定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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一次情報

一次情報

梶原一騎夫人、高森篤子さんがこんな思い出を教えてくれた。
《梶原一騎は子供たちにけっして太宰治を読むなと命じていた。太宰の作品がくだらないから読むなという意味かと思ったらそうではなかった。『巨人の星』を執筆していた頃、仕事部屋には、太宰が引用して有名なベルレーヌの詩「選ばれし者の恍惚と不安―」の一節を紙に書いて、壁に貼っていたほど、太宰を愛していた。読むなというのは梶原独特のテレでもあった。》
太宰の小説を梶原は密かに好んだ。そして、一つ誇りに思うエピソードを機嫌のいいときに梶原は語った。
《戦後、梶原の父髙森龍夫は文芸書の編集者をしていた。父がうなぎ屋で太宰と打ち合わせをしていたとき、血相を変えた三島由紀夫が飛び込んできた。》
ただ、これだけの話だが、篤子さんは今も心に深く刻んでいる。

今、篤子さんは梶原と送った半生を書きおろしている。おそらく年内には出版されると思うが、梶原と篤子さんの短くも激しい人生の一端を、その書を通じてわれわれは知ることができるだろう。これまで知られなかった梶原一騎像が浮上してくるはずだ。当事者の重要な証言だ。出版が待ち遠しい。
ところで、篤子さんはこの原稿をすべて自分で書いている。ゴーストライターはいない。一文字一文字、鉛筆で原稿用紙の升目を埋めている。「だから、書くのが遅いのよ」と謙遜するのだが、私は篤子さんのその努力に敬意を表したい。というのは、漫画やアニメ、特撮などに関する書物があまりに、1次情報が少なく“引用”したものが多いからだ。

きっこのブログで「唐沢俊一氏の盗作疑惑について公開質問」というニュースを見た。どうして、きっこさんがこういう問題に関心があるのか、真意が分からないのだが、興味深い主題だ。内容はこんなことだった。
《数々の盗作疑惑が取りざたされている唐沢俊一氏(51)が、6月18日(木)19時からジュンク堂書店池袋本店で「オタクは大人になってからがおもしろい」というトークセッションを開催する。・・・唐沢氏はこれまでにインターネット上の個人ブログやメルマガのエントリーを丸ごと書き写したような書籍を刊行し、該当ブログの運営者らと何度も問題を起こして来たが、その都度うやむやにして来た経緯がある。今回、多くの関係者がいる場で、これまでの唐沢氏の行為をこと細かに検証して来たA氏が公開質問する云々・・・》
この記事の関連を読むと、次々に唐沢氏の問題点が暴露されていた。

以前から感じていたのだが、ポップカルチャーを愛好する人のなかに、取材源や著作権のことを無視する人が多いということだ。コミックマーケットなどでも、本歌取りのような作品が多く、それゆえあえてそういう権利を無視するという傾向が多いようだ。ある程度、表現に対して寛大であるというのは理解できるが、パクリに近いところまでいくとやはり問題は残る。
というか、それまでの表現物に対する不信感が生じてくるから、できるだけ、オリジナルな作品を書くべきだと思う。高森篤子さんは、すべて自身の体験に裏打ちされたものを書いている。そこを地道に思い出して、記述する努力がえらいと思った。

来月、内田勝さんをしのぶ会が開かれる。その情報を昨日法事の席で初めて聞いた。関係者は、私が初めて聞いたということにショックを受けていた。というのも、内田さんと私の関係は大伴昌司を私が取材した20年前からの付き合いだからだ。先日の「ザ・ライバル」でも、内田さんをモデルにして私が番組を作っているのだから、当然、そういうことを知っていると思っていたのだ。
私は5年にわたって内田さんから個人的な書簡を受けとっていて、少年週刊誌のある時代についてあれこれ聞かされていたが、ここで知る話はほとんど世に出ていないものばかりである。内田さんもずっと胸に秘めていたと思われる。そのことを伝えうる義務があることを感じつつ、今、世間に流布している言説との違いにいささか驚いている。この内田談話やサンデーやマガジンの関係者の証言を、どのように扱おうか今考えている。

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by yamato-y | 2009-05-31 16:41 | Comments(0)

