。相手をおだてて隙を伺う喜車の術 。相手を怒らせ冷静さを失わせる怒車の術 。相手の同情を誘う哀車の術。相手を羨ましがらせて戦意を喪失させる楽車の術。相手の恐怖心につけこみ戦意を喪失させる恐車の術。
私の場合、忍術をかけるよりかけられるほうであろう。一番かかりやすいのは怒車の術 。

忍者番組を作ってみたい。本格的に、伊賀甲賀をリサーチしてみようかな。

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by yamato-y | 2009-06-30 08:47 | Comments(1)

日盛りの庭はしんとして

日盛りの庭はしんとして

うだるような暑さが支配する日曜日の午後。母は冬ソナ、オレは懐メロ。
先週、人事異動にともない職場の座席替えがあった。古いロッカーにしまっておいた番組資料を処分しなくてはならなくなった。捨てるのはもったいないと思われるものだけ、宅配便で実家に送っておいた。帰ってみると、封を切らずにそのままになっていたから、開いて、母の興味のあるブツを取り出した。そこに、冬のソナタの名所、ナミソムの写真集があった。
写真集の表紙は地味で「南怡島」としかないから、気がつかなかったようだ。入手したのは2004年で、まだ日本ではブームが起きる前のことだ。私は冬ソナの特集番組を作るため、はじめてナミソムを訪れて、資料用に購入したものだ。その写真集には現在の観光化された風景とかなり違っていて、豊かな自然が残っている。ぱらぱらとページを繰って見せると、母の目の色が変わった。それから1時間、写真集をずっと眺めている。と、なかからサインが出てきた。何と書いてあるかと聞くから、クォン・ヘヒョ。「あらあ、キム次長やないの」と素っ頓狂な声を出す。

一方、私はネットのまぼろし放送局の存在を、ある人からのコメントで教えていただいて夢中になった。「さよならを言う前に」は小林啓子がオリジナルなのだが、新しいアルバムは今風のアレンジなのでいささか落胆していたが、まぼろし放送局にアップされていた、いぬいゆみの演奏に出会い満足した。このまぼろし放送局とユーチューブと並行して調べると、次々に懐かしい歌が蘇ってくる。これを家で聴いていたら、「いい年をして、青春ソングだなんて」と顰蹙を買うところだが、実家は母しかいないから気楽に楽しめる。
黒沢年男の“名曲”に行き着いた。癌をカミングアウトして悟ったようなことを言っている黒沢でなく、私らの青春のランナーだった頃の黒沢の歌だ。「花と海」「海の子守唄」はお気に入りだ。特に「花と海」はほとんど知られていない楽曲だっただけに、見つけたときは少しうれしかった。そして、作曲者を調べるとあの筒美京平だった、やっぱり。
この歌を歌っていた頃、黒沢の相手役は酒井和歌子だった。前も書いたが、高校生の頃、学校をさぼって彼女の主演「日本の青春」を見た。いっしょに見に行った友だちが、その後俳優になって、彼女と共演しているのをテレビで見て、複雑な思いになった。ソンナコトも懐メロを聴いているうちに思い出す。
ところで、黒沢年男の弟はミュージシャンだ。最初、寺内タケシとブルージーンズに属していた。彼がツアーで金沢に来たとき、私は聴きに行った。彼が歌う「愛のリメンバー」という曲が好きだったが、さすがにこの曲は探してもない。
この黒沢弟こと黒沢博は後年ヒロシ&キーボーという名前で歌謡曲の歌手になって現れたときはびっくりした。たしか、「3年目の浮気」というその曲はヒットしたはずだ。

なんだか、実家に帰ったら、にきび面のあんちゃんの気分になってしまった。日が翳って、母はいそいそと洗濯物を取り込みはじめた。西日を浴びた紫陽花が輝いている。

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by yamato-y | 2009-06-28 17:07 | Comments(2)

広縁に寝転んで

広縁に寝転んで

実家(さと)に帰った日曜日。9時過ぎに起き出してくると、母は教会へ出かけたらしく姿がない。朝ごはんの支度がしてある。
久しぶりに福井新聞を読む。全国紙と違って、自分の見知っているようなことが記事になっていて面白い。かつて私が通った中学が隣町の中学と合併するという記事が出ている。私の頃は1学年500人、全部合わせると1500人ちかくいたと思うが、今では全校で500人しかないという。少子化の波は急激に大きくなって、田舎ではかなり深刻な状態になっているようだ。

“へしこ”をレンジにかけて少しあぶったものを、熱いごはんにまぶして食べる。このおかずだけでごはんが2膳食べられる。朝から食べすぎだと分かっていても、へしこごはんはうまい。へしことは越前若狭地方に古くから伝わる保存食品で、鯖の糠づけのこと。とにかくしょっぱい。塩分の塊のようなもので、食べているうちにあまりの辛さに汗が吹き出るほどだ。血圧の高い私には禁断の食べ物だが、故郷(くに)に帰ったときだけ内緒で食べる。これを食べて、食後に降圧剤を飲んでいる。サッチャ・フールアズアイ

腹がいっぱいになったところで、縁側まで行き、広縁に寝転ぶ。外は暑そうだが、縁側には涼しい風が時折吹くからここちよい。中学生の頃愛読した文庫本を手にとって読む。『半七捕物帳』、昨夜ケーブルテレビでひばりの「雪之丞変化」を見たこともあって、時代小説に手を出した。だが10分も経たないうちにうつらうつら。手から本を落として慌てる。

裏の川で昨夜蛍を見た。母が言うには8時半から9時15分の間にしか出ないというのだが、松本人志の「すべらない話」の終わりのほうで見に行ったから、10時近くになっていたはず。
蛍が2つほど弱弱しく飛んでいた。川といっても灌漑用の流水なので、流れは早い。その水面すれすれをぽーっと灯りをともして2匹の蛍が飛んでいた。「蛍川」という映画はよかったな。

広縁でごろごろするのは気持ちいい。甘いものでも食べたくなった。冷蔵庫をのぞくと、アーモンドグリコが20個ほどあった。一個食べると、尾を引いて全部食べてしまう。冷蔵庫の上に昔から使っている白板があって、そこに娘の描いたコロコロコロスケの漫画が残っていた。今から10年以上も前の画が消えかかりながらある。小学生の娘がそこでにこにこ笑っていた。

少し、「斜陽」の勉強でもしておこう。京都のブックファーストで買った『心映えの記』(太田治子 1987年)を読み始める。若い女の虚栄を描いているが、全然嫌な感じがしない。むしろ正直な告白にどんどん引き込まれていく。
気がつくと、風が止まっていた。汗がふきでる。

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by yamato-y | 2009-06-28 10:46 | Comments(0)

ああ青春の胸の血は

ああ青春の胸の血は

♪あふれる若さあればこそ、未来に向かいわれ等立つ 海の太陽、山の雲 輝け命のかぎり
という詞は、舟木一夫の「ああ青春の胸の血は」の一節だ。今から40年も前を思い出す。
(*輝け命のかぎりではなく、輝け命の歌声に ああ、だそうだ。なるほど。)

京都13時45分発、湖西線周り敦賀行き新快速に乗った。土曜日の昼下がりとあって、車内には高校生や大学生らしい若者の姿が多い。
私の座っているところからよく見える扉のところに、大学生とおぼしき男女のグループがいる。女子3名、男子6名。空席があるが座らず、みな固まって会話に興じている。話している内容は聞こえないが、楽しそうな気配だ。全員が笑顔だ。
この沿線には立命館大学の分校があるから、そこに帰っていく学生ということも考えられるが、私の見たところ、京都市内の学生で、週末の遠出のような様子だ。おそらく、みんなで比良山か竹生島あたりにハイキングに行くのではないか。昔の私らの言葉を使えばゴーハイ」、合同ハイキングに出かけて行くと推測する。ゴーコン〈合同コンパ〉という言葉は今も残っているが、ゴーハイは死語になっているかもしれない。

新快速電車は坂本比叡山の駅でしばらく停車。若者グループのなかの女子が結婚の話題を持ち出した。走行音がないから離れていても聞こえてくる。「うちの、お兄ちゃんが、来月結婚するんよ」。と、「羨ましい」と別の女子。一人の男子がぼくももうすぐ結婚するつもりだと発言すると、その女子は少し驚いた様子。「へええ、結婚しはるんですか」。意外な答えに驚く女の子の表情が愛らしい。しかも京ことばの優しさがなんともいえない。
女子は3人とも化粧をしておらず、表情も幼い。ぼくらの時代の女子大生の雰囲気をかもしている。懐かしくなるような女の子たちだ。だから、余計私はそのグループに興味をもったのかもしれない。あっけらかんと笑っている彼女たちの姿がなんともまぶしい。彼女たちのおしゃべりにつきあっている男子たち5人もにこにこ笑いながら話を聞いている。彼らもなんとなくいいやつのような気がしてくる。
一人ひとりにはそれぞれ悩みがあるかもしれないが、なんの憂いもなく青春の真っ只中にあるように見える彼ら・・・。