雨はあがって

雨はあがって

越生というのは関東絹の道の要衝にあった。関東平野の北部、秩父山系と接するやまなみのなかに、静かな街があった。
そこの正心寺というお寺で、内田さんの法事がとりおこなわれた。親族のほかに20人ほどの友人、知人が集まり、本堂で回向が行われた後、裏山の墓地で内田さんのお墓に線香をたむけた。

法事のあと、麓の料亭で直会があった。友人の一人が献杯の音頭をとった。東京教育大の同窓生だが、彼の挨拶に「内田君は大きな仕事をして風のように去った」と語った。風のように去ったという表現が、心に響いた。そういえば墓地に立ったとき、森の奥から遅い鶯が鳴いていた。武州のやまなみに抱かれて、内田勝は静かに眠っているのだと実感した。

宴会の席では、梶原一騎未亡人の高森篤子さんと隣同士となり、梶原さんのエピソードをたくさん聞いた。これまで知られていない梶原像が浮かび上がる。つい、仕事モードになり取材してしまった。

朝11時に越生駅に立ったときは雨が残っていた。本堂での法要の間もぬか雨が降っていた。お墓参りの頃はすっかり雨があがった。
そして、内田さんを偲ぶ宴会が終わった、午後4時過ぎ。雨もあがって、緑の海が広がっていた。

私は高森さんのベンツに便乗させてもらい、池袋まで出る。その間、高森さんの楽しいおしゃべりに耳を傾けた。

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by yamato-y | 2009-05-30 17:42 | Comments(0)

雨の墓参

雨の墓参

 5月29日の記事への広島のMNさんからのコメントは嬉しかった。この30年の間、制作してきた私の番組群を通して見てくれた人がいると知って、何か報われたような気がした。
実は、独りだけ私の番組を長年にわたり見ていただいている人がいる。私より5歳ほど年長の職業女性だ。その人は20年ほど前から、私の番組を系統的に見ていて、私の「文体」が好きだといっていただいた。10年前に偶然その人の存在をしった。そういう人は一人にきまっていると思っていたら、ここに新しく私の番組を支持してくださる人がいることを知って嬉しい。
MNさん! 次の私の作品は9月に放送する「太宰治/斜陽論」です。よろしく。

うっすらと雨が残っている。本日は埼玉県の越生まで墓参に行く。少年マガジン元編集長、内田勝さんの一周忌法要が内田さんの故郷越生の寺院で行われる。そこへ参加するつもりで、9時に出発する。越生は池袋からおよそ1時間ほどかかる。

内田さんが急死して、もう一年になるのだ。ちょうどひと月前、「ザ・ライバル」の最後の編集中に奥様から本日の法要のお知らせをいただいた。あの「ザ・ライバル」が内田さんの供養のような番組だったから、とても不思議な気がしたものだ。そういえば、内田さんは死者たちと交歓する人だった。大伴昌司が亡くなったときも、原宿のジャズ喫茶で思いがけないことがあったと、楽しそうに語っていたことを思い出す。今度は、内田さんが私にメッセージしてくれないかなあと、期待している。

昨日、朝一番で少年サンデー3代目編集長,Kさんのところへお礼に出かけた。「ザ・ライバル」では、実に貴重な情報をいただいた方だ。2度にわたり長時間インタビューを私はした。そこで知った事実を番組の枢要な部分として組み込んだ。そのお礼に行ったのだ。Kさんは番組は面白かったよと褒めてくださった。いろいろとご迷惑をおかけしたことを、私は謝罪した。

Kさんこそ、内田編集長のよきライバルだ。内田さんの思い出話になった。「内田くんは、重戦車のようにどしゃどしゃと動き回っていたな。けっして早くはないが、なめくじみたいにゆっくりだけど確実に跡を残す人物だった。とにかく、ねちっこくてね。いつも、風呂敷包みを小脇にかかえてぼそぼそとかつ雄弁に語った。」
Kさんは葬式はともかく、それ以外の仏事には参加しないことにしている。「だって、ぼくの胸のなかにウッチャンがいれば、死んではいないのだよ」鬼編集者の顔がにこっと微笑む。

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by yamato-y | 2009-05-30 08:12 | 少年誌の青春時代 | Comments(1)

緑風

緑風

夜来の雨があがり快晴となった。昨夜の雨は相当ひどかったらしく、窓ガラスには雨滴が数滴はりついたままだ。風がつよい。山がゴーゴーと鳴っている。ベランダの扉をがたがたと揺する。

衛星放送開始20年記念の番組で、昨夜「冬のソナタ」が久しぶりに放送された。これまでに2桁の回数で視聴しているはずだが、思わず見入った。やはり名作だ。“メロドラマ”として本当によく出来ている。ストーリーは分かっていても、次々に展開するプロットの意外性には脚本がしっかりしていること、的確な演出プランがあることがおおいに寄与している。それにも増してこのドラマが優れているのは、昨夜放送された韓国オリジナル版を見て感じたのは役者の演技力だった。

「ザ・ライバル」のドラマを制作するという体験をして感得したのは、役者の思いをいかに持続させるかだった。役者は悲喜苦楽の感情を演じるとき、その気持ちを最低30分は持続させておく必要がある。一つのカットを終えて次のカットまで、カメラ位置の変更、照明の調整、メイクの点検などで空き時間が生まれる。その間、いかにして感情を保つかということだ。

舞台であれば、すべてが物語の時間として平行して流れているから、演じるということに専念できるが、映像の芝居はそうはならない。極端にいえば、ブツブツ切れた芝居の連続なのだ。それをコントロールする柔軟で強い精神力が役者に要求される。

チェ・ジウさんは若い頃演技が下手だと評されたと聞くが、少なくとも冬ソナではそんなことはない。昨日放送されたのは、あのファンが2番目に好きな「私は謝りません。あなたは私の心をもっていったから」の場面だ。溜めに溜めたチェさんの演技は、彼女の力かユン監督の指示か判断しがたいが、よく演じている。

でも昨夜発見し、驚いたのは、ぺ・ヨンジュンさんの深々とした演技だ。ある抱擁力を感じた。以前は気がつかなかったのは吹き替えのせいだろう。ペさんのバリトンがヒロインの心の傷を癒すかのようなジェントルな声。この声が穏やかに流れゆっくりとした所作。この演技が内に秘めた悲しみと愛おしさが入り混じった複雑な感情をよく表していた。

「冬のソナタ」の分かりやすさというのは稀有な芸術性だ。ウッディ・アレンやベルイマンのような難しさはないが、同等の芸術性を獲得していると私は言い張りたい。この意見に対して、映画の専門家の高野悦子さんは異論を示さなかったことを思い出した。

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by yamato-y | 2009-05-29 08:12 | Comments(1)

見た人の感想

ザ・ライバルの反響から

「ザ・ライバル」はアンコール放送も好感をもってむかえられたようで、いろいろなところから「面白かったよ」という声を聞く。特に私と同じ世代では、ずいぶんたくさんの人が視聴していただいたようだ。実感では同世代の視聴率は20%ほどあるような気がする。これはあまい推測だと思うが、それほどたくさんの反響をもらったのだ。各地各界からの声がぽつぽつ私の手元に届いて来ている。

鳥取県の61歳の男性(つまり私と同じ団塊世代)の手紙。
《・・・懐かしく面白い企画だった。昭和を思い起こさせる映像に思わず引き込まれた。ライバルとはああでありたいと唸らせる内容であった。》
30代、大阪の女性の声
《熱意をもって仕事をする素晴らしさを感じた。ライバルと競いあうことで、互いに向上していく様子や、刺激を受けながら成長していく姿にワクワクした。》
 嬉しいではないか。制作する側のメッセージがきちんと伝わっている。

ドキュメンタリードラマという手法についても概ね好評だ。
40代の人のはがき。
《ドキュメンタリーとドラマという2本立ての新ジャンルともいえる構成が新鮮でよかった。》
別の40代の男性は、予算は少なくとも、膨大な資料と高い構成力でこういう手法をどんどんやってほしいという声を寄せてくれた。
《編集者の奮闘ぶりはドラマの展開で、また当時の映像、当事者のコメント、思い出話はNHKにふんだんにある資料から、そして現代の映像と、しっかりポイントが押さえてあり、年配も中年も青年もそれぞれの楽しみ方で視聴できる室の高い娯楽番組になっていました。》
こういう便りを読むと、3年かけて構想してきた苦労が報われる。