窓外に目をやると、美しい水田の向こうに琵琶湖があった。竹生島の青い影が霞んでいる。

近江高島の駅で、そのグループは降りた。彼らだけでなく、他にも若い男女が50人ほど降りた。どうやらどこかの大学の新入生の一泊研修らしい。この高島に大学の宿泊施設があるのだろう。
東京では、最近めったに遭わない素朴な若い男女たちを見ているだけで心楽しい時間だった。快速電車は琵琶湖をはなれて、北国街道の山道に入っていく。まもなく、近江塩津。

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by yamato-y | 2009-06-27 18:06 | Comments(1)

から梅雨ぎみの京都で

から梅雨ぎみの京都で

昨夜、少年マガジン元編集長の内田勝さんを偲ぶ会が東京で開かれ、そこに参加するつもりであったが、京都の大学での番組作りが煮詰まっていて離れることができなかった。内田さんが亡くなって1年を期して開かれた会だ。出席できないのは残念であったが、若い人を育成することが好きであった内田さんだったから、きっと許してくれるにちがいないと心のなかで詫びた。

前期の大学の授業は、半年にわたって10分ほどのビデオ番組を学生たちに制作してもらうことになっている。今年は例年より受講する学生が少なく、少数精鋭でロケや編集を行っている。それだけに熱心でレベルも高い。現在制作している番組は3本。「発見!京大の××」という大きな枠にはめこんで、毎年面白いネタを探して作られる。本年の作品のタイトルは、「ど派手、名物教授、鎌田先生」「近場の名所、吉田神社」「食糧NGOメンバー、総長にプレゼン」、この3本だ。
一本目、「ど派手、名物教授、鎌田先生」
鎌田教授は火山学の専門家で、一般教養必須科目の先生だが、その服装は奇抜にしてど派手。そのユニークなキャラクターや才能が知られて、最近ではよくテレビに登場する。だが、この鎌田先生、10年前までは背広に七三分けの真面目で硬い先生だった。あるとき突然変身した、その理由は?取材班は先生の秘めた教育観を探っていく。
二本目、「近場の名所、吉田神社」
「徒然草」の兼好法師こと、吉田兼好で知られる吉田神道の本山、吉田神社。節分には参詣する市民でごったがえす。境内まで京大の時計台からわずか100メートル。それほど近い名所にもかかわらず、京大生はこの存在をほとんど知らない。なぜだろうか。取材班は取材をすすめていくうちに、ある噂の存在をつきとめる。それは受験にからむ辛く悲しい伝説だったのだ・・・。
三本目、「食糧NGOメンバー、総長にプレゼン」
 農学部の学生を中心に活動するTFTは、世界の食糧を考え途上国への援助をサポートするサークルだ。この活動の重要性をアピールするため、総長に会見をして思いを伝えようということになった。そのための資料作りが深夜まで続く。そして、いよいよ総長と接見する日となった。はたしてプレゼンはうまくいくだろうか。総長は、思いを受け止めてくれるだろうか。

こういう大学ならではのユニークな企画を延べ20日間ほどかけて作る授業だ。まったく、これまで動画の撮影編集をしたことのない学生たちが、わずか、半年で作るのだ。
毎年、感心するのだが、作品はなかなか面白いのだ。コメントの文章もうまい。プロの作り手でもろくにロケができないのがいるのに、素人の学生がそれなりに取材、ロケしてくる。取材拒否などにあって弱音を吐くようなことはあるが、けっして諦めない。深夜遅くまで研究室に居残って、編集を行っている。

 学生たちを見ていて、ハンチクプロデューサーの仕事を思い出した。どこかの広告代理店の地方支社で数年いたらしい。そこを辞めて中途で番組制作の世界に来た。これといった作品などを作ったこともなければ、作れもしないくせに、口先だけ偉そうなことを言う。自分が作ったわけでもない番組をさもやったかのように自慢する。ギョーカイを渡り歩き、かつホラを吹いて回る。

今になって不明を恥じるのだが、こんなハンチクを先年私は内田さんに紹介した。それだけが残念でならない。その不明であったことを、昨夜偲ぶ会で内田さんの遺影に報告したかったのだが、どうしても学生たちの作業を見守っていなくてはならない状況となり、泣く泣く断念した。会場から何人かの知人からどうして来ないのかと問い合わせの電話が入った。事情を話すと、みな残念がってくれた。7月から始まる「少年週刊誌のDNA展」の成功を祈念するうえでも参加したかったのだがいたしかたない。

だが、こういうハンチクな輩の棲息するような業界をきれいにして、学生たちをはじめとする若い人たちの育成を期することが、なにより「教育者」であった内田勝さんの喜ぶことになるはず。 

 
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by yamato-y | 2009-06-27 10:39 | Comments(0)

60肩

60肩

2ヶ月ぐらい、左腕が上がらない状態が続いている。無理に上げると鋭い痛みが走る。タケ先生に鍼をうってもらって、一時的に痛みが緩和するが、2,3日経つと再び腕は上がらない。体を冷やしたことによる、さらに老化による筋肉の痛みだと、タケ先生は見立ててくれた。いわゆる50肩だそうだ。50代にやってこなくて60過ぎに来るというのは、すべての面で人より遅いという私の習性かもしれない。この分で、老化も人より遅いといいのだが。

『柄谷行人 政治を語る』(図書新聞 2009年5月)を読んでいる。インタビュー構成で聞き手は小嵐九八郎。副題は60年代・70年代を検証する、となっている。難渋な柄谷の文章でないから理解するに楽だ。かつ、私らにとっての体験でもある70年代が主題のひとつだから、溶け込みやすい。

60年代といっても、60年と68年とは違うということを、柄谷は強調する。共産党の失墜は、西洋では68年に起こったが、日本では60年で起きた。60年安保において前衛としての党は破綻し、その再建というかたちでブントが現れた。そのブントが、70年安保を担う新左翼の培養器になるというのだ。しかし、その新左翼も70年代半ばで命脈を断つ。連赤問題が発生し、内ゲバの季節へと風向きが変るのだ。

68年とは何か。67年10月に起きた佐藤訪米阻止の羽田闘争、69年1月の安田講堂砦戦。この2点の間に、日大や東大の闘争からつながる全共闘運動がうねる時期だ。フランスではカルチェラタンの五月革命が、アメリカではいちご白書の戦いが起きていた。ベトナム反戦運動も盛り上がっていた。ざっと40年前のことになる。

今年2009年というのは、ある節目になるらしい。いろいろな出来事が区切りの年をむかえている。20年前の1989年も大きな変動があった。ベルリンの壁が崩壊し、昭和天皇が死んで昭和時代が終わった。この時のことは私のなかにも生々しくある。冷戦末期の核状況をリポートする番組を作り、昭和の歌姫美空ひばりの特集番組を作った。いずれも、ディレクターとしてである。私の頭脳はターボ回転していたし、肉体は酷使された。無我夢中で突っ走っていたから、その時代の意味、その時代の私の仕事の意味を根底から突き詰めることをしないままで今日まできた。
ようやく、それを検証する時期に私は来たのだと、60肩を患いながら思う。

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by yamato-y | 2009-06-25 18:29 | Comments(0)

夜中の3時

夜中の3時

時計の刻む音のみ。雨は降っていないらしい。トイレに起きて、そのままごそごそとパソコンを開ける。テキストエディットの白い画面を引っぱりだして、電子文字の黒いしみを少しずつつけていく。横30センチ、縦20センチほどのモニターが世界とつながっているということは、大変なことだ。歴史意識を大きく変えていることになるだろう。情報化社会が始まって、個人情報はどんどん隠され保護されていったが、一方でキイワードを入れてググれば、ただちにそのことと出会う便利さも確保された。
戯れに、知人の名前を入れて現在の消息を知る。この場合、ありふれた名前はなかなかたどりつかないが、変わった姓名は早い。私の名前もその類いだが、向山とか皆元とか中務とかだ。ただし女性は結婚すると、姓が変わることがあるので、現在の情報は格段に減る。

昔、金沢の教会で牧師をしていた向山先生のことが思い出された。姓は普通だが名前が変わっていたので、検索するとすぐ行き着いた。2005年に亡くなっていて驚く。43年頃に金沢を出て福島の磐城のほうへ行かれたと聞いていたが、最後は新松戸あたりの教会で司牧していたと知る。享年はいくつだったのだろう。
佐藤とか阿部とかという姓はほとんどたどれないが、石地とか本元とか須網とかは遭遇できた。教師になった者は去年か今年にみな定年をむかえている。