少年誌ということで、女性たちはどう感じたのだろうか。
30代女性。
《実際、少年誌は幼少の頃に読んだこともなく、正直興味もなかったのですが、ところどころ時代背景もありで、60代の母と見ていましたが番組に入り込みやすく、休日のまっただ中、リラックスしながら見られる番組でよかったです。》
きびしい30代女性からの声。
《「子供の好きな野球・・・」とか「子供の好きな相撲・・・」という表現がありましたが、「子供」は男の子のことで、女の子は別に野球とかは好きではないので違和感を感じました。》
なるほどと思いつつ、これは少年誌にかぎっての話なので、と言い訳をしたくなる。「今度は少女漫画の歴史を取り上げてほしい」という声が女性からかなり来ている。参考になる。「少女フレンドVSマーガレット」とか「りぼんVSなかよし」なんていうテーマもあるなあと早速スケベ心が出て来る。

ドラマの主役の二人に対する反響も興味深い。
40代の女性
《成宮寛貴さんの爽やかさと伊藤淳史さんの暖かい演技が印象的だった。》
こんな女性の声もあった。
《どんなダサイ洋服もモードにしてしまう成宮さん。どんなモードもダサクしてしまう伊藤さん。この二人の対比がとてもよい。》はがきを読んで思わず笑ってしまった。視聴者はいろいろなところを見ているのだなあと、あらためて思う。

この番組の時代が近過去ということもあって、ディープな見方をもってくれる人もいた。50代男性の声。
《二人が飲んでいるバーの壁に貼ってある映画のポスターで時の変遷を感じさせるなど、小道具の使い方は巧く、時代の雰囲気をよく出していたと感じられる。》この声を、美術ディレクターに届けたら相好を崩していた。 

こういうライバル関係をとりあげるときは慎重であってほしいという、貴重な意見があった。
《下手をすれば、相手への誹謗や中傷、相手の失策やスキャンダルもそこに浮上してくる場面もあり、また、登場する企業の宣伝にもなってしまう。なかなか難しい問題がある。》

こういう反響がおよそ200件ほど来ている。これからの参考にするうえでも、しっかり声を分析して、次回のチャンスに備えたい。

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by yamato-y | 2009-05-28 09:09 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)

右手にジャーナル

右手にジャーナル

「朝日ジャーナル」が店頭に出ていたので、思わず買った。創刊50年と銘打ってある。ジャーナルは、「少年サンデー」「少年マガジン」と同じ1959年に創刊されていたのだ。当時は週刊誌ブームだったから、硬派の週刊誌として朝日新聞社から発刊された。長く左派の雑誌として大学生の必携の書だった。時代を読むのは朝日ジャーナルを通してというのが60年代の風潮だった。70年安保が日程に上り、全国で大学闘争が始まると、ジャーナルはますます愛読された。神戸大学や富山大学で起きている状況などは、この週刊誌を通して知る。
 
当時、月刊誌は「世界」「現代の眼」、週刊誌は「朝日ジャーナル」と「平凡パンチ」「プレイボーイ」だった。68年ごろになると、「少年サンデー」「少年マガジン」がそのリストに並ぶようになる。右手にジャーナル、左手にマガジンなんて言葉も生まれた。

 92年に終刊になったと思っていたが、どうやら休刊扱いになっていたようだ。
今回は創刊50年ということで緊急増刊されたようだ。表紙の隅に週刊朝日緊急増刊と小さく書かれてある。どうやら、「週刊朝日」の軒先を借りての増刊らしい。

目次を見ると、新旧の左派の論客の名が連なっている。
旧世代には懐かしい名前がある。鶴見俊輔、見田宗介、柄谷行人、浅田彰、吉田司、加藤典洋、高村薫、吉岡忍・・・。
新しい名前には注目しておきたい。東浩紀、斎藤貴男、平野啓一郎、湯浅誠、山森亮、浅尾大輔、雨宮処凛、赤木智弘、杉田俊介・・・。

 巻頭のコラムは、「風速計」。歴代編集長が筆を奮ってきた場だ。この特集号では、仮編集長という立場で山口一臣週刊朝日編集長が書いている。この国への強い危機感、というタイトルをかかげているだけあって、現代に対する強い危機感が文章に溢れていた。

 内容はいろいろあったけど、私は中森明夫の司会による鼎談「言説空間が失われ 批評と物語が衰弱したいま」がおもしろかった。浅田彰、東浩紀、宇野常寛の3人の論客が現代思想の潮流について語っている。浅田は全共闘世代とか0年代とか、世代論にかたむくことを好んでいない。その姿勢に好感をもつ。東は現代の批評が衰退していることに危機感をもっている。彼は、後進の育成に情熱をもっているようだ。そういう者の相互批判の場を、東はなんとか作りたいと考えていた。
それは、「要するにケンカできる場所を確保することですね」と浅田が、ちくりと批評しながら、後輩をからかっている。彼がいまや論壇の真ん中にいるのだなあ。隔世の感。

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by yamato-y | 2009-05-27 10:34 | Comments(0)

太宰のことを考える

かしいでいる人

 母が太宰治に関する日経新聞切り抜きを見せてくれた。太田治子さんが太宰の『斜陽』について語った記事だ。タイトルは「娘が読む太宰文学」(2009年3月12日)とある。なかなか読み応えのある記事だった。

 太田さんは、太宰の作品の特徴はかしいでいる人を描くところにある、と見ている。エリートのように揺らぎのない人生でなく、屈託し行き悩むような人の生きかたをかしぐような人という意味で太田さんは考えていて、そういうかしぐように生きている人物を太宰はとりあげてきたと見ているのだ。
 たしかに、「人間失格」のようにたえず生き方においておどおどして調子よく生きられないような人を太宰は好んで描いてきた。今風の言葉で言えば、「負け組」の人生だ。それをかしいでいる人とすくい取る。太田さんの言葉の選び方、太宰文学の急所の捉え方に感心する。

 だが、太宰はそのかしぐ人を負け犬のようにしては描かない。そのかしいでいることを運命として受け入れるわけでなく、むしろ呪詛しそこからしたたかに反発する人物として描くのだ。
「札つきの不良だけが、私の味方なんです。札つきの不良。私は、その十字架にだけは、かかって死んでもいいと思っています。万人に非難せられても、それでも、私は言いかえしてやれるんです。お前たちは、札のついていないもっと危険な不良じゃないか、と。おわかりになりまして?」
このねじくれた感情。ここに万人は太宰文学に惹かれるのではと、太田さんは考えている。

 話は変わるが、猪瀬直樹は『ピカレスク(悪漢小説)』において、太宰は悪人を演じてきたと喝破した。猪瀬独特の反語的な言い回しであるとしても太宰を悪人として捉えるのはやや浅いと思われる。太宰は悪人というより不良、札付きの不良というべきではないか。生まれついての悪人でなく、環境や時代により心ならずもかしいでいることを強要されて、挙句に不良になった人格と見るべきではないだろうか。

 これから4ヶ月にわたり、太宰治について考えていく。主に『斜陽』をめぐっての太宰論になるだろう。その取材メモや文学の見方について、ここでも項目を立てて書いていく。
太田治子さんの「娘が読む太宰文学」については、まだ続けて書いていくつもりだ。

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by yamato-y | 2009-05-26 15:04 | 斜陽を考える | Comments(0)

苔むして

苔むして

故郷へ帰ってみると、梅雨間近の実家の庭は青々としたスギゴケの波、見るからに清清しい。
ベランダの隅に見慣れない花の植木鉢がある。一つのガクにいくつも白い花をつけているが寂しげだ。名前を聞くと、「夜来香(イエライシャン)」。同名の戦前の歌謡曲があるが、その華やかなイメージとはおよそ縁遠い花だ。

遠蛙(とほかはづ)―遠くの田んぼで鳴く蛙のこと、春の季語だが、ちょうど今頃が蛙の合唱の最盛期となる。ふるさとの青田にはうるさいほどの蛙が鳴いている。のんびりするというか退屈というか。昨日までの日々を思い出しながらぼんやり庭を眺めている。

暇だから、母の短歌につきあう。歌を詠みはじめて10年になる。最初は、『信徒の友』という教会の雑誌の短歌欄に投稿した。選者の三浦光世さんと波長があったか、3年ほど経った頃からちょくちょく入選するようになった。特選を獲ったこともある。しだいに自信がついたのか、「NHK歌壇」にも応募するようになった。佳作、入選を繰り返すようになった。
ところが、ここへ来て足踏み状態が続いている。「NHK歌壇」では万年佳作で入選は少なく、ましてや特選には届かない。どうしたらいいかと短歌の研究書を紐解いてはみるものの、他の作家の歌をよしとはするが、自分はそういう歌を詠まないと拒んでしまう。意外に頑固なのだ。
誰が好みだと聞くと、啄木のような作品がいいという。斎藤史のような歌は憧れるが、自分で詠みたいと思う作品ではないという。