当方から探しにいくのでなく、自分のブログで「ターム」を示しておくと、そこへやって来て教えてくれる人もいる。懐かしいテレビドラマのタイトルや登場する役者の名前や、古いレコードの情報などがもたらされるのだ。そうやって、小林啓子の「さよならを言う前に」が再販されていることを知り、HMVで注文することができた。昨日入荷したという案内を受けて、渋谷店の正面レジで手にいれた。さっそく、家にかえって再生する。アルバムの名前は「小林啓子 始まりでもなく 終わりでもなく」。13曲収録されているなかの、2番目の曲が私のお目当てだ。

ちょっと期待外れだった。アレンジが洒落ていて現代風なのだ。私はもっとベタなセンチメンタルを期待していた。
それでも、30年ぶりに聞いた。この歌を初めて知った、FM大阪か神戸の富田アナの声も思い出した。

現在、4時。空がだんだん白んできた。

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by yamato-y | 2009-06-25 04:18 | Comments(1)

雨音を聞きながら

雨音を聞きながら

サーという音を夢うつつで聞いていた。ぼんやりした眼で窓を見ると、雨。ああ、雨が降っていたのだ。夢のなかでも雨だったよな。

谷間の夢をみた。40年前の出来事とつながる夢だ。そこに住んだことも行ったこともないが、縁のある人の実家がそこにあった。今は誰も住んでいないようだ。その空き家の前を通り過ぎた。

しばらく行って、共通の友人に会った。あの家はどうなったのかと尋ねると、その人も思い出したらしく、お母さんが一人でいたはずと答える。訪ねてみようか、どうしようかとためらううちに目が覚めた。

窓を開けると、冷気がすべりこんでくる。昨日の暑さとはうって変わった肌寒さ。雨は一本の音となって切れ目がない。
こういう夢をみたときは苦手だ。また、過ぎし日のことが芋づる式につながって出てくるから。その幻想が帯びた気分がずっと、私の身内に止まるから。そういうときは人と話したくない。自分の殻に閉じこもっていたい。

それにしてもなぜ谷間なのだろう。ひとは谷間で生まれて、またそこへ帰っていく。そういう谷間。イギリスの詩人、ランディ・トーマスの言葉にそういうことを記していたはず。大江さんから教えていただいた。

一昨日、夜の10時に電話があった。金沢の友人たちだ。数人集まってわいわい盛り上がって、私のところへ電話をしてきたのだ。1学年下のメンバーは今年60歳になり定年をむかえた。そのメンバーたちが中心になって8月4日に同窓会をやろうという呼びかけだった。行きたい。40年前の友たちに会いたい。友だちではない、友たちだ。
あの頃、なぜあれほど憎み合ったのだろう。互いに、世の中をよくしたいと考えていたのに、路線が違うからといって対立した。喧嘩をしたまま卒業し、会う機会もないままの友たち。

藤沢周平の本のタイトルにも取られている古川柳「故郷へ廻る六部は気の弱り」。全国を行脚してきた山伏も、年をとってくるとだんだん故郷の周辺ばかりになってくる、という意味だが。

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by yamato-y | 2009-06-24 09:44 | センチメンタルな気分で | Comments(0)

33回講談社漫画賞

33回講談社漫画賞

赤プリ(赤坂プリンスホテル)のクリスタルパレスというバンケットホールで33回講談社漫画賞の授賞式が行われた。今回、特別賞に選ばれたちばてつやさんからのインビテーションもあって、私は参加した。そのホールはゴージャスで広い。およそ1500人ほどの関係者であふれた。雑誌で見た顔があちこちにある。ちばてつや、つのだじろー、黒鉄ひろし、藤子不二雄A,牧美也子等々。私のなじみは少ない。大半は今活躍している30代、40代の若い作家たちでいっぱいだ。そういう作家はみなノータイで、ラフなスタイル。ネクタイをしているのは、ほとんど講談社の編集者たちだ。

今年は講談社創立100年ということで、例年の賞以外特別賞も設けられた。新人漫画家育成に功があったとして、ちばてつやさんが選ばれた。児童部門、少年部門、少女部門、一般部門など7人が選ばれた。気になったのは少女部門、「潔く柔く」いくえみ綾、一般部門の「ああっ女神さまっ」の藤島康介、の二人であった。明日、本屋で探そう。
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会場には、講談社のタカハシさんやヤンマガのイシイさんもいた。なんと海洋堂の宮脇社長もいた。懐かしい顔、顔。これも、「ザ・ライバル」や「新しい文化フィギュア」、「全身漫画家・赤塚不二夫」、「あしたのジョーの、あの時代」などを制作してきたおかげだ。

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by yamato-y | 2009-06-22 22:23 | Comments(0)


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