今月の「NHK歌壇」の兼題は城。それを織り込んで作ろうとするのだがうまくいかないらしい。ちょっと見せてみろと、短冊を手にとる。昔、小学校の学芸会で「荒城の月」を久留米絣の少年が歌った、という内容の短歌だ。学芸会、「荒城の月」、久留米絣、少年、イメージが常套じゃないか。この歌の心を残して、言葉をすべて入れ替えて作ってみたらと忠告すると、ああだこうだと抗弁する。おとなしそうな顔をして意外に頑固なバアサンだ。

母は短歌を独学でやってきた。どこの結社にも属していない。それはいいのだが、ややもすれば独善化することもある。やはり、他者性がときには必要だ。というようなことを、“説教”して短歌話しを打ち切った。だんだん、面倒くさくなったのだ。年寄りは時間という経験の苔を全身にまとっている。その苔をいったん剥がすということなどは至難だ。
「わかった、わかった。好きなようにやってくれ」と捨て台詞を吐いて、親不孝な私はまた自分の世界に引きこもる。河合隼雄さんの本でも久しぶりに読もう。

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by yamato-y | 2009-05-25 11:37 | ふるさとへ | Comments(0)

懐かしくて淋しい

ジローさん

山科の疎水のほとりに、私が新米だった頃の上司にあたるジローさんが住んでいる。昨年、大学の帰りにそこを訪れて20年ぶりに旧交をあたためた。ご夫婦ともども、私の訪問を喜んでくれたので、その味が忘れられず今年も訪ねることにした。

烏丸御池の京都マンガミュージアムで杉浦茂展を見たあと、1時過ぎに地下鉄で山科まで行った。京阪山科駅から歩いて5分ほどの山際にお宅はある。不案内でうろうろしていたらジローさんの妻トヨコさんとバッタリ出会った。ジローさんは作務衣にたすき掛けというイデタチで現れた。すっかり料理人だ。どうやら、私のために美味しい魚を用意していただいたようだ。恐縮しながらも、せっかくの手料理と、私の箸もつい伸びる。おまけに、とっておきのシャンペンも開けていただいたとなれば、杯を重ねないわけにはいかない。したたかに酔った。

ジローさんは、わたしが仕事に就いたときの最初の上司である。今から39年前のことだ。関西独特のユーモアをもった人で、桂枝雀のような鋭敏さと鶴瓶のような茫洋とした振る舞いの2つを併せ持ったような人物だった。とらえどころのない人というのが、私の最初の印象だった。
16年前にジローさんは54歳で早期退職を選び、その後悠々自適という人生を送っている。今年古希をむかえた。早く辞めたのは、大学院に入りなおして経済学を学びたかったからだという。4年ほど彦根のキャンパスに通ったが、卒業した後もキャリアアップして職につくというようなこともなかった。ジローさんにとっては学ぶことも快楽であったようだ。巷を低く見て、悠々と人生を生きている。現代の高等遊民というか隠遁者というか。この人は人生の達人だと、かねがね密かに尊敬している。

とにかく、どこへ行ってもどんな状況にあっても、この人は退屈という言葉と無縁の人だ。じっとしてはいない。何かかんか新しい関心や主題をみつけたり、遊び方を工夫していく。かといって金のかかる道楽にふけるわけでもない。京極にある名高い銭湯桜湯に一日中つかっているとか、池坊女子大の単科専修に潜り込んで「お茶」を習うとか。路地裏の赤提灯を見つけてはふらりと立ち寄るとか。老人優待パスを利用して一日中バスを乗り継いだりするとか。ただし、ジローさんの名誉のためにいっておくが、パスの最低保証金を支払ったうえで取得する有料パスを使っての漫遊だということ。
ある飲み屋では「先生」と呼ばれているのよと奥さんのトヨコさんが呆れながら語る。理由を聞くと、その店のために演歌を作詞したからだと、ジローさんはしれっという。

ジローさんと梅田のオフィスで机を並べていたのは、1971年。大阪も景気がよかった。大阪万国博の熱気がまだ残っていたのだ。6時まで仕事をして、仕事がはねると梅田、曽根崎の赤い灯青い灯を飲みまわった。当時、私は神戸に単身で住んでいた。飲んで遅くなると、京都山科のうちへ来ないかとジローさんはにこにこ笑いながら誘ってくれた。こんなサラリーマンの付き合いなんてものは今じゃなくなっているが、当時はまだあった。
そして、ここが肝心なことだが、先輩の家に深夜に突然押しかけるというのは、その家の人にとっては傍迷惑なことだ。その意味で、私は「招かれざる客」だ。酔った勢いで押しかけたものの、ぶっとむくれた先輩の細君の顔を見るということがよくあった。ところがジローさんの家はいつ行っても歓迎してくれた。居心地のいい家だった。
だが、今考えると、梅田から四条河原町まで一人で帰る無聊をジローさんは嫌ったのかもしれない。長い帰路、退屈しのぎにジローさんは私をさそっていたのかもしれない。だが、そんなことはどっちでもいい。当時の私には、清潔な布団と美味しい寝酒と、朝飯にありつくことができ、最高だったのだから。

そんな昔話をジローさんとトヨコさんと私の3人で語っていたら、あっというまに4時間過ぎた。6時前に礼を言って、お別れをした。玄関の門のところまでトヨコさんが見送ってくれた。夕闇が迫る御陵の森を背にして、トヨコさんがぽつんと言った。「楽しかったわ。また会いましょうね。でもいつ会えなくなるか分からないから、会えるときに会っておきましょう」そのつぶやきを聞いたとき、私はどきっとした。そういえば、万年青年だと思っていたジローさんの髪もすっかり白くなり、右側の耳の聴力は完全になくなっているのだ。大学院に通っていたときに、我武者羅な勉強をしたことから難聴となり、今では右の耳はまったく聞こえなくなっている。楽しげに人生を送っているジローさんにも、人生の黄昏は確実に近づいているのだ。

暮れなずむ山科の空を眺めながら、懐かしさと寂しさが交錯する名状し難い感情が私の胸のうちにあふれてきた。

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補遺:ジローさんの演歌の歌詞は以下のとおり
人情酒場 はなさき小唄
♪4時の開店暖簾があがる 早番スタート リタイア親爺
ぐっとぐっと飲み干す ほとけ酒
♪5時の入れ替え 直行直帰 営業マンが業績向上
成果成果を期待 ねがい酒
と、6時ははじけ酒、7時は連れられ酒、8時は癒し酒、9時は旅路酒、10時でがまん酒
♪11時過ぎたら 街の明かりが消えていく マスターとママの
笑顔笑顔が映える 仕舞い酒
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by yamato-y | 2009-05-25 00:53 | Comments(0)

初恋の味

初恋の味

関西の大学は休校騒ぎが続いているが、京大は平常どおりに運行されている。
噂では、京大医学部の感染症専修の教員たちの判断ではその措置はいらないということらしい。休校は後に補修がともなうから、必ずしも学生たちにとってもうれしいこととはいえない。夏休みが減らされるのだから。

小雨の降るなか、朝10時にホテルを出て、錦林車庫行きのバスに乗って百万遍に向かう。農学部前で降りて、本部キャンパスの中央食堂まで行く。超安い昼飯を食べようと、パンのコーナーへ行く。ドーナッツとコーヒーを買ってレジの前へ。レジスターの前に小さな看板が出ている。新製品のパフェーの宣伝だ。
「昨日見た夢にあの人が出てきた。
そんなアナタにあの頃の思いを・・・・・
あらんじぇパフェ 初恋の味 350円」

どうだろう。こんな甘い文句は久しぶりに目にした。いまどき、私の職場周辺で、昨日見た夢にあの人が出てきた、なんて台詞は出て来ない。やはり、大学というのは青春の場であるということを、あらためて思う。

今日の京都は雨もよい。重い雨雲がたちこめているが、新緑が雨にうたれて一際美しい。
大学のキャンパスには、傘もささずに濡れていく若者の振る舞いが美しい。若いということはそれだけで許されるのだなと、この年になって、今頃になって羨んでいる。
♪この街が好きさ 君がいるから この街が好きさ 君の微笑みあるから
高石ともやの「街」の一節が蘇ってくる。

緑濃いキャンパスを歩いて、ふとニュージャージーのプリンストン大学を思い出した。3度ほど訪れたことがあるが、そのひとつはちょうど今頃だった。全学が新緑に蔽われ雨が降っていた。まさに緑雨だった。ヨットパーカを着くずした若者が読書しながらボートのオールを小脇にかかえて足早に歩いていた。

日本の大学は独立行政法人になったとはいえ、依然として学ぶ場研究の場だけでなく青春の揺りかごであってほしい。

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by yamato-y | 2009-05-23 08:45 | Comments(0)


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